戻る

おたく語会話(2)…“ひきかえす”

# おたく語会話(2)…“ひきかえす”投稿者:LD [2001/09/30_21:56]
“ひきかえす”というのは、ある作品において、重要なキャラクターを物語から離脱させてしまったり、その物語を革新的な方向へと決定付ける…………っっかに思わせておいて(笑)その一歩手前で“ひきかえす”事を指してそう言っています。(いや、漫研では…っていう話ですよ?)

その物語において、重要なキャラを離脱させる。その多くは死亡という形をとりますが、それによって物語の方向性を決定的に決定する事があります。それも、作者がその時その瞬間の“面白さ”のために“やっちまう”と、これはもうほんとに物語がどの方向に向うか分からなくなって、読者も、作者も一緒になってハラハラドキドキしてしまうという愉快な(?)事態に陥ってしまう(笑)
こう言う“やっちまう”事で有名な事例はやっぱり「あしたのジョー」(1968年連載)の“力石減量事件”でしょうか?
ちばてつや先生がボクシングの階級制を全く知らずに、主人公のジョーとライバルの力石の体格を段違いに登場させてしまったために、原作の梶原一騎先生が頭をかかえ、力石に階級合わせのための過酷な減量を強要!結果として力石は極度の減量による衰弱と、第六ラウンド矢吹がテンプルに放った一撃と転倒の衝撃で死亡にいたり、読者ファンによるマンガキャラクターのお葬式が開かれるという、滅多に無い事件にまで発展しました。
ちば先生の「ジョーと力石の体格を間違えちまった!」に対する梶原先生の回答が「力石を殺しちまった!」というのは、やり過ぎ!答え無茶過ぎ!(笑)とも言えますが、丁丁発止といえば丁丁発止(笑)まあ、「ふう…ジョーも倒したし、階級もどすか…」なんて言う展開はナンセンンスですしねえ。一気に殺しちまうところまでためらいがないのが梶原先生のセンスのよさだと思います。……で、ここらへんの話で、え?力石が死ぬの?と思わせておいて、どこかのポイントで「力石くんが持ち直したぞ!」みたいな…?(汗)ちょっとあまりに有力なエピソードで逆イメージを取りづらいですが、そういう風に力石が死ぬことを止めてしまう展開をすると“ひきかえした”となりますね。

最近の事例はなんでしょうね……………………………………?なるべく“やっちまった”感の強いサンプルを持ち出したいのですが、あんまり思いつかないなあ?「スクライド」(2001年制作)の“君島死亡”?決死の戦いをやり通した君島が、カズマに背負われながら、次第に永い眠りについて行く…。カズマ「君島……?どうしたんだよ…君島?」とか言っておいて、次週、君島が生きていたりしたら“ひきかえした”って事になりますね。(死んだままでしたけど)
「ななか6/17」(2001年連載)で先週のラストに雨宮さんが「たって私、好きだから。あなたが…」と言っておいて、次の週「あなたが大事に思っている霧里さんのことが好きだから…!」と言いなおすと読んでて「あ、“ひきかえした”な」と(笑)(この手法、ラブコメではよく観られます。あだち充先生がかなり、いや相当得意です。確かめて観てください)
「特攻天女」の人気キャラ、遊佐の“栄養失調事件”とかね(笑)あれはけっこう“やっちまった”感が強かったです。でも、「え?何かやった?」という感じにサラリと流されたところが痛快でしたね(笑)

“ひきかえし”は時に、問題の先延ばしだったり、作者の「ごめん!今のなかった事にして!」という謝罪の意だったりもしますが、時に非常に洗練された演出だったりもします。

時代劇ドラマ「必殺仕置屋稼業」(1976年制作)という作品で、沖雅也の演じる“市松”という非情の殺し屋が登場します。その第一話、殺しの現場を誰かに見られたらその人も殺すという殺し屋の掟というか習性に従って、藤田まこと演じる中村主水が止める間もなく、現場を見た子供に走り寄って刺し殺そうとします。……が、その寸前でその殺手を止めるんですね。実はその子供は盲だったのです。盲じゃなかったら殺していたのでしょうね(笑)ここで一瞬息を呑まれた観客は、ほっと胸をなでおろすわけですが…実に見事な“ひきかえし”と言えると思います。
ここで“やっちまう”考え方もあるとは思います。「必殺シリーズ」というのは凡そ殺し屋の物語なので、目撃者は容赦なく、誰であろうと殺すという…たとえそれが子供であっても殺すという…「悪人を殺していても、殺し屋は殺し屋」というテーマを視聴者に直截にぶつけるのも確かに興味深いと思います。また、そういうシビアな話がたまらなく好きだ!という人もいるでしょう。
しかし、こういったギリギリの演出は、市松が殺しに動いて観客をはっとさせた時点でテーマの目的は達成として、次にエンターテイメントとして成り立たせるための知恵を絞っているんですよね。テーマへの切り込みとエンターテイメントの両立を図った素晴らしい演出と言えると思います。

“やっちまう”と“ひきかえす”の関係はそんな感じです。先週、胸を貫かれてたと思っていたのに、今週観たらかすり傷だったりして「え?そうだったけ?」と思うことです(笑)
ここらへん、全然アクセルと緩めず、“ひきかえさない”と「デビルマン」とかね。「イデオン」とかね。「エヴァンゲリオン」とかみたくなります(笑)テーマの表現のために止むに止まれず“やっちまった”場合、多くは玉砕的な終局を迎えていますね。

そこらへん踏まえると(?)大体次のような会話になります。
A「『アイアン・ジャイアント』(以下IG)のラスト、とう思った?」
B「どうって?」
A「ラスト、IG出して“ひきかえしてる”じゃん」
B「いいんじゃないの?“かえしても”」

よしよし、よくわからない会話になっているぞ。(←え?)“やっちまった”事に対して“そのまま行く”か“ひきかえす”かは、作者も悩みどころだし、観客も注目しどころでしょう。ええええ!?こんんな展開やっちゃっていいの?という出来事。そうしょっちゅう観てても何なのですが、まあ、半年に一回くらいはその刺激を受けたいかな?(笑)

2009/03/22 一部改訂

戻る
HOME