#219 カブトボーグを真面目に評価するハイエナ〜人造昆虫がやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!〜(いち・・・ジョ!序文に代えて) 投稿者:ルイ <2007/12/31 07:23>
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2007年、個人的には最大の出会いだった「人造昆虫カブトボーグV×V」。最初に出会った時はご他聞に漏れず「腹がよじれるwww」といったツッコミアニメ、笑われるアニメ=笑いものアニメとして扱っていたのに、何十話も観ていくにつれ、僕の中には違う感情が芽生えていきました。一番最初に出会った時は確か「今週の一番」のどこかの週の冒頭だったと思うので、記録は残っていると思います。・・・見事に、「笑っちゃって」ますね、作品を。しかし段々と変わっていったのです。そう 『こんな凄い1話完結アニメ、そうそうないんじゃないか?』 と。少なくとも、1話完結形式のアニメとしては21世紀最高、という気の早い冠を、今後100年の基準の為につけても構わない!と思うようになってしまったわけです。「笑える(笑われる)アニメ」から「笑わせるアニメ」へと扱いを変えていったのですね。今では笑い抜きに、まともに「思考するアニメ」にまで昇格させてしまったわけですが・・(途中に「30分アニメとして優れた見せ方のアニメ」を経て。既にその次の評価です) ニコニコ動画の再生数や書き込み観るに、徐々にカブトボーグを知る人も増え、かなり好意的な反応も得ているようです。僕も後追い組(3クール終わったあたりですorz)ながら、当時は再生数フタケタなんてのもザラだった。それが40話中盤あたりから「動画を上げてくるのを心待ちにして、うpされるや待ってました!と観る百人+1000コメント」というのがデフォルトとなり、現在では再生数やコメントが10000を超える回すらあるという盛況ぶりです。勿論かのサイトにアニメーション動画をあげる行為、それを観る行為の是非を論じる必要は別にあると思いますが、もともとテレビ東京に放送を蹴られ、BSiとアニマックスでしか放送できなかった作品だけに、これによって得た知名度というのは、利益を奪い合うような人気作とは違い「メリットしかない」面があり、同様のカオスコンテンツ「kawaii!jeNey」などの本編が削除される中にあっても、普通に残り続けています(残っているからOK、などという無茶な論理を展開する気は毛頭ありませんが、そこに意味は感じられるという事です)。僕自身、本編は全てDVDで有していながら、なんとはなしにその動画を再生する事が多い。コメントの書き込みから感じる・学ぶ・自分の考えに間違いがない事を確認する・・・など、色々得られるものが多いのですね。 ですが、書き込みに不満を感じる事もあります。先ほど書いた「思考するアニメ」からのツッコミが不足しているのではないか、と。・・・動画を観ながら擬似リアルタイム的に書き込みする作品ですし、それは仕方がない面もあるんですよね。そもそも、そういう反射神経的書き込みを誘発することすら「カブトボーグのテクニック」なのですから。ですが既にその段階を経てしまった僕は満足できず、ネットの海で、そもそも少ない「カブトボーグを知る人」の、更に少ない「カブトボーグを評する人」の、これ以上なく少ない「カブトボーグを真顔で論じる人」を探し始めたのです。 →いねぇorz →・・・どうしよう・・・ →いないなら、簡単にでもやっておいて「真面目に観ている人もいる」という事実を残さないといけない!ボーガー的に!俺はどっちでもいいけど!! と、いうわけで(笑)。LDさんが最初「箇条書き」という形式で「カブトボーグはどう”変”なのか」を伝えようとしていた作業を進め、その”変”を前提に、『カブトボーグはどう真面目に論じる価値があるのか』を各話ごと(に、すると思いますw多分w)細々と、気長に、行っておこうと思います。基本テーマは「カブトボーグは考える、そして成長するアニメである」。一般的にカブトボーグを評するときに言われる「カオス」「超展開」などという言葉で隠されてしまう側面を引っ張り出そう、というのが僕の狙いです。 さて今回はその前書きとして、カブトボーグを語る際「声優」を除くとほとんど全てといっていい「脚本家」について紹介しておこうと思います。カブトボーグに関わった脚本家は5人。それぞれが独特の脚本をモノにしていますが、その個性をどう紹介するべきか・・・そこで、最近僕の部屋に流れっぱなしのビートルズが囁きかけたのです!(「LOVE」をきっかけに、中期のアルバムをめっさ聴いてます。