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#274 作品チェック 湯浅比呂美と石動乃絵
投稿者:ルイ [2008/10/22 03:24]
<<<親記事]

 第1話では湯浅比呂美と石動乃絵という2人の少女、その違いが明確に演出されています。それは体型や性格といったパーソナリティ、記号によるものというよりは、主人公、仲上眞一郎にとっての2人の少女、それぞれの根本的な違い。この後、お互いに相手の領域に踏み込んでくる事はあっても、基本この「違い」は一貫して存在しています。第1話はとりわけ眞一郎視点を意識させるカットが多く、このあたりは物語のはじめに意識的に組まれたものなのでしょう。上の2枚はどちらも彼女たちの登場シーン、画面下から上にPAN(カメラ移動)していくカット(加えて言えば、どちらもその前が眞一郎のカット。眞一郎カットから移行する事で、眞一郎の主観視点である事をアピールしている)なのですが、この明暗の対比がとられたような2枚でもって、視点の違いを感じ取れるでしょうか。とりあえず、しばしお付き合い下さい。


肉体の比呂美

 冒頭、帳簿を打っている比呂美を上PANで捉えた直後の2枚。ここはPANではなく連続したカットであり、そのこと自体に意味があります。一枚目の唇の艶かしさが注目ポイント。この場面、比呂美は眞一郎に気付かず、一人PCで帳簿を打っている。つまり、彼女が唐突に独り言を呟くような可能性は極めて低く、物語的な意味で「唇に注意を寄せる必要」は皆無です。それなのに、唇→目と彼女を見つめる眞一郎の視点は、彼女の「女」、ここでは乃絵との対比の為にストレートに「肉体」と言っていますが、そのあたりを見つめています。静止画ではわかりませんが、画面をほんの少し揺らしているのも、眞一郎の感情を込める演出として機能しています。これを踏まえると冒頭の上PANも、眞一郎の「なめるように見る」とでも言えそうな、男としての視点が感じ取れると思いますが、敢えてPANにしない事で眞一郎の視点を明確にしているわけです。

 脱衣所にて眞一郎と遭遇。ここは眞一郎視点というより、事実として起こってしまった事をそのまま客観的に描いているようなコンテ。ただし、これは作劇として、やっぱりこういうシーンを担当するのは比呂美、なんですよね。眞一郎から見た比呂美、作品から見た比呂美というものの共通性が窺えると思います。

 こちらは脱衣所のあと、自室に戻った眞一郎が比呂美の事を考えている時の、彼のセリフを流しながらのカット。事実比呂美はこの時入浴中のはずであり、先ほど同様「事実を描いただけ」ととる事も可能なのですが、それにしては浴槽を上から俯瞰する描き方、視点はあまりにも意図的です。事実としての入浴と同時に、今2階にいる眞一郎の意識が「透視している」というか、上からの視点でもって今の比呂美を想像している。これくらいの読み方をした方が丁度いいでしょう。2枚目のブラジャーをつけるカットは、それとは少し意味合いが異なってきますが、今度はストレートに、視聴者に向けての比呂美の肉体性の強調である事は疑いようがない。

※細かく解釈すると、この2枚目は眞一郎が己の情動を恥じ創作行為に「逃げ(向かっ)」たカットであり、ティッシュ箱にカッターを入れたカットと、ニワトリティッシュが完成するカットの間に挟まれています。正しくは、比呂美がブラジャーをつけ、パジャマ姿で脱衣所から出てくる所まで描かれているのですが…これによって、ニワトリ製作中に比呂美は風呂から出た=眞一郎の「欲情」に向かいかけた精神状態が創作中に通り過ぎた事を演出しています。また、比呂美に注目してこのカットを眺めると、脱衣場から自室までの距離は余り無く、もう家人と顔を合わせる可能性も極めて低いにも関わらず、パジャマの下に再びブラジャーをつける、というのは一つの演出であると捉える事ができると思います。ここに、比呂美の仲上家での肩身の狭さを感じ取るか、或いは数分前眞一郎に見られてしまったような事を意識して、「女として」ブラジャーをつけたという点に着目するか。ここも、単純に通り過ぎるようでは「とるてあ」の深遠には辿りつけないのではないか、愉しみきれないのではないかと思っています。セリフを削ってある作品だけに、意識しすぎるという事はないんですね。

