投稿者:ルイ
題名:{{狂乱家族日記}}
一言:☆☆☆☆:(黒サンタさんは夜眠れない)サンタという生物は、12月24日にしかその魔力を行使する事ができない。プレゼント内容も魔力で袋に充填されていくシステムなので、サンタが中身を選ぶ事はできない。一日でも違った日にプレゼントを贈ろうとすると、その魔力行使にはおおいなるペナルティーが課され、サンタとしての魔力は剥奪されることになるのだ。・・・・・・・・・・・以上妄想。まるで本編と関係ないんですがwそういう事を考えたくなる回でした。「子供」とそうでないものの線引きはどこでなされるのか?今貧困に喘ぐ子供や命を落とさんという子供がミニカーを手にしたとして、そこに何があるのか?…こう色々ツッコミ所はあるんですけど、とにかくこの世界のサンタは世界中の全ての子供にプレゼントを贈っている。キリスト圏限定でもなければ、おそらく「よい子」という主観的な区別もなく。その極端さを示すために、スラム街の路地裏で蹲る少年、「フランダースの犬」のネロ少年を模したような少年、そして銃片手に眠る少年兵、というこれまた凄まじく極端な画セレクトがなされています。この3例に共通するのは、実は「プレゼントじゃどうにもならない」例って事で・・・そういう人だけをサンプル表示するあたりに、この回の自覚の深さを感じます。スラム街の子は、オモチャよこすなら金かパンよこせってなものでしょう。ネロ少年は既に教会でワンちゃんと横になってしまっているので、プレゼントが何かをもたらすという事はないでしょう。いわんや少年兵・・・どうにもならない。プレゼントは明日の命を保証しない。でも、ですね。でもサンタという分をもって生まれたから、サンタはそれを為す。まるで微々たる、関係のない子にはまるで意味をもたないであろう行為であっても、その行為が何かに繋がると信じて。…凶華さまが「制圧」と称してサンタに代わりやろうとしていた事も、個別のケースに応じて子供を救おうって話じゃない。自分がサンタさんからのプレゼントを貰えなかったから、その目を世界のどの子供にも与えたくないとだけ思っている。哀しみの連鎖を、一つの形でだけ止めようとしているんですね。「できること」と「できないこと」の線引きが、ファンタジーな回の割に、実に厳然となされていて・・・「それでも、ファンタジーする」という意思表示にちょっとした矜持を感じてしまう回なのでした。あの少年描写が凄まじく効いてるんだよなあ・・・コンテの超GJなのか。脚本指定か。原作にその描写があるかどうかだけでもチェックしたいと思わせてくれました。・・・いや「狂乱家族日記」、結構奥深い作品ですよ。記号性を逆手にとって、そこに「本物の気持ち」を込めるというか・・・おもちゃの鉄砲から発せられた銀の弾丸?
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