#91 ルシオラという「くの一裏切り」 投稿者:LD <2005/08/19 05:40>
|
<<<親記事] |
ルシオラという「くの一裏切り」 > せめて今のうちがんばって、このシリーズ内だけでも横島とは > 精一杯幸せになってね」とは思うのですが、それが物語構造を > 「本当に」壊す危険性は、全然感じませんでした。 そこらへんはボルテージの違いでしょうね(笑)僕はこの娘、どーにも好きですし(笑) ただ僕も正直なところでは29巻続けた物語の主人公破壊をするとは到底思えなかったわけですが、ではどうやってこの話を収め切るのか?収めきれない場合はあるいは…?という半ば妄想が暴走的な期待感は持って連載を受け止めていました(笑) それは椎名先生の作家性…あるいは「GS美神」の物語構造で、いい人(娘)の“人死に”を出していないという事が大きかったと思います。これがたとえば「ベルセルク」のような作品だったら、ルシオラのような娘が出たとしても「…まあ、死ぬべきときに死ぬんだろうねえ」という感じだったと思います。(というより「モズグス様〜!!!大好きだ〜!!見事に散ってくれ〜〜!!」と、全く違う応援の仕方をしていました)作品として“人死に”がある事が前提ならば、退場すべき時に退場しないで醜態を晒した名キャラクターってのも決して少なくはないですしね。 ただ多分「GS美神」の中で“完全退場”しているのはルシオラだけなんですよ。 椎名先生はこの作品で以前に出したキャラクターはその後の話の中にも頻繁に出していて、サブレギュラーレベルになったり、そうではなくても思い出したように背景の中に描いたり、そういう再登場の機会を与えられていたと思います。(かつての読み切り時代のキャラクターたちも頻繁に出していましたっけ)もともとギャグマンガという世界設定でもあり、いい人(娘)は殺さない。機会があればまた出す。…そういう意味では悪役として描き、退場させた者たちも決して“完全退場”というワケではなく、機会を得れば回想などでまた楽しそうに再登場させるという作品世界なんですね。 しかし、ルシオラだけは再登場させれないワケです。出せば横島くんの立ち位置が不安定になり「GS美神」の世界が壊れるから。 ルシオラ編は形式上は「ルシオラは死んでいない」という結末が与えられました。あそこに滑り込んだのは、当に椎名先生と「GS美神」という作品の信条があったからだと思います。そうでなければルシオラはさっさと退場しています。淡白に「キャラは死ぬべきときに死ね!」という作家さんなら「んんんんん?みんな(読者)盛り上がってるか〜い?それじゃそろそろ、この抹殺ボタンを押しちゃおうかな〜?押しちゃうよ〜?あっそれポチッとな?」ってな感じに抹殺されていたでしょう(笑)しかし、そうであれば逆に回想シーンなどで出せていたかもしれません。 そういう意味において「死んでいない」という事にはなっていても、ルシオラは「GS美神」の世界において禁忌というか回想シーンに出す事も憚られる“完全退場者”となったワケです。これがファイナルエピソードなら完全退場者もありだったでしょう。しかし「GS美神」はその後も続けたワケで、あるいは先の展開でもうちょっと詰めてもよいハズだった美神VSおキヌという構図にすっかりブレーキがかかってしまったかもしれません。 余談ですが、これが当初の予定通りパピリオを「くの一裏切り」に添えていれば三姉妹は一人の退場者も出なかったんじゃないかと思います。…勝手にパピリオ予定だったと決め付けていますが(笑)三姉妹初登場時に“悪役じゃないペンタッチ”で描かれているのはパピリオだけですし(笑)作品構造的にも納まりがいいんですよね。勿論、その展開でこれだけ盛り上がったかどうかはわかりませんが…。 (※ さらに余談。ちょっと書き損なっていた事なんですが、ルシオラ編で横島くんがペットにされ洗濯をしている最中に「ふろーむらっしゃー、ういずらーぶ♪」と歌っていますが、あれは「007ロシアより愛を込めて」のテーマ曲ですね。件の映画は「くの一裏切り」の代表的プロットの作品です。つまり椎名先生はここで「これから“くの一裏切り”をやります!」と宣言している事になります。は〜、やっと書けた) そんなワケでルシオラは最後は納まるところに納まっており、今回よく引き合いに出している“雨宮”のように「自分の運命(キャラ配置)を自分の力で変えてしまった?!」というキャラにはなり得なかったわけですが、では「GS美神」の予定調和に完全に与し、その世界構造を何ら傷つけるものではなかったかというと……一矢報いてるかな?と(笑)個人的にはそう思いますね。 (※ さて「いちご」のレスは「西野は何故勝利したか?」に移送しますね) |
[この記事にコメントを打つ>>>
|