 翌朝、朝食を取るべく居間に現れた眞一郎が、既に食事中の比呂美を立ったまま見つめるカット。うっすらとではありますが、徐々に服が透けていっています。これは注意深い視聴者へのサービスカットなのか?そうですけど(笑)それだけではありません。やはり、一度創作活動で「流した」部分とはいえ、根強く眞一郎にとっての比呂美というものが肉体性とともに存在し続けている、という事の演出です。

※野暮かもしれませんが、一つ突っ込んでおくと…比呂美を裸にしたいのであれば、パンティは邪魔です。一方、下着姿を意識したいのであれば、胸にブラジャーがないのは不自然です。比呂美はまず間違いなく、この時ブラジャーをつけています。…更に、比呂美が今身につけている下着が、このストライプ柄であるとは限らない。眞一郎が透視能力者ではない、という仮定(そして、その仮定は100%の事実です)に基づくなら、彼は今の比呂美のパンティ柄を見ているわけではない。では、というと、これはそのまま昨晩脱衣場で目撃した比呂美の姿そのままなんですね。ブラジャーをしていないのは、あの時比呂美がしていなかったから。ストライプなのは、あの時の比呂美がそうだったから。つまり、あの一瞬で、即脱衣所から飛び出た割に、眞一郎は比呂美の全身をバッチリ見て、記憶しているのですが…入浴前の下着を翌日そのまましている可能性の低さを考慮に入れても、このシーンの「透視」はこのあたりまで組み込む必要があるでしょう。

勿論物語が始まった直後の絵本が物語っているように、眞一郎にとっての比呂美はただの「体」ではありません。彼は比呂美の涙を拭ってあげたいと思っているし、笑顔や明るさを見せて欲しいと願っている。けれど、それとは不可分な所に、湯浅比呂美の肉体が持つエロスというものもある。それは単純に乃絵より女らしい体型であるといったような、フォルムなりの問題ではない。眞一郎にとっての「女」が誰か、という話です。1話はそのあたりの強調が明確。軽く「比呂美はお色気担当である」といった触れ方もできる部分ではありますが、そこにも「何故」を問い掛けることで、作品が見えてくるのであり、これが「とるてあ」で常時怠ってはいけない部分だと思います。


・精神の乃絵
一方の石動乃絵は、1話では「これから」という所で2話に引く事もあり、比呂美に相当するほどにはキャラクターが描かれていません。但し、既に眞一郎と乃絵の関係というものは、1話で見えてくるようになっています。一番最初の2枚、比呂美の上PANに対しては唇や目といった「身体のパーツへの視点」が加えられ、眞一郎の男性視点が強調されている、というのは書いた通りですが、では一方の乃絵はどうか。乃絵の場合は唇や、あるいはこの角度からだと意識されがちなスカートなりに目線(カット)が集中するような事もなく(比呂美のケースと比べても、乃絵が「何を言うか」は注目してもおかしくない所なのに)それどころか、上PANの前に全体を捉えたカットが描かれています。

 ここに肉体を感じ取る事ができるでしょうか?後ろから射す光の神々しさも含め、まるで絵画。上PANは、このよく見えなかった部分を「目をこらして見た」為のもので、比呂美とは正反対に、全く肉体を意識していない事がよくわかるカットになっています。何せ、唇、パンティの相手に対し、こちらは「アブラムシ」に「呪い」ですからね。いかに抽象的な所から始まった関係なのか、という点において、直接的すぎるほど直接的な比呂美との鮮やかな対比が見て取れる。更に面白いのが、眞一郎は乃絵に出会う前に、既に乃絵をイメージしているという事実。

どこかに天使がいて、君の涙を集めてくれればいい。
そして、その涙で首飾りを作って、木に飾るんだ。
キラキラ光る、涙の木…


 冒頭、比呂美に話しかけてから夕食を食べた後、自室に戻って絵本を再び描き出した時のイメージ。比呂美に近づきたい、救いたいと思いながらもそこに踏み出せない眞一郎が、他力に縋っている事を、この「天使に涙を集めて(拭って)もらう」発想からも読み取ることができます。今の自分ではムリだから、という思考。そして、その際「涙の木」の下にいる、それこそ眞一郎にとっての「天使」としてイメージされている少女が、この時まだ面識が無いにも関わらず、そのもの石動乃絵。

