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#291 {作画チェック}{演出チェック} サブタイトルのハイエナ RIDEBACK第1話「深紅の鉄馬」
投稿者:ルイ [2009/01/18 10:58]
公式サイト=http://www.rideback-anime.jp/rideback.html
脚本=高屋敷英夫
絵コンテ=高橋敦史
演出=高橋敦史、若林漢二
作画監督=田崎聡
原画=阿比留隆彦・新岡浩美・寺尾洋之・内田信也・鈴木ひろみ・諸貫哲朗・金錦樹・橋本浩一・青野厚司・佐藤利幸・中村光宣・長森佳容・中川雅文・片岡恵美子・神山裕子・斉藤真由・本木久年・小磯由佳・増井直子・松村政輝・谷口亜希子・李胛胶・小野重幸・動画工房・スタジオ・マーク



 アニメ第一話は、とにかく事前情報なしで観るのを好みます。とりあえず大体の番組を録画するんですが、脳みそがまるで追いついてない状態から観ながら追いつかせるプロセス、それ自体が非常に愉しいと思ってるんですよね。…とは平生から思ってて、毎回最初の数分は色々大変ではあるんですが、さすがにこれは度肝を抜かれました。タイトルからして、3DメカCGモノかしら?程度の意識で見始めた瞬間、管弦楽版ではない、ピアノ版のムソルグスキー「展覧会の絵」しかも最終楽曲「キエフの大門」が流れてきたんですよ?しかも作画も正面からバレエを描いている(シューズを立てた瞬間の動き!)。あまりに想像の範囲外で…この瞬間の衝撃は、ちょっと言葉では伝えきれない。3Dバイク頭文字Dを想像していたら、展覧会の絵ですよ?例えるなら、ママンが部屋のドアを叩いたと思って、慌ててエロ本を隠して「なんだよ今勉強してるのに集中できないだろ〜」みたいな表情作ってドアを開けたら、そこにいたのはプレデターだった〜みたいな…しかもプレデターはプレデターでも、プレデターXだった〜みたいな…エロ本隠す前に刃物取り出すべきだった〜みたいな…(←)。

 それにしても、この冒頭シーンは映像メディアの強みが出ましたね。最初のピアノ一音で鳥肌経ちましたから。まさに動き、光、音で攻めきった部分です。

彼女が、尾形遊紀の娘か
ああ、あの…
未来のプリンシパルか
これが初主演だって


 あれ?水樹奈々さんって、「WHITE ALBUM」でも天才ミュージシャンの妹で、オガタさんじゃね?そっちの名前はリナだけど、ライバルの名前ユキじゃね?みたいな混乱も軽くしつつ…(互いの作品に罪はありません)

 「展覧会の絵」自体、70年代プログレッシブロックバンドのエマーソン、レイク&パーマー(EL&P)が一作丸ごとロックアレンジにしたりして、ロック好きには親しみのある楽曲。僕もその例に漏れず、初めて通しで聴いた展覧会の絵は、オーケストラでもピアノ演奏でもなく、そのEL&P版なんですが…すぐその後にラヴェルのオーケストラ版も買って…ひょっとしたら、あらゆるクラシックを通しても(レコード版とはいえ)はじめて通して聴いたクラシック曲かもしれない程で…(ドビュッシーかも?ガーシュウインを含めていいならガーシュウインかも?w←あやふや)…とにかく、耳に馴染みもあって流れ出した瞬間「うわ、展覧会の絵だ!しかもキエフの大門だ!」と気付いてしまい、鳥肌が止まりませんでした。展覧会の絵にあって、最も壮大な構造を持つこの「キエフの大門」は、人の正と死を見つめる為そこに在ったかのような、超然とした、人工のはずなのに人工ですらない気もする程の、巨大な視点を内包した造形物を感じさせる。人間の視点を超えた、遥か高みから、幾百年も人の営みを見下ろしてきたかの如く、全てを知っているかのように雄大な視点。それを思わせる、主人公と思われる少女の、静かな表情の中に溢れる情熱と、張り詰めた緊張感。作画もそれに堪えるべく、線一本引き間違えるまい!という気合を感じる、素晴らしい仕上がりです。



世界は変わる、まるで舞台の場面転換のように
でも、変わっていく世界すら、私には無縁だった
私は母から言われたとおりに、舞台の上に与えられた生を
踊り手として必死に生きるだけだった


ここが私の世界…!
この光、この感覚…!この舞台の上にいる時だけ
私は自分の存在を感じる…!


