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観客として


 このHPはフィクション全般を取り扱い、研究していくことを目的としている。(とはいえ、本当にフィクション全部を網羅していくのは限られた人材の限られた時間では不可能である。実際には、マンガ、アニメ、を中心のページになると思われる。しかし、フィクション全般を取り扱うという意気込みに嘘はなく、できる限り紹介・研究していきたい)

 『作り手の意思が形になったもの』を『作品』という。まずは『いい』作品に出会ったとき、素直に「よかった」と感動してみよう。そして、その作品のどこが『よかった』のか考えてみよう。そのとき感じた感動が『より』深まるはずです。
 「なぜ、言葉を費やす、本当の感動が頭で割り切れるものか。感動は感動のままに・・・」という人もいるだろう。でも、ぼくは思う。それは『知らない』のだ。感動は心の作用だ。そして『考える』ことはその心を豊かにするものだ。はじめから伝わるはずのない心の感動を、何とか言葉にして伝えようと歩いてきた詩人が、『それでも言葉にできない美しさ』に出会ったとき。そのときの感動は、果たして、はじめから感動を言葉にかえることをしなかった人たちと同じものだろうか?
 自分の感じたことを人に伝える『言葉』というものは素晴らしい力である。そして、それが人に伝わるときというのは、とても『幸せ』なことなんだと思う。確かに言葉には『不備』な点が数多くある。そして人と人とがその不備を埋め合わせるほど語り尽くす機会というものは、そう多いものではなかろう。(もちろん完全な相互理解などあろうはずもない)それでも、そのちっぽけな自己満足のために『言葉』を発してみよう。それで『いいこと』があったときも『がっかり』したときも、共に楽しんでしまおう。

・・・ってなことを、かっこよさ気に書いたが、この文章の本題としては「何で人の気分を害してまで『作品』の悪口を言うかなぁ!」というところにあるんだな。実はこのHP、なるだけズケズケといろんな『作品』の悪口が言えるスペースにしたいと思っている。もちろん自分が大好きな作品を「つまらん!」といわれたときのショックは重々承知している。それでも、そのとき感じた悲しみを怒りに変えて、もう一度自分はその作品の『どこが』好きだったのか考えてみよう、そしてそれを言葉に出して逆にその相手をその作品のファンにしてしまえ!
 怒りのままに相手に対しての罵詈雑言は駄目である。それは怒りばかりが蓄積されるばかりで『意味』がない。基本的にぼくは『つまらない』と思ってる人に、『面白い』と思ってる人の説明が必要と考えているが、それだけに『つまらない』と思ってる人は細心の注意で話さねばならない。(もちろん説々と『つまらなさ』と語られる方がより『こたえる』事もわかってはいるが)「あの作品、面白いねえ」「面白いですねえ」という会話では、進歩に限界がある。「あの作品、つまらんな」「つまんないよな」という会話は、ほとんど無意味である。ただ、単に作品の悪口を一方的に書き上げて悦に言ってる連中!分かっているのか!もしかしたら相手は自分が未だ知らぬ『楽しさ』を理解し感じているかも知れないんだぞ!ぼくはそれが何としても知りたい!自分がもっといろいろなものを楽しむために!
1998/05/27 LD津金


観客として(2)

 先(左記)のコラム「観客として」は、ぼくが「漫研」のホームページを興した、本当の本当に最初に書いた、自らの“意気込み”を語ったものである。改めて読むと想像通り、恥かしくて読んでいられない。何度も何度も消してしまおうと悩んだが、恥をいちいち消していたのでは、このHPがズタズタとなってしまうことは明白なので、何とか思い止まって現在にいたる。それをさらに、ここで“言い分け”を書くことで、この“消したい衝動”を緩和させようとしているのだけど、これはこれで恥の上塗りかもしれない。でも、まあそれもよし。(ちなみに同じく初期に書いた「フィクションの構造」と「おたくのかかる病気」は“何を言いたいのか解らない”ので、解り易く書きなおす予定)

 僕がネットを始めて約1年が経とうとしている。だいたいこのホームページと共に活動してきた…というか、ちょっとネットを覗いただけで「よしよし、大体、解ったぞ。じゃあ早速HPを作ろう!」と飛び出した。今にして思えば、もう少しじっくり事を構えて行動した方が良かったのではないかと思うが、とにかく悪戦苦闘の連続でそれがもうメチャクチャ!(S)楽しかったことは言うまでもない。しかし、それに付き合わされる方はたまったもんじゃないはず。僕はひたすら文章を書くばかりで難しいことは全部そちらまかせだったのに、文句一つ言わず協力してくれたGiGiさんには改めて感謝の意を表したい。いや、これからも頼むね!(マジで)

 それで、一年間ネットにつかり、本当に色々な人間がいることを改めて経験した現在。心境に何か変化があったかと自らの心に問いかけてみると、実は最初のあの恥ずかしい意気込みと本質的な変化はない!相変わらず自分の意見を言いたくて仕方がない自分がいて、他者の意見を聞きたくて仕方がない自分がいる。そしてやっぱり「面白い作品が好きでつまらない作品が嫌い」と豪語する。感覚としてではなく決意としてそう豪語する。
 「群盲象を撫でる」ということわざがある。これは「巨大なる者を測ろうとする愚かさ」を喩えたものだが、それでも“象”を知ろうと思ったら、他者の意見を聞き、自らも発言して、情報を構築していくしかない。そして自分一人でより多くの部分をカバーできる自分を目指し、いずれは“象”一匹全て己のみで理解できるようになりたい。
 でも、今は駄目(←笑)今は全然そのレベルじゃない。だから『面白い』と感じたり、『つまらない』と感じたりすることに嘘をつかない。「うんうん、その『面白さ』も分かるよ」と分ってるフリをしない。そしていずれは、あらゆる『面白さ』を理解できるようになりたい。その為に今は『面白い』ことと『つまらない』ことを徹底的に考える。観客として。

1999/05/02 LD津金


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