「喰霊−零−」は傑作アニメだったか




「喰霊−零−」(2008年制作)は 環境省・自然環境局・超自然災害対策室に所属する。二人の退魔師の少女、土宮神楽と諫山黄泉の物語、原作のヒロイン格のキャラクター、神楽の過去をピックアップした構成になっています。…で、僕はこの作品を前半では、相当楽しく…これは凄い傑作になるのではないか?と思いながら観させてもらったのですが、後半のラストあたり、締めのあたりでその演出力の精度がガクリと落ちた感があり、最終的には「惜しい」、「最初よかったのにちょっと残念」な作品となってしまいました。(とは言え、この感想は厳しい目で観た上でのもので、秀作である事は間違いありません)それで、この「喰霊−零−」のどこが良くって、どこが良くなかったのか?という話を書き留めておこうと思います。
最後にこの作品に関してのルイさんとのチャットの内容を掲載しておこうと思うのですが、内容が両者、この作品の良かった部分は充分に堪能している上で、どこが良くなかったのか?という部分に話題が集中しているので、まず先に、良かった部分、どういう構成が組まれて行ったのかという部分を語りたいと思います。(※オール・ネタ・バーレです!)

■“びっくり箱”としての第一話
「喰霊−零−」は制作発表当初、原作の「喰霊」とは全く違うキャラクターたち「防衛省・超自然災害対策本部・特殊戦術隊第四課の観世トオルを中心としてシナリオが展開されていく」と奉じられ、それに合わせて、特殊戦術隊第四課の面々のキャスティングも公開。前野智昭、喜多村英梨、柿原徹也、小山力也、福圓美里(→交代して矢作紗友里に)、宮本充(敬称略)という、かなり旬or実力派な面子で……まあ、要するにこの後に説明する“びっくり箱”が起こるとは思わせぬ為には充分な面子だったんですね。

それが第一話でデビューし、大型の悪霊・火車を倒したと思った所で、現われた謎の少女によっていきなり全滅してしまいます。この“びっくり”はかなりの効果を上げたように思います。僕の知り合いの何人かも「おい、なんか凄い展開だったぞ!」と驚きをネット上に書き流したりしています。
これは単純に「全滅したから驚き」というだけのものではなく、非常に優れた脚本と演出効果によってもたらされた衝撃だったと言えます。冒頭で、この第一話の主役に当たる観世トオル(CV前野智昭)は墓参りのシーンから登場するのですが、墓前で恋人らしき人が失われる回想、そしてその仇を見据える回想をします。それを迎えに来た春日ナツキ(VC喜多村英梨)はそれを切なく見つめる…。という具合にキャラが「積み上げ」られて行きます。恋人が殺されて、その仇が居て、背中には彼を見つめる別のヒロインがいる……なんて完全に「主人公格」の設定でしょうw
さらに街中を暴れ回る悪霊達に対して他の自衛隊隊員ではまるで歯が立たなかったのに、四課の面子が戦いをはじめると一気に事態が好転して行くというカタルシスも設置している。失われた恋人、仇、見守るヒロイン、頼もしい仲間、そうやって強いドラマを感じさせる物語を構築しておきながら、第一話の最後の数分で、惜しげもなく一気に崩壊させる。その効果が「強い」からこそ、受け手に大きな衝撃走ったのですね。

そうして第三話以降、特戦四課のキャラクターで占められた公式サイトは一新されて、神楽と黄泉の物語として掲載され直すのですが話題を呼ぶ施策としてはなかなか良かったのではないかと思います。(実際にどのくらいの宣伝効果が出たかは知りませんが)もう深夜番組の乱立も久しく、その中で目立とうと思ったら、これくらいの“びっくり”を工夫するのは評価されて然るべきです。………しかし、この第一話、単純な“びっくり箱”ではなかったんですね。物語を構成する中で、非常に重要な意味をもった1話であった事が分ってきます。

■“許されない者”としての第一話
第一話の全滅事件の衝撃を引きずったまま、第二話を観ると、さらにカタストロフが続いて行きます。「……また、全滅かよ!!?」って思ってしまったんですがw実際には部隊が寸断されて生死不明のものがいる…程度ですね。しかし、そう錯覚させるぐらい攻めての少女は苛烈で容赦がない。そして、この少女=黄泉と、超自然災害対策室の面々とは仲間同士であった事が分ってくる。何故こうなったのか?…と思う間もなく、彼らの中心的人物=主人公である退魔剣士の少女・神楽は、黄泉と斬り結び、やがって捕まって剣を振り下ろされる。「わたしを……姉と、呼ぶな!!」のセリフと共にブラック・アウトというのが第二話の終わり方。

