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#318 「言い張り可能な世界」についてのチャット
投稿者:LD [2009/06/13 23:24]
【絶対視思考と相対視思考】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/06fb37c8864a033a789f1a794f41dd07

【言い張り可能な世界(1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/1d78cda9dd4bffd2aced1dfc281eafb1

【言い張り可能な世界(2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/27376fb92115e5ca89dcbdd7166e6a26

【今何処】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/

僕のブログ「今何処」でエントリーした話で「漫研チャット」で言及された事を下記に抽出してあります。特に編集していないんですが、この話の補足/補完の感がありますので、興味がありましたら、ちょっと目を通してもらえればと思います。


■2009年06月08日
いずみの >> LDさんのブログにロジック的なつっこみをひとつ。「ファクト=みんなが納得できるもの」は等号で結べないのでは? たとえば、法律におけるファクトはしばしば「理解不能なもの」だったりするのと同様。すると、ファクト尊重の先に「たかだか“皆が納得できる事”」だけが来ることも無いでしょう、とは言えますね
LD >> 等号ではないですね。それは文章に書いています。ただ、う〜ん……“みんなが納得できるもの”ってのは僕としては皆が唯々諾々と従っているもの(または、学んで行けば説明がつくもの)、という意味を含むつもりだったんで、これで良いといえば良いんですが……決めの言葉みたいな意味もあるので何か別のフレーズ考えるかなあ…。
LD >> というか、皆が納得できる話は狭いよ…っていう話は、別の「理に屈する」話でしたいって所もあるんですよね。
LD >> →え〜っと、みんなが納得できる事、よりも、説明がつけれる事の方が意味の通りがいいかもしれません。…寝て起きたら検討してみますw
いずみの >> というか「みんなが納得できること」→それは選ばない!! という「理」だけ切り取ればそれでもいいんですが、「それ」はファクトそのものではないので、前段と話が繋がってませんよね? という話ですね
いずみの >> むしろ「ファクト−(マイナス)みんなの納得」っていう引き算をして、残ったモノに再注目するのも前向きな話になるかもですね(だいたいその先のことも考えてる人の発言)
いずみの >> 遠回しな言い方だったので、表現を変えると、「面白いとかつまらないとかそんなことは聞いてないもの」をファクトと呼んでいたはずなのに、「そんなものは面白くない」……と、「面白さ」の比較で語るのは論理矛盾になりますね
いずみの >> つまりLDさんのどこかで「ファクトが解釈を決める」から「ファクトが面白さを決める」に飛ぶ論理の飛躍があるんですが、それがどこか、というのがわからないと、「解釈」と「面白さ」を混同させてしまう。カレーとケーキのように「この面白さがなぜわからん」「その解釈は違う!」「それは面白くない!」……これですね、この平行線です
いずみの >> まぁそもそもその平行線の話をしてると思うんですけどね。
LD >> 「面白さ」の比較で語るのは論理矛盾になりますね> ふむ。え〜っと。「物語愉楽論(僕)」は「愉楽(面白さ)」という価値観で一貫して物事を眺めています。ただし「ファクト(事実)」は僕がどんな価値観を持っているか?なんて事は全く関知していない……という話ですね。
LD >> 「ファクト(事実)の世界」は僕の価値観を話したワケではないんです。社会の在り様…というのが一番通りがいいんでしょうけど…そういうものの話をしました。それは平行線ですらなく「ファクト(事実)」はただ在るだけですね。ファクトが「面白いとかつまらないとかそんなことは聞いてないもの」として、でも僕(LD)は「面白さ」の話をするよ…という意味では平行線とも言えますが、まあファクトに仮に人格を設定しても、僕が何を考えているか?なんて全く気にも止めていないでしょうねw
