#234 「天元突破!雨宮ゆり子!」その5に寄せて |
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3年も昔のエントリですが、「天元突破!雨宮ゆり子!」その5 http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya5.html に触発されて、再び取り上げて参ります。 [1] 西野は本当に北島マヤか? LD さんは上掲記事にて「彼女(西野)は序列一位と渡り合う力をもって彼女に挑み」という表現を用いられていますが、果たして、これは本当だろうか?という所から論を起こすことにします。 ………再登場以後の西野さんって、「ただのロボット」じゃないですかね?第3者のことをほとんど目に入れず、真中のことだけを一途に想うようなプログラムをインプットされただけの、視野の狭いロボット。 西野というキャラの一番わからない所は、「何でそんなに真中のことが好きなのか?」という所なんですね。真中から告白を受け、それにOKを出して付き合い始めた正式の彼女のはずなのに、実は真中の心は別の子に向かっている…ということを思い知らされた上、それを真中がはっきり口にも出さずなあなあの付き合いを続けている、という《余りにもひどい扱い》に失望・嫌気が差して、忍耐の限度を超えたため《自分から》関係を解消した…というのが最初の別れでした。 にもかかわらず、再登場した西野は、それほど深い事情もないまま、「たとえ東城がいようとも、それでも真中にぞっこん中のぞっこん、尽くして尽くして尽くし抜く」というよくわからないキャラになってしまってるんですよね。え?キミ東城がいるから嫌になって《自分から》真中を振ったんだよね?その事情が変わったわけでもないのに、何でそんなに真中が好きなん?そんなに好きになるほどの男を、何だって《自分から》振ったりしたわけ?しかもキミ、真中以外に言い寄ってくる男がいくらでもいて、その中から自分の好みに合う相手がよりどりみどりだったよね?何で「そんなにも」真中がいいの?何で真中「だけ」しかダメなの?そんな理由、どこにもないじゃない。 ………いや、世の中「好きになるのに理由なんかいらない」という話は掃いて捨てるほどありますよ。「理屈抜きで、とにかく心の底から好きだー!」という話そのものにはケチをつけようなんてこれっぽっちも思っていやしませんが、でも西野さん、あなたの場合って違うよね?あんな《余りにもひどい扱い》を受けたあとにそういう「好きさ」が芽生えるなんてありえないし、初めからそういう「好きさ」を持っていたんなら、《自分から》振るなんてことをするはずもなく。 再登場以降の西野って「手に入らないおもちゃを欲しがる子供」みたいなもんで、「なぜ、『あんなにも』ひどい目にあった相手を、『わざわざ好き好んで』追っかけるのか?」が全然わかりません。 で、これって「北大路がなぜそんなにも真中が好きな状態がいつまでも続いているのか」にまったく理由がないのとおんなじ事情で、単に「理由は全然ないけど、とにかく話を引き延ばす都合上、『好き』ということでいてくれないと困る」というだけの話でしかないんですよね。なので、いっくら西野エピソードが繰り返されようと、読者としては白けるばかりで、全然演出として「積み」になっていない。 以下に「今週の一番」2005年11月第4週分 http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10224.html#377 から、「DEATH NOTE」第2部の高田についての評を引用しますが、これって最初の別れの「後」の西野にもそのまま当てはまる評になっています(特に終盤の西野に)。 | 展開のために必要な機能以外は持っていないポンコツアンドロイドというか…。 | キャラクターが備わる以前というか、展開のために必要な機能しか与えていな | い状態で舞台に上げてしまった感じがするんです。操り糸や、球体間接[ママ] | が見えそうっていうか…。 | 極端に言っちゃうと、この高田さんは人間じゃないですねwゲームの中のキャ | ラみたいな。 | ラスト頬染めてるんですよね高田さん。先週もそうだったかな?『頬染めて欲 | しい展開に頬染めさせてるだけ』です。高田さんの意思なんてないし見えない。 | いや、だからライトがなんか艶っぽい事しゃべると、ボタン押したかのように | 頬染めるって状態だから、キャラクターが備わる以前って言ってるの。 西野さんの意思なんてないし見えない。真中の前に出ると、ボタン押したかのように頬を染め、お色気大サービスでばっちり接待。端的に言って再登場以降の西野は「展開の奴隷」であって、キャラとしては「死んでおる」のです。ただの一度もキャラとして「生きた」ことがない。そんなキャラが、LDさんの言うように、「渡り合う力」を持っていたと評するに足りるか?足りないと思いますね、私は。まったく足りない。 「漫研」内からの引用を続けます。http://www.websphinx.net/manken/note/post.cgi?hdl=1&wher=../note/anim.html&lbgn=260 より、ルイさんの「ゼロの使い魔」に対する評です。 | とにかく、「甘え」がありすぎる。甘えというのはキャラ造形に関してで、行 | 動を演出として積み、感情に昇華させる・・といったプロセスが全然見えない | 作品でした。キャラ設定での「性格」数行文章に全て頼ったようなもの。特に | 壊滅的なのが「○○が、××という行動をとる」という基本部分で、キャラ描 | 写が全然為されていないので大体の行動に「・・?なんで?」などと疑問符が | 浮かんでしまう。「このキャラならこうする」という定型すら足りていないの | で、それに沿わない行動を敢えてとる、という時の演出力も生まれようがない | んですね。全てが脚本に沿うまま動くだけ。行為でキャラを立たせられていな | いから、感情もついてこれないのに、何故か勝手に恋愛度だけ上がっていく〜 | みたいな 西野に当てはまらないのは“「このキャラならこうする」という定型すら足りていない”の部分くらいで、残りはこれまた再登場後の西野にピッタリの評になってしまっている所が面白いです(笑)。特に「全てが脚本に沿うまま動くだけ」という部分は、再登場以降の西野のキャラとしての貧しさの急所を一言で言い当てている表現ですね。 では、雨宮はどうか? http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya3.html より: | 雨宮が稔二の事を好きになったのは子供の頃苛められていたのを助け | てもらったからだ。彼女はず〜っとその想いを忘れず抱き続けていた。 | …よっぽど嬉しかったのだろう。 | そして戦乙女のように攻撃的な鎧を身にまとってはいるが、心の中身 | は昔の頃と変わらない、内気に、ずっと稔二の事を想い続け、時々乙 | 女チックな空想を楽しみ、そしてやっぱりすぐに泣いてしまったりす | る女の子である事が稔二の前では、次第に明らかになって行く。ここ | らへんの内面描写が稔二と同量か、ともすればその上を行き、ライバ | ルであるななかや七華を凌駕してしまっているのが、そのまま雨宮ゆ | り子のキャラクターの「強さ」に直結している。 という具合ですね。 そういう「強さ」が西野にあるか?否! 雨宮と違って、西野にとっての真中は「ずっとずっと想い続けていた、どんなにしてでも手に入れたいオンリーワン」ではないんですね。もともと、《そんなにも》好きになる理由なんて持ってなかったし、想いは一度途切れた。だからこそ《自分から》振る、という行為につながったのです。 雨宮さんは、第1部の終わりで留学によって一旦退場するのですが、その際も稔二に未練たらたら、それでも辛い胸の裡を隠して無理やり笑顔を作って去って行きます。 西野はそうだったか?否! 最初の別れの時の西野は、「最後まで追い縋ったんだけど、無理やり手を振り払われて終わり」にはなっていません。「待ってるだけの恋してるなんてもったいなくない?」「今度こそサヨナラ」と西野は真中に吹っ切れて、晴れやかにサッパリと真中を振るという非常に綺麗な別れになっていますね。もうクヨクヨしないで前向きに生きていく、という決意がはっきりとしています。バレンタインデーの後真中と再会したときも、ホワイトデーのお返しのリクエストを尋ねる真中に「あたしがあげたってことも気付かなかったら気付かないままでいいやって思ってた」と、真中との経験を糧にして、一回り大きくなった姿として描かれており、もう真中のことは吹っ切れている、別に真中への想いが再燃したわけではない、という態度でした。