#279 作品チェック 第3話「どうなった?こないだの話」(前) 投稿者:ルイ [2008/11/30 04:35]
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・サブタイトルにも現れる、序章の終わり 1話乃絵、2話比呂美ときて第3話のサブタイトルは安藤愛子による「どうなった?こないだの話」。作品テーマの一つに繋がる1話のサブタイトル、2話の背骨とも言える比呂美の迷走を言葉にした2話のサブタイトルと比べ、このセリフは特段この話も、作品全体も象徴していません。明らかに、サブタイトルとしての格は一段落ちている。今回も話の中心にいるのは2話同様湯浅比呂美ですから、当然「重要な発言」なりをサブタイトルにしたいだけであれば、比呂美や眞一郎といったあたりから抜き出すのが自然でしょうし、実際、僕はその考え方でもって、上の画像を比呂美にしている。 truetearsの物語中核は「仲上眞一郎と石動乃絵」にあるというのは既に書いてきましたし、一つ視点を広げても、湯浅比呂美を含めた3人の物語、というあたりまでが適切に思われます。それでも、3話のサブタイトルを愛子に任せることで明確に強調されたのが、「3人ヒロイン」という形。OPの映像も3人で始まり、多くの版権イラストも3人で1組…何故でしょう?アニメは漫画のような真のリアルタイム連載では無いため、「3人ヒロインの同格を狙ったけど上手くいかなかった」という事は基本あまりないんですね。しかも本作の場合3ヶ月の1クール作品ですから、最後までの構成脚本がハッキリしない段階で最初の数話が作られる、という可能性は極めて低い。それがここまで意図に満ち溢れた脚本・映像作品である「とるてあ」なら尚更です。つまり、作品は愛子というキャラクターの「弱さ」も知った上で、この3人ヒロイン、という形を強調しているという事になります。物語の中心が眞一郎と乃絵、さらには比呂美「まで」という事は確実な中でも、愛子には愛子の物語がある、という事を主張している。それが、今回のサブタイトル。彼女については別項で触れますが、とにかく大事なのはその抜き出された発言以上に「愛子が三番目にサブタイトルを担当する」という事実そのものであるように思います。 この3話までをひと括りとして、ファーストステップが終わります。勿論乃絵にも比呂美にも、愛子にもこれから開帳されていく物語や過去というものは存在するのですが…3話まででもって、ようやく3人のヒロイン全員の行動に一定の型が見えてきた、つまりはキャラクターが確立された、という事。遅れてきた主要人物でもある乃絵の兄、石動純が(2話で後姿だけは出ていたものの)いよいよ物語の筋に入ってくるのも、序章の終わりと、第二章の始まりを告げているかのよう。実際に4話のサブタイトルはヒロイン三人を一巡して、乃絵の発言から選ばれる事になります。…一巡と言えば。三話でもって、「とるてあ」を生み出す脚本家もまた、一巡してファーストステップを終えた事になりますね。 ・脚本家・森田眞由美と複数人脚本制 三代吉「お前、何やってんの」 眞一郎「あいつだよ。あの4番」 三代吉「はぁ?」 眞一郎「あいつが乃絵の…」 乃絵「お兄ちゃん!」 眞一郎「お兄ちゃんだ」 三代吉「はぁ!?」 眞一郎「あ、兄貴!?」 第三話の脚本は森田眞由美さん。この、あだち充作品と見紛うような誤解が解ける展開や、この回の肝となる、劇的で気を衒わないラストシーンは彼女の手によるもの。truetearsは3人の脚本家によって紡がれた物語ですが、三者三様の個性がよく出ています。岡田磨里さんが物語の真の意味での創造者であり(企画書がわりに初稿を書いたのが彼女)、手綱を締める万能の存在であるのなら、西村ジュンジ(純二)さんは何度か触れたように、作品を更に研ぎ澄ました、映像も込みで「空気を感じ取る」必要のある、緊迫感のある物語を作り出す。