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GO!GO!“おチープ”!

“安く”創る心意気
 90年代半ば頃からデジタル・アニメがTV放送で出回り始め、もう大分、定着した様に思う。デジタル・アニメのいいところは、何と言ってもテレビアニメを“安く”作れるところだ。(そうですよね?実はよく知らない)また、それと同時期にセル・アニメの中にCGを組み込んだ表現方法などを取り入れた作品も出始め、最近アニメの製作・表現方法に変革…というか、実験的な動きが観られる様になった。それらの実験の背景には「いかにTVアニメを“安く”作るか」という意図があると思う。アニメ業界が昔から抱えていた問題、「アニメ制作費の支給が恐ろしく不充分」という問題で、製作現場からできる一番即効性のある解決方法だろう。「そんなの単なる製作者側の“台所事情”であって『観客』には関係ない事だね」と言う人もいるかもしれない。いや、とりあえず居て下さい、話しが進まないから(笑)実際に、デジタル・アニメの“フラットで軽い画面”に違和感を持つ人は多いと思う。実は僕も最初にデジタル・アニメを観た時は「うっ…」と思ったし、セル画とデジタル画のどちらでも構わないのならセル画の方を選んでしまうだろう。「だから、そんなの作品の“質”を落すだけで、根本的な解決にはならないんだって!スポンサーにしっかりした理解を説いて、その作業に正当な費用を引出す事だ!」と言う人もいるかもしれない。
 それはそれで賛成なんですが、今回は業界内情改善の話ではなく。「作品を“安く”(あるいは“楽”に)作る」と苦心する事も立派な創作行為である、という話をしたいと思ってます。怠惰というかネガティブな行為に思われがちだけど、その『志』が確かならば、それさえも新たなストーリーや表現の先駆けとなるのです。勿論、“安く作る”のですから、どうしても出来上がる作品は“おチープ”に見えてしまうかもしれない。アニメは動画、動いてなんぼなのに、いかに止めて済ますか?なんてことを考えるのは本末転倒かもしれない。でもその観方をちょっと変えてみません?という話なんですよ。そこで、その“安く作った作品”の好例を挙げてみて「GO!GO!“おチープ”!」とエールを贈りたい(笑)本当は「失敗してもその心意気に拍手!」という論旨なので、成功例を挙げるのは難なんですが、“革新”という言葉に説得力を持たせるには致し方ありません。なかなか難しいものです(笑)

空間ドラマ「MAICO 2010」
(放送業界初のラジオ・アンドロイド・パーソナリティ、MAICOが他のアクの強いスタッフたちと共に、彼女のラジオ番組「MAICO 2010」を盛りたてて行こうと悪戦苦闘するストーリー)
 多くのファンを魅了して止まない「宇宙大作戦・スタートレック」も、出発点は“おチープ”だった。「固定された宇宙船ブリッジのドラマ」というのは元々は“安く”制作するための発想であるし、白眉の名設定“転送機”は、それだけで数々の名脚本を生み出す温床となったものだが、あれも場面転換の手間を省略したかったものだ。ところで本来、アニメでの固定された空間劇は手間がそれほど減らない上に(カメラアングルを変えれば結局新しい背景が要る)画面は単調になるという“挑戦してみるリスク”が非常に大きなもので、実写ドラマでは割と見られるのに、アニメでは、まずやらないものとして敬遠されてきた。しかし、CGポリゴンの登場で「四角い部屋を丸ごと一個作っとけば、どんな背景アングルもOKになって、そこの予算かなり削ってアニメ作れるぞ?」という話になった時、ようやくアニメでも空間劇が挑戦してみる価値のあるものとして機能することになった。それが「アンドロイド・アナ MAICO 2010」である。脚本家にとって狭い空間に限られたドラマというのは、苦しいながらもやり甲斐のある作業であり、それがこの作品は実に上手く『回って』いる。脚本の黒田洋介先生、倉田英之先生の勝利と言えるが、一発ギャグ的に短く作ることによって、予算もさらに削って脚本も楽にするという、とにかく“安く”作るというアイデアが引き金となって快作を生み出した好例だと思う。