ここでもう、恋愛感情は、(仮にかつてあったとしても)一旦途切れているのですね。もちろん、理屈から言えばそれが当然の話で、当時は西野を真中争奪戦に復帰させるべきか否か、作者が反響を慎重にテストしていた様子が伺えます。西野の再参戦は、作者の本意ではなかったものと思われます。 そういう、「真中のことを好きになる理由が空っぽ」という西野さんの内実が如実に顕れている所として、終盤「真中に対する興味が異様に薄い」という部分があります。 真中に対する西野の一連の態度は、 ・ 留学が近づく不安な気持ちひとつ伝えない ・ 留学の予定が変わっていないことも伝えない ・ 家族旅行の予定すら伝えない ・ 留学の日取りすら伝えない ・ 受験終了後の待ち合わせすら誘わない ・ 留学までの間・留学後、2人の関係をどうしたいのか、話し合おうともしない となっています。これ、ちっとも真中との仲を深めようという意志が感じられませんね?一体、真中とくっついてどうしたかったのでしょう? そのくせ、学園祭のときは真中のほんのちょっとした仕草に敏感に反応するのですから、「真中が欲しかった」というのは、「真中の心に東城がちょっとでもいることは許せない」というだけのことでしかないんでしょうかね?終盤の西野は、まるで「東城さえいなければ、自分の方を向いているかどうかはどうでもいい」とでも思っているかのような、独占欲が強いんだか希薄なんだかよくわからない不可解極まりない態度です。何がしたくて付き合ったのか(付き合いを申し込んだのか)首を捻らされます。 そして東城との関係には敏感なはずなのに、なぜか「真中が映画の件で壁にぶつかって東城に協力を仰いでいたことも知らない」って所は一転してやけに踏み込みが浅いです。やっぱり「真中についての興味が異様に薄い」んですよね、この人は。 そもそも、あと半年でパリに発つというこのタイミングで、なぜもう一度真中に付き合ってくれと頼んだのか?というのもよくわからんのですね。「留学するから恋人でいられるのは後半年でその後はどうなるか分からないけど、それくらい真中と一緒にいたい」ということなのか、「強い意志を持ってその後も遠距離恋愛をなしとげたい」なのか。しかし蓋を開けると上述の通り西野は無定見そのもので、君らどーするつもりだったの?と思わざるを得ません(ひょっとしたら、連載終了後に出たドラマCDで補足されているのかもしれませんが、それはここでは考えないことにします)。 こういう所、結局、作者の中で、最後まで西野が「東城の対抗馬」以上の存在にならなかった、ということなんだと思うんですね。どうしても血の通った人間として「真中のことが好きな西野」をうまく描けなかったんでしょう。西野は、「真中が好きで好きでたまらない」などいう、嘘で塗り固められた偽りの感情を無理やり持たされていた気の毒なキャラと言えます。 また、第[2]項で詳しく述べますが、学園祭のときに真中が東城に意思表示したのも、真中と東城の縁がきっちり切れたのも、西野の留学のタイムリミット前にお互いの意思が確認できて自然消滅を免れたのも、すべて東城の行動・自滅によって漁夫の利を得ただけで、西野の行動はまるっきり寄与してません。ですから、結局このマンガは「西野と結ばれた」という物語ではなく、「東城と、ではなかった」という物語で終わってしまったのですね。終盤(特に学園祭以降)は、東城が実質的な主人公になっており、西野は最後まで東城におんぶにだっこで、結果として、真中と西野の関係だけでは余りにもお粗末すぎる物語性を穴埋めする尻拭いをしてもらっています。 頭書記事中で参考文献として挙がっている http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0087.html 中で、LD さんが西野を北島マヤになぞらえている所がありますが、もし本当に北島マヤが西野役を担当していたなら、こんなことにはならなかったはずなんですよね。「なぜ真中をそんなにも好きなのか」という理由も見せてくれただろうし、終盤も主体的な行動でストーリーをリードしてくれたでしょう。いや、真に「北島マヤ」であったなら、たとえ「真中をそんなにも好きな理由」などまるで欠けていようと、それでも読者を圧倒する超絶的説得力で、有無を言わさず物語をも自らの下僕としてねじ伏せて勝利を掴んでいたはずです。 が、西野さんはそこまでのキャラではありませんでした。 上述の通り、あちこちボロが出てるんですね。