ラバーソウルとリボルバーが好きなので) 『カブトボーグ脚本家って、ビートルズメンバーに当てはめられちゃうんじゃね?(音楽からの声)』 ・・・・いやいやいや(笑)。いくら「人造昆虫」だからって!主題歌が「ビートルパワー」だからって!メイン脚本が4人だからって!そのうち2人が突出してるからって!・・って・・・あれ?なんかできそう?w てな適当な流れで、しかし音楽に興味のない人にまで知名度のある「ビートルズ」を使い、ボーグ脚本家を紹介しようという試み自体はある意味ありなのではないかと思うに至りました。序文というか「登場人物紹介」のノリで、まずそこからいってみましょう。 ○大和屋暁=ポール・マッカートニー (1〜5、11、12、15、20、27、28、34、36、38、41、46、50〜52話) しょっぱなからジョン・レノンにすべきか迷いました。カブトボーグの構成を担当し、カブトボーグの親とも言うべき男が大和屋暁。ビートルズのリーダーはジョンか?ポールか?という問いに、誰が正確に答えられるでしょうか(まあ初期はジョンだけどね)。ただし、今回は大和屋暁先生が実験精神と同時に「バランス感覚」を多分に持っている、というカブトボーグ上での役割を重視し、ポールになってもらう事にしました。というか、次に出てくる人が余りに「ジョン的」だから、こっちをポールにするしかなかったともいう(笑)。勿論ポール大和屋は単純に「ジョンと比べ、ぬるい」などと断じるのは間違いであり、広い幅を有しています。ジョンとポールはお互いの持ち味を交換しているような所があり、単純に普遍的なポール、挑戦的なジョンという対比はできないのですね。とはいえ、大和屋先生のポップなバランスが、ところどころでカブトボーグに道筋をつけ、単純なカオスアニメとする事を赦さなかった。彼の存在がカブトボーグという作品を所謂「浦沢タイプの作品」wに押し留めず、一過性の「思いついたもん勝ち」の世界に収まらない普遍的に優れた作品(と、僕は思っている)にしてみせた最大の理由であるのは疑いのない所であり、そのお利口さんぶりが、やはり「ポールだなあ・・」と思わずにはいられません。ビートルズもなんだかんでいって「レットイットビー」「ヘイジュード」が教科書に載りますから。強いて言えば、そんなポップなポールが生み出した元祖ハードロック「ヘルター・スケルター」が、彼にとっての41話(マンソン回)でしょうか(笑)。 ○千葉克彦=ジョン・レノン (8、14、17、23、29、32、35、39、42、48、49話) こちらは満場(?)一致でジョン・レノン確定。ポールが必死に整えた道筋の中で「革命の季節、ここまでやらなきゃヌルいだろ?」といわんばかりに「伝説」とも言える14話を皮切りに、とんでもない脚本を連発していった人です。ただしジョンはジョンで時代の流れや他者の影響に対し無視を決め込んでいたわけではなく、例えばボブ・ディランの影響も顕著な「恋を抱きしめよう」、ヨーロッパ音楽への興味を明確に示した「ガール」「ミスターカイト」などと、己の内に取り込み、咀嚼して吐き出す雑食精神はポール同様旺盛でした。カブトボーグにおいても、千葉レノンのそういった学習性は脚本の節々から感じ取れます。結局この大和屋ポール、千葉レノンの咀嚼力が、カブトボーグを単純な「単発回×52」に留めない、成長する作品としてみせた面があると僕は踏んでいます。だからこそ、ビートルズに例えたくなったんですね。まあ実際は千葉氏は構成ではないのだけれど、カブトボーグ全体にとっては、2トップと言っていい働きをしており、ポール大和屋への影響力も相当なものです。そして、好き放題やらかした千葉レノンが去り際に届けた49話は、全話中屈指の美しい話に。これはさしずめ、ビートルズ最終盤にジョン・レノンが残したビートルズ史上最も美しいハーモニー構造を持つ「ビコーズ」といったところでしょう。because the sky is blue♪it makes me cry♪・・・ああ、49話ラストの青空が目に染みる。なんという偶然のシンクロニティ。 ○下村健人=ジョージ・ハリスン (6、18、21、26、31、43、47話) 第三のビートル、ジョージ下村も迷いなく確定。最初は光るものを見せつつも、おそるおそる、2人の道筋をなぞるような曲(話)を書いていた(21話なんてのは、まさに大和屋ポールと千葉レノンの後を追っていますね)のが、26話あたりで明らかな「覚醒」を迎え、31話・43話で畢生の名曲「サムシング」「ヒアカムズザサン」に匹敵するようなエピソードを生み出しました。さしずめ彼にとっての最終話47話は、下村式「ギターは泣いている」か(笑)。また下村先生のジョージらしい所として、カブトボーグ第三の男「ケン」の担当話数を多く手がけている、という事実も見逃せません。