幕は不意に閉ざされた
世界は…変わる。


 物語において、主人公のリアリティを作るのは本当に大切だと思います。このリアリティというのは、納得の問題ですね。こういう人で、こういう事がしたい。抱えている事情、手にした力、大きな目的…とにかくそういった描写を詰めていく事で、キャラクターに「このキャラクターならこうする(これはしない)」という型が生まれる。この型は本当に大切で、これがないと行動1つ1つに思い入れを注げないんですよね。そして、その「基本型」から外れた時のエネルギーも生まれない。「まさかあのキャラクターがあんなことするはずない・・!」というのが、「よく考えたら…こういう事か!?そうか、あのキャラクターなら一見違うように見えて、こうするんだ!」という気付きに繋がる快感であったり。そういうものは、全て予めの「キャラクターのリアリティ」あってのものです。和のない所に違和は無いですからね。

 そういう意味で、この第一話は、そしてこの冒頭アバンは強烈でした。この先ライドバックがどこまで行くかは正直わからないんですが、とりあえず第一話は最高です。精緻な作画と厳粛な音色を盾に、主人公、凛にとっての舞台という世界の神々しさが、視聴者全員の意識にプールされるんですよね。この脳内イメージが残っている限り、そこから先の凛は全て読めてしまう。この作画と音の世界で、光の中で役を生きようとしていた彼女が、「キエフの大門」の最中で倒れてしまった。彼女の中で舞台は消え去り、「展覧会の絵」は永遠に終わらない曲目になってしまった。この強烈な喪失感を踏まえた上で…

世界は…変わる。

 このラストシーンを観てしまったら、もう何も言う事がない。二足可変型バイク?トランスフォームタチコマ?よくわかりませんがwとにかくこのライドバックが彼女にとっての足であり、翼であり、光を見せてくれるものであり…「世界を変えるもの」だ、という表現において、もう何1つ不足がない。アバン冒頭、アバンの後半、そしてここと三度「世界は変わる」と口にさせているのですが、一つ目は世界状況という、凛の意識から遠く離れた他人ごととしての「世界は変わる」。2度目は、足が砕け、全てが消え去ったという意味の、内的世界の絶望的な変化。三つ目は、それが再び輝きを取り戻した瞬間の変化、。シンプルな脚本ですが、声があるアニメーションだと同じ言葉でも演じ分け1つでまるで違う表情を見せられる為、充分効いてます。

 しかもこのシーンで、アレンジされた「キエフの大門」が流れだすという…その万言よりも雄弁な「自分にとっての全てが、形を変えて再び眼前に現れた」瞬間の表現。彼女の中で、永遠に終わらないはずの曲目が再び再開された事の意味。このリアリティ、この納得は、今後の凛のキャラクター性を底支えします。例えば凛が、このライドバックを持って逃亡するとか…何か病的なまでの執着を見せるとか…そういった「一見おかしな行動」を取ったとしても、この流れさえ掴んでおけば、それは何1つ「尾形凛として」おかしくないんですね。彼女は一度失った夢なり自分なりに、奇跡的に再び巡り合えたのですから。

 今回一話のチェックの形を取りながら、意図的にOP前アバンとラストシーン以外のシーンを無視してます。勿論、色んなキャラクターが紹介されたり、情報があったりと意味はあるんですけど…圧倒的に、アバンとここの繋がりが強い。乱暴に言ってしまえば、冒頭の原画を腕のたつ人に任せて、ラストシーンをこう纏め上げたら、既にその時点でこの一話は「勝って」ると思います。今後、単に凛ちゃんが俺TUEEEの話だったりすると困りますけど(笑)でもそうだとしても、この回の「第一話」としての評価は揺らがないでしょうね。一話で存在理由とまで言えそうな動機を立て、それを喪失させ、形を変えども、再びそれに巡り合わせる。うーん、完璧です。この先ヘタれても、この一話だけで評価を+1し続けるような1話だと思う。そして、1話で築き上げたこの「凛のリアリティ」を蔑ろにしない作劇を組みさえすれば、基本的にそう悪くなる事はないと思います。この先も期待。また良いシーンでクラシックを流して欲しいなぁ。無骨な3DCGメカとクラシックの融合、良いですよね。
  • {{作画チェック}} 続 夏目友人帳 第10話「仮家」 投稿者:ルイ <2009/03/14 04:59>