眞一郎が木の上の乃絵を見て驚いたのは(そしてじっくり目を凝らしたのも)余りに自分が想像した「涙の木と、そこにいる天使」のままだったから、という事が無意識下に存在するのでしょう。つまり、乃絵はスタート地点からして、眞一郎にとっての「天使」を体現しており…それは一言目で一旦瓦解するのですが(笑)全体通しての読みとしては、極めて正しかった。のちに「乃絵にとっての眞一郎」が徐々に見えてきますが、この第1話の初遭遇という段階ですら、既に「眞一郎にとっての乃絵」は、心が求めた、まさに運命的な出会いだったということが見えてきます。心が求め合った関係に、肉体の割り込む余地はないという事。少なくとも第1話では意識的なまでに、肉体=比呂美との対比がとられています。
 第1話のラスト、サブタイトルにもなった「私…涙、あげちゃったから」と乃絵が呟くシーンも、最初の画像同様に上PANであるにも関わらず、やはり比呂美とは違い肉体性とはかけ離れた、出会いのシーン同様の絵画のような抽象的な美を誇っています。しかも、ハーモニー演出によってそれが強調されている。神秘的な美しさは、例えば彼女の容姿なり体型によって生まれたものではない、という事が感じ取れるでしょうか。それは仲上眞一郎と石動乃絵の、心と心の共振が生み出したものなんですよね。

最後に一つ余談というか、比呂美との対比と無関係な部分なのですが、出会いのシーンといい、このシーンといい、1話には乃絵と眞一郎の目線が同じ高さに揃わないカットが多い(※)事は、注目して良い部分だと思います。逆に眞一郎と比呂美の場合はほぼ同じ高さで会話する事が多いですね(その代わり、こちらは眞一郎が遠慮したり比呂美が目線を逸らしたりして、会話が打ち切られてしまう)。…乃絵との出会いは木の上と下。このシーンでは、堤防の上と下。他にも、ニワトリ小屋での会話の多くはどちらかがしゃがんでいる形で行われており、ティッシュニワトリを乃絵に渡した時も、乃絵だけは座っています。目線を安易に揃えない事で、眞一郎にとっての乃絵、とくに出会った直後の乃絵が、いかに掴みどころがなく、不思議な存在か。その距離が演出されています。

 更に物語全体を眺めた上で言うのなら、この2人は「並んで歩く存在ではない」事を既に暗示していると取る事もできる。2話で出る部分ですが、乃絵は「眞一郎を見上げるのが好き」。実際の身長関係から言っても常時乃絵は眞一郎を「見上げる」事が多いのですが、その割に眞一郎にとっての乃絵の印象も、「見下ろす」より「見上げる」に支配されているのは、この1話の演出だけを観てもわかる通りです。つまり、眞一郎と乃絵はともに見上げあう、高めあう関係という事。横に並んで歩いていく関係性は、映像では強調されません。その事が、既に演出として存在しています。この2人の目線の関係が、物語が秋から冬へ、そして春へと進む中、どう動いていくか。ここも是非注目して欲しいと思います。

※勿論、そうではないケースもいくつか存在します。小屋での会話では、後半一瞬話が通じかけた(眞一郎が「頭が軽いから飛べそう」と皮肉を言うまでの短い間)時のみ。ティッシュニワトリの時は、乃絵が眞一郎を思い切り褒めて「いい子いい子」した後、ニワトリ小屋にたどり着く(雷轟丸の死という悲劇が待ち受けている)までの、穏やかな会話シーンでのみ。これらの時だけ、2人は特別な高低差なく会話しています。しかし、いずれも一時的なもので長続きはしません。

 最初に書いた通り(お互いに相手の領域に踏み込んでくる事はあっても、の部分)肉体の比呂美は肉体のみに留まるわけではなく、精神の乃絵も精神世界のみにあるわけではない。比呂美の感情に感じ入る事もあれば、乃絵の肉体性にドギマギする事もある。けれども、1話での示唆というのは強いもので…それは、物語を強く意識した妥協のない作りならば殊更に。そのあたりをセリフや展開に限らず、映像からも注目して観る事で、また違った味わいが「とるてあ」から得られることと思います。