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#278 作品チェック 石動乃絵と仲上眞一郎
投稿者:ルイ [2008/11/23 06:18]
<<<親記事]

俺は…木の上の石動乃絵を見つけて…
ニワトリがタヌキに襲われて…
赤い実もらって…
比呂美が話しかけて…
朝、目があって…
アブラムシ…アブラムシ…眞一郎の靴の底にもアブラムシ♪…



石動乃絵と仲上眞一郎、静かに進む2人の物語
 2話や3話を愉しむ上での中心は、確実に湯浅比呂美です。彼女の心理を追う事が、そのもの作品の見所と言ってもいいでしょう。ただ、それとは別に登場人物達はそれぞれの道を歩いていて、各自に味わいと、読み込む価値が存在します。第三のヒロイン「安藤愛子」にもそれは言えるのですが、彼女は次回にでも纏める事にして、今回は1話に続く、石動乃絵と仲上眞一郎の物語を押さえておきたいと思います。1話でも少し描かれていた「2人の近さ」、大袈裟に言えば「魂の近さ」が、2話では個々の描写とともに、更に深く描写されています。
・海岸線での会話〜仲上眞一郎は「信じた」か?〜

乃絵「この話をするのは、仲上眞一郎がはじめて。
 話したからには、信じてもらわなくちゃ。」
眞一郎「え、あ…ああ、うん、信じ」
乃絵「何を?」
眞一郎「え?」
乃絵「涙って何?」
眞一郎「え…だから、悲しいときに」
乃絵「そうじゃなくて。涙って何?」
眞一郎「…ええっと、眼球の洗浄と保湿のために涙腺から分泌される…」
乃絵「あなた、見込みある。」
眞一郎「え?」


 このシーン、乃絵は「涙を集める」であったり、その為の瓶であったりといった、様々な情報を出してきます。ただし、その内容自体は2話の時点では情報が全くなく、乃絵の言った事をそのまま受け入れるしかない状況。この段階では敢えてそういった設定面にはあまり触れず、それ以外の面をチェックしておきましょう。まずこの会話、初見ですんなり呑み込めた人はあまりいないのではないでしょうか。僕は最初、意味がわかりませんでした。乃絵が「見込みある」と言った根拠はどこにあるのか。眞一郎が答えた内容が曲者で、「涙あげちゃった」というファンタジックな響きからも、寧ろ乃絵が求めているのは前半の回答の方であり、後半の回答は答えから遠ざかる、余計なものとすら思えます。でも「そうじゃなくて」。…何故、後者の夢のない内容まで聞いた上での「見込みある」なのだろう?乃絵は何が聞きたかったのでしょう?

 しかし、この話の最後までを読み込んだ上で考えると、そんな考え方自体が乃絵という人格を掴めていないからこそ出てくるものだと気付きます。別項でも触れた通り、乃絵という少女は会話も言動も「コア」を求める少女。興味がある一点にのみ向かっている。それが演出として現れているのが、乃絵の「相手の目をじっと見る」という動作。これは彼女の基本設定とも言えるもので、乃絵が作中で目を逸らす事はほとんどありません。相手の心を覗くように、相手の目を見る。前回触れた比呂美との会話でも、比呂美が乃絵を好きじゃない、というのは何より目で感じ取ったのかもしれません。つまり、前段の問い「何が聞きたかったのだろう?」に対しての答えはおそらく「何かを聞こうとはしていなかった」。堤防の上を歩いていた乃絵が、地面に降りたのは何故?…後に出てくる「見上げるのが好き」という目線でもって、下から眞一郎の顔を目をじっと見つめる為です。質問の答えそれ自体が目的なら、乃絵が動く意味なんてありません。結局、乃絵は眞一郎の答える様、表情…それ自体をこそチェックしていたのでしょう。だから乃絵が「見込みある」としたのは、当然涙腺から分泌だのといった涙知識にではなく、突拍子もない「涙あげちゃった」→「涙って何?」という流れに対し、笑わず逃げず、真面目に考えて答えを捻り出そうとした眞一郎の態度、それ自体だったというわけです。

乃絵「この事は、2人の秘密ね」
眞一郎「喋ったら、俺を頭から喰うってか」
乃絵「…」
眞一郎「…何か言えよ」


乃絵「あなたなら、信じてくれるって思った。」
眞一郎「あのー…」
乃絵「明日学校で!」
眞一郎「俺…信じたの、かぁ?」


 眞一郎自身にはそんな理解があるわけではないので、乃絵がどういう理由でもって、自分が乃絵の話を信じている、としたのかはよくわかりません。彼自身は寧ろ「喰うってか」と、茶化してすらいる。そんな彼が乃絵の「信じてくれると思った」に対して半信半疑なのは当然…なのですが、この後、眞一郎自身が確信を持てなかろうが、彼の心の根っこ、魂がその話を信じてしまっている事が描かれています。


涙をあいつにやったら、俺はどうなる?
やっぱ泣けなくなるのか?
…どうでもいいけどな、そんなの!


