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#324 「るくるく」の推理は可能か?不可能か?
投稿者:LD [2009/09/02 22:49]



ちょっと前に「るくるく」(作・あさりよしとお、2002年〜2009年)の最終巻を買って来たのですが…恐ろしく謎な終わり方で僕はとても混乱しました。「るくるく」は極貧の少年・鈴木六文の家に、謎の美少女悪魔・瑠玖羽(瑠玖羽)とお供のブブがやって来て六文の世話をし出す。それに合わせて神の御使いである天使たちも現われるようになる。自らの善を信じて疑わない天使たちは、悪魔である瑠玖羽達が何か悪巧みをしているに違いないと色々ちょっかいをかけてくる…というコメディですね。
もともと、瑠玖羽の目的は何か?とか六文と瑠玖羽の関係は何か?と言ったストーリーの中に謎が散りばめられていたのですが、それが締めに入る最終10巻に来て〜連載的にも多分、9巻末に大天使ミカエルが現われて10巻に入るタイミングを見計らっていたように思いますが〜謎をさらに謎をかけて行くような展開が続き、しかも、最終回はその謎をぱっと放り出すように終わり……少なくとも軽く読んだ程度では、理解できない形で終了していったんですね。

…で、しばらく僕もいろいろ「読み解いて」考えてみたんですが……ダメでした(汗)どうもこれという繋がり方をしません。内容を追う限り、あさり先生は連載当初からこの構想を持っていて、故に途中で設定や内容を変えたりせず、一本筋で繋がる形のはずなんですが…どうも誤誘導的な情報がある事と、根本的に情報不足で、自分で納得できる「読み」に昇華されないんだよなあ〜〜(汗)(……これで、もし途中で設定を変えられたりしていたら、分るはずがない…orz それは意地悪過ぎです。あさり先生…orz)
しかし、ちょっと断片的ながら、僕が整理した情報を書き出しておこうと思います。これを元にもう少し「読み」進めて真相に近づけると良いのですが……。


まず「るくるく」を読み終わった人(以下、読み終わっている事が前提です)なら、おそらく誰でも近い結論には達するであろう「読み」ですが…

1.鈴木六文には“神(GOD)”が降りていた?

…ですね。いくつかの場面で「借りた物」、「作った物」という言葉が出てくるところを観て、六文が“神自身”ではないと思われます。それまで大天使ヨフィエルが和尚や数に、大天使ミカエルが荘司や西念に憑依していたように、六文の身体を占有していると思われます。それ故、六文は、子供の頃の想い出を思い出せない。思い出してはならない状態となり、作中で何度か語られたように“綻び”や“終わりの時”が設置されたのだと思います。藤子F先生の“神様系”の話とか、(マイナーですが)「亜州黄龍伝奇」とか、まあ、今一番通りが良い作品は「涼宮ハルヒの憂鬱」だと思いますが、あれに近い状態なんでしょうね。
逆に当初からあった謎(?)の瑠玖羽たちが善行を積む目的は……言葉通り「地獄がいっぱいだから」で良いように思えます。これは“神が不在”となった事にも原因があるのかもしれないし、直接の関係はないかもしれません。いずれにせよ、瑠玖羽のこの“人助け”は謎のように振る舞うことによって、本当の謎である“何故、瑠玖羽は六文の所に来たのか?”の方の注意を外す働きをしています。

また当初、なんの迷いもなく悪魔の討滅を目指していたヨフィエルは、一度天界に戻ってから様子がおかしくなります。瑠玖羽と闘う…というより瑠玖羽の目的を探り、それを阻止する事に重点がおかれるようになる。問い詰めるルミエルにヨフィエルは「天界には何もなかった」「何も見なかった」を繰り返すだけ。…これ最後まで通してみると“神が不在”だった事を指しているようにしか見えないと思います。



