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#305 {演出チェック}{EDチェック} OPEDのハイエナ 黒執事 後期ED
投稿者:ルイ [2009/02/10 21:19]
<<<親記事]

公式サイト= http://www.kuroshitsuji.tv/
絵コンテ・演出=篠原俊哉
作画監督=芝美奈子
原画=清水裕実



白薔薇の花言葉を調べてみると「尊敬」…尊敬。セバスチャンがシエルに「尊敬」。おお、美しい。

 ダベり好きが高じて普段どうしても文章を長くしてしまうタチの僕としても、さすがにED通して原画4枚PANしてるだけじゃあ語る事ないぞ?みたいな(笑)。しかし、様々な状況を踏まえても極めて良質なEDだと思います。まず単純な事実として、「2クールアニメの後半は制作がキツキツ」。しかし新EDを作らなくてはならない。では、どうするか?その問いへの回答として、かなり美しいEDでしょう。監督が直々にコンテ演出を行う代わりに、アッサリとした静止画。一枚一枚のカットをちゃんと描く事で画面を持たせながら、あとは映像自体の持つ意味、主張で押し切る。ここまでシンプルに90秒世界を完結してみせたら逆に見事で…引き算を極めたようなものになっています。そしてその引き算は、作品への問いに答える事で完成している。

 先ず「“黒執事”とは何か?」→「貴族シエルと、執事セバスチャンの関係性である」。誰でもわかる事ですけど、完全に他のキャラを排してみせた所がその徹底になっています。では次に「その、シエルとセバスチャンの関係性とは何か?」→「契約関係である」。これがポイントです。この2人の関係、もっと色々なものが見える。見えるけれども、最終的には?と言ったら、まず情とかいったものを通り越して、人間と悪魔の命を用いた取引、契約関係に過ぎないわけで。ある意味で「地獄少女」の「紐解いたら契約完了、でも死んだ後魂地獄ね」に近いのですが…「地獄少女」観ていて、その死後のペナルティって感じます?触れない事でワザと「死後」のリアリティの希薄さを表現しているようにも思うのですが、僕はそこがどうしても好きになれない。契約なら、取引なら。対価をなあなあにしてはその重みは出ないだろうと。話を黒執事に戻せば、それは紛れもなく「シエルが死んだ場合」の話なんですよね。

 黒執事は現在も連載中の作品なので、アニメ版が「そこ」まで到達するかは不明です。作品に終了したというイメージを与えられても困るでしょうし、まあオリジナルとして好きにやっちゃって下さい!という作品もある一方、そうでないものもある。ので、この選択自体には、僕はあまり価値を見出していない…というか「描いてくれるなら嬉しいけど、描けないならそういう外部の事情も関わるのだろう」程度の悠然とした構えなんですね。但し!直接描く描かないは別としても、この「核」を感覚として持っていてもらわないと、話にならないとは思っている。その点で監督の篠原さんは、最初のOPからベンチで眠るシエルが消える絵でもってそのあたりの暗示をしっかりと残している。今回のEDで極まったような形ですが、ここを蔑ろにする作り手の「黒執事」なんて安心して観られません。そういう意味では、このEDは約束手形のようなもの。このEDがある限りどう終わったとしても認められるね、楽しめるね、という、篠原監督の視点を保障するものになっていると思います。あとはまあ、ラストカットですけど…これは篠原監督の趣味かなあ…

 完璧にベックリンの絵画「死の島」ですよね。黒執事なのに白薔薇を撒いているのは、「死の島」で描かれているのが白い棺(くろしつじとしろひつぎ…ゲフン)だったから、というのもあるのでしょうか?

 僕はPS2ゲーム「ICO」と関連付けてこの絵画を記憶しているんですけど、ICOというゲームは、村で1人角の生えた少年が生贄として島に送り込まれて、そこにいた少女と共に小船で脱出する話…色んな暗喩が感じ取れる設定になっています。「死の島」は、あの作品の感覚に通じるものがある。まあ、ICOとムリに繋げなくても、死出の船出というくらいで。我々にとって死のイメージと「船(水)」のイメージは密接に結びついている。ですから、シエルを乗せた小船を濃いで死の島へと進むこの映像は、誰が観ても、死の島もICOも知らなくてもピンとくるものがあるのではないでしょうか。簡潔にして十全。篠原監督の美観が世界観の奥底とジャストマッチした、美しいEDだと思います。うーん、結局原画四枚にここまでダベる人とはエラい違いだね(笑)!