そして森田さんは、こういったコミカルなシーンや、ありふれたようでしかし重要な、トレンディドラマのような展開をぶつけてくる。勿論本作が一本の物語である以上、1話完結の作品ほど各々の担当回が振り分けられているわけではないですし、他の2人の回でも岡田さんによるチェックは入っているでしょう。様々なインタビューなどからすると、主に序盤の乃絵に関する描写はほぼ「岡田色」と考えて良いはず…それでも、各脚本には個性が感じられる。このあたりについては岡田さん自身が触れられている通り、意識的に個性をかけあわせているようです。 「最初、監督はふたりでもいいし、ほかの人呼んでもいいよっていうスタンスだったんです。でもふたりで恋愛ストーリーを書いた場合を想像すると、ちょっと食い足りなさを感じたんです。私も西村監督も、どこかひねくれていて、変に直球を避けるところがあるので。そこで、何を足せばいいかなと考えたのが、昼メロ的な要素でした。西村監督の描く世界は品があるので、アクの強さをつけ加えたら面白いんじゃないかと感じたんです。(中略)森田さんはドラマティックな作品を照れずに、体当たりで書ける人なんです。」(シリーズ構成・岡田磨里) 背景美術や作画など…何度も触れてきたように、「とるてあ」はアニメーションの集団芸術という側面を極めたような作品ですが、それが脚本面にまで徹底されていた事が感じ取れると思います。自分の話をさせてもらいますと、僕は基本「一話完結でない場合、アニメーションは一人脚本が理想」だと思ってきました。各エピソードに自分の必要な伏線などを決まった場所にはりめぐらし、物語を意図どおりコントロールできるだろう、と。それはある側面では間違っていない考え方だと思いますが…やはりどこかで、アニメーションのような集団制作の独自性・可能性を放棄した考え方だったかもしれません。岡田さんの管理の下振り分けられた三人の脚本は、実際一人の脚本では到達できないような、雄大な懐を兼ね備えた物語を生み出したのですから。各々が捉えるキャラクターの芯にブレがなければ、脚本家の個性による差は、寧ろ個人の計算では生み出しがたい「人としての自然な触れ幅」を生み出しうる。…これもまた「とるてあ」が教えてくれた事でした。 ・湯浅比呂美を形作る、複雑な感情 今回湯浅比呂美という人物を読む上で、その際基本として絶対に必要であろう2要素のうち2つ目が明らかになります。まず2話で語られたのが、比呂美にとっての「置いてかないで」という執着。いわば、眞一郎に「惹かれる力」、引力のようなもの。ただしその際にも触れた通り、彼女の中にその力だけが大きく存在するのならば、素直に感情にしたがっていけばいい事だし、それだけならあんな回りくどいやり方というのは考えられないんですね。つまり彼女には、執着を打ち消すだけの正反対の力、「惹かれる力」と同じくらいの「離れようとする力」、斥力が働いており、2つの力がせめぎあい揺らぎだす事で、湯浅比呂美という人格が形作られているのだろう、という事が予想されるのです。今回はその「離れようとする力」を明らかにすると同時に、それゆえの比呂美の心の動き、というものをよく捉えた1話になっています。 比呂美「ごめんなさい」 眞一郎「ああ…でも、それじゃあなんで…」 比呂美「でも、石動さんって凄いと思う。私、見抜かれちゃった」 眞一郎「ぁ…」 まずは2話の最後から3話の冒頭へと直接繋がる、夜の会話。一枚目の清々しい比呂美の表情と会話の大部分は、2話の終わりで既に描かれていた内容の繰り返し。とはいえ3話の出来事として括った方が見えるものが多い為、2話ではなくこちらで取り上げる事にしました。石動乃絵によって自分の行動を見抜かれた事が、彼女としては珍しく、素直に嬉しかった。作中含みを持たせた表情が多い中、この時の比呂美は素直に乃絵の鋭さに感嘆しています。朋与相手などではまるで見破られる心配もなく、学校でも「パーフェクト」(1話・三代吉の比呂美評)を通してこれたからこその、見抜かれた喜びでしょう。