娯楽のハイエナ

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#306 {演出チェック}{OPチェック} OPEDのハイエナ 獣の奏者エリン ED
投稿者:ルイ [2009/02/10 21:59]
<<<親記事]

公式サイト=http://www3.nhk.or.jp/anime/erin/

 歌詞含め、とても好きなEDです。映像も極めてシンプル。OPとはえらい違いだよ!!…って敵意こもってるな(笑)。いや支持者が多い事は知っているものの、スキマスイッチってあんまり好きじゃないんですよねぇ。メロディが泣かせに特化してるのなら、歌い方はもうちょっと歌世界と距離とってよって「こなぁ〜、ゆきぃ〜」の頃から思ってまして。今回のOPでいくと、ラストの「君を抱いて歩いていこう」のあたり?日本人はやっぱり民族として「演歌」が好きなんでしょうね。僕はどっちかというと北欧のトラディッショナルフォークの方が好きだから、そういう歌世界と伝達者との距離感を求めるのかなあ(中世のトラッドって、かわら版みたいなもので…歌い手は自分を不在にする事から始まるんですよね)、と自己分析したり…おおっと脱線。まあ、OPもEDも近い所を歌っているんですけど、直接的でない分EDの方が「染みる」ねえ、という程度の話です。

 雨粒をピアノの一音一音に合わせる、単純ながらアニメーションの良さが詰まった部分。いうまでもない事ですが、雨粒は涙を想起させるもの。雨が降ったら虹が出る。古くから何度使われてきたかわからない「止まない雨は無いんだから」の類ですね。それをもうちょっと遠くから眺めると、雨が降ったから美しい虹が出る、という世界の循環、表裏一体の話になる。それだけの事です。でも、「何度使われてきたかわからない」から「使わない」なんて論法はおかしいわけで。何度も使われたなら、それだけの伝達力がある。じゃあ、使いたければ使えばいい。そういう、気を衒わない良さがあります。

 絵本を意識したと思しき線や色合いも素敵です。…この作品、おそらくは子供の目線を通して「世界(社会)を知る事」を結構真正面から描いている作品です。この世界で戦馬のような役割を持っている生物「トーダ」について、生物だから仲良くしたいの!とエリンが極めて「子供として正しい事」を言っても、この国のシステム自体がトーダを一方的に使役する事でしか成立していない。トーダがいないと国も守れないという、常時異民族の脅威に晒されてきた中国のような構造を持っているんですよね。

※でも、エリンは子供なので…村の行いにはむかってトーダを必死に守ろうとしても、あまりイラッと来ないのがポイントですね。エリンは子供心としては間違っていないから、だからストレスにならないのだと思います。…但し結果、自分のせいでお母さんが土下座して謝ると…子供には怒られるよりこの方がいてえ…orz

 人間の操る笛の音を遮る耳膜があるという事は、トーダって人間に使役されないように進化してきたんじゃないか?とすら思えるんですけど…とにかくその耳膜をちょん切らないと、トーダは使役できない。例えその時トーダが痛ましい悲鳴をあげ、それが心に辛くても。それも全てひっくるめての掟・制度・社会=世界であると。

 こうやって世界に向き合えば、「雨(涙)」というものも不可避で。じゃあどうするかといったら、歌詞の通り「After the rain」なんですよね。悲しみは消えないからこっそり楽しい思い出に混ぜよう…そして、雨が上がったら何から始めよう。もう、歌詞が全部語ってます。母から様々な事を学んだエリンが「after the rain」、何から始めるのか。まあ、描こうとしているものがOPED本編どこからも同じものが見えるだけに、とてもわかりやすく、そしてハッキリとした倫理観をもった良い作品ですよ。展開を焦っているように見せない描き方が良いですね。序盤の5話くらいは、もうこう描く以外にないと思います。これを3話とかで纏めちゃダメだよなあ…。普段速度速度言っててもそう思います(笑)。母との日々は、彼女のコアになるのでしょうから。

 ち、ちなみに傑作true tears主題歌「リフレクティア」のジャケットに虹が出ているのは、このエリンEDと全く同じ意味合いなんだからねっ!べ、別にどうしてもってわけじゃないけど、そのあたりできたら見逃さないでよねっ!(ツンデレ調)