LD >> 「ファクトが解釈を決める」> んんん…「愉楽する世界」では解釈はそこに「愉楽」があれは夫々の人の主観に宿るものという考え方ですね。「ファクトの世界」は「ファクト」を積み上げるために“様々な解釈というもの”をできるだけ排除しようとするでしょうね。(でも、言葉は不完全と言った通り完全に排除はできませんが)とりあえず“常識”というファクトによって“非常識”な解釈は即排除ですかねw
LD >> 「ファクトが面白さを決める」> 「ファクト」が面白さを決めるとしたら、たとえば数字に表れる“人気”や“興業利益”などがそれに当たるかもしれません。「俺的ナンバーワン面白作品!」と言ったようなものは「ファクト」からすると「あなたがそう思っているだけですね」という割り振り方をするんじゃないかな?w
LD >> …僕はたとえ話が好きだから、すぐに事象に人格を与えて話してしまうのですけど、今回はよくないかも。ファクト(事実)に人格なんか無い。ただ、“はたらき”(原因と結果)が在るだけですね。
いずみの >> へーへー、それは確かに「良くない」言い方ですね(笑)。>「ファクト」からすると「あなたがそう思っているだけですね」という割り振り方をするんじゃないかな?w
いずみの >> 「面白さ」の価値判断を「競おうと攻撃してくるファクトサイド陣営」という仮想的を作っているのが論理の飛躍ですよ、って言ってるわけですしね。
いずみの >> 仮想敵。
いずみの >> 「その事実は正しくない!」と言うことはあっても、「お前の言うそこが面白いなんて言わせない!」なんて言わないのがファクトですよね。なぜ、ファクトに「面白さの主張」を否定させる役を与えるのか? ここの心理的なからくりが気になりますね
いずみの >> つまりビジネストークで言われるような「厳しいファクト」と、単なる常識とかたいしたことのない統計とか、「ファクトとは言えないのに事実扱いされるもの」がこんがらがってるんじゃないですか? という気がするんですけど
LD >> 「お前の言うそこが面白いなんて言わせない!」なんて言わないのがファクトですよね。>基本的にはその通りですけど“邪魔”と判断された時は排除されますね。「たとえ話」に出てくる上司のようにですね。否定させる例を持ち出したのは、たとえば「行間」を大切にとらる考え方と、「行間」を時に排除するような考え方の分かりやすい比較を述べる意図がありました。あと、実体験的なものですね。
いずみの >> うーん、「お前の主観なんて聞いてない!」は「面白さの否定」ではない。それをさも「お前の言ってることは面白くない!」という「面白さ判断機能」であるかのように語っているのが飛躍ではないか、というのがぼくの指摘です
LD >> 「ファクトとは言えないのに事実扱いされるもの」がこんがらがってるんじゃないですか?> 僕も整理しきれていない所がるでしょうけど、基本的にはこんがらがっているとしたら人間社会という事になりますね。たとえ話の中でファクトと思える部分を「解釈」で塗り替えたりするような事も例示しましたが、そういう感じですね。境界線がはっきりしているわけではないので、大きく色分けして物事を述べている…と思ってもらえれば。
いずみの >> 上司的な立場だと、「主観が入り込むのは、お前が家に帰ってベッドに入ってから好きなだけ考えろ!」とか、厳しく言えばそうですけど、分けて考えろというのがファクトの世界の本質なはずなのに、それが「主観とファクトを分けることができない困ったちゃん」として後で登場するのはアルェ? ってなりますよね。
LD >> それをさも「お前の言ってることは面白くない!」という「面白さ判断機能」> ああ、その意図はまったくありません。そもそもそういう価値観で話していないという事が言いたかっただけですね。……いずみのさんはもしかすると「でも、そう読める」と言われるかもしれませんが、ちょっとそこは様子をみましょう。
いずみの >> だから、ファクトの説明のあとに「……ところが、このファクトの考え方と、主観的な愉しみを区別できずに、同列に比べてしまう領域というものが存在します。たとえば〜」という、不純な領域として説明するなら「理は通る」と思うんですけどね
