| ■[アニメ諸評][大江戸ロケット] ルイ >> ☆☆☆☆☆:(第一話・大江戸に咲く紅い花火)なんちゃって♪全部ウソ♪テイクミーファラーウェー♪(歌・PUFFY)・・・・まだ暫定ですが、今期一番ワクワクして観ている作品です。みなもと太郎、内藤泰弘、椎名高志先生といったアクの強い漫画家たちを「客演絵師」としているのですが、各先生の個性を溶け合わそう・・・なんて気はサラサラなく(笑)みなもとキャラはみなもとキャラ、内藤キャラは内藤キャラのまま共存させているのが非常に面白い。各々の個性を、江戸時代(天保の改革時)の”長屋モノ”の形に落とし込んでいるので、違和感をあまり感じないんですよね。長屋モノってのは、たまたま長屋に集っているだけで、それぞれがそれぞれの生活を持ち、個性を持っているものですから。だから絵柄くらいね、ヒョロリとした内藤キャラと二頭身のみなもとキャラが並んでいようがね、違和感なんてね・・・・・・・・・いや、チィとはありますけど(笑)。そこがいいのです。特にみなもと太郎先生。彼の2頭身キャラが登場するだけで、場の空気が和み、頬も緩んでしまいます。一話から情報も細かく振り分け、そこに囚われず主人公の芯・全体の目的はキッチリ描ききるという問答無用の素晴らしい一話だったのですが、個人的に感心したのは舞台の長所を生かした脚本・コンテ。格好つけとして長回しを多用するという類ではなく・・つまりアニメや漫画(ゲームも)と舞台の一番の違いは何かと言ったら、舞台は基本場面(背景)ありきじゃないですか。漫画やアニメは簡単に背景を描き変える事で舞台転換できる(それは長短というより、ただの特徴なのですが)。でも舞台はそうはいかないから、場所をまず用意したとして、そこの中でのキャラクターの組み合わせを増やしたり減らしたりする事で、一つの場面を大事に使い、一つの場面の中でいくつもの味を出すんですよね。こっちの方がイイという話ではありませんが、アニメは特に「○○というシーンではAとBを登場させ、××の演出ノルマをこなす」みたいな決めうちの切り貼りが多いので、この作品の舞台テイストが刺激的なのです。一話で言うと、長屋の朝のシーンですね。最初、同心と、同心にしょっぴかれたみなもと吉田松陰顔の(笑)からくり師新佐がいて。そこに手妻(手品)士2人とみなもと大工wが駆け寄って。問答しているうちに、帰ってきた主人公清吉が同心に食ってかかって。すると今度は清吉が同心に、昨晩の花火打ち上げを疑われるハメになって。困っている所に錠前屋の銀次郎が颯爽と登場し、機転をきかせて清吉を助けてくれる。で、新佐が笑いを取りつつ同心にしょっぴかれていって、そこに寝坊の六兵衛が五月蝿いと怒って現れ、皆六兵衛に追いかけられたと思ったら、最後は六兵衛の妻がダンナをしかって、皆がいい時間だとお開きにする。・・・とまあ簡単に纏めましたが、この「六兵衛登場」までがね、場面はずっと長屋の裏で、とにかくキャラの足し引きと会話の妙だけで進行させているんですよね。しかもそれがダレない。この舞台コンテをちゃんと活かすと、各登場人物の個性をしっかり掴み、人と人との科学反応を(しかも相手がダレかによって変わる反応を)しっかり捉えた、いいい作品になるんだよなと。そのニオイを感じられたのが、一話から「大好きだ!」とか叫んじゃった理由でもあります。これは、隠れエースですよ。チェケナッチョ。※これは全部嘘ではありません <2007/04/13 01:47> [返] [削] |
漫研ノート
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