…が。眞一郎が2話ラストの比呂美「私、本当は友達になりたかったわけじゃない」に対し仲介人として当然の「じゃあなんで(紹介してほしいと?)」という疑問を投げかけようとした時には、あっさりと無言で歩き出し、自室に帰る事で会話を打ち切る比呂美。ここは、視聴者にとっては1週間前の2話ラストと同じ疑問、その繰り返しとして強調される部分です。「置いてかないで」が自分の根に存在するのならば、この時を好機と、一気に理由を明かして眞一郎に想いを告げてしまえばいいはずではないのか。なのに、それをしない…やはり、彼女にはまだ何かある、というのを3話冒頭で再確認してきています。 比呂美「来る事ないのに」 眞一郎「この道、暗くて危ないし、それに酒瓶重いだろ? …お前、あんまり気を使うなよ。使用人じゃないんだから」 比呂美「お世話になってるから…」 それを再度押してくるのが、Aパート終盤のこのシーン。眞一郎の母が比呂美に対し命じた、日本酒を届ける用事。比呂美に辛く当たる母への不満を露にしつつ、日本酒は重い&夜という事もあり付き添う眞一郎。「置いてかないで」の比呂美からすれば、非常に嬉しいシチュエーションであるはずなのに、口を突くのはまず遠慮。このシーン、実に比呂美らしさに溢れた面白いものになっています。 眞一郎「…ああ、この道歩いたよなあ!祭りの時、お前はぐれちゃって、わんわん泣いてさあ!」 比呂美「…覚えてないわ」 眞一郎「…そっか…あの、昨日の話なんだけど、見抜かれちゃったって、あの…」 比呂美「ありがとう」 眞一郎「え?」 比呂美「本当は、この道、怖かったから」 眞一郎「そっか…そうだよなあ!」 ここ、大好きなシーンです。最後の画は、タイトル文字が浮かんでくる前の画像も抜き出せるのですが…左下のタイトルが、このままCM(Bパート)に入る事を綺麗に強調しているので、あえてタイトル付。この会話、眞一郎の個性というものも合わせて、非常に面白いものがあります。まず、目を覗き込む乃絵とのわかりやすい対比としての「目を逸らす比呂美」というものが描かれている。2話の回想がまさに「祭りの時」そのものだったように、明らかに彼女にとって重要な過去である筈なのに、それを眞一郎に知られる事を避ける比呂美。やはり執着だけでは語れない彼女がうっすらと見えてくるわけですが、かなり苦しく搾り出した「…覚えてないわ」に至る前の2枚目がポイント。このような比呂美の表情はこれまでもあったし、今後も何度か出てきます。 ・「比呂美フリーズ」 彼女は激しく動揺した時、一瞬答えに窮した時、決まってこんな表情を作ります。設定で動揺時表情でも徹底されていたのでしょうか。例えばこれは、比較した場合ずっと小さい反応ではあるものの、一話夕方、眞一郎に「おかえり」と言われた直後にも通じている表情です(↓参照)。2話で言うと、教室前での眞一郎と乃絵を見つめていた時の、朋与に話しかけられる前。呆然とまっすぐ目を開いた時の彼女を比呂美の動揺…僕は「フリーズ」と呼びますが…そういったものとして記憶しておきたい所です。これは僕の勝手なイメージですが、おそらく比呂美自身は自分がこんな表情をしているなんて、考えた事もないでしょうね。自分の隙の無さに自信がある少女ですから。 再度この画像を見ながら。そんな表情の後、少々の間を置いて、覚えてないと言いながら顔を思い切り斜めに向ける。「フリーズ」時の硬直時間はその動揺の度合いによってまちまちながら、今回は目に見えるくらいのものですし、その後の顔の動きも大袈裟です。相手が眞一郎でなかったら、これだけで訝しむには充分。ただ、眞一郎は「そっか」。眞一郎自身がその「比呂美が覚えていない」という“事実”を真に受けてショックを感じているから、それどころではないんですね。また以前触れたように、比呂美のイメージに白いワンピースを着せる眞一郎ですから…根本的に、彼女の嘘というものに思いが至らないというのもあるでしょう。 