LD >> 「主観とファクトを分けることができない困ったちゃん」>う〜ん、ちょっと分かりませんが、まあ、たとえ話なので…って事ですね。穴のないたとえ話を作り直せばいいのかもしれませんが、まあ現状でも意図するところは伝わるかな?と思っています。
いずみの >> すくなくとも、エントリの終盤でLDさんが退けようとしている考え方は、「面白さ判断機能」として「主観的な面白さ」を否定してくる存在として語られていると思いますね。それはファクトそのものではなく、ファクトからかけはなれたものだろう、と。
LD >> このファクトの考え方と、主観的な愉しみを区別できずに> そういう人はいるというか、夫々に可能性があると思いますけど、それを取り上げるのは今回の主旨ではないかな。
LD >> 「主観的な面白さ」を否定してくる存在として語られていると> う〜ん、そこは補足を考えましょうかね。僕は“否定してくるもの”という扱いをしているつもりはなかったです。関知していない…それだけですね。→でも、何の裏づけ(ファクト)もなく「僕の主観を通せ!」って主張しても、潰されるよ?とは言っているかもしれません。
いずみの >> 例え話のレベルで言うなら、最初の「ファクト」の定義と、例え話に出てくる「ファクトの世界」は本質的なズレがある。LDさんがちゃんと「ファクトの世界」の延長にある話をしたいのか(例え話の方が副次的で、正確ではないとするか)、それともただ例え話に出てくるようなケースについて語りたいのか(最初にファクトの話をすること自体に無理があるのか)、によってツッコミどころは変わってきますね
いずみの >> 潰されるというか、最初に書いた、主観「この面白さがなぜわからん」 ファクト「その解釈は(事実と)違う!」 主観「それは面白くない!」という平行線ですよね
LD >> ファクト「その解釈は(事実と)違う!」 主観「それは面白くない!」→報告書の話ですか?う〜ん。ちょっと違うというかなあ…。
いずみの >> でもそれが平行線になるのは、互いに「同じことについて語っている」錯覚をしてるからであって……。「事実とは違うけど、面白い」とか「面白くないけど、事実としてはそうだ」で済む話なのに、「なぜぼくの言う面白さをたかが事実でもみ潰そうとするの?」というのは被害妄想なんですよね(もしくは、ファクト側がちゃんとファクトを論じられていない)
LD >> 「言い張り可能な世界」の補足というか、ファクト(事実)は「言い張れない世界」の話をしようというのが、その目的ですね。
いずみの >> 報告書の話<いや、普通に作品語りの領域の話です
いずみの >> 「それは事実じゃない? 」
LD >> 「なぜぼくの言う面白さをたかが事実でもみ潰そうとするの?」というのは被害妄想なんですよね> 報告書で叱られている人を指しているなら、ちょっと違いますね。あのたとえ話はあくまで身近な体験からファクト(事実)を説明しようという目的なので。
いずみの >> 「それは事実じゃない! だからお前の言う面白さは排除するよ」というのが極端ですけど、例え話の世界ですよね?
いずみの >> 報告書で叱られている人を指しているなら<すでに投稿してますが、その前提はノーですね
LD >> 、「なぜぼくの言う面白さをたかが事実でもみ潰そうとするの?」というのは被害妄想なんですよね> 作品語りの領域では、そういう話をしているつもりはなかったです。ああ!…でも、ファクトに縛られていると“楽しめる範囲”を狭めるよ?という話はしていますね。
いずみの >> でも、じゃあどっちみち、上司との会話と「面白さの言い張り」が微妙に違う世界であることは、認められるんですね。>ちょっと違いますね
LD >> ちょっと分かりやすく説明するためのファクトのレベルを落としますが、ファクト=常識くらいに考えてもらって、常識から自由になった方が“楽しむ範囲”は広がって行くよという話をしていると思ってもらうといいかな。
いずみの >> 「ファクトに縛られている」の「縛られる」というのが、論理を飛躍させているポイントかもしれませんね。ビジネストークは、縛られるというより「ファクトに従う」場でしょうから。あと、やっぱり「なぜか面白さとファクトを安直に結びつけてしまう」のと、「主観とファクトを冷静に分離させる」世界との違いですね
