投稿者:ルイ
題名:{{タユタマ −Kiss on my Deity−}}
一言:★★☆:(全12話)傑作「スクールデイズ」、主要キャラに絞れば意外に愉しい「あかね色に染まる坂」に続く監督構成コンビという事でワクワクして観ていましたし、中盤あたりはかなりその期待に応えてくれて・・・エロゲのような他愛もない原作から「物語の芽」を見つけ出して、一本道の物語用に再構築して提示する事に長けているんじゃないかって思いがあったんで・・・でも、今回はイマイチでしたorz誰がどう見ても主人公とユウリとヒロインのマシロの関係が圧倒的に強いんですが、その中でどの物語を見出して一本の必然の物語にするか?という時、本作でのそれは明らかに幼馴染の「アメリ」がキーだったんですよね。実際中盤はアメリの心情を追う事が中心で話を組み立てているし、構成はアメリの為の構成になっていた。・・・ところがラスト、アメリが物凄くアッサリと「退く」。ここの感情に積み上げが足りていない為、それこそ格によって規定路線通り退きました、という物語になってしまっているのが「じゃあ中盤アメリで構成すんなよ!」という想いに繋がるわけです。つまり選ぶ結末に最適な構成を組んでYO!って話で、この結末ならば中盤に必要なのは、マシロと比べて相手への想いにいまいち内実が伴わない(気がする)ユウリの、ユウリからみたマシロを強める為のエピソード。逆に言えばこの構成で組むなら、アメリの葛藤や諦観から生まれるものを吐露し、そこでそれこそ「あかね色」の釘宮キャラが見せたその先、次の結末を見せてくれるような物語にして欲しかった。結果それがどっちから見ても不足している為、「ユウリとマシロのためだけの物語なのに、そこの積み上げが弱い(アメリに尺とりすぎて)」という、誰から見てもあんまり嬉しくない物語になっちゃってるんですよね。でも、積み上げが弱い割に選ぶ結末は「人生わずか50年だからあっと言う間ですー、とりあえず死んでからまた逢おうね」っていう最上級すぎる純愛の結末になっている(これが本当に純愛の形なのか?ってのはさておき。50年くらいアメリちゃんにあげちゃうわ、この50年でマロマロなんて忘れさせてあげる、ってな方向が好きだなあw)。この演出不足からくるギャップ。…また原作からでしょうけど、各ヒロインに『三強』をそれぞれ絡めてあり、おそらく原作は誰ルートで遊んでもある程度一本の物語なんだろうな、という印象はありますが(これ、アニメ版は鵺を突出させた為、彼女が自分にとっての”作品世界に介入する扉”だった生徒会長が1人で存在消えそうになってるんですねw)その割にラストバトルで生徒会長も鳳凰もちの妹も置いてけぼりを食らうという、折角の設定も一本の物語構成に落とし込めてもいない拙さが・・・実際そんな事はないんでしょうけど、視聴者の身勝手な印象としては「上江洲さんが手を抜いた作品」として記憶に残しておきます(笑)。

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