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ストーリーの二重化

# ストーリーの二重化 投稿者:LD [2002/03/11_00:58]
現在、少年マガジンに掲載されているコーナー「漫画家(プロ)への花道」の赤松健先生編で“ストーリーの二重化”という言葉がでてきました。このコーナー、編集の主旨からか、赤松先生の性格からか、けっこう突っ込んだ内容になっていて、非常にためになります。
それで、今回、ちょっとこれに乗っからせてもらおうかな、と考えました。特に今回出てきた“ストーリーの二重化”はマンガや週刊連載の構造、ひいてはフィクションの構造を解析するのに非常に有用と考えたからです。実は僕の方では、この“ストーリーの二重化”というやつを“2つのクライマックス”(…野暮ったい言い方ではありますが)とか“起・・転・結”という言い方をしてきました。…が、まあ今後は“ストーリーの二重化”という言葉を使おうと思います。構造を解析するワードは、広く知れ渡るものの方がよりよいので。

で、今回の“ストーリーの二重化”ですが“起・承・転・結”に、準えるなら、“起・承・転・結−起・転・結”という形態で表現されています。TVアニメなどで放映間にCMを入れる事を想定してAパートとBパートに分ける行為を模したみたいです。
確かにすぐれたTV作品はAパートが長いです。「え、15分足らずの時間で、こんなに情報が入るの?」と驚く事がよくあります。特に1話完結を旨としている番組は、ときに情報が極限まで凝縮されて、脚本の芸術といってもいい程の完成度を持つ事があります。「これは“30分の芸術”だなあ」と唸ってしまう事があります。
また、話をCMで割るという事について言うと、僕がパッと思い出したところでは「侍ジャイアンツ」や「無敵鋼人サンボット3」などが優れていますね。どちらもアイキャッチの入り方がストーリーと重なっているタイプで、必ず一定の盛り上げを行って、はい!CM!と行く作品です(笑)思い出せる方は「ああ、なる程」と思うでしょう。一度ご照覧あれ(笑)

要するに“起・承・転・結−起・転・結”というのは、赤松先生が連載の1回について一定の密度=クオリティを保つために考え出した考慮点と言う事だと思います。つまり…
「1話に2話分積め込むつもりでやれば、だらけたネームになる事はないだろう!」
…というものですね(笑)確かに「ラブひな」、そうでした。2話の構成をキレイになしているかは別として(また、必ずそうである必要はないですよね)とにかく“情報”を入れよう、一つでも多く“出来事”を入れようという気迫はしっかり感じました。ちゃんと読んでます!評価しています!

…これが1回分を“起・承…”のレベルで1回分OKとしてしまっているネームだと「んんん、ちょっとヌルいネームかも?」と言いたくなってしまうですねえ(汗)まあ、連続話は一概にそうも言ってはいられない構造になっているとも思いますが、“起・承”で1回目、“転”で2回目、“結・次の起”で3回目くらいの構成を成していては欲しいところです。1物語分の“起・承・転・結”という意味ではなくって、物語の“波”としてね。因みに“結”の回に“次の起”を入れる事によって、“結”の回の中の“転”が自動的に行われる事になります。お〜パチパチ。(←いや、言ってる意味分からん)
まあ、それくらいの“速度”は出して欲しいという話ですが、いつまでも“起・承…”、“起・承…”のような状態を繰り返してるもの。あるいは、“転”っていうのは瞬間の突風のように切り替わる事を指すから“転”なのですが、あの回も“転”、この回も“転”と…「それって“承”じゃない?“結”につながる標的が見当たらなかったら、確実に“承”だね?」というのは…ヌルいを超えて「ヘタレたネーム」と言いたくなります…………
…おまえのことだよ!XXXX!!

ぱす〜〜っ(ガス抜きの音)…ところで!赤松先生は“ストーリーの二重化”のサンプルとして宮崎駿監督の作品を挙げています。確かに“ストーリーの二重化”については、ピッタリというか最適のサンプルがあります。「天空の城ラピュタ」ですね!
まあ、ここまで、この細かい文章にお付き合いいただいた方々は、おそらくヘッド擦り切れ、レーザー折れるまで繰り返し「ラピュタ」は観ている方々でしょうから(笑)そのままセリフで指し示しますが
ドーラ「最後のチャンスだ!すり抜けながらかっさらえ!」
が!“起・承・転・結−起・転・結”の最初の“結”部分にあたると思います!(←興奮気味)
はやお先生、“空中ブランコ”大好きですからね!(笑)「すり抜けながらかっさらう」あのシーンの為に「ラピュタ」という物語を組んでると思いますし、そこを焦点と観れば後の話なんてエピローグみたいなものでしょう!…とか話し出すとはやお論に入ってしまうのでこれはまた別の機会に(汗)
ただ、他の作品はどうでしょう。たとえば「ナウシカ」はどこで割れるか。これは僕は「トルメキアの輸送船に取付いていたウシアブを虫笛で腐海に還し、王蟲がそれを見届けてかえって行く」ところで割れていると思っています。あそこまでが“説明編”で次からが“応用編”なので。が、分かり辛い(汗)人によって捉え方が違って、結局、「はやお作品は“三重化”も“四重化”もやっているね」という結論になってしまいそうです(笑)「ラピュタ」はかなりキレイに“2重化”されていると思うんですけどね。

まあ、優れた作品というのは「“承”はつまらなくて当然」という考え方はしないので、自然と“起・転・転・結”になるというか、昔、僕の友人が出した「優れた読み切りは“2つのクライマックス”を持つ」という言葉に拠っているのですが(椎名高志先生の作品を主に解析している人でした。この先生もノウハウ多そうだ)、そういう構成になりますね。
それを制作サイドからというか「とにかく2話分放り込むつもりでやれば密度は落ちない!」という、分かりやすいチェックのしやすい方法論の発見が“ストーリーの二重化”という事になるのかな?


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