#125 10巻と「ピリオド」 |
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ようやく単行本で完結を読めましたので、再びコメントをば。 「今週の一番」の当該回はLDさんのしょっぱなの一言で即、ネタバレ回避のためずっと封印してましたので、今回初めて読むこととなりましたが、皆さんのおっしゃることはよくわかります。私は和月先生を大の贔屓にしているので、それでも「好きだ」とは言えますが、弁護しようとは思いません。 失敗の原因は、一にも二にも「パピヨンを大事にしすぎた」ことにあると思いますが、ただこのマンガがパピヨンの扱いをしくじっていたのは、もっとずっと以前から始まっていたことで、結局その時点で迷走は運命づけられていたのでしょう。「ファイナル」では描く内容を取捨選択した結果、パピヨンの扱いも小さくなり、それが熱さと勢いに繋がって(例外的に)成功したので、その調子を継続して欲しかったのですが…。 ここから、「ピリオド」の話からは逸れます。 パピヨンは作者のお気に入りである旨、これまでの単行本ライナーノートからは繰り返し伝わってくるのですが、これは「キャラとして好き」というよりも、パピヨンが精神の拠り所になっていた、ということなんじゃないかと思っています。つまり、アンケートやら何やらで思い通りに描けない鬱屈した気持ちを、パピヨンというキャラを通じて僅かながらも発散することで、精神のバランスを保つことができていた、と。そこを和月先生は「俺はパピヨンに『思い入れ』を抱いている」と錯覚してしまったように、私には思えます。実際の所、このキャラにそれほどの魅力があるとは、私には思えず、再登場後のパピヨンにはどことなく作者の悲痛な心の叫びが漂っているような印象がします。 本来パピヨンというのは、連載開始時点のエピソード群を引っ張る、少年マンガ的に適度に分かり易い「狡猾でそこそこ強力な敵役」以上のポジションは必要なくて、「主人公の終生のライバル」役を張れるほどの格は備わっていませんでした。何かの間違いで再登場した後、上述したようなシフトが見られるのですが、その辺りからは「どうも和月先生相当アンケートを気にしていろいろ模索しているらしい」という感覚を非常に強く感じていました。たぶんこの作家はあともう少しだけ「読者のストレートな声」を気に掛けず(んなもんほとんど大した考えもなしに思い付きを好き勝手言ってるだけなんだからさ!)、自分のやりたいようにやる(いい意味での)図々しさがあった方がその才に合っていると思うのですが…担当もあまり直接アンケートを意識させず、作家を「守る」ことに注力して欲しかった、と残念に思います。 ………それにしても同時収録の読み切り、「血液噴射が武器になっている」ことがわかりにくい!異様にわかりにくいよ和月先生!!(笑)(たぶん、ライナーノートに書いてなかったら自分では気づかなかった…手やら腹やらからエネルギー衝撃波(←大間違いを出してるのかと思ってしまいました) |
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