眞一郎は次に、切ない結果に終わったその話を切り替える為にも、またある意味本題でもあった、ずっと気にかかっていた「昨夜の疑問」をもう一度ぶつけようとします。比呂美としては、昨晩はすぐ近くにある自室に戻れば話を打ち切れたものの、目的地が同じである今回は使えない手段。ではどうする?…そこで今度は「ありがとう」。一番最初に眞一郎が切り出した「この道暗くて危ないから」を今更肯定する形で、感謝を「笑顔つきで」示します。頭をかく眞一郎。…眞一郎はもう、比呂美の笑顔を見た(生み出せた)だけで喜んでしまっている。ここでCMに入る事が、この夜の会話はここで終わりました、という事を強調しています。…昨夜に続き、まるで会話になっていません。質問は完全に受け流されている。 この会話切り上げは、相手が眞一郎だから成立しているだけで、傍から見ている分には隙だらけでボロボロです。話の逸らし方といい、実に怪しい。けれど、そこで綺麗な笑顔とともに「完全に騙しおおせた」ような体をとってしまうのが、そしてこれまでとれてきてしまっていたのが、比呂美という少女の難儀で、ある意味不幸で、そして愛らしい所と言えるでしょう。乃絵に見抜かれた時の素直な賛辞にも現れていますが、彼女、どうも「自分なら隠せて当然」と思っているフシがあるんですね。それはやはり、学校でパーフェクト少女を演じてきた自分自身への自信、自負というものでもあるでしょう。物語を覗いている側からすれば、その主な対象が女心に疎く自分の恋心で一杯な眞一郎と、ちょっと大雑把な所のある親友・朋与だから成立しているだけという気もしますが(笑)ともかく、眞一郎相手ならば、こんな苦しい逃れ方でもなんとかなってしまっているのが、CMに「入る事ができた事」で示されている。いわば、CM前は比呂美にとっての逃走サスペンスであり、CMに入る事は彼女の「エスケープ成功」を表しているのでした。 ・比呂美の深い想いと、それを封じる心の鍵 比呂美「置いてかないで、置いてかないで眞一郎くん…」 Aパートで違和を出し、Bパート冒頭ですぐさま答えを出す。2話でも触れた、本作特有の溜めと解放のリズムがよく出ている演出であり、脚本です。AパートとBパートをここで区切ったのは脚本なのでしょうか?それとも、それを見てコンテを切った監督?森田さんでも不思議はないものの、個人的には西村監督だとしっくりくる部分ですね。Aパートのラストを画面左下のタイトル表示で「引き」、Bパート冒頭を画面右下のタイトル表示で切り出す。日本の漫画・小説文化のページ開きにも通じる配置でもって、Aパートの比呂美の複雑な反応の答えをすぐさま見せてきます。 基本的には2話回想の続きであるこのシーン、2話の時は既に触れたように、BGM(SeLecT)が大きく鳴り響いていました。その時とは違い、今度は遠くの方に、祭囃子が聞こえ、波の音や風の音も聞こえる自然な状況。格好でほぼ確定事項ではあったものながら、今度は音も加えて完全な「祭りの夜」を振り返っています。BGMの有無の差は何なのでしょう?2話回想が、試合中の比呂美の心、その心の揺れを引き継いで生まれたものであるという事をBGMで示したのに比べ、今度はCM明け、どこからでもない一旦落ち着いたニュートラルな状態からの「回想の為の回想」を始めています。 「わざと」余り枚数を削らず回想を載せました(後述します)。ここで重要な点は3点。眞一郎が比呂美を竹林で「見つけてくれた」事、暗闇は幼い眞一郎にとっても怖かったが、比呂美の為に乗り越えようとした事、そして最後に、右足の下駄を脱いで一緒に歩いた事、です。 まず、泣いて走りまわっていた比呂美を、颯爽と現れた眞一郎が見つけてくれた。笑顔とともに現れた彼が、「置いてかないで」と不安や孤独で泣く彼女にとって、どんなに暖かで大きな存在に感じられたでしょうか。