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#273 作品チェック 第1話「私・・・涙、あげちゃったから」
投稿者:ルイ [2008/10/20 02:37]
<<<親記事]

涙を「拭ってあげたい」少年と、涙を「あげちゃった」少女の出会い
 truetears(以下とるてあ)の物語は、仲上眞一郎という少年と石動乃絵という少女の物語です。ここはもう大前提の部分なので、どのヒロインが好きだといった話とは全く関係のない、ほぼ「事実」として話を進めさせてもらいます。そうまで言い切れる理由は何か?それは、この2人の物語こそが「とるてあ」にあって、その全てを使って始まり、終わった物語だからです。これは作品のテーマ或いは描き方の根幹にかかわる部分だと思うので、何度も触れる事になるかもしれませんが…人生という名の物語は、たくさんの物語が織り成すタペストリーのようなものです。ある物語においては主人公であっても、ある物語にあっては脇役Aかもしれない。誰を主人公と捉えるかによって変わる部分ですが、それを呑み込んで歩いていかなくてはいけない。自分が深く関わる事ができる物語があるという事は、どうやっても立ち入れない物語もあるという事と同義で…それを受け止めて人は歩んでいく。僕は「とるてあ」の核はそこにあると信じて疑わないのですが、その観点から言っても、この物語は眞一郎と乃絵の物語だと言い切れる。流れる時間の中で、この時期を抜き取った理由は何か?それは、この時期が完璧に「眞一郎と乃絵の物語」が紡がれていた時期だからです。その純度の高さでもって、「とるてあ」は彼らのものだと言い切れる。

 …こういうと、比呂美が嫌いなのか?であるとか、変な事を言われる事もあるのですが…全く無関係な話です。石動眞一郎と湯浅比呂美の物語も別個に存在し、それもまた芳醇な物語を紡いでいる。けれど、それは「とるてあ」に全てを負うものではない。これまでも続いてきて、これからも続いていく物語であって、その中でこの時期は「ある激動の一時期」なんです。…どちらの物語が優れているだとか、価値があるという話ではなく。単純な事実として「とるてあは、仲上眞一郎と石動乃絵の物語」という事なのです。勿論、その最中にも他の様々な物語も激動していくので、そちらも見逃さないようにしなくてはならない。ただ、まずは始める前の確認点、絶対のポイントとしてここは押さえておく必要があります。それを踏まえてさえおけば、そんなに読みを混乱させる事もないのではないでしょうか。

 では、いくつかの注目ポイントに触れておきます。ちなみにサブタイトルは、話の最後に石動乃絵が口にしたセリフ。物語は仲上眞一郎が既に抱えていた物語によって幕を開け、石動乃絵が既に抱えていた物語によって次回へと続いていきます。ともに、閉塞的なその物語に光明を見出す為に。そして、2人の物語を始める為に。


・仲上眞一郎の願う事

僕の中の君は、いつも泣いていて
君の涙を、僕は拭いたいと思う。
でも、拭った頬の柔らかな感覚を、僕は知らなくて…


 物語がこの仲上眞一郎の独白から始まるというのは、非常に美しい。言うまでもなく「君」=泣いている少女がすぐ後に出てくる、同居中の少女=湯浅比呂美である事はわかるのですが、その彼女の事が気になるものの、どうすればいいのかがわからない。踏み込む自信がない。そんな様子が、この冒頭モノローグと、繰り返しとしての帳場での会話でしっかりと積み上げられています。一般的に物語において最も重要なものの一つは、主人公(できることなら、なるべく多くの登場人物)の「目的」です。その目的の壮大さや矮小さに関わらず、とにかく何を基準に感情や行動が決められていくのか、という基本が受け手に伝わっていないと、人物の行動は何を行っても上っ面をなぞったものとして捉えられてしまいがちなんですよね。納得も、意外も伴わない。その点でもって、作品の第一声が主人公の目的、核だというのは、大変に直球な演出であると思います。

 因みにこの眞一郎の絵本の中にいる少女は、白いワンピースを着ていて、眞一郎が彼女に見ている清廉さ、潔白さのようなものが観てとれます。実際の湯浅比呂美は、その複雑な性格ゆえに視聴者を喜ばせるなかなかの難物だったわけですが…(笑)心根は非常に素直な少女でもあり、何一つ彼女の厄介な部分を知らない眞一郎でも、いや寧ろそれゆえにか、彼女のある一面を確実に捉えていると言えそうです。

・「いつも泣いている」少女、湯浅比呂美


父の知り合いが死んで、その娘の比呂美がうちに引き取られることになったのが去年。
あいつとは、小学校の頃から同じクラスだった。
驚いたんだ、比呂美はいつも明るくて、その笑顔が気になっていたから。
…気になってたから。

