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マンガ家を食堂にたとえると・・・  昔、その街には食堂が数えるほどしかなかった。だから大抵、誰もが黙々と出された定食を食べていた。しかし、どうにもがまんならない“不味い”ものを食わされたときは、店の主人に直接文句を言った。「おい、オヤジこれ不味いぞ!」そうすると、店の主人は一生懸命考えて、何とか美味しいと言ってもらうように工夫する。そうやって身につけって行った『技術』は本当に“美味い”ものを創るための、本物の『技術』だった。
 現在、この街は繁栄しつづけ、食堂も数多く建ち並び“専門店”なんてのもできるようになった。反面、本当に“美味い”ものを創る『技術』は失われて行った。客は不味ければ他の店に行けばよく、客を取られたその店も、繁栄して人があふれてるこの街に、さして危機感を感じられなくなっていた。(昔は街そのものから人が消える恐れがあった)結果、今はやってる店は“たまたま美味い”だけ、いや美味くも無いのに“たまたま流行ってる”だけ、ということになってきた。本当に美味いものを創る職人さんは数少なく、その後継者はさらに少ない。
 ぼくは今さらこの街の繁栄に危機感などというものは持っていないが、本当に“美味い”ものの味は、多くの人に是非知ってほしいし、受け継がれていってほしい、と思っている。

編集者に期待!  じゃあ具体的にどうしよう・・・今更店の数は減らせないし(ある程度は淘汰されるが)正直なところ、今作者に「お前のマンガはつまらん!」などと手紙を出す事にはそれほどの意味はないと思う。昔は極端な話「頼むよ!お前しかマンガ描ける奴いないんだよ!」という切実な思いがあったが、今だとイチャモンと押しつけ的な意味あいがどうしても強くなる。
 そこで、ちょっとものの試しだが、編集者に注目してみようと思う。編集がどのような意思で雑誌を作り、担当がどのように作家を育てていくか?編集は読者と作者の間をつなぐパイプ役ではなく編集こそが、マンガ文化を作っているんだという気持ちに切り換えていく。編集の方は最初からそのつもりだろうから、ぼくの方で編集者と正面から向き合うように気持ちを変えていこうかと思う。
 もともと「この雑誌はこういうカラーで、あの雑誌はあんなカラーだな」とか、おぼろげに考えてはいたのだが、それをもう一歩進めて考えてみたい。一体どんなやつらが、マンガ雑誌を作ってるんだ!?・・・そうやって考えて雑誌を読むと「編集後記」を書く雑誌がけっこう少ないことに気付かされる。まあ、週刊じゃ仕方ないのか・・・な?(新聞は「天声人語」とか「春秋」とか載せてますけど?)もっと全面に出てこい!マンガ雑誌編集者!

'98-8/27 LD津金

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