LD >> 上司との会話と「面白さの言い張り」が微妙に違う世界であることは、認められるんですね。>「面白さの言い張り」が何を指すかよく分かりません…というか、そのまま受取ると微妙じゃなくって、まったく違う世界の主張ですね。
いずみの >> それはぼくが、”つまりビジネストークで言われるような「厳しいファクト」と、単なる常識とかたいしたことのない統計とか、「ファクトとは言えないのに事実扱いされるもの」がこんがらがってるんじゃないですか? という気がするんですけど” と書き込んだことと繋がってきますね。>ファクト=常識くらいに考えてもらって
LD >> 「なぜか面白さとファクトを安直に結びつけてしまう」> 結び付けてはいないですね。「言い張り可能な世界」と、そうでない世界である「ファクト(事実)の世界」は対比しました。それと、僕が「面白さ」という価値観を持つことは、まったく別の話ですね。僕がどういうことを決意しても「言い張り可能な世界」も「ファクトの世界」も関知しないでしょう。決意した僕が決意した視点で、その世界を眺めて語るだけですね。
いずみの >> でも常識の話なら、ファクトではないし、ファクトの話なら常識に置き換えるのは(行間を読むとしても)飛躍しすぎてて、本来の「ファクトの世界」にいらぬ誤解を与えそう……という見解ですね
LD >> 「ファクトとは言えないのに事実扱いされるもの」がこんがらがってるんじゃないですか?>ああ、そこはいずみのさんのファクトという言葉の捉え方が違うのでしょうね。
いずみの >> いや、結びつけているのはLDさん本人ではなく、LDさんが仮想敵的に退けようとしている「ファクト側の論理」が、歪んだ論理の結びつきをしているように見える、という話をしてるんです
kichi >> 横槍失礼。たぶんLDさんは(1)から(2)に話を移す際、すっぱり論旨を切り替えてて、「面白さの言い張り」を阻害する「あくまでも一例として」(1)で述べたファクトという要素を引用しただけ、というつもりなんだと思いますよ。
LD >> 「ファクトの世界」にいらぬ誤解を与えそう……>いえ、どうも、僕といずみのさんで「ファクト」に関するとらえ方が一致していなかったようなので、“この場について”別の分かりやすい言葉をもって来て、僕の意図を伝えようとしただけですよw 今、僕が、ファクトに縛られていると楽しむ範囲を〜って言っても、ますます誤解をされそうだったので、常識に縛られていると楽しむ範囲を〜って言った方が、僕がなにを言いたいのか、その大まかな意図が伝わるかなと思ったんです。
いずみの >> おおまかな意図というか、文脈を理解してないわけじゃないですよ。ただ、その文脈の説明に論理の飛躍があるから、それはどう説明できるのか、という話をしてるんです
いずみの >> というかぼくは「話を理解できない」から質問してるのではないわけで。「その話をしてるわりには、論理矛盾が気に掛かるという」逆の話をしてるんです
LD >> 歪んだ論理の結びつきをしているように見える> う〜ん。さっきも、ちょっと言いましたが、意見は受け止めるとして、少し様子を見ましょうか。僕自身はそんなに失敗しているとも思っていないので、申し訳ないけど、いずみのさんの意見だけで文章を右往左往させたくないなって今は思っています。
LD >> 論理矛盾>の話については、今、話してどういうファクトの世界が……なんでしょ、「面白い」を攻撃しているわけではない話をしました。関知していないとも。…今、残っているのは、いずみのさんの「結びつきをしているように見える」という見えるなんで。……それは、ちょっと様子をみてみましょうか。と思います。
いずみの >> 「捉え方が一致してないから話が通じない」わけでもなく、逆ですね。話は通じてるけど、粗が目に付くから、そこをはっきりさせてみたいだけですね
いずみの >> kichiさんが言うように、もし終盤から「ファクトの話はもうしてないよ! ファクトに似た要素のある話はしてるけど!」という組立になっているなら、飛躍ではなく、論旨の切り替えになるんですが。LDさんはそれでいいのかな? でもその割りに「最初のファクトの定義と、後に出てくるファクトはズレがある」というぼくの指摘にはうなづかれない様子でしたけど