 その日の夜、入浴時のシーン。天井から落ちてくる水滴を涙と解釈して自分の思考を重ねる、映像としても綺麗なシーン。全く信じていない人は、こんな事実かどうかすら定かではないファンタジーについて、その「先」を真面目に考えたりしません。ちなみに、最後の画像(と、最後の発言)にもある「照れ」が、眞一郎たる所以。これは乃絵には全くない感情で、夕方「喰うってか」と口にしたのも、同じ感覚からきています。…でも、乃絵からしてみればその眞一郎は「眞一郎のコアではない」ので、興味を抱く必要はないんですね。だから先ほどのシーンでも、何も言わなかった(2人が向き合うシーンの、2枚目が丁度「…」にあたります)。ただ、発言内容を気に止めず、相手の目をまっすぐ見ているだけです。「こんな場面で茶化すような仲上眞一郎は、やはり信じてくれていないのではないか?」そういう懸念にまるで到達しないあたりが石動乃絵であるし、そんな自分を誤魔化すような言動をとりつつも、折に触れては真面目に考えてしまう。そんなあたりが、仲上眞一郎であったのでしょう。

・石動乃絵の影響

僕は、その瓶を太陽の光に透かして、中のきらきら光る液体を眺めていた。
と、あたりが急に暗くなって、はっとして目を上げると…


 乃絵の独自の世界に戸惑っているように見える眞一郎が、その魂の底では極めて自然に彼女の在り方を受け容れてしまっている事。それは、眞一郎の直接の言動以上に、時折挿入される彼の創作絵本にこそ如実に現れています。瓶、そしてその中できらきらと光る液体。乃絵の発言から、自然と(直接そうは言っていないのに)「涙を集める瓶」という考えに至っている事がわかります。1話冒頭(君の涙を、僕は拭いたいと…)からも明らかな通り、彼の心が最も素直に出る「絵本」の世界。口でなんと言おうが、その世界が彼女を、彼女の世界を認めてしまっているんですね。

天使に化けていた怪物に、瓶の中に閉じ込められ
途方にくれていた僕は、となりの瓶にも同じように閉じ込められて
泣いている女の子を見つけた


 これももう一つの創作物語。最初のアイディア同様に、「瓶」という道具立てが共通しているのが石動乃絵の影響部分です。ただしストーリーは眞一郎の気分を受けて、少しタイプが異なってきています。「天使に化けていた怪物」とは誰をさしているか?これは、シンプルに取るならば「天使のイメージとして出会ったが、通りかかる男子生徒を誰かれ構わず逆ナンしていたという石動乃絵」。比呂美の揺さぶりが、それなりに効いている事が感じ取れます。最初のアイディアでも「あたりが急に暗くなった」のは、この逆ナンという話が受け容れ難いという所から来ているのかもしれません。面白いのが

地底人とメル友だって噂は信じてやるからさぁ
ニワトリの代わりに逆ナンされたって話はナシに…


 最初のイメージの直後に入ってくるこの独り言でしょうか。「地底人とメル友」は信じてやれても、「逆ナン」は信じたくない。…勿論単純に、雷轟丸の代わりにされている事への戸惑いもこの発言は映しているものの、「逆ナン」という言葉自体が示している通り、その日の放課後比呂美に言われた事それ自体が眞一郎にとって引っかかっているんですね。雷轟丸と括られる事への違和感は、海岸での会話から翌日の昼まで、比呂美に何か言われる前から持っていた。それと比呂美が口にした事との最大の違いは「男子生徒を逆ナン」。比呂美の言に従うと、眞一郎と乃絵の出会いは沢山ある逆ナンのうちの一つに過ぎなくなってしまう。そうなると、昨日の乃絵との会話も、一つの逆ナンの手段に過ぎなくなってしまう。そんな石動乃絵像だけは、眞一郎としては受け容れ難い、という思いが感じ取れるシーンです。西村純二脚本は、そのあたりを明確な言葉として残してはくれませんから…映像として、全てを含めた上での、心を見て取るしかない部分でもあります。

 2つ目のイメージに話を戻しますと、興味深い点として、眞一郎自身も瓶に閉じ込められている、という事実があります。少々裏読みになってしまいますが、一応触れておこうと思います。1話の「天使に拭ってもらう」という他人任せな思考同様、自分では比呂美をどうともしてやれない、という諦めに似た感情が「瓶」という2人を隔てるものとして機能している。それは確かながら、それを描きたいだけなら眞一郎まで瓶に入っている必要は特になく、瓶の中で泣いている比呂美を眞一郎が外から観ている…それで足りるわけです。であるなら、比呂美同様に閉じ込められた眞一郎というものも、眞一郎自身の心情を映していると考えた方がよさそうです。そうして2話の眞一郎を振り返ってみた場合、彼にとっての抑圧の対象として、両親という存在が浮かび上がってくる。特に眞一郎の父との静かな会話シーン、その場面でのやけに丁寧な言葉遣いが印象的です。