私の返答記事 http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0089.html で言及したように、西野さんはせいぜい姫川亜弓・歌子クラス、場合によってはもっと落ちるキャラでしかないのです。 [2] 西野は本当に螺旋戦士か? 頭書記事にて、LD さんは「いちご」の項を「(西野は)あのラストシーンを手に入れたのだ」で締めくくられています。が、これは本当に「(自分で)手に入れた」のでしょうか………? 適切な表現は「手に入れた」ではなく「恵んでもらった」なのではないでしょうか。 「雨宮」その4 http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya4.html より | だからこのステージは雨宮が自らの力で掴み取ったものなんだ!! その通り。雨宮は、自らの力で掴み取りました。 西野は果たしてそうだったか?否! 前述の通り、 ・ 真中が東城に意思表示できたのは、たまたま東城が告白してきたという機会があったから ・ 真中と東城の縁が切れたのは、たまたま東城が「唇盗人」という卑劣な行いに及んでしまい、尻拭いのために身を引いてくれたから という事情で、西野は一貫して真中に慈悲を乞うだけ(=人任せ)であり、現実から目を逸らし、耳を塞ぎ、手をこまねいていたら、タナボタで指一本動かすことなく問題の方が勝手に都合よく解決してくれただけです。 雨宮は、稔二を手に入れるため、七華と対峙し、糾弾します。 雨宮“…心中なんて/あなたはそれでいいかもしれないけど/凪原君を巻き込まないでよ!!(中略)あなたは/自分の理想を/凪原君に/押しつけてるだけなのよ!!”(「ななか6/17」第11巻) 西野がそれだけの勇気を奮い起こしたか?否! あの雪の日、真中宅前で現れた東城に、西野は尻尾を巻いて逃げることしかできませんでした。 雨宮は、七華のもとに行こうとする稔二を、決死の覚悟で引き止めます。 雨宮“今…行ったら私……死んでやるから”(「ななか6/17」第10巻) 西野がそれだけの覚悟を見せたか?否! その後のカラオケボックスでも、詳しい話を聞きもしないうちから「覚悟はできてたんだ」と、あっさりと真中を手放そうとする始末でした。 学園祭前に編集途中の映画で東城の擬似告白場面を目にしてしまってからこっち、西野は一貫して自分を被害者の立場に置き、「(真中の中の)東城には勝てない」で自己憐憫に浸り、思考停止に陥っていただけ。そんな悲劇のヒロインぶった、被害者意識丸出しの振る舞いなど「自己肯定能力が足りない」だけで、自分に突きつけられた命題から逃げ回って、全部他人に尻拭いしてもらっているだけです。 果たして、こんな西野に、雨宮と同列に並べて「螺旋戦士」の一員として賞賛されるだけの資格があるでしょうか?私はないと思いますね(もっとも、そこは「雨宮後に、序列下位のヒロインが勝利した実例」が載っていることに意味があるので、ここで細かい内実抜きで西野をリストすることそのものには反対しませんが。ここでは私は、「だがいちごの内実はこうであったことは忘れるべきではない」という話を書いています)。 ※なお、そういう観点から言うと、「霧里七華はあなたになんか/負けはしない…!!」とまで言った七華が、終盤で自発的に勝負から降りてしまっているため、雨宮さんがラクをしている、という面もあり、この点雨宮さんも「完全無欠の螺旋戦士」ではなかった、という見方もできますね。この件に限っては、西野一人を責めるのは公平さを欠くかもしれません。 | 父親の再婚を複雑な思いで見送ったななかと稔二はななかのお母さんの | 思い出の場所への二人きりの旅行を知って雨宮は強引にこの旅行について行く。 | ■このシーンはかなり居たたまれない程、雨宮がみっともないシーンである。 | 「めぞん一刻」で一人旅に出かけた響子さんを追った五代くんが偶然のいた | ずら的に同じ宿に居合わせる、とういった場面などがあるが、雨宮にはそう | いった状況のキツさを緩和させるような手引きは基本的に受けられない。 | 何故なら七華よりも序列が下だから! | 恥ずかしかろうが、みっともなかろうが、全部自分でやるしかないのだ。 そう。雨宮は恥ずかしかろうが、みっともなかろうが、全部自分でやりました。 西野は果たしてそうだったか?否!断じて否!! 西野は全部他人に奉仕してもらっただけ。