いずみの >> そこで、「いや、どっちも同じファクトの世界の話です」となれば、ちょっと食らいつく話になってしまいますね
LD >> えっと、ファクトのたとえ話としては、たとえの範囲って事もあるので切り替わっているかな?でも、「言葉」として用意した「ファクト(事実)の世界」はそのまま引き継いでいます。
いずみの >> だ、そうです。>kichiさん//ぼくの話の理解としては思った通りかな?<LDさんの返答
LD >> いや、よいですよ。>食らいつく でも、どうもいずみのさんの話を聞いていると、ご自分の「ファクト」の定義の話をしていて、僕もそれに合わせないといけないような話をされているように思っていまいます。僕は「ファクト(事実)」をどういう位置付けて話しているか?という具合に考えてもらえるとありがたいのですが(汗)
いずみの >> うーん、ビジネストークとしてのファクトの定義は、とりあえず間違いようがないと思うんですよ。「主観は聞いてない! 事実だけにしろ!」ですよね
LD >> 「主観は聞いてない!事実だけにしろ!」ですよね >YES
いずみの >> そこで「ファクトは面白さ(=主観)に関知しない」のに、「(主観が)ファクトに縛られることがある」というのはダブルスタンダードの論理というか、交わらない平行線を交差させているからくりが働いているわけで……。そこを「ほどく」のが(今とはまた別の話だとしても)重要だと思うんですよね。平行線が根本的に解決されない
kichi >> ん〜、ああ、いずみのさんが問題としてる箇所が分かった気がします。LDさんは、例えば物語中では全く描かれていない情報を根拠に面白さ語りするのもアリ、いずみのさんはそれは反則、っていう立場の違い、なのでしょうかね? まぁ、示されてないだけでなく完全に「嘘」の情報根拠だったらやっぱり私も反則な気がしますし……う〜ん。
いずみの >> kichiさん<かなり違いますね。今はまだぼくの「立場」とは関係ない話をしています。思想的な議論は後回しです。それこそ、LDさんの文章をひとつのファクトとして、(ぼくの主観は抜きで)ロジックの話をしています
kichi >> たぶんいずみのさんは、(1)で規定されたファクトに否定されたら、(2)の話においても言い張りは不可能になる、っていうことを言ってるんですね。
LD >> 平行線を交差させているからくりが働いているわけで> ああ。少し分かりました。…たしか、僕、平行線ですらないって発言をしたと思うんですよ→
いずみの >> ぼくがファクトという概念を使うなら……「ファクトと主観は別レイヤーであり、混ざるものでも対立するものでもない」というのが大前提で、ここはさっき了解を取った定義の延長にもなると思うんですよ
LD >> 平行線を交差させているからくりが働いているわけで→関知していない。平行線ですらないから、関わる部分があるのですよ。…これは実は書いた後で画像かなにかでモデルを作った方がいいかなと思っていました。「面白さ」は価値観いわば僕の思い込みです。「ファクト(事実)」は対立する価値ですらなくって世界…社会の在り様そのものなんですよね。→
LD >> ファクトと主観は別レイヤーであり>僕は、主観もファクトを基盤にすると書いていますね。…これは認識が一緒で表現が違う可能性がある部分。
いずみの >> あ、平行線っていう言葉が(数学的なメタファーと、日本語的な意味で)不用意だったかな……。日本語的には「平行線で争い続ける(つまり、おたがい同じ領域で関係を取ろうとする)」ですよね。ぼくがさっき使ったのは「領域が決して重ならず、(わざわざ交差させないかぎり)争いの場にすらならない」というメタファーで使っていました
LD >> 社会の在り様そのもの>“そのもの”って表現すると、この場では語弊を生むんだろうなあ…(汗)ニアリーイコールくらいで(汗)
kichi >> ちょっと例え方は悪かったですが、ファクトの認識のズレはそういう部分を問題にしてるように思うんですが……。いずみのさんが言いたいのは、ファクトに否定されたら、面白い面白くない以前の、単なる誤認になりますよ?っていうことじゃないんでしょうか?