戦いの中で、神楽たちは黄泉を何とか取り戻せないか?元に戻せないか?と考えている事が観て取れます。……では黄泉を取り戻す事ができるのか?と考えた時、受け手は今自分が引きずっている“衝撃”から、すぐにその展開が無い事が感じられるんですね。……何故なら黄泉は“許されない者”だからです。“殺されてはいけない者”を殺してしまったからです。それが第一話の物語に対する本来の構成意図となります。

ここで僕は「人の命は平等に重い」というような“理屈上の倫理観”の話は敢えて無視しますが(そういう話につき合うの面倒だし…)物語の中には、いわゆるザコなどと呼ばれるような、殺されてもさほど心が痛まない殺された事を比較的スルーできるキャラクターと、その死によって非常に心を痛ませ涙させる、スルーできないキャラクターが、実際に存在しています。黄泉に惨殺されて行く特戦四課の面々は後者にあたりますね。(さらに絞るとトオルとナツキという事になって来ますが…)「喰霊−零−」という作品の作風を考えた時、たとえ名もなき人を殺したとしても、(ドラマ的にも)許されなくなるであろう事は変わりないと思うのですが、それでもキャラとドラマが積み上がったキャラクターを突然殺すというのは、許されなさの重さが違ってきます。要するに黄泉は「もう助からない」って事です。彼女を魔道に落した設定や理屈がなんであれ、物語の在り方として元の状態(魔道に落ちる前)には戻らない。死かそれに相当するであろう因果が与えられるであろう事がイメージできます。
※かなり物語に「読み慣れた」文脈で語っていますが、そこらへんの「慣れ」がなくても「あの特戦四課の人たちを殺しちゃった、黄泉姉ちゃん、酷い!」って思って貰えれば、まず成功という事になると思います。

そうして第三話が始まります。そこでは神楽と黄泉がはじめて出会った時の事、神楽を黄泉の家で預かる事になった時の事、黄泉が神楽のためにクリームコロッケを作った時の事、などが描かれて行きます。受け手はそれを観て、時間が巻戻った事を感じ、そしてやがて1話2話で観たあのシーンがやってくる事に思い至るはずです。それは今から紡がれて行く物語が、「もう助からない黄泉の物語」である事を知るワケです。

■“刻印”としてのOP
幼かった神楽がやがて成長して、姉の黄泉の退魔の仕事を手伝うようになる…。そこで第三話は終わり、はじめてこの作品のオープニングテーマ「Paradise Lost」が流れます。この歌の歌詞も良いのですが、何よりそこで目を引くのは、神楽と黄泉が仲良くじゃれ合う姿なんですよねw…これが……もうね!!w素晴らしいんですよねw和めない!w1話と2話を観ている人は、その衝撃が残っていて、やがてこの二人が斬り合う事を知っているから。もう、ただただ胸が痛むw1、2、3話と来て、ここまで観た人は、もう最後までこの物語を見届けずには居られなくなったんじゃないかと思います。それくらいこの三話の構成は神掛って秀逸なものがありました。


さて、それで下記に、全話見終わった後のチャットを収録しているのですが………やっぱり何か、批判的な意見が多くて、自分で読んでて萎えてしまいますね…orz
(つき合ってくれたルイさんには申し訳ないんですが)この作品に興味を持った人は一度、作品をご覧になってその上で、気になったらチャットを読んでみるくらいの方がいいかもしれません(汗)チャット読むと批判ばかりが目立ってしまうんですが、3話以降の展開も基本的には素晴らしいです。神楽が自分の通っている学校の先生が悪霊に取り憑かれて斬らなくてはならなくなってしまう話(当然、やがて来る黄泉との斬り合いに対比させている)、黄泉が婚約者のイズナと密かにラブラブな話(黄泉が不幸になって行くための落差作り)、そして絵に描いたように不幸不運に見舞われて行く黄泉の話……どれもかなりハラハラしながら観ていました。


■2009年03月08日
(※“喰霊”と発言している部分は基本的に「喰霊−零−」の事を指しています)

