娯楽のハイエナ

議論用のツリー式掲示板です!
日頃疑問に思うこと不満に思うことの
書き込みにお使いください。



表紙 ツリー作成
#237 Re:西野は本当に螺旋戦士か?
投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2008/06/26 02:52>
<<<親記事]
※ 推敲が不十分なせいで、同じような内容が何度も繰り返されるくどい文章になってます。すみませんがお読みになる方はそれをお含みおきください。

> 展開について「評価」はそれほど違わないと想います。ただ「感想」が
> 違うんでしょうね。

そのお言葉に対する返答になっているかどうかわかりませんが、初めに概括を述べておくと、私は別に「西野をリストから外すべきだ」という主張をしているわけではないんですね。そうではなく、やっぱり「雨宮その5」での表現が「ふさわしくない」、と感じたことが先の記事を書いた理由です。

西野を例示した後で
> 然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与えてあげる。

> そこに「物語の崩壊」はない。

> それはやはり「雨宮ゆり子」が証明したのだ…。
と美しくまとめてしまうと、何だか「いちご」も「ななか」に並び立つほどの綺麗な内実を備えていたかのようなイメージが感じられますが、「それは違うだろう!」と。「然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与え」たという内実は、いちごにはこれっぽっちもなかった、少なくともそれが甚だしく不足していたことは間違いないと思います。その欺瞞をまるっきり放置したまま、こうやって綺麗に締めくくってしまっていいのか?という疑問が出発点です。(ちなみに、しばらく前にチャットで話題になった「いちごの終盤は崩壊していたか否か」について言えば、ここでの「然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与えてあげる」ことを「物語の崩壊はない」ことの定義とする用法に従えば、私はやはり「崩壊していた」という表現こそがふさわしい、と断言する立場です。あの理不尽きわまりない終盤を「崩壊」と言わずして、他にいったい何を「崩壊」と呼べばいいとゆーのでしょーか(笑))

私は「メモル」は見てないんで、「グレース事件」がどれくらい強烈な疑問を覚えるものだったかについての判断材料は持っていないのですが、LD さんはだいぶ逡巡しながらもグレースを「下位ヒロインの突破例」のひとつに数える立場を取っておられますから、西野も「リストの一員」として挙げることは言わば当然であって、それに反対しているわけじゃあないんですね。ただ、LD さんは、「その4」までで、グレースを除けば「螺旋戦士」を基本的に「祝福すべき者」として大いに顕彰されてますよね?その上で「グレースだけが例外扱いで、例外であることは疑問点を多々連ねることで読者に明示される」という流れを踏まえて「その5」の西野の記述を見ると、何のひっかっかりもない書き方なので、「西野もまた、雨宮や杉村、ルシオラと並び立つ、祝福すべき螺旋戦士の一員なのだ」と言っているかのような印象を受けてしまいます。これは私の感じ方が特殊なせいだ、ということはないと思います。

んで、それについての
> そして戻ってきた西野さんは、僕は西野さん自身が力をつけたようには
> 僕は書いていません。あくまで、もう一度彼女を参戦させるための
> 「ご都合主義(運命)」の加護を受けて、彼女は捲土重来を果たすんですね。
> 後から見れば、それがこの物語の趨勢を決めたという事になります。僕が書
> いた西野さんの得た「渡り合う力」ってのは正にこの「ご都合主義(運命)」
> の事です。
という LD さんの見解は、実はわかっていて書きました。と言うのは、実際「雨宮その5」で LD さんがどう書かれていたかというと、
> しかし、その不遇をはね除けて再び登場した時、
> 彼女は序列一位(東城綾)と渡り合う力をもって彼女に挑み、
> そしてあのラストシーンを手に入れたのだ。
で、これは普通に読んだら「西野が自前の力で渡り合い、手に入れた」というイメージを自然に抱きませんか?これは私の被害妄想気味の僻み(笑)が働いていることを考慮に入れてもなお、
> これは井汲さんの「西野は何かをしたワケではない!ただタナボタの
> 勝ちを拾っただけだ!」という主張とそのまま一致すると思います。
という LD さんの本意は覆い隠されてしまっている表現だと思うのです。

もちろん、「そういう誤読を回避するためにも参考文献へのリンクもつけてあるのだ」という LD さんのお考えもよくわかっています。つまりここで私が言ってることは、チャットでも述べた通り、非常にみみっちいことなわけですよ(笑)。