LD >> 「平行線で争い続ける> 対立関係も、争う関係も意識していないですね。ただし、人間は主観も含めてファクトが基盤となる事は避けられないので、縛られる事がある…という話はしていますね。
いずみの >> 社会の在り方そのもの<「社会ってそんなにファクトを重視してくれますっけ?」って言えますからね。ここはまだ、LDさんの意図が掴めてない所ですが(社会はファクト重視だとみなすのか? それとも局所的にファクト重視になるだけなのか? の違い)。
LD >> さらなる誤解を生むかもしれませんが…。人間が、自分の主観によって大自然を竜だとか神だとか“解釈”したりしますよね?でも大自然は人間のそんな都合関知していないですよね。でも、人間は大自然を基盤に生活している…そういうイメージかな。
いずみの >> ”人間は主観も含めてファクトが基盤となる事は避けられないので、縛られる事がある…という話” <そこがまさに、ぼくが気にしていた「心理的なからくり」の部分ですね。それはファクト(に忠実な世界)の問題というより、ファクトを扱う人間の問題じゃないか、と。そこで人間はファクトがなぜか面白さに関与してしまうような錯覚や強迫観念を持ってるんじゃないか? とも言えますね
LD >> 「社会ってそんなにファクトを重視してくれますっけ?」> はい。モデルを描こうかなとは思いますが、僕が「現実」と「リアル」という言葉を使わなかったのは、むしろ現実の全てがファクトで構成されているわけではないからです。…だから「ファクト」=「言い張り可能ではない世界」なんですけど、それを説明して行く課程で社会とか言ってしまいますね(汗)
いずみの >> はい、その喩えは良くわかりますね。>自然と人間//心理的なからくりの話でもある
LD >> ファクトを扱う人間の問題じゃないか> え〜っと。そう思います。で良さそうですね。…ただし、このエントリーでの議論として詰める意図はもっていませんでした。まず「言い張り可能な世界」の紹介…という事です。
いずみの >> ちょっと整理すると、上司の人は心理的なからくりを通さずに、純粋なファクトの話をできている……。でもその後の話では、「人間がファクトを扱う上での問題」にシフトしている……となるでしょうか
いずみの >> ” つまりLDさんのどこかで「ファクトが解釈を決める」から「ファクトが面白さを決める」に飛ぶ論理の飛躍があるんですが、それがどこか、というのがわからないと、「解釈」と「面白さ」を混同させてしまう。”
いずみの >> ”「面白さ」の価値判断を「競おうと攻撃してくるファクトサイド陣営」という仮想的を作っているのが論理の飛躍ですよ、って言ってるわけですしね。”
いずみの >> ぼくの指摘としては、こういう所に戻るんですが、一応全部繋がるかな、と確認
LD >> でもその後の話では、「人間がファクトを扱う上での問題」にシフトしている> え〜っと、ファクトの在り方に注目している、いずみのさんの観え方としては正しく思えます。僕は「言い張り可能な世界」の話を主題にしているので、この領域では相当ファクトから離れる事ができる…と言ったような話をしていた意図になります。→ファクトをどう扱って行くかという見解はまた別の機会を考えていました。
いずみの >> そこはOKです。ただし、このエントリーでの議論として詰める意図はもっていませんでした
いずみの >> で、LDさんのエントリとは全然関係なくぼくの考え方を示すと、ファクトはツールですね。「言葉もツール」というLDさんの考え方とも、一致すると思うんですけど(で、そのツールの「操り方」については別の考え方をしている……と認識してます)
LD >> 「ファクトが面白さを決める」>これは、ちょっと本当に分からないかも。主観(面白さを感じる基)の基盤にファクトがあるとは言うんですけど、「面白さ」はもっと自由なものだと言いたいんですけどね。
LD >> ファクトはツールですね。「言葉もツール」という> 正しそうです。ただし、僕の表現はツールからファクトを作るので…ファクト自体をツールとは言わないという感じですけど。