LD >> 「喰霊」どうでした?というか、途中で感想は聞いていたので、それを押して喋りたい事が出たのかな?とか思っていましたが。
ルイ >> いや、僕はLDさんの感想をまるで窺っていないので・・・>喰霊 ラスト2話で急落という印象では、僕はなかったんですよ。やっぱり黄泉が堕ちるその過程自体に不足を覚えてしまったので。・・・LDさんのその感覚は、どこなのかな?って思ったり。
LD >> え〜っと。僕が凹みはじめたのは、冒頭の話と現在の物語進行が繋がるあたりからですね。
ルイ >> 例えば、神楽と父親の親子団欒パートの時間、何人も人死んでんぞ!みたいな?あれ?何であやめ室長と桐ちゃん生きてんの?ちょ?orz みたいな?
LD >> そこ僕もダメですw>神楽と父親の親子団欒パートの時間 演出の仕方次第では、普通に静謐なシーンに出来たと思うので、脚本足らず、絵コンテ足らず、演出足らずですね。
LD >> 黄泉が、婚約者殺さないあたりから〜黄泉の「殺して心象」をこれでもかってくらい積み上げて行く事がダメ。…そうじゃないだろう?と思うw
ルイ >> そうなんですよね?ラスト2話って事は。>現在の物語進行が繋がるあたり んで僕は前言った通り、黄泉が「こうなってしまう」事に哀しい必然を感じ取れなくて、その時点である程度下げてたんですが・・・
LD >> うん。そこらへん僕は「こうなってしまう」事が殺生石くんが悪いってだけでもいいというか……こういう言い方はルイさんの指摘があって思っている事なんですが…→
ルイ >> 上位者のきまぐれで翻弄される、その無常感自体にも味わいがあるってのはわかるんですけど・・・それって「姉さんと呼ぶな!!(激昂)」に直で繋がらないんじゃ?と思ったり、タイトルにある「愛ゆえに愛する人を殺せますか?」という問いかけに内実が伴ってこないというか。