………いや、実を言うと、LD さんが雨宮論を書き始めた当初から、「最後はこういうことになるのではないか」という危惧はあったので、その時は「西野を無造作に祝福する見方への対抗見解」としてああいう記事を公にせねばなるまい、と密かに覚悟を決めてはいたのですが(笑)。

「雨宮その5」をそのまま放置しておくと、結果的にそういうありもしない空気が漂ってしまうと感じたわけです。実際、チャットで取り上げたいずみのさんの記事のように、あたかも「いちご」に「ななか」と同等の祝福を受ける資格があると言ってるかのような記事が出てきているわけですし(※ 本論とはあまり関係ないポイントで何度もケチを付けるような形になってしまって、いずみのさんは不愉快に感じられてるかもしれません。その点はお詫びいたします。別にいずみのさんを責めているわけではなくて、「いちごに別に思い入れはない」(とチャットでご自身が仰っていましたが)ような人が、「雨宮その5」を受けた記事を自然に書くと、特に「雨宮と同等のレベルで西野を祝福する立場を積極的に取っているわけじゃない」にもかかわらず、あたかもそうであるかのような内容になってしまいがちだ、という話です。それは「思い入れなく不用意なことを書くのが悪い」というように責める気持ちがあるわけでは全然なくて、「誰のせいでもないけど、自然にそうなっちゃうよね」という話です)。

で、そういう雰囲気に一石を投じておきたかったので、対抗見解として先日の記事を投稿したわけです。いや、あの程度では「一石を投じる」ことにすら足りていないかもしれませんが、とにかく私の気持ちとして、言わずにはいられなかったんですね(笑)。みみっちい限りで、誠に申し訳ありません(笑)。

> それ故、完璧とは言えないまでもかなり美しい物語を描いた「雨宮」が、
> あの時期に在るという事には、何か感じ入ってしまうものがあるんですけどねw

それはもちろん。で、私の見るところ、西野はその「美しい」という評はまるっきり当てはまりません。

………もともと、雨宮論というのは、下位ヒロインが「物語の掟」に無残に葬られる「理不尽さ」に対する憤り、というのが萌芽になっていて、その「理不尽さ」を呪う気持ちが LD さんの動機になっているわけですよね。それが雨宮、杉村、ルシオラを祝福する語り口に繋がっている。だとしたら、西野は本来雨宮論に登場する資格のないキャラです………中盤の西野までは私も、余りうるさいことを言わずに目をつぶってもいいか、と思わないでもないんですよ?でも、少なくとも「いちご」の終盤は、西野はその「理不尽さ」に対する「祝福すべき要素」はまったく持っていないばかりか、完全にその逆、「理不尽さ」を呪われ、責められるべき立場のキャラでしかありません。
で、そこは「論」として整理する過程で「本来は」LD さんの動機の直接の対象ではなかったグレースも「実例」として例示する形になったわけなので、西野も例示することそれ自体に文句をつけるわけではありません。が、いちごの結末に対しては、グレースと同程度のためらいはあって然るべきだ、と思うわけです。少なくとも、「何の疑問もない、雨宮並の美しい結末があった」と読む側に感じさせてしまうような表現はふさわしくない、と。

でまあ、こんな具合に書いてきましたけど、LD さんがどう感じられるかはまた別の問題なので、「雨宮その5」の表現を修正するかどうかには別にこだわっていません。あの流れで西野に対する疑問や逡巡を書いたりしたら、流れが濁りますからね。その事情はよくわかっているつもりです。ただ、それへの対抗見解は「漫研」内で表明しておきたかったのでした。

で、後は余談に類する話を2つばかり。

> 「っきぃいいいい!!あたしが主役のはずなのにぃぃいい!!!」by東城役の女優
> って描写を重ねようとしたので、あまり西野さんの中の人の演技力に
> 言及したものではないんですね。

ああ、そうだったんですか(笑)。それは今まで解ってなかったです。すんません。

> ワンシーン、ワンシーンの西野さんの「演技(?)」はそんなに悪いものでは
> なかったと思います。ただ、シーンとシーンの繋がりが悪いから、チグハクに
> なってしまう。それはやはりシナリオの問題なんだと思います。

前半は異論ないです。中期〜長期の構成力に難がある河下先生ですが(「初恋限定。」もねえ…(笑))、ワンシーン毎の単発的な演出については、時折ヒヤリとさせられるほどの鋭さを見せることもあり、その腕前は東西北三者にそんなに遜色なく発揮されていたと言えるでしょう。

後半については、「シナリオの問題」というのは、「シーンとシーンの繋がり」というよりも、やはり私が書いたように「その感情に至る動機・説得力の欠如」が決定的に大きいように思います。