#325 Re:「るくるく」の推理は可能か?不可能か? 投稿者:西念 [2009/09/18 23:20]
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実は今の段階ではまだ最終巻は読んでいないのですが。 敢えてLDさんから与えられた情報のみで推論してみます。 六文は神というよりは、アダムのような位置だったのではないでしょうか。 神という概念も、悪魔という概念も、人間の存在無しには存続することができない。しかし現代人はというと作中に出てきた怪しい宗教を自己満足や金儲けの手段として残すばかりで、実際のところは心の中には「神も悪魔も無い」状態。 このままでは自らの存在も危うい−そう考えた地獄の王(作中登場せず)と神は「再び人間が以前のような神・悪魔を純粋に信じる世界を復活させることは可能か」というシミュレートの場として「るくるく」の仮想世界を用意し、そこに現実世界で最も「アダム」の意識に近い人間−六文−を記憶を消した状態で置き、瑠玖羽を遣わし、色々な極限状態を用意して(数や南足のような周囲の「現代人」も含めて)彼らの心の変化を観察していたのではないでしょうか。ヨフィエルやルミエルがその辺りの事情をほとんど知らない(ヨフィエルはミカエルに会ったことで何らかの作為を感じ取ったようですが)のは、悪魔と違い、天使は「騙す」ことを得意としない存在であるため、敢えて真実を知らされなかったのではないかと思います。 瑠玖羽が以前ヨフィエルに言った「本当は何も無いことに気づいてしまった」というのはこの仮想世界のことと、現代人の心にもはや神も悪魔も存在していないということに気づいただろう、ということを言いたかったのではないでしょうか。 となると「六文」を借りたのは「神と悪魔双方」であり、返すのは「六文自身の世界」ということになりますね。六文が幼稚園時代に戻らずに中学生のままで現実世界に帰るというパラドックスが生じたのは、瑠玖羽の情によるものもあると思いますが、もしかしたら神と悪魔が「瑠玖羽の記憶を残した中学生の六文を世界に返すことで、自分たちが確かに存在しているという証を得たかったのかもしれない」と解釈をすることも可能かと思います。 いかんせん未読の状態の推論なので、ずいぶん的外れの部分もあるかもしれませんが、LDさんの文章から自分なりに感じたことを書き連ねてみました。 いきなりの長文、申し訳ありません。 |
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