LD >> →いや、もう黄泉が神楽を殺せないのは、これまでの散々の積みで分っているんだからさ!wそこをドンデンじゃなくって、ストレートに組むなら、もう(黄泉の心象を)全部隠してくれ!って思うんですよね!w…あと、どうも原作上、イズナ使いは殺せないみたいですけど、それなら偶然生き残ったくらいの感覚の方がいいかな?
ルイ >> 黄泉には「私が神楽を殺す事で、この血筋のしがらみから解放してあげる」くらいの本音をもって欲しかったw>愛ゆえに殺す 神楽も愛ゆえに殺すというよりか「愛してるけど是非もないから殺す」で・・・ここが交錯すると萌えたろうなあってw
LD >> 本音をもって欲しかったw>僕も、最初そういうイメージも、持ちましたけど、そこは必ずしもそうではなくてもよくって……でも、あ、以前、最終回の話をした時に、神楽の言葉に黄泉がイチイチ反応するシーンが嫌いとか言いましたっけ?→
LD >> →神楽が決意を口にすると、イチイチ過剰反応する黄泉が嫌でね。もうね。堕ちた「黄泉の心」なんて全然見え無くっていいんですよ!それを見せて積むから、もう先が見えているだけの状態になっているんですよね。あのラストシーン。
ルイ >> あ、仰ってましたね。LDさんから聞いていたイメージほどは「それ」、感じなかったんですけどw
LD >> ああ、過剰反応と言ってしまうあたりは、僕の方が過剰受信している部分がありそうです。>「それ」、感じなかったんですけど
ルイ >> ん、なるほど。僕の不満点とのポイントの違いはそこだ。僕は「状況」に主に不満を描いているのだけど、LDさんは「悪役の描き方」というか、見せ方の話なんだな。
ルイ >> じゃあ、黄泉正気を取り戻したりすんなと。
ルイ >> イズナ使いは一瞬「ん?」って想いましたけど、あれは神楽に「うらんでくれ」って言ったのは、黄泉殺しを神楽1人に任せて自分はスタコラサッサだぜいだから?
LD >> 最後の決闘に行くシーンでしたっけ?そうだと思いますよ。>「うらんでくれ」
LD >> ルイさんが言っている、愛憎極まる構図も当然想像していたんですけどね。ただ、そうではないなら、そうではない描き方があるだろうという感じでしょうか。
ルイ >> 冥が既に、「私は何を・・・!?」と苦しんで殺生石くんに「もう進むしかないんだよ」と言われるっていう、そのパターンは見せてしまっているんですよね。黄泉でもう一度それを無策で繰り返したなって印象はあります。
ルイ >> 個人的にはとにかく1・2話が良くて。3話も含めてもいいですけど・・・そこがメチャクチャ良かったので、その後の脚本が1人脚本の割りに案外「拾えてない」のが、勿体ないなあ・・・と思った作品ですね。
LD >> んんん、黄泉が揺れてる描写していて“愛の力”何とかなりそうに思っちゃうんですよね。能面みたいに揺れ無くって、心も全然見え無くって、最後の一瞬だけで「ああ、やっぱり黄泉に神楽が殺せるわけがなかったよ…」と思わせてくれればいい。2話で「ハロウゥ〜!か〜ぐら!」って呼びかけるシーンがありますけど、あれキャラ変わってますよね。あれが維持されているくらいの感覚が怖くていい。
LD >> 冥を殺すところまではいいんですけど、殺生石くんに負けるあたりの組み方が、よくない…というか違和感があるのは同意します。…シリーズ構成で入りきらなくなって無理が生じた感がありますが。
ルイ >> 因みにそのビジョンでいくと、黄泉の格はどうなるのかな?僕のイメージだと「殺せるわけがない事もわかっていて殺そうとしている」くらいの高い格を求めたくなってしまうのですけど。
LD >> 「黄泉の心は全然読めなくなっている」状態のなので、いろんな「読み」が成立する状態になると思います。そう思いたければそう思える感じ…でしょうか。>黄泉の格
ルイ >> 冥と黄泉の差をどこに見出すかって時に「殺して」か否かってんじゃなく、殺生石の気まぐれに翻弄されているようでいて、どっかの手綱はしっかりと握っていたと。・・・・それくらいの格を黄泉が見せてくれたら、それでやっと僕にとって「喰霊零」は神楽と黄泉の、愛ゆえに愛する人を殺す物語として成立するんですよね・・・印象ですけど、この状態だと冥と黄泉の違いは極端な話「単に神楽に近い人が彼女だった」というだけで。
LD >> そこはね。殺生石くんに黄泉が堕とされるシーンをもう少し上手く組めば…ここは多分、セリフのチョイスだから脚本ですね。上手い誘導話を考えればそれだけで、黄泉の心のカオスは表現できたはず。
ルイ >> そうですね。イエスノー選択と携帯の文字打ちっていう、あの室長の尋問のあたりからかなり「巻いてる」感があります。巻いてるというか。。。展開の為の展開を、他の可能性考慮しきる前にガンガン押してるって事なんですけどね。
LD >> なんでしょうね。もっと黄泉が神楽を“憎む”理由も並行して積まれて行くかな?とは思っていたんですよね。…でも、それがほとんど無かったので「ああ、もう黄泉に神楽は殺せるわけないんだ」という感覚で、この話をしていますね。で「殺せるワケがない」んだから、殺せるワケがない所を寸滴でも外に漏らしちゃダメじゃないかって思っている。
ルイ >> あと、これは大きなポイントではなく些事ですけど、1話の主人公とヒロインと黄泉の線って、作品の中に入れられなかったですかね?確か神楽がベンチに座ってる時前通り過ぎるくらいの絡め方しかできてないと思うんですが・・・
LD >> ああ、実は、もっと絡んでいるかと思って、探したんですけど……僕が観た限りでは墓参りのシーンだけですねえ…。>1話の主人公とヒロイン
ルイ >> それも勿体無いと思って。>1話の主人公ヒロイン 黄泉の「諦めろって言ったでしょ」が、本当に彼らへの言葉だけで収まってしまって・・・本編で上手く織り込めば、自分の状況にも言っている(例えば、神楽に越えていかれる自分であるとか)という積みもできたと思うので。
ルイ >> 本当は「殺せるわけがない」と読まれてしまう時点でちょっと足りてないんでしょうね・・・どちらの可能性も匂わせて、でも結果が「そう」だったとき、ああやっぱり彼女ならそうだよなって納得できるバランスがベストか。
LD >> どちらの可能性も匂わせて> はい。で、そこは黄泉の顔が能面のように、その心を寸滴も漏らさなければ…そんなに悪い形にはならなかったと思っているんですよ。でも、なんというかダダ漏れで…w(汗)
LD >> 無論、神楽も黄泉を「殺せるわけがない」。それは充分に積まれていっていると思います。…でも、殺すし、殺せる。その二人の差は、退魔師の宿命(?)が分けたとしか言えない…ってのが「喰霊零」(「がれれい」と読む)って話かなと。
ルイ >> なるほど。つまりタイトルの問いに黄泉はNOで神楽はYESという物語だ、と。
LD >> ああ、うん。上手い言い方ですねw>黄泉はNOで神楽はYES