―――恥ずかしく、みっともないことを行い、「全部自分でやっ」て物語に殉じたのは東城です。身勝手この上ない理屈を唱え、彼女は居眠りする真中に口付けします。ありとあらゆるご都合主義の産物に導かれて(たまたま真中家に居合わせた唯が家庭教師のアイディアを出し、東城に依頼する・たまたま直前に東城は天地に強引にキスされそうになり、その時の記憶が脳裏をよぎる・たまたまその日は家に真中一人・たまたま真中は居眠りに陥る・東城が抱きつき、キスしてまでも目が覚めないくらい深い居眠りに、なぜかちょっとお手洗いに席をはずしただけの間に陥る・たまたまそのタイミングで唯がやってくる・たまたま唯に東城は気がつかない)。そして汚れ役を引っ被って西野にとっての「安全圏」に引っ込みました。 こうやって見てくると、LDさん言うところの“力場”が、「いちご」終盤ではまったく逆向きに働いていることがわかります。つまり、「いちご」は「ななか」とは違って、「勝利したヒロインに対しては“力場”による強力な加護が与えられる」という点にかけてはそれ以前の作品と何ら変わりないのですね。 それは、「ついに、“力場”が、『序列下位』のヒロインに対して追い風として働く時代も来たのだ」という歴史的側面もあるので、一概に否定すべきことばかりとは言えないでしょう。が、一方、このときの西野は事実上「序列下位」ではないという見方もできます。そして何より、この事態を肯定することは、かつて“力場”による理不尽な差別を受け空しく散って行った螺旋戦士へ冒涜になり、「雨宮論」の趣旨に反する恐れがないでしょうか。 | この事件はここに至っても、まだ雨宮が「序列二位」のヒロインである事を表わしている。 | はっきり言って「序列一位」のヒロインがこういう場面で主人公の輸血ができないという事はまずあり得ない。 | 第二部に入っても雨宮に対する「序列」の圧力がなくなったわけではないのだ。 雨宮と違って、西野にとって「序列」の圧力の働き方が従来と変わっていたことは、上述の通り特に終盤に顕著ですが、実はもう少し早い段階にもその兆候は見られます。高2の学園祭前、カラオケボックスでガス爆発が起きるハプニングがありますが、そのとき「真中の大切なカメラを取りに、危険を省みずに戻るヒロイン」は西野なのですね。こういうとき、そういう行動に出るのはほとんどの場合「序列一位」のヒロインですし、東城は性格的にもそういう献身的な行動にふさわしいキャラなのですが、なぜかこのときは西野が向かいます。そしてそればかりか、彼らの初デートでは、停止したエレベータに閉じ込められたとき、真中がうろたえるばかりだった一方、西野は落ち着いててきぱきと係員に連絡を取ってたにもかかわらず、今度はなぜか真中の方が的確に行動でき、西野はほとんどそれを見てるだけ、というように、役どころがまったく逆になっています。少しでも西野の目に真中がよく映るように、という意図が透けて見えますが、西野に対しては設定を都合よく改竄してでも有利にしようという妙な効果がもともと働いているのですね。 このように、西野は元々、序列の“力場”を比較的免れている下位ヒロインでした。それは、一方では「西野勝利」の正当性を、早い段階から示唆している項のひとつに数えるべき要素ではあるでしょう。が、上述のような事情と併せて考えると、西野はかつて多くの螺旋戦士を葬ってきた魔手に逆にのうのうと守られるだけのポジションを選択した、螺旋戦士の風上にも置けない変節者ととらえるべきなのではないでしょうか。 [3] まあ、西野を逆恨みすることにかけては日本で一、二を争う(笑)であろう私が好き放題書いてしまいましたので、バランスをとるため、こうやって「西野贔屓」を以て任じられる GiGi さんの記事にぶら下げておくことにします。GiGi さんは「東城に魅力が乏しい」と仰るわけですが、「魅力」ということにかけては、私にとっては西野こそがまったく謎のキャラなので…。容姿以外の魅力というのがこれっぽっちも感じられなかった(特に再登場以降には)キャラなので、GiGi さんの方から「西野のどんな所が魅力的なキャラなのか」を説明して頂ければ多少はバランスがとれるかな、と(笑)………と言っても、コードギアスに全力投球中の GiGi さんにはご迷惑な話かもしれませんけど。 |
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