#225 今週のハンター×ハンター(GiGiさんのMixi記事の転載) 投稿者:LD <2008/03/29 14:13>
|
※GiGiさんのMixi記事での「HxH」の感想を転載しておきます。内容は王の命令でコムギを治す事に気の全部を使ってしまっているピトーが怒りに燃えるゴンと対峙するシーンですね。ピトーは何としてもコムギを守らなければならなず、かつコムギを治すまでは自分も生きていなくてはならない状況です。 ■以下、転載 読んだ直後はすげーすげーだけで言葉にならなかったがいくつかメモ書きしておくことにした。 表現上の凄み。ネフェルピトー、ゴン、キルアがそれぞれ見ている世界がまったく違うモノであるというのが明示的に表現されている。ゴンの言葉が耳に届かず、ただこの状況を乗り切るために意識を集中するピトー、そのピトーの異変をつぶさに観察するキルア、激情のままにピトーに言葉をぶつけるゴン。あまりに鮮烈なディスコミュニケーション。「タスケナクチャって何?」という言葉の収束の仕方がとにかく凄い。 ピトーの決断。身を捨てても大切な何かを守ると言うこと。守るために戦うことすら許されない状況でピトーはまさに全身全霊をかけてコムギを守ろうとしている。戦って、敵をたたきのめすなのてのはまだ自己満足の領域なんだ。自分の力ではどうすることも出来ない現実を前に、それでもわずかな可能性にかけて出来ることを全てやりきる覚悟。これはFate/zeroのギルガメッシュとウェイバーの闘いにも似る。 キルアの思考とゴンの思考。キルアの言いかけた言葉。それはコムギを治したあとに自殺or無抵抗で殺されろという命令だろう。そしてそれはピトーは間違いなく(間違いなく!)嘘偽りなく受け入れる。なぜならこの状況で保身の為に嘘をつくのは王に対する裏切りでしかないからだ。しかし合理的な選択が感情に叶うわけではない。ゴンはここにいたってようやくピトーが何をしようとしているかを理解するが。仮に、ピトーがコムギを助けることを許しそのあとにピトーを倒したとしても、自らの激情を沈めることが出来ないことを本能的に理解している。そもそも、命を捨てたものに対して復讐の刃を向けること自体にどうしようもない空虚さが存在する。ゴンは怒りのやり場を完全に喪失してしまっている。 作戦遂行を最優先するならばコムギを助け、そのあとでピトーを倒せばよい。それだけは出来ない。なぜならそれはピトーに安らかな死をもたらすということだから。ゴンがその思いを遂げるためにはピトーの大切なものを全て奪い去るしかないと言うこと。それは暗黒面なんだが、ゴンにとっての合理性はそこにしかない。今ゴンが戦っているのは、己の激情と、作戦遂行の合理性との反目。けして人道的見地から躊躇しているわけではないと言うこと。 この命題はコードギアスのスザクが、ルルーシュを赦すことが出来るかという命題にも似る。感情的な合理性は殺すことにあっても、局面を見据えた合理性を考えると殺さない事が勝る場合、それを呑み込むことが出来るのか。呑み込んだあと自我は耐えられるのか。答えは、ある。しかしそこに至るまでにはゴンは、あきらかに若すぎる。 状況を、完全に理解して冷静な判断が可能なキルア。ここでキルアが取ることが出来る行動を考えるととても興味深い。キルアは、ある決断を下す権利を持っている。それはゴンとの決別の合図になるのやもしれない。これが先日の「それはどちらの」に接続するものなのかはよくわからないが、そうなるのかもしれない。 うむ、ちょっとのつもりがまったく止まらないなw。深い。深すぎる。台詞一つ一つ、コマひとつひとつに注釈をつけたいくらいだが、そんな余裕もないのでやめておく。しかし何という19ページ。なんという表現力。圧倒的とはこのことか。 ・今日のEyes on Tibet 「すべてやらせだ」直訴のチベット僧らTV映像に : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080327-OYT1T00573.htm |
[この記事にコメントを打つ>>>
|