#99 Re:極楽のハイエナ |
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どうも、こんばんはです。では改めて。 >「私たちの一生は短いわ。恋をしたら――ためらったりしない・・・!!」 この辺りの分析は、理屈ではよくわかるんですよねー。ただ感情がついていかない、というだけで。結局、私の場合は単行本で後追いだった、という事情が大きく作用している可能性が高いです。リアルタイムで読んでたら、あるいは私もルシオラに強く感情を揺さぶられていたかもしれません。 今ルシオラ編を最初から読み返してみたんですけど、何かに憑かれたかのように「アシュタロスは、俺が倒す」宣言まで踏み込んでしまう横島を見ると、確かにこの回はかなり暴走気味ですね。「あれあれ、こんな所まで踏み込んでしまうなんて、このあと大丈夫なんだろうか」というような気分を催させます。 > ポイントとしては横島くんとルシオラが平穏な生活を >送る事になった「甘い生活!!」においての、おキヌ >ちゃんのリアクションですね。「私、まだ子供なのかも…」 >と撤退してしまった。…当然なんですけどね。あそこで、 >おキヌちゃんが自分を主張する事はあり得ない…でしょ >う。ほんとうに収拾がつかなくなる(笑) どちらかと言うと、「普段と違う」感が強かったのはこの周辺でした。それも、おキヌちゃんのそのセリフよりかは、横島が学校でも半ば公認のカップルになってしまい、周囲にもそのように扱われる、という部分が印象深いです。この作品中で横島がそういう扱いを受ける日が来ようとは夢にも思わなかったので(笑)。 > しかし「GS美神」のラブコメ構造というか三角関係は >あそこが“天王山”でした。ここで格付けが決まって >しまった。ルシオラ編の終了後も結局おキヌちゃんは、 >ここで決まった位置から遂に動く事はなかったと思います。 この辺りは、ちょっと違った見方をしています。おキヌちゃん→横島の感情の矢印が、物語の推進力として機能不全を起こしていたのは、(ルシオラ編の影響も多少はあったかもしれませんが)もっと以前からのことだったからです。 当初美神に鼻にもひっかけてもらえなかった横島は、長期連載に伴う構造シフトでいつしか美神にとって掛け替えのない存在になっていきました。それは「高嶺の花に振り向いてもらえる役どころ」を、自分の分身にして弟分である横島に味わわせてやりたい、という椎名先生の意向を反映したもの………かどうかははっきりしませんが、ともかくこれが作者の「本命ライン」だったわけです。 で、それを守るため、おキヌちゃんは生き返った後も、かなり不自然な形で「自分の恋心」を封印させられることになりました。幽霊だった頃はまだいいんですよ。「自分が、横島のことを異性として好きである」ことが自分でもよくわかっていない、というギャップは微笑ましいし、逆にそこを真剣に追求すると、「幽霊と生きた人間」という決して埋められないギャップがものすごい悲劇性をもたらすことになるから、むしろその辺りはサラリと躱しておかないと構造的にもたない。 だけど、生き返っちゃったら………もうおキヌちゃんだって自分の恋心をはっきり自覚してるし、もっと横島にストレートに好意を伝える行動を取るのが自然なんですが、やっぱりそれはある程度以上は発動しないんですよね。それは以前に「身体のあるおキヌちゃん」の存在をシミュレートするために小鳩を投入してみて、その余りの破壊力から封印せざるを得なかったときからわかっていたことで、おキヌが素直に行動していたら、意地っ張りで行動を起こそうとしない美神はちょっと太刀うちできない部分がある。だから作者は、生き返ったおキヌは横島に対する感情をある水準以上にはしない「ことにした」、ように私には見えます。 で、その部分については、ルシオラ編の前と後で、そう大きな変化があったような感じはしないんですよね。ここは >その後のおキヌちゃんは、どちらかといえば >“横島離れ”が進んでしまった状態に思えます。 というLDさんの見解と対立する部分です。 > …たとえば誰のセリフでもいいんですけど、横島くんに >対して「美神さんとおキヌちゃんのどっちが好きなの?」 >とかね。 ルシオラ編以前だと、横島の母が問いかけてはいますね。そして、以降では > …そうなんだけど、そのルーチンが取れない。ここに >楔を打たれてしまったのがルシオラの“一矢”だったか >なと(笑) というのは、確かにルシオラの存在が効いていたのかもしれません。あと、ルイさんの >つまり、ルシオラが作品にとって危険ではないなら >それこそ生かしておいて、ちょくちょく「ヨコシ >マー!」とか言ってやってくる美神事務所ラブコメ >リリーフ、程度に収まる事もできたかもしれないし >もっと言えば、あんな作家としての技量を使って >までルシオラと横島2人同時に、幸せでありながら >関係性を綺麗にリセットする手腕なんて発揮する >必要・価値はないんです。 という読みは非常に興味深く、腑に落ちるものがありました。たーしかに。 話は逸れますが、ルシオラ編で「ちょっとそれはどうなの?」と思ってしまったのは、「タイムリミット設定」をなくしてしまったことなんですよね。そうでないと残ったベスパ・パピリオ(そして、将来転生してくるルシオラも、か?)が気の毒すぎる、という事情があったにせよ、「パワーと引き換えにした分、寿命は短く作った」という部分が3人娘の設定の肝だったはずで、タイムリミットが(ペナルティーなしで)外せるなら、その原点がご破算になってしまう。だってアシュタロス(と土偶羅魔具羅)は最初から寿命なんてなしで手下を作ればよかったわけだし、3人娘だってアシュタロスの意向なんてそっちのけでその可能性を追求する行動を取るのが自然ということになってしまう。それじゃあアシュタロスは最初から3人娘に造反しろと言ってるようなものです(「十戒」があるにはありますが)。 「ドクター・カオスの協力により」なんて一言でさらっと流されてるんですけど、これは実はそんなに見逃していい話じゃないはずで。ルシオラ編には他にも数々の「失策」が見受けられますが、実はここが一番重要なポイントなんじゃないかと思ってます。初読の頃は、ルシオラ編終了までに何らかのフォローが行われるかと思っていたので、とりあえず棚に上げておいたのですが…。 > しかし、長いシリーズの中で一回くらい美神VSおキヌ >を最大激突か、あるいはおキヌちゃんと横島くんを最大 >接近させて欲しかったなあという気もするんです。これは >これでマジに。 ここは、「おキヌ者」としてはむしろ逆の願望を抱いていて、おキヌちゃんが横島にはっきりと振られるシーンを描いて欲しかったです。決して実ることがない恋心を、そうと自覚さえさせてもらえずに、ずっと抱き続けなければならない、というのはものすごい残酷なことですから。美神が本質的にすごく脆い点を抱えていて、横島を失ったら決して立ち直れないことがはっきりしているキャラであるのに対し、おキヌの方はそれで一度は深く傷ついたとしても、また必ず立ち直れる陽性のキャラです。そして、作中ではおキヌちゃんの新たな恋の姿を描いてくれれば、それはこの上なく魅力的なシーンだったはずだ、という点は残念でなりません。 とは言っても、デジャブーランドで横島にすがりつくおキヌの姿を見たりするのは、それはそれで嬉しかったりはしたのですが(笑)。 |
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