うちで、比呂美を預かってる。
でも、あいつはいっつも小さくなって…


 絵本で「いつも泣いている」と表現されたにも関わらず、学校での比呂美(上段)は非常に快活な表情を振りまいている。ところがそれが仲上家に所を移した途端、下段の表情。この対比は1話が断トツで強調されており、意識させようとしてコンテを切っている事が窺えます。下段左は仲上家に引き取られた際の比呂美ですが、この時点で「いつも明るくて」とはほど遠い。右は着替えを眞一郎に見られた直後、眞一郎が謝ろうとした途端「ごめんなさい」を繰り返す比呂美。勿論比呂美には比呂美なりに、両親を失ったりといった出来事が影響している可能性も否めません。しかし、その割に上段の通り、学校での比呂美は元気そのもの。比呂美の事情は2話以降で描かれるので、ここでは眞一郎が「そんな状況に、何を考えるか」を意識して欲しい所です。

 比呂美は、家の中で縮こまっている。彼女をなんとかしてあげたいが、自分が話しかけても暗い反応ばかり。学校ではあんなに元気なのに…。ここで、眞一郎が比呂美に対してのある種の「無力感」を抱いてしまうのは致し方ないのではないでしょうか。「俺じゃダメだ」と考える材料は揃っている。寧ろこんな状況が一年続いているのに、いまだ彼女への想いを抱いている一途さの方を評価した方がいいのかもしれません。…勿論、積極性には欠けるんですけどね。半端に彼女の事を慮ってしまうがゆえに、勝手に色々考えてしまい、動けなくなる。そんな「三分の一の義憤」(西村監督曰く)を持った少年、仲上眞一郎が既に見えてきています。

・仲上眞一郎と石動乃絵の「魂の近さ」と、ティッシュのニワトリ

バッチコーイ!

 この部分は2話で特に描かれるものながら、1話で既に片鱗を見せ始めています。また、そこを理解した上でないと、キャラクター理解の上でのこの回最大のポイントとも言える、ティッシュ箱で作ったニワトリの「流れ」が掴み切れないのではないでしょうか。こういった部分を逐一「なんとなく」で受け止めず、しっかりと追求していくことで、「とるてあ」はその魅力を露にしていきます。まずは先に、ティッシュ箱ニワトリを作った後のコミカルシーン「バッチコーイ!」。

 ここは物語慣れしていると自然に見える所で、特に気にかける必要はないかもしれません。しかし、やはり眞一郎と乃絵間には、何か通じている感覚がある。それを窺わせるシーンでもあります。乃絵が無言で手を広げただけで、眞一郎も同様に手を広げ、ただ一言「バッチコイ!」。この一般常識とはほんの少しズレた所にある、2人だけに通じるライン。それがここで言う、眞一郎と乃絵の「魂の近さ」です。幼き日のアン・シャーリーのように空想に生きる少女と、絵本作家を目指す少年。そう言葉にしてみれば、自然な結びつきとも思えます。ともに相手の中にあるファンタジーな要素を一笑できるような人間ではなかった。だから、2話の話にも繋がってきますが、眞一郎は乃絵の「涙」の話を受け止める事が出来たし、乃絵は眞一郎のティッシュニワトリや絵本といったものに、まっすぐな賛辞を送る事ができた…本当に、あらゆる意味で、この2人は「相手が彼(彼女)でなくてはいけない、進めない出会い」でした。

あなたに、不幸が訪れますように!

 では少し戻って、前日へ。眞一郎がティッシュのニワトリを作り、届けるまでの「流れ」をキッチリ押さえておきたいと思います。まず、ニワトリ小屋にいる黒いニワトリ=雷轟丸を「空を飛びたいのに可哀相」と愛で、白いニワトリ=地べたを逆に威嚇する乃絵。その白ニワトリと同じで「飛ぼうとしないニワトリ」と言われた眞一郎はムッとして、乃絵に「頭が軽そうだからお前は飛べそう」と返す。そこでの乃絵の一言が、「あなたに不幸が訪れますように」。

 親友、野伏三代吉との会話で石動乃絵の「呪い」について教えてもらう眞一郎。脚本の岡田磨里さんが、女性なのに「小さくなりますようにって呪われてマジ使い物にならなくなった奴がいるらしい」という脚本を書ける事自体に妙に感心してしまいますが(確かに、この時期の少年にとって「小さくなる」はかなり怖いが)…とはいえ、とてもリアリティのある呪いとは言えない。この時点で、三代吉の会話シーンでだけ「ゲ」と言ってみせ、後は気にしない、という流れが自然だ、と思う人は多いでしょう。けれど眞一郎は、自らも空想の世界に身を置く絵本作家志望者。…だからそのまま「呪い」を信じる、という話ではなのですが、「呪い」は彼の意識の中で残っています。このあたり、呪いを大きく受け取りすぎず、小さく受け取りすぎない絶妙な解釈が求められます。