いずみの >> 「ファクトが面白さを決める」は、仮想敵として「そういう考え方してそうな人達」を仮定してますよね? という指摘であって、LDさんがそう思ってるかどうかは別だったんですが……。それとは関係無しに、もっと大きな目で見て「人の主観を決定してしまうファクト」というのもあると考えられるんじゃないか、と思ってます。
LD >> で、そのツールの「操り方」については別の考え方をしている……と認識してます> そうですね。目的地が違うと思っているので、同じ「言葉」でも使い方自体が変わってくる…というような事を以前も話ましたっけね。
LD >> 「人の主観を決定してしまうファクト」> いずみのさんらしい課題だと思います。
いずみの >> 自由意志問題にも近くて、例えば、悲しい、というスイッチが入って泣けることは科学的に説明がつくんですよね。もっと神秘的な、感性の領域でも「人間が泣きたくて泣いてるんじゃなくて、泣かされているんだ」とは言えると思うんですけど
いずみの >> そこはさすがに違う問題なので、考え方としては控えてましたね。まぁ、めくる冒険の下巻の後半で触れている話の応用だったりはします
LD >> 「人の主観を決定してしまうファクト」>僕は、そういう事を解いて行くと「愉しい」ので、そうすると言う事はあるでしょけど…目的はそっちなんですよね。
LD >> 「めくる冒険」が課題にしている事ですよね。…いや、僕の「物語愉楽論」は、これで世界の全てがフォローできるとかいう主張のつもりはないので、何かと対立する事もない話であって欲しいという認識です。僕はこれで世界(≒物語)を眺めるよ…と言っているだけなんですね。
LD >> ただし、自分の主観を広げる方法として、僕は意見交換を有効な手段として上げています。ここはファクトが絡む領域、ツールをどう運用してファクトに介在し“得て行くか?”という話になりますね。ツールである「言葉」の在り方を突き詰めようとしているのは、そのためです。
いずみの >> まぁ、そこはわかります。>僕はこれで〜//今回の話も「ロジック面の指摘(疑問)」であって、批判や否定のニュアンスは無いと思ってほしいです
LD >> それでは失礼します。
いずみの >> そこで「ツールの使い方」のようなコミュニケーション技術の話になってくると、まぁ昇華のための批判をすることもあるかな? という感じですね
いずみの >> はい、お疲れ様です

■2009年06月09日
GiGi >> ようやく昨日話題になってたファクトの話読む
GiGi >> んー。面白さとファクトを結びつけてしまう人たちがいるからそれは切り分けようという話だとは思うのですが、確かに後半何かよれてる…というか「大きな楽しみ方」「深い楽しみ方」というのが唐突に出てくるので行間読めないと困る…「大きな物語」のファクトって何?みたいなw
GiGi >> 「群盲」の例えから読むに「多様な」とか「多角的な」読み方を推奨したいということなんだろうなとは思いますが。
GiGi >> 私も何か書くかな。すごい科学論法の話とか。
GiGi >> それはおまえの主観に過ぎない>その通り!だがそのほうが面白いだろ?>ぐう。という話、ですよね。
GiGi >> ハッカが入ってないと主張されたら、ハッカが入ってないと思った根拠を示せと言う話になる。で、話を聞くと実はハッカを食べたことがなかっただけだったりする<これはもう言い張りじゃなくて「嘘」ですよねw。まあ言葉はきついけど。
GiGi >> 後になって「実はハッカ食べたことないんですよ」なんていうなら「ハッカが入ってないなんて言うな」ということになる。これはファクトに基づいた正統な批判ですよね。
GiGi >> でも「ハッカのことはよくわからないけど、シソが入っているに違いない」という主張は尊重しなきゃいけない…もちろん、反論もあってしかるべきですが「事実じゃないから違う」という否定はありえない、と。