次に、彼女の痛んだ右足を見て下駄を探しにいこうとしたものの、幼少の眞一郎にとってもこの竹林の向こうは暗闇で、怖かった。下駄を探そうと、比呂美の来た道を見た時=暗闇を映したカット時、風の音が意図的に強まっていて…それが根源的な暗闇の恐怖を煽る演出効果を持っています。それでも、比呂美の為に探しに行こうと決意した。ここで眞一郎の逡巡を一つ挟む事で、単なる「格の高い仲上眞一郎」という描写にならず、彼なりの、少女の為のなけなしの勇気を感じさせてくれます。最後に、比呂美自身が「置いてかれる事」を極度に恐れていたことで、探しに行くのを彼女の為に断念した、その後の眞一郎の選択です。 共に幼く、体格にあまり差がない彼女を背負うほどの体力は求めにくい。あとは自分の下駄を譲る、という選択もあるように思いますが、サイズも違います。三足あるから二人三脚という手は?何か即席の下駄を作る方法は…と。敢えて色んなアイディアを出しました。ここで眞一郎がとった選択は絶対の案ではない、という風に思いませんか?確かに妥当性の高い行為ですけど…比呂美を泣きやむまで励まし、言い聞かせて、すぐ戻ってくるから!と探しにいくのも、まあ比呂美の状況を見るにとりづらい選択ですけど、やっぱり人によっては選びうる選択であるように思います。…でも、眞一郎が選んだのはこの選択だった。相手と同じ右足の痛みを感じてあげながら、手を繋いで一緒に歩く。この行為を、何の違和感もなく通り過ぎたくはありません。彼がこうやって、ナチュラルに人の痛みを自分の痛みとしてそのまま受け入れてあげられる少年であった事…それが比呂美の心に残したものは、大変大きかったでしょう。 またこの行為を見た後でAパートラストを思い出すと、眞一郎には、比呂美のお使いを自分がそのまま引き継ぐ、という選択もあるはずなんですよね。実際重たい日本酒は眞一郎が持っていて、比呂美と二人で届けにいく必要は無い。けれど、例えばあそこで比呂美だけが家に残れば、眞一郎母もいる家、大変に肩身が狭い。また、普段から気を使って小さくなっている比呂美の心情を慮っても、眞一郎がそのまま仕事を代わる、というのは比呂美自身が受け入れないかもしれない。そういった事も、また眞一郎自身の「一緒に歩きたい」という打算もありますが、全て合わさった上で「二人で届けに行く」という選択を取るのが、頭で難しく考える前にそう出来てしまうのが、今も昔も眞一郎が眞一郎のままである部分、と言えるのだと思います。 先ほど、わざと枚数を削らなかったと書きました。それは何故かというと、比呂美の想いの深さをあらわす為。眞一郎に問われた時は一言「覚えてないわ」と答えたのみなのに、その直後に紐とかれる文字通りの比呂美の「回想」シーンは、遠くから聞こえる祭囃子、闇の深さ、竹林を吹き抜ける風の音、そして一挙手一投足に至るまで、その時あった出来事…全てがおどろくほどに鮮明です。そっけない「覚えてないわ」とは、180度違う映像としての詳細さ。この思い出が、彼女にとってどれほど大切か。どれほど彼女に影響を与え続けているか。この少し長めの回想と、音響に至るまでの繊細な映像が、どんな発言よりも雄弁にその事実を物語っています。ましてや比呂美のように心をそのまま表に出さない少女の場合、そうやって演出を掬い上げる事でもって、ようやく見えてくる想いがあるのでしょう。 全部封印したの。この家に、暮らすって決まった時… 比呂美「置いてかないで、か…」 回想を引き継いでの、比呂美のモノローグと呟き。上段部分の声も比呂美ですが、その際は「置いてかないで、か…」と異なり口元が映らない事、回想の最後から声が入ってくる事。これらから、呟きではなく彼女の内心のモノローグと考えた方が自然。ここで初めて、比呂美という少女に備わっている「置いてかないで」の対極、眞一郎に近づくまいとする「封印したの」が登場します。この封印という言葉をさして、比呂美の本心を封じる鍵、と表現しました。眞一郎への執着と、眞一郎への想いの封印。