最終回でミカエル(瑠玖羽とソックリ)は、「私がこの世界を創…」と言いかけた瑠玖羽に襲いかかり、それをヨフィエルに蹴たぐられて止められる…そういうシーンに見えるんですが、ここは多分違いますね。ヨフィエルが足を引っかける前のコマで六文の影のコマがはっきり描かれています。つまり、このシーンはおそらく、ミカエルは六文を襲おうとしたか、あるいは、瑠玖羽の元から奪い返そうとしています。ヨフィエルは、瑠玖羽との闘いを止める事はしませんが、六文に直接触れる……つまり“神”に手を出す事に対して「ミカエル様、それはいけません」と言っているのでしょう。
しかし、それにしては(事態を知っている)ミカエルやヨフィエルの六文の扱いはぞんざいじゃない?って疑問は出てくるんですけどね(汗)………まあ“神”が並以下の少年である事を望んでいるなら、並以下の少年として扱おうというという事かも知れません。いや、実際にはミカエルはそれに徹しきれず、上述のように六文に触れようとしたり、六文の記憶を甦らせようとして文化祭(10巻)で瑠玖羽の姿で「六文、あなたは私が造ったのよ」とカマかけ(?)に行く。



でも、多分これ誤誘導です。そもそもミカエルは瑠玖羽の企みがよく分っていない。また、その後の六文の問い詰めに本物の瑠玖羽が肯定するのですが、その時の六文のセリフはこうなっています。「うちの家はるくが作りだしたもので…俺も親父も本物じゃないって本当?」→「うん」つまり、家をるくが作りだしたものである事は肯定しても〜これについても、一度、六文の家は悪魔たちのリフォームがされているので、これを指しているのかもしれない〜六文が瑠玖羽によって造られた事は肯定されていません。逆にこういうひっかけが置かれているということは、それ故に、六文が本物ではなく(?)その状態が瑠玖羽以外の者によって造られた事を意味していると思います。

また、だからこそ瑠玖羽は「何故、(普通の少年と思われる)六文の元に現われたのか?」に答える事ができない。それを言ってしまうと、今あるこの世界が終わってしまうから(終わっても元の世界に戻るだけかもしれないけど、神がそれを望んでいない)、あるいは瑠玖羽は神の元に参じただけで、神が六文を選んだ理由は分らない…って事でもありますね。

2.六文の親父を殺したのは誰か?

しかし、六文が“神”という事になると「るくるく」の第1話は違った様相を呈してきます。この物語は、実は非常に生臭いのですが、六文の親父が何者かに惨殺される所から始まるんですよね(汗)何者か……と言いましたが、その犯人は下っ端天使(でもないんだけどw)ルミエルという事になっています。そして六文はフライパンでその仇を討ったこと、また、六文の親父はブブが黒猫として甦った事でその後、この件は不問という事になっています。しかし、その後のルミエルの行状を見て行くと、人間を姿形も分らなくなるまで惨殺できるようなキャラに思えないのではないでしょうか?



注意して読んでみると瑠玖羽もブブも、殺したのはルミエルだとはっきり言っているセリフはありません。ただ、ブブが六文の親父は「神罰を受けたのだ」と言っているだけです。……“神罰”なんですよねえwこの物語が“神の不在”を問題にしているものだとすれば、その第一話を説明するために使われた“神罰”なんて言葉を簡単に流していいようには思えませんw………もう、僕が何を言おうとしているか分るかと思いますが「六文の親父を殺したのは六文(神)自身」って事はないでしょうか?そう考える事によって、瑠玖羽がこのタイミングで六文の家に現われた理由が繋がりそうな……気がします?(←まだ繋がっていない)いや、六文には実は本当の両親がいて、劇中のこの親父(黒猫)は瑠玖羽が造った(あるいは使わした)親父という考え方もあるので、ちょっと複雑なんですが…少なくとも瑠玖羽は幼い頃の六文と出会っていて、その後、間をおいて六文の前に現われているんですよね。幼稚園から中学まで10年近い空白がある。…それは一体何故?というのがあります。
ありていに言うと、親父が死んだところで現われるというのは、六文(神)を独りにしないためと思われるのですが(作中、瑠玖羽は、ずっとその事を気にかけている)……しかし、ここらへんの経緯がいまひとつ繋がらないのですよね。六文の親父が本当の親ではないということは、あの黒猫は六文(神)に造られたもの〜瑠玖羽(あるいはブブ)が造った〜もともと悪魔の眷属〜というあたりまであって、ここらへんがはっきりしないと…っていうのがあります。そもそもの事の起こりである、この部分の経緯がはっきりすると全体像も見渡せるようになると思うんですが…ちょっと僕には有効そうな情報は拾えていないです(汗)

3.“借りたもの”は返されたのか?

