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フィクションの構造
(についてのとりとめのない話)

 『面白い』とは一体なんだろう?「人は生命を実感(逆説をふくめた)したとき、悦びを感じる。つまり『作品』を『面白い』と感じることもそれに属するするものである」(引用文不詳、文章もむちゃくちゃアレンジ)とは言うが、ではどんなときに生命を実感させられるのか?あるいは、同じ手法を取ったにもかかわらず『面白くなかった』りするのは何故か?
 世の中には実に様々な作品の楽しみ方があって、それを何か一つの定義でくくるのは無理に思える。・・・無理に思えるが、そこを敢えて、ぼくなりの解釈を踏まえた上で『面白さ』についてのとりとめのない話をしていきたい。
 以下に挙げる単語は、一つの作品の『面白さ』を語る上でおそらく欠かすことのできない言葉として、取り上げたものである。作品を批評するにあたって、互いのその単語に対する認識が違うと、その調節に大変な手間と時間のロスができてしまうので、なるだけ先に自分の認識を言葉にしておこう、という意図で作成しました。

テーマ  作品の主旨、というか主目的。一般的には「愛」とか「警鐘」とか何か深いものでなければテーマとは思われてないようだが、決して何か哲学を語らなければいけない訳ではない。むしろ、そんな作品の方が少なく「アクションいっぱいにしたい」とか「こんなキャラクターを活躍させたい」とか、そんなものでも立派なテーマといえる。フィクションならばテーマだけで存在できるものではなく、必ず「テーマを体現したストーリ―」か「テーマを体現したキャラクター」(あるいはストーリ―そのもの、キャラクターそのものがテーマ)が必要となる。

ストーリーとキャラクター  ストーリーは物語の「はじめ」から「おわり」に到るまでの道筋。キャラクターは物語の登場人物。本来この二つは両立の難しい存在で、ストーリ―を特殊なものにした場合キャラクターはあらゆる意味で観客に「近い」ものにしなければ、しばしば人に理解されぬ作品となる。あるいはキャラクターを特殊にした場合ストーリー展開によって与えられる情況を「常識的」なものにしないと、しばしばそのキャラがいかに特殊かという事が理解されない。(特殊な面の存在しない作品はまず無いと言ってよい。あらゆるフィクションはその『ウリ』として、ストーリー、キャラクター、演出のうちいずれかに特殊な面を持っている)
 ストーリ―とキャラクターの両方を共に「盛り上げる」ことに成功している作品は大変稀であり、大抵の場合『ストーリ―重視』の物語か『キャラクター重視』の物語となる。

演出  本来両立していかないはずのストーリ―とキャラクターの両方を引き上げ、高い位置で融合させていく作業が『演出』である。上記の「テーマを体現したストーリ―」から、如何に「ストーリ―に即したキャラクター」を創るか?「テーマを体現したキャラクター」から、如何に「キャラクターに即したストーリ―」を創るか?ということが問題となる。演出には大きく分けて『テンポ』『共感』『意外性』の三つがある。
(1)テンポ  観客を物語に最後まで集中させるためのあるスイッチ。『テンポ』がよくて『つまらない』作品はまず存在しえない、それほど『面白さ』とは密接な関係にある。呼吸?心拍?いずれにせよ『優れた』作品には必要不可欠なものである にもかかわらず、その操作は他の二つに比べると作者のセンスに頼るところがあまりに大きい。下記の『共感』と混同される面も多いが、基本的に『共感』はその場の作用であり、『テンポ』はその作品世界の支配力である。(・・・とする)
(2)共感  観客が物語内の出来事を、別の場ですでに体験していたことを感じること、あるいは発見すること。そこで観客はその元の体験に基づいた同じ反応、可笑しければ笑い、悲しければ泣く、といった感情の昂ぶりが起こり、そこに「生命の実感」を感じることになる。これは感情移入の対象を観客に用意し、その対象に文字通り『共感』させることによって作者の意図した感情へ誘導させる、という手段がとられる。
(3)意外性  観客に予想外の出来事を与えてそれによって感情を昂ぶらせる。人間は知恵を発達させることを「選択」し繁栄した動物で、その知恵の発達のために常に新たな情報・知識を必要としている。新たな情報の中で最も貴重かつ重要な情報は『意外』な情報であり、それはそのまま人間が(知恵の発達のため)潜在的に『意外性』を好み求める性質を持っていることを意味する。つまり人間は(生命の安全が完全に確保された状態なら間違いなく)『意外性』を感じることに悦びを見出す生き物なのである。ただし同時に人間は一切の『共感』を伴わぬ『意外性』には対応できないものであり、そういった作品は理解されず多くの場合『つまらない』『一人よがり』といった評価を受ける。

世界観  その物語のもつ一定のルール、たとえば先に「人間は一切の『共感』を伴わぬ『意外性』には対応できない」と述べたが、その『意外性』を『意外性』のままに(ありていに言えば「非日常」を「日常」として)一定の法則を与えて存在させることによって、それに順応させ、果ては『共感』を呼ぶ対象にすることもできる。これが『世界観』のもつ大きな効用の一つといえる。
 『テーマ』から『ストーリー』と『キャラクター』を創造し『演出』によって融合させる。その目的は『面白い作品』をつくるためのものだが、二次的にというかその結果として生み落とされるものが『世界観』である。『面白さ』を追求すると同時に生まれるのが『世界観』なのだから、『面白い』作品は必然的に優れた『世界観』を内包する。
 一度、世界観を構築して観客の承認を得ると『意外性』に満ちた物語でありながら観客の『共感』を得て話を進めることが可能となり(その『共感』はさらなる『共感』呼ぶことも、さらなる『意外性』を呼ぶことも可能な『世界共感』とでも言うべき優れた『共感』である)余計な手続きも説明も全て省いて自由自在な展開、つまり「独特のテンポ」を楽しむことができる。上記の『テンポ』は「生命にはたらきかけるリズム」といえたが、『世界観』は「頭脳にはたらきかけるリズム」と考えられる。フィクション作家は観客から『世界観』の承認を得るために日夜戦いつづけるのだ。

(つづく・・・・かもしれない)

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