6話から始まり、26話、47話というのは全てケン話。まあ、そうやって育ててきたケン積みすら42話冒頭ではジョン千葉に悪用され、ポール大和屋には50話で全部総決算されてしまうのが、これまたもう、愛すべきジョージ下村としか言いようがありません(笑)。下村先生、親友(エリック・クラプトン)に脚本(妻)盗まれないように気をつけて下さい(笑)。 ○浦沢義雄=リンゴ・スター (7、9、16、19、22、25、30、33、37、40、44、45話) ・・と言うと、浦沢氏を低評価しているように見えてしまいそうなのが悩みどころですが、この浦沢リンゴに関しても個人的には全く違和感がありません。リンゴ・スターはビートルズの最年長ですし、世代が1つ上の浦沢氏にピッタリ(強引w)。何より、浦沢氏は浦沢氏でワン&オンリーの脚本技術や個性を有しており、その影響は大きく、そもそもカブトボーグの企画自体に多大な影響を与えていると考えられますが、その一方でカブトボーグにおいて「他の脚本家から浦沢氏が何かを学んでいる点が、ほとんど見受けられない」という注目すべき点が挙げられます。おそらくは大和屋氏の師匠でもある関係から、浦沢回のみは「自由に自分の世界を作る裁量」が、かなりの面で与えられており、浦沢先生自身も好きにやっちゃった(笑)という事が考えられます。その事自体の是非を語るのはともかく、浦沢氏のカブトボーグにおける創作姿勢は、先述の「僕の思うカブトボーグ」=「考え、成長するアニメ」という要素とはかけ離れています。故に他の3人の影響もロクに受けず、いつまでたっても「オクトパスガーデン」あたりのほのぼのソングを歌っていたリンゴは、浦沢氏にピッタリだと思うのです。勿論リンゴは影響を受けなくても、他の3人は彼からの影響を受けていました。そう、ドラマーだけに、バックビートデナー(ロイド口調!)・・・お後がよろしいようで(?)。まあ、本作での浦沢回は浦沢回として単体評価する面が大きいという事です。そして、他の3人にはビートとして、血肉となって刻み込まれている。そこを確認できれば、僕の浦沢リンゴ説で言いたい事は大体済むのです。 ○隅沢克之=ブライアン・エプスタイン (10、13、24話) ってちょwwここでオチつける為に数千文字書いたの?wwwみたいなwww ・・・いやいや、かなり真剣に(いやほんと真剣に!)考えました。隅沢先生へのこの作品への参加はたった3話、しかも10話から24話までの間に限られます。10話は1話を再構成したような面があり、13話は14話の前フリとしての面がある(更に言えば、ネタ自体が1話で生まれた積みを発展拡大されたとも言えます)。それぞれ特別な個性とは言いがたい面があるのですね。そんな五人目のビートルズを、誰にすべきか・・・候補としては、文字通り五人目と言える大活躍をしたジョージ・マーティン、ジョンの親友でビートルズの生みの親の1人スチュワート・サトクリフ(早くに亡くなったというのも大きい)、イケメンすぎてリンゴ・スターにドラマーの座を奪われたwピート・ベスト、そして最初期にビートルズに目をつけたマネージャー、ブライアン・エプスタインというあたりが思いついたのですが、実際本編に参加している事(スチュとピートはデビュー前に手を引いている)、また中期あたり、これからの活躍が期待されるあたりで作品から去ってしまった(ジョージ・マーティンは今も生きてます)というわけで、ブライアン・エプスタインに登場願いました。実際彼にとっての最終話(とは、当時の視聴者は思いも寄らなかったわけですが)である24話は1つ振り切った感のある良作で、次の回が観られなかったのは多少残念でもあります。とはいえ、彼がそのラスト回で生み出した積み=ゲッター線wいわゆる「強靱(狂人)なる精神」は、これまたしっかりと咀嚼力旺盛な千葉ジョンが48話で活かしており、彼もまた、カブトボーグの一員である事は間違いないのです。 と、気付くとすっかりアニオタ兼音楽オタとして遊び倒してしまいましたが、基本スタンスが「真面目に評価する」である事は変わりありません。今回も何度か登場した「積み」という言葉が物語るように、カブトボーグはただただ狂った人が書いたものでも、ただただナナメ上を狙ったものでも、ただただボケ倒したものでもないのです。勿論そういったネタも数多くありつつも、そこに散りばめられた作品としての実験・積み、その凄さをこっそりと、かつ気長に書いていこうと思います。次回は・・いつでしょうね?(笑)。もしこれだけで終わったとしても、真面目に「語ろうとした人がいた」という事で、当初の目標達成!みたいな!その方向でひとつ!! ・・・いや、ダメか・・・(笑)。 |
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