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火星探検

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火星ロボット 宇宙怪生物とロボット軍団が火星で激突!少年娯楽の原点のような作品
少し前に「ミッション・トゥ・マーズ」という映画があったと思う。第一次の火星調査隊が音信不通となり、急遽、救出隊が組織される。調査隊が接触した謎の人面岩は果たして地球外文明の遺産なのか…?というのがお話の大体だったと思うけど、僕はそのプロットを聞いたとき即座にこの「火星探検」を思い出したものです(笑)「アトム」の方は、第一次火星調査隊が(原因不明の)内乱によって失敗に終り、計画を指揮したマン・モス博士は第二次計画で同じ失敗が起こることを回避するため、いかなる事態でも冷静な判断力を持つロボット、すなわちアトムを火星調査隊長として迎える事を決断する…という話なんだけど。最初の火星調査が失敗に終って2回目の調査隊が組織されたとことか、最初の失敗が宇宙人が原因だったこととかが、けっこうダブるなあと。もっとも手塚先生はこのお話をSF短編集の「アメージング・ストーリーズ」の一編を下敷きにしているというから、同じものを持ってきているのかも知れない。(ちょっとそこらへんは確かめれなかった)
もう一つ、この話を語る上でH・G・ウェルズの「宇宙戦争」の影響は大きかったんじゃないかと思う。原作は1898年出版だが、映画は1953年製作。「火星探検」も1953年発表。え〜っと、アメリカで封切りされた映画が即日本で上映されていたわけではないと思うが、「火星探検」に出てくる侵略者のイメージは、「宇宙戦争」の侵略者=火星人と非常に似ている。この頃はまだSFの黎明期であったけれども、既に“宇宙侵略者”のイメージはかなり固まっていた事を示していると思う。

宇宙怪生物の死骸 それにしても、この「火星探検」は映画を意識させる構成になっています。いや元々、手塚先生は映画的手法をマンガに取り入れた人だと言われているんだけど(汗)それは映画としての“まとまり”を差しているワケではなくって、でも「火星探検」はすごく映画としてまとまっているんだよね。僕としてはこのエピソード、是非、映画で作って欲しいのよ(笑)
物語は最初、アトムの乗った旅客機がハイジャックに遭う事から始まります。お茶の水博士がカバンに納めて隠し持っていたのがアトムで、こっそり出そうとしたのをハイジャックに見つかって空に捨てられてしまう。その時!落雷がアトムに落ちて目覚めたアトムは旅客機に舞い戻って一気に事態を解決するという構成なんですが、これがわざわざアトムの能力(空を飛べること/超怪力を持っていること)を紹介している事もさる事ながら、最初に小さくクライマックスを持って来る近年のハリウッドの手法に近い事を既にやっているだよね。まあ、この「火星探検」は総43ページという中でかなりのボリュームで、「アトム」の中でも相当な密度の一編になっていると思います。
ケーチャップ大尉
ロボットが上官になる事に反発を覚え、アトムの追い落としを画策するケーチャップ大尉。第一次計画でおきざりにされた兄のレンコーン大尉の安否を確かめたくて、乗組員に成りすまして搭乗したキャーベットというヒロインを出す事も忘れない(笑)そこらへんがかなり映画的(笑) そしてこの物語、何と言っても最大のキャラクターは不屈の闘志で10年以上も火星環境を生き抜き、宇宙侵略者から地球を守るためにロボット軍団を築いたハース・レンコーン大尉でしょう!火星環境を生き抜くだけでも大変なのに、自己増殖するロボット・プラントを造り上げてしまうバイタリティは既に人間業を超えていると思う(笑)
実はアトムの世界の火星はかなり酸素があって人間は防寒服を着るだけで、宇宙服を必要としていません(笑)まだ、火星がどんな土地だか完全には判明しておらず、大渓谷の影を運河の後とか、火星人の想像図とかが横行していた時代なので、まず高等生物は存在しないだろうと予測は立っていたものの、そのロマンをかなり受け継いでいます(笑)イメージとしては極寒の砂漠(?)のような感じだと思うけど、その環境でレンコーン大尉は一人で頑張ってきたのです。否、第一次計画で置き去りにされた隊員は確実にレンコーン大尉だけではなかったから、手塚先生は直接描かなかったけれども、多分、多くの隊員たちが謀反人の烙印を押されても地球の防衛線を築くことに命を賭け、そして侵略者たちの侵攻が始まる前に死んでいったのであろう。…すげえ。

そしてこの物語の最大の見せ場は何と言っても宇宙侵略者の船団とロボット軍団の激突といえます。謎の生物の死体や遺物のみが発見されてはいたが、その侵略の意思は明らかにならなかった宇宙生物と、最初、第二次調査隊を襲撃し、まるで人類の敵のように振舞ったロボット軍団が、地球防衛の尖兵として激突する。一度は敵として驚異を覚えた戦力が自らの味方となってくれる痛快さがそこにはあります。そして、常に隊長であるアトムに反発し反乱さえ起したケーチャップ大尉は宇宙からの侵略者を目の当たりにして、自らの非を認めロボット軍団の指揮者となって死地に赴くのです(く〜っ)ちょっと口幅ったいかもしれませんが、気に入らなかった人間と和解できる瞬間と、気に入らなかった人間の死に涙する感動がそこにはあります。
先に僕は「宇宙戦争」や他のSF作品との比較を述べていましたが、この宇宙人とロボット軍団を戦わせようというアイデアは「宇宙戦争」を「アトム」の世界に持て来たから生まれてきたものだと思う。そしてこれは声を大にして言いたいのだけど、僕にっとっては「宇宙人は地球の細菌によって滅びました」と言うエスプリの利いたオチよりも(それはそれで優れているんだけれども)、遥かにそれは、ワクワクし、燃えるシーンだったのです。きっと多くの「アトム」の読者も同じような事を感じたと思う。そしてその化学反応は、手塚治虫がマンガ文化を牽引して行く原動力の一つだったと思うのです。

2003/09/23

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