LD >> いや〜なんか、黄泉が絵に描いたような不幸に見舞われて行くのも好きで好きで「お前は小公女セーラか!」とか言いたくなりましたもんw
ルイ >> あれは好きですね。イズナとギシアンしてる間に義父がやられちゃうあたりは、僕最高潮だったかもw
LD >> イズナと、ケンカしまくっているんだけど、神楽の知らない所で、逢瀬しているという話もよかったw…ああいうの、ひたすら黄泉を不幸にするために置いているって分るから、ゾクゾクするw
ルイ >> でもまあ、あの後黄泉の責任を一喝して誰からも異論が出ないってあたりで、既に「展開の為の展開」が始まっていたかなあ・・・絶対黄泉に責任ないもんなあ、あれ。冥の親父は目的の為に強引に糾弾していいんだけど、それを揃った一族が静観というのがイマイチではありました。
ルイ >> さっきも言いましたけど、結局「お姉ちゃんって呼ぶな!」っていう図には繋がらなかったですよね?この「お姉ちゃん」って、LDさんの苦手なwベルセルク話で言えば、おぶられてるグリフィスをガッツが優しい目で見る〜とかに相当するとは思うんですけど。
LD >> あ、ちょっと誤解されている気もするんですけど、僕はグリフィスがガッツが好きな理由が良く分らないとは思っていますけど、グリフィスの蝕はすごく納得している人ですよ。
ルイ >> いや、誤解はあんまりしてないです。誤解してたらwは入れないですねw
LD >> 能面能面言っているのは、第一話の黄泉って圧倒的に怖いじゃんwあれがラストでずっと維持されていれば、すんげえ満足w「ハロウ!か〜ぐら!」がリフレインされているシーンもかなり怖かったしw
ルイ >> おそらくは、黄泉お姉ちゃんって呼んで(庇護対象としての神楽)→神楽、黄泉と呼び合う仲(基本姉妹ではありつつも、対等な大切な関係としての名前同士)→病室での黄泉おねえちゃん(最初の関係に戻ったようでいて、今度は庇護対象が自分に逆転された上で、哀れみのように聞こえる「お姉ちゃん」)〜〜〜〜〜〜〜「お姉ちゃんと呼ぶな!」という流れがあると思うんですが、まあさんざ言われているようにこの「愛憎ライン」は積めてないんですよね。2話で匂わせやがってえええ〜wというのが正直な所w僕はあのシーンのせいで愛憎ワクテカしちゃったんだぞ!w
LD >> 「お姉ちゃんって呼ぶな!」>まあ、色んな「読み」ができそうですけど、黄泉の本当の心の底にあった言葉という「読み」は薄そうですねw
ルイ >> 本当の心のソコは、最終回で黄泉さん自白しちゃいましたからねえ。じゃあ殺生石の誘惑にそもそも負けないんじゃないか?とか野暮なツッコミ禁止。
LD >> まあ、何というか殺生石と殺生石くんに勝てる人間っていないって事なんだと思いますけどね。
ルイ >> そうですねえ。それは先述の「無常」というか・・・まあわかるんですけど、でも冥のケースと黄泉のケースの差で「人の勝ち方」を描くんだと思ってたりはしたかな。私の本当の望みは、神楽を・・・って親父殺して神楽の安楽を奪い去ったの貴方ですから!
LD >> いや、でも、本当に…何話くらいまでだろう?黄泉が殺生石くんに瞬殺されるあたりまでは、すっげえ満足感で観ていましたし、2話と繋がるシーンあたりまでは好きですね。
ルイ >> 僕も黄泉が病室で謎のコックリ尋問される前あたりまでは、相当好きかな。
ルイ >> あそこらへんから黄泉の「手詰まり感」の脚本演出が、そうとう強引になっちゃったのが悔やまれます。もう1話あれば違ったのか、というのは詮無いIFですが。
ルイ >> 最初に話題に出したお父さんとの団欒ですけど、あれはどう描写すればよかったんでしょうね。儀式自体に時間がかかるようにして、その最中の会話って風にするだけで成立したかな?
LD >> 犠牲になって行く者達が、神楽と父に最期の時間を与える事を納得している情報か……やはりこの親子はこうなのだというか団欒とも思えぬ一瞬の描写で、両者は満ち足りる…という演出を組めば、そんなに違和感はでなかったかな?と。>団欒
ルイ >> 後者が僕の美観的には正解ですねw>一瞬の描写 前者だと、最初で最後の団欒を皆が「与えてあげる」形にするという事ですね。それもいいなあ・・・ここは単純なんですけどね。プロットいじらないでもどうとでもできる部分で。前半の脚本テンションが維持できなかった、と言ってしまうのは酷かな・・・?