 上段は、進路について父に尋ねられた時。父は特に詰問口調というわけでもないのに、眞一郎の父への態度は「まだです。」「今度聞いときます」。と、母親へのそれとは比べ物にならないくらい萎縮しているんですね。父は1話の母への発言「眞一郎は眞一郎」でも明らかなように、かなり眞一郎の自由意志に任せている部分がある。それなのに、それが眞一郎にとっての安心として機能していません。そして下段は別のシーン、食事の時母の方にわざわざ視線を向けて、様子を窺っている。不採用通知を勝手に見た母への、眞一郎曰く「大人気ない」対応をした事を気にかけて、様子を窺っているのでしょうが…眞一郎自身も仲上家にあって1人息子として安穏と生活しているわけではなく、彼には彼なりの「瓶」がある。そのあたりの心象を読み取ると面白い部分です。その場合、「天使に化けていた怪物」は、単純に石動乃絵だけの事とも言えない、複雑な「眞一郎を取り巻く現状」そのものの事を指すようになります。

…さて、では最後にこの回の石動乃絵と仲上眞一郎、その関係を象徴する出来事。そして「乃絵にとっての眞一郎」に触れておきたいと思います。

乃絵「あげる」
眞一郎「あ…あげるって、でも、これ、鳥のエサだろ?」
乃絵「いらないの?」
眞一郎「…ああ、いらないよ!」
乃絵「私、眞一郎を見上げるのが大好き!」
眞一郎「ん?」
乃絵「それって、空に近い所にいるって事だもの」


 乃絵と比呂美との会話同様に、乃絵の一方的なやり取りの中、(いらないよ!が機能すらしない)、乃絵が眞一郎に、雷轟丸にあげていた「天空の食事」を差し入れるシーン。そもそもこの赤い実が「天空の食事」である理由自体、「雷轟丸は飛びたいのに小屋の中で可哀相」→「じゃあ、天空に近い所の食べ物をあげよう」という乃絵独自の思考に支配されたものなのですが、それをそのまま人間・眞一郎に移している事が見て取れます。このシーン、乃絵は言うだけ言った後走り去ってしまい、途中から手元にカメラがいく事はないものの…後のカットと画像を並べてみると一目瞭然。

 10粒と10粒。眞一郎は自分で赤い実をとってきてはいないので、これは上記の会話時に差し出された赤い実そのもの。結局「いらないよ」と言いつつも受け取り自室に持ち帰っている、という事になります。だから実の数も同じなのですが、それはつまり、全粒大事に持ち帰っているということですね。「いらない」と言われても「コア(本意)じゃない」と勝手に断じ、そのまま眞一郎に押し付けたであろう乃絵(おそらく「見上げるのが大好き!」と「それって」の間あたり)と、「いらない」と言った割には、直接受け取ってしまったからか義理堅く全粒受け取り、自宅の創作机の上に置く眞一郎。言葉は一方的であるし、乃絵の不思議さに戸惑いっぱなし。それなのに、このキャッチボールが不思議と成立する関係が、石動乃絵と眞一郎の2人だけの関係なのでしょう。

 眞一郎の心そのものとも言える「絵本」にまで影響を与えていく、仲上眞一郎にとっての石動乃絵。一方、雷轟丸の後を継ぐものとして大切な存在である、石動乃絵にとっての仲上眞一郎。乃絵にとっての眞一郎、というものは未だファンタジーの域を超えませんが、比呂美にとっての「置いてかないで!」同様の、彼女にとっての「根」が垣間見えるシーンも、2話の中でしっかりと配置されています。


 乃絵の自宅にて、彼女がいとおしむように、大事に扱う祖母らしき女性の写真。机の上に、その写真と一緒にティッシュ箱ニワトリを並べる事で、石動乃絵にとっての仲上眞一郎(と、ティッシュ箱ニワトリ)の持つ意味が感じ取れると思います。表情という演出を意識した場合、一番頭にある眞一郎に微笑みかけたハーモニー演出のカットと、写真を見つめる彼女。両方とも目を細めて笑っている映像を反復させる事で、どちらも彼女にとって共通した大切なものだ、ということ伝わる事と思います。本当に大事なものと唯一並べてみせる事で、ティッシュ箱のニワトリが、いかに乃絵にとって素晴らしいもので、希望に満ち溢れたものだったかがよくわかる、セリフは少ないながらも良いシーンです。比呂美と眞一郎の物語がそうであるように、乃絵と眞一郎の物語も、そうやって情報を出しつつ先へと進んでいきます。季節が移り変わるようにゆっくりと、しかし確実に。