そして最終回、別れの抱擁をした瑠玖羽は「借りたものはもとの場所に返さなきゃな」とつぶやき、そしてお供の悪魔共々、六文の元から去って行きます。そして六文は……いつの間にか神社で数に突き落とされた事になって、そこから目を覚ました。六文には両親と別の家(多分、一般家庭と同じように家電がある)があり、かつて瑠玖羽や、ブブ、親父(黒猫)たちと過ごした家を見つける事はできなくなっていた…というラスト。
瑠玖羽と悪魔たちは本編中ずっと六文が昔の記憶を取り戻すのを恐れており(逆にタンちゃんは「そんな状態をずっとつづけるのは無理だ」と嘲る)…その崩壊が時間の問題となったとき、六文から離れる事を決めた…ようです。でも、どうなんでしょうね?六文から離れる事によって回避される崩壊というのはちょっと想像しずらい。瑠玖羽たちと別れようが別れなかろうが、記憶が戻りそうなら戻る事は回避できないでしょう。だから、むしろ最終回は六文が記憶を取り戻してもよくなった……つまり、六文から“神”が離れて、瑠玖羽たちは次を追った……と考えると意味が通りそうに思えます。



そこらへんから詰めて行くと、最終回の「借りたものはもとの場所に返さなきゃな」は非常に重要なシーンである事が分ってきます。上記の解釈を当てると……瑠玖羽が“神”に六文を元の場所に戻すように諭している場面に思えるのですが……う〜む?(考)そもそも、このセリフ、“誰が”、“何を”借りて、“何処へ”返すのか明示されていないんですよね。…瑠玖羽が六文を“元の状態”に返しているようにも見えます。(単純に考えるとそれが一番妥当)、あるいは瑠玖羽が、“神”から何かを借りていて、それを返そうとしているようにも見えます。……この場合、その何かっていうのは“世界を創造するような能力”だと思われるんですけどね。この場合は、ヨフィエルやミカエルたちが、瑠玖羽の存在を恐れていた意味が分ります。…とは言え、瑠玖羽たちはもともと“神に近い者”なので、完全とは言わないまでも、それに近い能力を持っている事は想像できるんですけどね。

しかし、その当の、返された後の六文はど〜も?……返されているように見えないんですよね。本当に返すなら六文が幼稚園の頃に戻らないといけない。…多分、六文は幼稚園の頃に数に推されて階段から転げ落ち…それが今の発端の部分になっている。その時系列が丸ごとシフトして、六文が階段から転げ落ちたのが中学の時の事になってしまっている。…もう、こうなると六文は元の状態に戻ったのではなく、また新たに創られた世界に置かれているだけかもしれないとさえ思ってしまうのですが……まあ、こればっかりは「返す」と出された言葉を信じるしかないように思います。しかし、かっちり完全に返されているとは言えないだけに、ここの情報もまた「読み」としては不安定なものになっています。

……こんなところでしょうか。ほんとうは、六文が幼稚園の時、何が起こったのか?とか、瑠玖羽がペロが六文の元に現われる事に危惧を感じたのは何故か?とか細々したものは山ほどあるんですが、おおきくは、この三項目の謎が大きなところかと思います。…や、結局、現状僕は、こういう事かなあ?と思える一本線の真相を結ぶ事はできなかったんですが(汗)しかし、これは繋がる感じがあるので、とりあえず断片的ながら書き留めておきます。…さて、もうちょっと考えてみるか。


誰か、この謎を解いて下さい。
  • Re:「るくるく」の推理は可能か?不可能か? 投稿者:西念 <2009/09/18 23:20>