ルイ >> >ぐう。 主観に過ぎない事からも面白さを抽出できる、って話じゃないのかな?基本的に「その方が」は皆がそう思ったものをぶつけあえばいいだけで、論旨じゃないと思いますが。上司云々も完全に本主張とは切り分けで読んだ方がいいでしょうね。この辺含めると、本当に仮想敵のニュアンスが強まるから。
ルイ >> うん。「ぐう。」はやっぱり余計だな。
LD >> 「ハッカが入ってないなんて言うな」>いい所ついてますね。もどったらレス打ちます。…しかし、みんなファクトの方に興味ひきましたねえ…(汗)僕自身は「言い張り可能な世界」の話のつもりだったんだけど…(汗)
LD >> ハッカが入っているか?いないか?の判定は「ファクト」の判定であって「面白い」かどうか?とは、本来何の関係もないですよね?でも、僕らは面白さを説明しようとする時に「○○だから面白い」という話をするよね。←この「○○だから」は速攻でファクトの判定に引き込まれる。
LD >> 「面白さとファクトを結びつけてしまう人」…と言うよりは「証明できなければ“面白さ”は無い」という話に取り込まれてしまうと言った方がいいのかも?…まあ、あの話、ファクトの話は主体にしていないから、そこらへんは整えていないかも…(汗)
GiGi >> ん。ファクトと面白さは関係ないけど、ファクトがないと共感は得られないかもね?って感じですかね。
ルイ >> 個人的には「言い張り可能な世界」、もっと単純な話俺の所信表明演説トーク円滑用、と思って読みましたけど、全くあの文章からファクトへの感情を読み取らないのも難しいかなと。例えばLDさんは仮想敵として据えているつもりはない(ので、読む際のポイントはそこには置かない)けれど、じゃあ文章からそう読めないかといったら、そんな事もないという。その辺は経験から溢れ出してきたのかなぁ。面白いですね。
LD >> 「悪魔の証明」って言葉があるようにファクトは証明できないものは無い事にされる…これは厳密には“無視する”だけ、なんだけど通常は「無い事にされる」という表現が流布しているよね。
GiGi >> 言い張りをする人は、それが自分の言い張りであることは自覚したほうがいい。ということは言えるとは思います。
LD >> 「面白さとファクトを結びつけてしまう人」って言うと何か良くない人みたいな言い回しになってしまうんだけど、僕は、僕みたいに変な「面白さ」優先という価値観でなければ、相応の正当性があると思っているんですよね。むしろ、そこがミソかなあ…。
ルイ >> ファクトなしで共感を得たければ、同じようにファクトなしで観る視点を用意すればいいんだな。関心相関性関心相関性(違。
GiGi >> そしてファクトを求める人もそれが自分の思い込みである可能性は自覚した方がいい。
ルイ >> 結局「今このメガネをかけているだけ」といった距離感を持ったほうがいいということかな。立場に関わらず。
GiGi >> うん、関心相関性の話ですね。前提の共有。(仮)の話を仮の話として理解する余裕というか。
GiGi >> だから「すごい科学」は素晴らしいと言う話なんですがw
LD >> LDさんは仮想敵として据えているつもりはない> 僕の主観の決断をある程度分かってもらえるように(≒正当に感じてもらえるように)表現すると“そう見える”事は承知しているつもりなんだけど。(いずみのさんとの会話では、自分の最終的な感覚の説明に終始してしまった)一歩離れたと所では僕が勝手にそうほざいている認識はありますよ…という感じかな。
GiGi >> 「それは言い張りだよね?」と言われたら「うん、言い張りです。でも一応こんな根拠はあるんだよ」「なるほど、本当かどうかはわからんけど、そうだったら面白いかもね。試しに読んでみるよ」がもっともスマートな対応。
ルイ >> すごい科学が素晴らしいというか、空想科学が酷いというかwいや、読みようだとは思うんですけどね。本気でゲーム脳とか言う手合いじゃないならいいのかなとwあーくだらねえ、という共有ですねw
ルイ >> スマートですね。特に最後のセリフ。
LD >> 関心相関性の話ですw だから「言い張り可能な世界」で遊ぶ事を主体に話そうとしていたんですよね。