投稿者:ルイ
題名:ストレンヂア
一言:☆☆☆☆☆:100分ほどの映画の中、そのうちの5分にも満たない時間…90分過ぎあたりの、名無しと羅狼の戦い。その最中、意味をもった言葉はない。特別な、戦いの行方を決定付けるような仕掛けなりはほぼない。しかしそれを観ている時、この映画はそこに全てが凝縮されている、と感じる。他の部分に何も無いという意味ではない。そこまでの90分に渡る積み上げが、全てこの男と男のぶつかりあいに昇華されている、と感じる。それは「映画全体」からして観ても同じことで、何十年もの人生の中、そのうちの2時間にも満たない時間…100分程度の、男達と少年の、異邦人たちのすれ違い。そこに全てが凝縮されている、と感じるんですね。この作品を貫いているのは引き算の美学です。計算による引き算とは言い切れなくて、元来アニメーターである安藤監督が「物語」をどこまで抜き出すかという点では、ひょっとしたら計算ミスかもしれません。演出として考えるなら、「名無し」の物語はもっと描いていいと思う。映像断片から伺い知れますが、彼がどういう挫折を抱え、この映画の中でどうそれを解き放っていくのか。それを掴んでこそ、終盤、名無しが刀の封印を解くシーンに重みが出てくる。実際は怒涛の展開の中それが行われているので、結構「流れて」しまうのではないかな、と。「少年を守る」と「刀を振るう」の間にあるラグですよね。ここに名無しを感じさせる演出はあったろうと。…でも、していない。先ほど言った通り、計算かミスかは知らないけれど、していない。これによって、この作品には良い意味でも悪い意味でも淀みというか、「止め」がまるでなくなっている。そして、それでこそこの映画は、剥き身の日本刀のような美しさを持つに至っているんですよね…余計なのは「ヂ」とサブタイトルくらいじゃないかな(笑)?っというのは冗談ですけど、単なる作画観賞アニメだと思って観ていたら、違うものが見えてきて驚きました。勿論、作画を度外視する気なんてないですけどね。実写映画に撮影という名の表現があるように、小説に文体の、漫画にコマの…作画だって、やっぱり立派な「表現」なんです。このパートが誰だれ、と言うのは一種の「遊び」ではありますが、そんな事をわからずとも&わかろうとする気がなくとも、作画をじっくりと観て欲しい。物語にしか興味がない、というのは、ある種逃げだと思います。その言葉を殺さず、逃げにしないのなら、作画も物語に含めた上でそう言って欲しい。…そういう事を改めて感じさせてくれる作品でした。勿論、そこまで感じさせる作品なんてほとんどないんですけどね。いやぁ…良かったです。

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