おかえり…。
…ただいま。
…あなたに不幸が訪れますように…。


 帰宅時。比呂美の変化について改めて想いを馳せていた時、丁度帰宅してきた比呂美。表情を不器用ながらも作りつつ「おかえり」と言ってみたものの、返ってきたのはとても暗い「ただいま」。(その後の、玄関に入る時の「ただいま」とも比較にならない弱々しさ)ここで思わず口をついて出てきたのが、石動乃絵の呪いの言葉…なのですが。このあたりから、眞一郎という人物の面白さが既に現れはじめています。ただのハーレム主人公には無い、個性が窺えます。単純なしかし確実な話、「比呂美がよそよそしくなったのは昨日今日の話ではない」わけです。だから、比呂美のこの態度と乃絵の呪いに因果関係を見出そうとする方が無理がある。そんな事は一年もこの生活を続けている眞一郎は重々承知の筈なのですが、とりあえず人の呪いを受けたという事実は頭にある為に、どうしても嫌な事があると、そちらに線を引いてしまう。本当に、絵本作家志望という設定一つあるなしで、このあたりの性格への許容値がまるで違ってくるのが面白い所です。ただ注意点として、まだティッシュ箱ニワトリには直通の線は引きません。そこまでファンタジー世界に生きている訳でもないのですね。本当に微妙な所で、だからこそ面白い所です。

キャ!エッチ!
はぁ…野伏じゃないけど、普通の反応はそうだよなぁ…
キャア…エッチ…


 脱衣所で着替えを覗いてしまったのに何度も謝られて、その「小さくなっている」要素が腹立たしいやら裸の興奮やらで複雑な表情をしているのが一枚目。動作は「怒り」を示しつつも、顔の紅潮は押し隠せないという、思春期全開ぶりです。自室に戻った後、独り言から比呂美の入浴シーンを想像(単に比呂美の入浴カットを挟んでいるという捉え方では、ちょっと映像の意味として弱い)。そこからティッシュを手に取る、というシーンですね。言葉は真剣に比呂美の現状を憂いているのだけれど、脳裏からは入浴中の比呂美の艶かしい姿が離れない。そんな眞一郎が手に取ったのはティッシュ・・・!

…ティッシュ箱でニワトリを作ったのでした。
 と、ここは放送当時から僕自身もそう読んではいたのですが、最近西村監督がインタビューでまさに、という事を仰っているので書いておきます。

第一稿では、じつは眞一郎がオナニーをするという展開だったんです。ただ、スタッフからはそれだけはファンが引くからやめてくれという話が出て、岡田さんが渋々とティッシュペーパーをハネに鳥を作るというのに変えてくれたんです。ただ、決定稿がそうなって、僕がコンテを切るわけですけど、やはりそのシーンになると岡田さんの思いが乗り移るわけですよ。だから箱で鳥を作る直前までは「もしかして…」みたいな気分が映像に残っているんです(西村純二監督)

 小さくなる呪いといい、結構お若いのに短小やオナニーに突き進もうとする女性脚本家、岡田磨里さんはどうなってるんだ、と思わなくもないですし(笑)基本的にこういう「ブレーキ」は、表現の邪魔になる事が多いので「止めたスタッフわかってない!」と言ってやりたくもなるのですが、この場合一稿から知る西村監督がコンテを切ることになったお陰で、映像にその「匂い」を残しつつ、結果として眞一郎の人物が更に深まる事に寄与した、という、超がつくレベルでの結果オーライが行われているので、今回に関しては問題ないどころか寧ろ奇跡のプラス効果なのでした。特に1段目の3枚目、ティッシュ箱をハァハァ言いながら手に取る眞一郎と、2段目2枚目の背中を向けた眞一郎のポーズにそのあたりの残り香が色濃く漂っています。本当に、これが集団作業の、総合芸術のマジックで・・・このような紆余曲折を経た事によって、眞一郎の感情の「流れ」がこれ以上なく見えてきます。

 つまり、眞一郎は呪いを解く為にニワトリを献上しよう…などというファンタジーな選択には、直線的には向かわなかった。しかし夕方のシーンで呟いたように、意識としては残っていた。そんな中脱衣所で半裸の比呂美を見てしまい、その遠慮具合にイライラするやらムラムラするやらで大変な状態に。そこでティッシュを手に取ったものの、思春期的な感情として「気になるあの娘をオナニーネタにする事の背徳感」のようなものgが起こり、咄嗟に性的な欲求を創作意欲に転換し、感情を「逃がし」た。その際、脳裏にずっと残っていた「呪い」→「ニワトリ」というのが影響して、ティッシュ箱をニワトリにしてしまった。