LD >> 木霊との戦いで、集団で出てきた写しの敵を、黄泉と神楽が背中合わせで回転して一瞬で切り伏せるシーンあるじゃないですか。あのシーン、すごく好きで。→仲の良い姉妹ごっこから始まって、神楽が仕事にも参加するようになって、その連携が極まるという目茶目茶いいシーンで。あそこから物語は転落方向に入るんですよね。
ルイ >> そうですね。だからメールで違う事言ったかもですけど、名前で呼び合う過程は必要なんだな。ただそこで「お姉ちゃん」に戻るのは・・・どこまでいってもおねえちゃんはお姉ちゃんではあるわけで、別に激昂の対象にはならないとは思ってしまうけれど。
LD >> あの第一話の始まり方は「エルフェンリート」と同じで絶対に黄泉が許されない事を表現しているんですよね。その一話の効き方が、回を追うごとに、姉妹の関係を積めば積むほど、重くなって行くという、相当いい構成で。
ルイ >> いやあの、これだけは強調しておきたいんですけど・・・・・・1話(と2話)って滅茶苦茶良くできてますよね。何かこう、仕掛け自体が大掛かりで、それゆえに逆に「そこ」だけで語られる事が多そうだから、それだけは避けたいと思ってるんですけど。
ルイ >> これが「今期の一番」の反省点で、やっぱ今期の前までに3話あたりまで観ておけばよかったなとw
LD >> …で、「エルフェンリート」の違いは正に「許されない者は許されない!」って、めっちゃくちゃ当り前の事を描いているんですよね。…だからこそ、さっきも言っているように、そういう分っている事はしっかり隠した方が良くなってくる。
ルイ >> 冥でワンクッション挟むのは上手かったと思うんですけどねえ。
LD >> あの、1話と2話がね。単なるビックリ箱として語られてしまうとしたら、それは相当残念な事ですw
ルイ >> しっかり評価しておきたい部分として、1話ってこう「ウルトラマンのいないGUTSの活躍」というか・・・そういうものをしっかりと「30分のスペクタクル」の中で消化していて。決して、墓参り積みなどに限った話じゃなく、相当凄い1話だと思うんですよ。ビックリ要素が強すぎるけどw
LD >> まず、普通に面白そうな所が凄いよねw>1話