どこまで省略できるか?「彼氏彼女の事情」
(見栄で才色兼備の優等生を演じてきた少女「宮沢雪野」が、本当の自分などまるで意識をせずに仮面を被りつづけてきた優等生「有馬総一郎」と付き合うことによって、起こる様々な困難に二人で立ち向かうストーリー)
 アニメ「カレカノ」は観ていて、とことん予算の足りない作品だと思わされる。本当に制作費が足りないかどうかは僕は知らない。しかし、止め絵の多用、彩色の省略、ディフォルメによる線の簡略化、そして“あの”長い前回のあらすじ(OPが遅れて出来てくる、しかもそのOPもハッキリ言ってしょぼい…)等、作為にしろ不可抗力にしろ「カレカノ」は“安く”作っている。しかし、単に“怠惰に”製作しているわけではない。「動かすところはキッチリ動かそう!」その意志はハッキリ観て取れる。それが嬉しい。そしてこの極端な落差に、僕はこの作品が、紙芝居とアニメーションの境界線というか、TVアニメとしてどこまでの動画省略が可能か?ということに挑戦してるように感じたのだ。今までも予算の足らなさに悪戦苦闘してきた作品は、たくさん観てきたが、「カレカノ」のポジティブさは群を抜いていた。止め絵の中に実写の写真を入れる、セリフの文字と吹き出しをそのまま切り張りして流す、といったコストパフォーマンスの高い(=簡単に出来てインパクトの強い)フィルムを目指しており、その表現方法は庵野演出、あるいはガイナックス演出と言われるものにまで昇華されていると思う。
 だから…だからね、そーいう作品の観かたをしていたから、“あの「19話」”(※↓)には僕は納得してしまったんだな(笑)「どこまでTVアニメとしてやっていけるか?」という問題にポジティブに挑戦していたからこそ“やり過ぎ”の線に踏み込まずにはいられなかった。チキンレースのブレーキの掛け損ないみたいな(笑)本当はこの原稿(頭の中で)考えてた時は、こんな話まで想定に入れてなかったのですけどね。全くとんでもない話が流れたものです(笑)しかし、僕は上記のようにアニメ「カレカノ」は“表現方法にこだわった作品”(=テーマ)と認識していたので、あーゆー極端な発露も、あるかな?とも思っています(面白かったし)。原作者に失礼という話はもっともだけど、まあ笑って許して欲しいなと…(汗)

なんかそれっぽくまとめようとしてるぞ(笑)
 上手過ぎて指摘されないが出崎統さんの“あの”絵を止める演出も本来は動画を省くものだし、たとえば相手を殴ったりする時に、三回同じ絵を繰り返す演出も楽に『間』を持たせる為のものだ。そもそも手塚治虫先生が始めたリミテッド・アニメはTV放送としての量産化を目指したものである。TVアニメは元々“おチープ”なんだ!!それをお金と時間をかけて打開して行くという方法もあるけど、今回は、貧乏くせえからこそ生み出せる創作もある、という話を書きました。お疲れさま。40年の歳月をかけてTVアニメの表現方法は一度は完成の域に達したものの、現在の技術革新により、また新たな思考錯誤の場が用意されることになったのだと思います。すでに東映動画はデジタル・アニメの表現に意欲的に取り組んでいるし、サンライズもCGとセル・アニメの効果的な融合を掴みつつある。オールCGアニメも生まれてるし、新世紀を目前に現れたアニメの新たな開拓地を歓迎し、そこに挑むクリエーターたちを応援していきたい。
 ちょっと記憶に薄いのだが「ガサラキ」を観ていた時、ミハルの前にクガイの羊水がしたたるシーンを、(だったかな?)一枚セルの前に本物の水を流す、という表現でこなしていた(笑)あれはなかなか良かった。まだまだ、やり残した“アニメ表現(?)”はあると思う。失敗を恐れずに試していって欲しい。

'99-2/21 LD津金

※あの「19話」・・・第19話「14DAYSシン・カ」は、冒頭でいきなり紙に書いて切り抜いたキャラをそのまま下で動かして撮影するという“紙人形劇”で始まり、本編では終始、写真、鉛筆絵のコラージュの動画を流し、EDではそれらのセル画を燃やしていた。
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