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#294 ハーレムメーカーと恋愛原子核(ゲーム視点編)
投稿者:ルイ [2009/02/03 04:05]
長すぎて推敲とか出来てません!スイマセン!orz

 最近ここで語られる事の多い「ハーレムメーカー」(と、それに呼応して登場させた「恋愛原子核」)についての考察を、実例を交えて少々。まだ思考段階なので、そんなに纏まっていない…でもとりあえず、叩き台としたいところです。予め断っておく事としては、僕は「ハーレムメーカー」と「ハーレム構造」をさほど繋げて考えていません。ハーレム構造それ自体は、恋愛原子核状態に生まれる事も多いでしょうし…直接の因果関係は認めていないんですね。じゃあ呼称を変える、というのもアリなんですが…ハートゲッター?ハートシーカー?(笑)自分のネーミングセンスの無さに絶望しそうだぜェ…いずれにしても、ハーレム構造をメイクしようとするからハーレムメーカーなのではなく、ハートをゲットもしくはシークしようとするからハート〜なのでもない。それら全ては結果的にそういった構造を産みうる、という話に過ぎず、肝心なのはこの言葉が「er」、つまり能動的行為者をこそ見つめて使われている、という点です。…さてはて、とりあえず今は、僕の「ハーレムメーカー」を追求しておきましょうか。

 まず、ここでこの言葉が生まれた経緯を書き留めておきますと、「とある魔術の禁書目録」における主人公・上条当麻を眺めた時の感覚、加えて「Fate」における主人公・衛宮士郎のような人物と比較した場合に生まれた時の、違和感の話からだったように記憶しています。衛宮士郎は、自らがが生きる理由が、大きな状況を動かす事と、そしてミもフタもない言い方をすれば「可愛い女の子達の物語を進めていく事」とがリンクしていた。相手の物語を解き進める事が、自らの物語を進める事とイコールになっていた。それは、ここでは本論ではないので乱暴に言ってしまうと、衛宮士郎の「正義の味方コンプレックス」が内面のトラウマとして存在していたからですが…上条当麻には、少なくとも現時点では「それ」に相当するものが感じられないね、という感覚がありました。

 つまり単純比較として、衛宮士郎に比べて上条当麻という人物には「語るべき物語」が不足しているね、でもどちらも「ハーレムメーカー」ではあるよね、というのが本来的な(あくまでここでの)話の、そして用語の始まりでもあったように思います。

※士郎はちょっと構造的に行き着いた感があって、本当はハーレムメーカーの上位種みたいなものかもしれないんですが(笑)言葉を増やしすぎるのもなんだし、取り敢えず話に出てきたのは彼なので、彼にその他大勢の「自らの物語を抱えるハーレムメーカー」を代表してもらいます。

 共に、能動的な意思でもって相手のフィールドに踏み込み、その物語を解き放っていく点では共通しているのに、その解放者である主人公を眺めた時に、抱える物語量に差がある。ともにハーレム、というか女性達が認め惚れていく状態をその意志力でもって「結果生み出せている」点でもってはハーレムメーカーと呼んで差し支えないのに、この違いはどこからくるのか?

 それはおそらく、意志力の根拠の問題かと考えていて…。つまり強い意志をもって他者の物語に踏み込んでいく主人公は、基本的にその踏み込む力が強いほどに、そしてその対象が多いほどに、その根拠についても言及せざるを得なくなってくる構造を持っている。少なくとも、受け手の多くはそこが気になりだす。A・依頼解決型の職種・使命といった外的要因であったり、B・雄の根源的な欲求(個人の物語とは無関係な、いい女と懇ろになりたいといったレベル)で普遍性を持たせない場合、、自然、主人公の一見「過剰な英雄ぶり」に対して、何らかの個人的な根拠を見出せないと、それは実感の欠如へと繋がり、物語全体への違和感が生まれてしまいがちで…現時点での当麻と士郎の差は、まさにそこだったのではないでしょうか。まあ完全に「化け物」として処理する手もあるとは思いますが(笑)こいつはこういう奴だから、という実践による納得は最後にとっておきたいもので、とりあえずは他の手段で読み込めるなら、読み込みたいですよね。

 このあたりで、便宜上「恋愛原子核」の概念を、緩やかな繋がりを持ちつつ「ハーレムメーカー」とは別種のものとして提示しました。理由としては、ハーレムメーカーの由来を考える上で、必要な段階と思えたからです。この「恋愛原子核」なる言葉自体は「マブラヴ」一作目のExtra編で、主人公タケルを夕呼先生が評したもの。つまり周りに何故か可愛い女の子たちが沢山いて、何故か(ラクロス大会で音頭取ったことくらいしか理由が見出せないし、その立場自体が「元から皆が彼に惹かれている」から成立するもの)彼女たちが主人公に惹かれていくという「ベタなハーレムラブコメ」に対する、自己言及的な造語です。作品自体が、続編「オルタ」(或いは無印unlimited編)で仕掛ける前は「超王道学園ラブコメ」というジャンルを売りにしていたので、このあたり自覚的に、狙ったものでしょうね。少なくとも「無印Extra」時点では、タケルは「無根拠にヒロインたちを惹き付ける」という受動的な描かれ方をされており(弁当勝負を見よ!)、その根拠の無さをコミカルに転化させる狙いも含めて、まさに恋愛原子核と呼べるものだった。一方上条当麻は、それとは違い、自分の意思でもって相手の事情や状況にガンガンと踏み込んでいく立場だったわけです。

 これらの言葉、個人的にどう捉えているかというと…言葉をまだブラッシュアップしていないので、変な言葉ですが…「物語の担当バランス」、その比率の問題だと考えています。つまり恋愛に代表される「男と女の物語」…別に男と男でも、女と女でもいいかな?主人公と対象の物語ですね…で、互いに物語をどこまで受け持つか、という配分比変動の歴史が「ハーレムメーカー」「恋愛原子核」のポイントだと思っている。このあたりの感覚は、僕が美少女恋愛ゲーム、「エロゲー(と、一部のギャルゲー)」からの視点で並列ヒロイン構造などを考えている事から生まれたものだと思いますので、大雑把にそこを紹介しておきます。おそらくこの辺、漫画主体で考えるかゲーム主体で考えるかで違いが出そうですし、実際の所文化というものは、同じ時代に緩やかに横の文化とも繋がりを持っていくものだと思っているので、「ゲームだけ」で捉える事にいくらかの無理がある事も重々承知しています。(漫画ハーレム→ゲーム並列→漫画ハーレム改みたいな順序を辿ってるんじゃないかなあ…)ただ、今回はまず敢えてソレ、ゲーム側に特化した考察を行う事で「ゲームサイド」の線、流れを仮にでも形にしておいて、今後の踏み台にしておこうと思います。
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