この二つがあって、ようやく比呂美というキャラクターが確立されてきます。 1話で、眞一郎が「はじめて比呂美が仲上家にやってきた時」を回想しています(シャツが108MA!=富山)。あの時の沈んだ表情は、単純に家族を亡くした悲しみというだけでなく、既にこの「封印」を抱えてのものだった、という事がここでわかります。ただ、それだけでは1話から描かれ続けている眞一郎の母との確執との線が繋がりきらない面があるんですね。最初から眞一郎に近づくまいという決意をもって仲上家にやってきて、そのまま眞一郎の印象どおり、笑わない、小さくなっている。そんな彼女のままでいるのなら、何をもって眞一郎母と比呂美の関係が難しくなるのか、掴めない。…ここはまた、小出しの部分です。意識に残しておきつつも、3話の段階では比呂美の発言にしたがって考える事にします。とにかく彼女は、両親の死という事情でもって、それを利用して眞一郎に近づく事を良しとしなかった。眞一郎に対し、執着心を引きずりながら、近づいてはいけないという決意も持っている。離れたくはない、けれど近づいてはいけない。置いてかないで、封印したの。その比呂美の中にある押しの感情と引きの感情の相克を掴まないと、比呂美という人物はまったくと言っていいほど見えてきません。そして、その感情の争いのスキマを突かれた時、決まって彼女は「フリーズ」するんですね。そこが掴めれば、3話ラストの比呂美の感情は、手に取るようにわかるのではないでしょうか。そこは後編で書く事にしますが、最後に、翌朝の比呂美についてだけ触れておきましょう。 比呂美「あ、おはよう」 眞一郎「え、あ…もうそんな時間だっけ」 比呂美「ううん、私は男バスの試合の準備があるから」 眞一郎「あ、そう…」 比呂美「じゃ」 眞一郎「あ、あの…」 比呂美「え?」 眞一郎「あのさ、時間あったら応援にいくよ」 比呂美「うん」 朝のなんでもないような会話…ですが、実はここも、物語が始まった段階の比呂美像からするとちょっとした「違和」です。比呂美から朗らかに挨拶をする事自体が、彼らの日常にはなかった。だからこそ眞一郎はすぐ「おはよう」で返す事もできず、咄嗟に言葉が出なかったのです。ここは比呂美の変化で、例えば2話「私、何がしたいの…」での、醤油瓶を取ろうとして手が触れ合った時の視線に通じるものがあります。途中で乃絵を紹介してもらう、という計画の頓挫はあったものの、ここまでの比呂美には実は一貫して「(仲上家では)前よりも積極的にいこう」という意思が見える。それ以上に進むことは「封印したの」が妨げるでしょうが、傾向としてほんの少し踏み出してはいるんですね。勿論「覚えてないわ」というブレーキとワンセットの、本当に些細なものですが…。この変化を彼女にもたらしたものは何か?それは勿論、石動乃絵の出現。前述の「押し」と「引き」の感情という捉え方に合わせますと、これまで一年近く、比呂美にとってはそれなりに均衡の取れた「押し」と「引き」のバランスが形成されてきました。不幸なバランスではありますが、比呂美の無理でもって生まれた、それなりの心の穏やかさがそこにはあった。ただ、そこで眞一郎に近づく石動乃絵、という存在を感じ取った時、彼女の中での調和が乱れ、心が揺らいでしまった。その事が2話の行動につながりますし、それが収まって幾分平静さを取り戻した上でも、3話でこのようなスタンスを取る事に繋がっています。ラストシーンの衝撃でもって、ついつい忘れがちなこのシーンですが、そのラストシーンまでの比呂美の心の流れを追う上では、ここも大事な部分だと思います。石動乃絵と仲上眞一郎の出会いは、こうやって波紋となって周囲の人物に変化を与えていった。結局、核はその2人なんですよね…後編も、そのあたりから触れる事になると思います。 |
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