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6/17の構造

# 6/17の構造 投稿者:LD [2002/03/17_22:35]
ななか6/17 現在、少年チャンピオンで連載中の「ななか6/17」ですが、ちょっと動きがあって、“17才の七華”が“6才の七華”を駆逐しよう、つまり終幕に向おうという行動に出ています。…ま、これ自体は、最終的に“ひきかえして”、終幕を迎えるのは、先延ばしというオチがつく場合もあり得るのですが、その終幕をイメージしたとき「これはけっこう難しい“構造”をしているなあ」と思いまして。ちょいとそこら辺を書こうと思いました。いや、ホントに。七華さんって最後どうなるんでしょう?

「ななか6/17」はジャンル分けするなら“二重人格もの”という事になると思います。今でもやっていますよね。ジャンプの「遊戯王」とかマガジンの「KYO」もこれに入ると思います。“変身もの”まで二重人格のカテゴリーに入れてしまうと、そのパターンはかなり多岐に渡ります。
しかし、これらの“二重人格もの”と「ななか」とでは一線を画す違いがあります。
単純にいうと、元の人格、つまり“17才の七華”が冷遇されている事です。“二重人格もの”っていうのは多くの場合、2つめの人格は何らかの問題を抱えていて、元の人格に戻ることによってオチがつくという構造を持っています。しかし、ななかは2つ目の人格になったらなりっぱなし!…なのです!しかも、2つ目の人格“6才の七華”は誰からも評判が良く、戻るに戻れない情況になっているのです。
昔、大映ドラマにもなった「ヤヌスの鏡」なんかが、比較対象としていいのかもしれません。あれとは「主人公の中に眠っていたもう一つの人格が目覚めてトラブルを巻き起こす」という点において同じなのですが、「トラブルを回避するため元の人格に戻る事が積極的に望まれているか」という点において大きな違いがあります。
とにかく“17才の七華”が“6才の七華”に変わってしまった事によって、乱暴者の稔二くんは自制のきいた保護者になり、意地悪な雨宮さんは恋する乙女になる、といういい事ずくめの展開で、誰も積極的に、元の七華に戻そうという行動はとらず、たまに戻る事があると、「あちゃ!戻っちゃったの?」という扱いを受けています。およそヒロインの扱いではない(汗)

“ラブコメ”というジャンルから観ても「ななか」は特異です。一般に“ラブコメ”は“本命キャラ”という「何があろうと最終的にはこの人と結ばれる」というキャラが用意されていて、主人公が他のどのキャラにふらふらと心を惑わされていても、読者は「最後は本命に戻るんだろうねえ…」と思いながらハラハラしたり、ムカムカしたりするのが、“ラブコメ”の基本的な構造だと思うのです。その流れ…経験則からいくと「ななか」において“本命キャラ”は“17才のななか”という事になるのですが、それをそのまま受け入れている人はどのくらいいるのかなあ?最近、「ななか」の人気投票があって“17才の七華”が第一位となっていましたが、僕は即座に「ウソつけ〜〜〜!!!」とツッコんでしまいましたね(笑)
率直に申し上げてわたくし17才の七華さんは怖いです。ストーカー一歩手前の方だと思います。
そもそもターゲットの稔二くん自身がビビっているじゃありませんか(笑)稔二くん的には“本命キャラ”は“6才の七華”という事になるのだけど、“二重人格もの”としては“6才の七華”はやがて消える運命(プロット)であるといえるのです。

ほんとーに、定石を無視して、状況をそっくりそのまま受け入れる。七華が6才の七華になった。→万歳!!稔二は6才の頃の七華が好きだ。→万歳!!幸せに暮しましたとさ。→万歳!!という結末をそのまま受け入れれる人ってどのくらいいます?いかに“17才の七華”が怖いとはいえ、先住権を主張する七華さんには、やはり憐憫の情を催さずにはいられません。
かといって“6才の七華”はやがて消え、後に残った(悪い意味で)放っておけない七華を稔二くんが選ぶという話も今一つ釈然としないでしょう。
…いっそ雨宮さんを連れて逃げるか?七華を残して?…ラブコメ的にはかなり後味悪いですね。雨宮さんはかなりよい娘なのですけどねぇ。僕的にはこっちのラインがあったら喝采なのですが。

そんなワケで、ものすごくオーソドクスなラブコメに見えて、微妙に疵を抱えた構造になっています。定石からいけばヒロインであるべき少女がヒロインの待遇を受けていない。その一点において物語の行方を分からなくしている面があります。その要因というか、もう少し掘り下げた事をいうと、実は「ななか6/17」において、“17才の七華”と“6才の七華”の対立は、本題ではないのですね。
「『まじかるドミ子』大好きの元気少女ななかが、今日もお騒がせを巻き起こす」
が、あくまで本題で、6才と17才が対立する「6/17」の構造は“潜伏的”なものに過ぎない。当初、どういう意図であったにせよ結果としてそういう構造になっていると思います。「6/17」の構造ってのは終わるためのテーマであって、続けるためのテーマというか楽しんでもらうためのテーマは他にある。その構造から考えれば、やはり“6才の七華”が主人公であり、同時に彼女はやがて皆の前から消え去る運命にある。稔二くんがいくら心を寄せても…あ、そうか!どうやっても、ちょっと寂しいラストなんだ!
「ねんじ…わたしはあなたの青春の幻影…」つまり逆メーテルなんだ!?
おお〜、連々と書いてると、なにか適当な結論がでるなあ(←ホントかい)
まあ、最初に「ヤヌスの鏡」をたとえに出しましたが、案外あそこらへんに近いところに“着地”してくるかなあ。と思いつつ大団円を期待したいと思います。

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