ルイ >> まず普通の警察隊員達がいて、火車どころか雑魚にまるで対処できない。そこで防衛省のメンツが出てきて「差」を見せ付けるのだけれど、バイク護符とか無駄にギミックがかっこよくてwで、しかもAパートで処理した後Bパートでもっと強大な敵を出して、それを隊員の知恵と勇気で凌ぐという、何かもう完璧な「第1話」してるんですよね、単品評価で。→・・・で、それが黄泉の登場でアッサリと屠られてしまう。・・・・じゃあ2話はどうかっていうと、今度は環境章のメンツが出てくるんだけど、1話の警察なり自衛隊のポジションが防衛省メンツになっちゃって、元の防衛省のポジションに環境省のメンツがすんなり収まるという、この対比の出し方が凄まじくいいと思いません?w
ルイ >> つまり銃持ってただワーワーやってる自衛隊員なりを、防衛省のトオル達は「お前ら一般人は引っ込んでろ!」とあしらって、そこで格の違いを見せるんですけど。・・・2話で今度はモヒカンのおっさんやナブーナブー言ってる双子が出てきちゃうと、もう防衛省の連中こそが「一般人」に見えてきてああやっぱり連中じゃダメだよなあ、そりゃwと思えるwという・・・この辺の組み方は強烈にテクニカルでシビれますね。
ルイ >> 普通に面白いんですけど、環境省みたあとだと「やっぱ足りなかったんだな」と思わせるのがスゲーですwやっぱバイクで護符とかね、退魔銃とかね、どんだけとw特に銃なんて俺でも撃てそうだっていうw
LD >> ああうん。1話で、主人公って昔、神楽に会っているみたいじゃん?だからそのシーンは本編に出てくると思ったんだけど…なかったですよね?(それくらいシリーズ構成的には押していたとも)
ルイ >> ああ、さっき言ったけど「線」ですよね。よほどキュウキュウだったのでしょうし、確かにそんなに蛇足的な部分は思いつかないので、責めづらくはあるんですけどね>トオルと神楽
ルイ >> ・・・まあ、それが積みになって、室長が車椅子アタックしかけた時はちょっと興奮したんですけどねwバイクとの線は引いてくれなかったw何なら彼女と室長の縁でも描きたいところだぜ。
LD >> 主人公がむかし、恋人が殺生石に触れている事とか、それで逝った恋人をまだ思っているんだけど、喜多村子がそこらへん気を使いつつも主人公に沿っているという……「情報圧縮」の好例と言えそう。
ルイ >> あれは情報圧縮でしょうね。言ってみればLDさん言う所の「残念の演出」としてのフラグ利用として、真っ当なものなんだけど・・・後から振り返るとそうってだけで、1話観た時フツーに「読もうとしちゃう」んですよね、皆w
ルイ >> だから防衛省のメンツが美男美女揃いなのは作劇として非常に正しいんですよね。そして、それをメタ的に補強する機能としての有名声優起用がある。
LD >> そういう物語を瞬間的に断絶しちゃうから「許されない」んですよね。……つって、本当に「エルフェンリート」観て思いついているかも、あれってドジ子の拡大解釈版って言えそうですよね。
ルイ >> ドジ子は話が進むほどに積まれるという、なかなか恐ろしいことになってましたねw>エルフェン
LD >> 人間の心象の不思議さなんですけどね……ルーシーの許され無さって第一話ではドジ子が殺される所が力点になっていますよね。
ルイ >> そうですね。ドジ子は短いシーン立てで一気に「キャラクターとして何かが始まりそうな感じ」を積んで、それを一気に奪っている。あれもまさに断ち切るからこそのエネルギーで。同時にクラマの背中に手をペッタン貼り付けていくというあたりがニクイw
LD >> ああ、あとねえ。これ言わんでもいいことかもしれないけど、ラストシーンはちょっと茅原美里さんをうらんだかなあ〜?(汗)
ルイ >> ラストシーンというと、何かのほほんと喋ってる奴ですか?
LD >> 「てかげんできないから〜!」あたりです(´・ω・`)>ラストシーン
ルイ >> でも、マンガの方はあんな感じなんですけどねw>ラストシーン
LD >> いやぁ〜、なんか演出が良ければなんの問題もないシーンなんでわーわー言ってもあれですけど…もうちょっと上手くやれる人がいたんじゃないかな〜とかとか
ルイ >> 僕は黄泉の・・水原さんに不足を感じる事が多かったかなあ。茅原さんと水原さんの頑張り次第でもっとよくなった作品とも思えます。
ルイ >> OPはものっそ良いですけどねw>神楽の中の人
LD >> 「ロストパラダイス」が3話のエンドから入るって、構成素晴らし杉でしょう?!!w


まあ、そんなワケで「喰霊−零−」。締めの部分に不満が残るだけに、どうしても「惜しい!」とか「もう一歩!」のような物言いになってしまうんですが、基本的には良いアニメで。そして僕はとても好きです!(何か途中までの良さで凄く満足していたりする)逆に、こんだけ僕が悪口言っている反動で「観てみたけど、そこまで悪くはないんじゃないの?」とか思ってくれると嬉しい感じですw
…でも、本当にキッチリ締めてくれれば凄い傑作になっただけに……ああ!くそ、どうしても一言付けてしまう!今はこれまで!!

2009/04/09