 …と、言う事になります。これ以上自然な解釈はちょっと思いつきません。この「読み」は西村監督のインタビューを読む前からしていた読みではあるのですが、そんなに選ばれたものだけができるヘンタイ妄想だ!というわけではなくて(笑)一部ではこのティッシュ箱ニワトリ「オナバード」などと呼ばれて親しまれているそうです。その深い所の意味まで探ったかはさておき、結構そこらで脊髄反射みたいな事言ってる方たちも(その愉しみ方もアリです、念の為)鋭いものです。或いは、これこそが映像の力と言えるかもしれません。監督言う所の「気分」が、ずれなく伝達されているのですから。

更に翌朝。

眞ちゃん、これなあに?東京の出版社って…
中、見たのか!
…あなたに不幸が訪れるように…


 これがダメ押しのダメ押し。東京の出版社に投稿していた絵本の結果通知を勝手に見られてしまい、激昂する眞一郎。しかも結果は不採用。再び「呪い」を思い出した眞一郎は乃絵の元へと向かい、「バッチコイ!」へと繋がっていきます。このシーン、眞一郎の父という作中影のボスとでも言うべき巨大な存在がその格の高さを見せ付けるセリフを吐いたりもしているのですが、それは父の事を触れる時があったら、その時にでも。とりあえず眞一郎の心の動きを追いかけるのに簡単に見過ごしてはいけないのは、「眞一郎は、食事をしに居間に降りてきた時点でティッシュ箱ニワトリを袋に入れている」という点。

 不採用通知は登校してから、校門のあたりで開いて確認している(2枚目のレイアウトとモブ、大変な作業ですね)。つまりこれ自体はティッシュ箱ニワトリを渡すか否かではなく、その際の声の強さ程度にしか影響していない。ニワトリティッシュを作ってしまったその時から、作ったならこれはあいつ(石動乃絵)にあげよう、そして不幸になる呪いを解いてもらおう…と考えている事が見える。繰り返しますが、本当にリアリティの無い呪いです。アレが小さくなる呪いは伝聞に過ぎず、比呂美の反応はおそらく一年ずっとそうで、採用不採用も呪いを受ける前に発送が終わっているもの(ここは、母への怒りの不条理さを自分で指摘する形で、2話で「眞一郎だって気付いてる」事を示しています)。なのに、呪いを解いてくれ!と乃絵に迫る。それでいて面白いのが、じゃあ「バッチコーイ!」で乃絵を受け止めた後、呪いを解いてもらったような描写があるかといったら、そんな描写は全くない。勿論そんな呪いは存在しないですから、呪いを解くシーンなんて作りようがないけれど、では眞一郎はどう考え行動していたのか?という点が注目ポイントです。全く、複雑かつ曖昧、言葉では正確な所は突ききれないゾーンなのですが…。懸命に、言葉で追いましょう。

 眞一郎は、呪いをそのまま信じてはいない。けれど、呪いを忌むべきもの、縁起の悪いものとして捉えてはいる。更に加えて言えば、眞一郎は「乃絵に呪いをかけさせた自分自身」のミスを認めているフシがある。つまり「頭が軽いから飛べそう」も、十分呪いを蒙るに足る失礼ではないか、と。…そういう思考がないまぜにならないと、ティッシュ箱でニワトリを作った後、即乃絵に送ろうと発想し、しかも送った割に見返りの、最重要目的ですらあるはずの「呪いを解く」にはそこまで執心しない、という不思議な立ち位置は理解できません。最初に書いた通り、このあたりの絶妙な眞一郎と乃絵の「魂の近さ」(あるいはこの場合、「呪い」周辺を捉えた、ルール作りの近さとでもいうべきか)は、2話へと続いていきます。


 こういった端から見て瑣末な事とも取れる、曖昧なまま流せそうな部分にまで「理」を求める事が、「とるてあ」のポイントです。何故ならスタッフが一丸となって同じ方向を向いた作品は、個人の思惑を超えた所で、揺らぎやブレを含んだ所での一段上の「個人」を形成することがあるから。実際、こうやって問い掛けていけば、多くの場合それに見合うだけの答えはフィルムの中に存在するわけです。物語が人の生き死にやスケールが広大な作品になれば、自然と意識を集中する人が増えるような印象がありますが・・・この地方都市での小さな物語は、全神経を注いでこそ、ようやく愉しみきれる作品だ。そこだけは、断言しておきたいと思います。
  • 湯浅比呂美と石動乃絵 投稿者:ルイ <2008/10/22 03:24>