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おたく語会話(3)…“速度論”2

# おたく語会話(3)…“速度論”2 投稿者:LD [2002/05/03_22:29]
“速度”というのは要するに連載の一回分でどこまで展開しているか?という視点です。展開…含めて情報量といってもいいです。並行する物語や、それがメインストーリーでない場合は、どれだけ“間”のコマにその情報を詰め込んでいるか?とか、そんな話に発展して行きます。
何故、1回分にそれだけの情報を詰め込まなくってはいけないのかというと…とりあえず、作り手はその一回でどれだけ観客を楽しませる事ができるかを意識して欲しいからです。長い物語の断片化が進めば進むほど、観客は一回分から物語の前後を追跡できなくなり、取っ付きが悪くなる。
情報を沢山入れて、長い物語の前後を想像させるか、それともその回だけで(バックにメインストーリーがあるとしても)完結した面白さを用意するかして欲しい。
「分かる奴だけ分かればいい。ついてこれる奴だけついてこればいい」
と、本気で言い切ってしまうのは…まあ、やっぱりよろしくない姿勢と言えると思います(笑)

ここで、ちょっと相反する話をします。ある状況によって情報量は極端に少ないにもかかわらず、“速度”は充分という場合があります。ストーリー上、重要な転機になる場面、クライマックスの場面などがそれです。いわゆる衝撃の事実とか、テーマの焦点(まあ、そんな大げさな事じゃなくって“勝利の瞬間”とかね)は、他の情報を排しても、というか排することによってそれが“重要な情報”である事が印象づけられます。
…で、ここからが問題なんですけど、その作品の一回の情報量が少ない事について「実はこの作品は、全編、全ページ、クライマックスです!」とか言い張っても、重要な情報とそうでもない情報の“取捨”がされていないページは、結局“速度”が落ちています。ここらへんちょっと難しいですが、つまりある一点の盛り上がりを以ってクライマックスとなるという事です。
全てクライマックスというのはつまり“平坦”という事ですし、「これは強調したいことだから他の情報を排しているんだ!」といっても、一コマに一情報、その次のコマも一情報、そのまた次のコマも一情報、というのは、強調でもなんでもなくって、情報の足らないページなだけです。作品の“密度”の足らないだけです。
大きな物語の、大きなクライマックスを描ききった、作家さんはよく次からの“速度”が遅くなったりします。経験ないでしょうか?「あれ、第一部は5巻で終わってるけど、第二部は同じボリュームのストーリーなのに何故か倍の巻数かかってる?」とか(笑)やっぱり、クライマックスでテンション上がっているとは言え、大ゴマで情報少なくってよいのは“楽な事”だったんだと思います(笑)それでどうしても通常のストーリー展開時も、クライマックス時に近いコマ運びをしてしまう。そしてそれは“全編クライマックスのような平坦さ”の中から“クライマック”を見出すために、さらにおおきなコマの多様、さらに少ない情報の羅列が続き、“速度”は下降し続け、物語は希薄に希薄になって行きます。
…確信犯でもあるのでしょうけどね。「ごめん!今回何も思いつかなかった!勘弁して!」という一回が目立たせない効果があったり(笑)でもそれは、反面、何か思いついたとしていても目立たない一回となってしまう事なんですけどね(笑)
確信度が低いと、次の作品を始めるときも、この感覚をひきづったままスタートダッシュに怠りのある始め方をして、あるいは失敗して行く「それこそ壮大な物語を構想していたのに…」という感じに。生き残っても、情報不足の物語でもついてくる人だけ、という投げかけに(結果として)なっているからどんどん次第にシェアが縮小して行く。

さらにテンションの問題があります。“速度”が足らず物語が遅々として進まないというのは、当然それに相応した長い期間、物語に従事することになるのですが、その間、果たして上げたテンションを保ち続けられるか、という問題です。
僕は、いいクライマックスというのは、瞬発力の賜物だと思っています。まあ他に緻密な設計による観客の誘導という場合もあるでしょうが、週刊連載にそのヒマなし!としましょう(笑)今回の話は“それ”をやりきってしまう作品には全く無縁な話なので(笑)

で、普段からコマを大きく取り、情報少なく、全編重要です!全編クライマックスです!とやっていたらテンションの上げようもないと思うのですが、仮にテンションが上がったとしても、超長期間、そのテンションを維持し続ける必要があります。“速度”が遅いので、いつまで経っても、ちぃ〜〜〜っともクライマックスが終わらないからです(笑)個人差もあるでしょうが、たとえるなら100メートル走の調子でフルマラソンを走りきる感覚に近くなって行きます。
ど〜やっても息切れするし、息切れしたら、今組んでる話に“迷い”が生じるし、“迷い”が生じれば“波”がページに現れる。“波”になったらクライマックスとは違うものになってくる。クライマックスというのは本来一直線なものなので。
ペンに墨をつけて迷いなく、素早く横に引けば、キレイな直線が引ける(正確な水平でなくってもキレイな直線が引ける)。逆に上手く引けるか引けないかを気にしてふるふるとペンを下ろせば、直線にはならないだろうし、ジワジワ墨も染みてくる。そういうものだと思う。

“速度”という考え方を何でこう、しつこく話すのか。たとえば僕はこれまで情報が足らない、情報が足らないといった言い方をしてきましたけど「一コマに一情報しか入っていない。片方は三つも情報が入っている。でも、それなから三コマ書いて埋め合わせすればいいじゃん(あ、この場合のコマの大きさ、つまりページに占める割合は一定ね)」という考え方があるんじゃないかという話があると思う。
100ページで一つの物語を描いた。それを500ページで同じ物語を描いても結果は同じじゃないか、と。
でも、僕はそうは思わない。ただ、ある一定の期間たとえば1ヶ月の間に描かれた、100ページの物語と同じ内容の500ページの物語は(“速度論”においては)それ程の違いはないかもしれない。人間は寝て起きて食う、ある一定のサイクルで生きているし、個人差はあれ、精神を集中させる時間は限られていて、個人差はあれ、限られた時間の中で生きている。その中では“速度”の影響は必ずでると思っている。“面白い”話というのは一気に描きあげずにはいられないテンションを持つものだし、観客にもそれは伝わると思う。

もうハッキリ言ってしまおう。
  • 展開らしい展開を思いつかず、いつまでも答えを先延ばしにしているんのはテンションが上がっていない証拠だ。
  • 情報らしい情報を思いつかず、空虚なコマを多用するのはその世界とキャラクターに何のイメージも持っていない証拠だ。
  • 情報の取捨もせず、必要のない物語を垂れ流してメインストーリーに貢献しないのは結局何も伝えたい事がない証拠だ。

    それらを総じて“速度”という批評の仕方をしています。当然“速度”の感じ方には個人差があって、僕が「遅い」と感じる事でも、他の人は「これで充分」と感じるかもしれない。…というか僕は「早く!早く!」言い過ぎ(笑)でも、これは別におたくを騙せるか騙せないかの話ではなく作品の個々の魅力の問題です。どこかで妥協しなければならないとしても“楽”を優先して“速度”を落とせば、その分、作品の魅力も落ちる。僕はそう思っています。

    あああ、何かず〜〜っと抽象的な羅列に終始してしまった(汗)大体言いたい事書いたのでここらで止めます。いや、実はちょっと言い残しが…う、あ、ま、いいや!おしまい!(笑)

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