■[アニメ諸評][シゴフミ] ルイ >> ☆☆☆☆:(6話・サケビ)「イジメ回」です。シゴフミ嫌いな方って結構いて・・・まあ、確かに観ていて気持ちいい回ではなかったですけど(笑)。じゃあこの回がイジメという題材に、火傷の覚悟もなくササッと手を出し入れしてみせたような回かって問われたら、全力でNOと叫び、唾ぶちまけながら擁護する確信はあります。今期では「truetears」と並び、屈指の「意図的に映像をコントロールしている」作品でありますし、それがキャラクター描写よりも各話ごとのテーマに強くかかっている分、各話ごとの情報量、あるいは意味性はダントツで「重い」作品かとも思っています。皆さんも1度、じっくり腰を据えてシゴフミってみてはいかがでしょう。ちょっと観方、変わるかもしれませんよ。・・と作品擁護しちゃった。そうじゃなくて6話なんですけれども、見所は沢山あってそれこそ何千文字も語れますが、ここでは敢えて2つ3つ。まず第一に、カイジの引用ですよね。イジメっ子たちが屋上に設置した鉄橋、そして手をついてはダメというルールは、言うまでもなく、もう、確実に「カイジ」のそれです。何せ、丁度そのシーン、一ヶ月くらい前に主要局で地上波放映されてます。関西ではまさに最近放映だったりします。それどころか、イジメ連中は思いっきり言っちゃってるんですよね『この間読んだ漫画で』って。漫画=アニメと言うのは乱暴でしょうけど、この場合は脚本の意図として、結んでしまっていいと思います。犯罪に対するゲーム・アニメなどの影響が話題になる中、この作品は自己言及的に先手を打っちゃっている。しかもその「元ネタ」は、相手が日テレのアニメという事を考えても、原作の人気を見ても、明らかに絶対的視聴者数が「シゴフミ」のそれよりも多い。・・・極端な言い方をすれば、「シゴフミを観ている人全員が、カイジが元だとわかるように描いている」。この覚悟ってのはちょっと強烈だと思います。丁度「コードギアス」でも谷口監督とワイルドな展開wを見せちゃっている渦中の大河内さんが手掛けていると考えると、ここにはただの諧謔精神みたいなものに留まらない、決然とした意志を感じるんですよね。ヒヤリとするくらい恐ろしい「引用」ですけど、これが遊びや話題性目的で出来るだなんて、僕には到底思えません。ここまで覚悟決めた作品に「自粛」で対応する放送局は、ちょっと「敗北感」を感じて欲しいですねw・・・そして、最後の丸投げ気味な展開(一人目のイジメられっこは自殺、2人めの少年は牙を向いて「社会的に死んでしまう」、そして3人目の女の子は?というところで〆。)は、イジメを「1つの問題」として捉えているのだと思います。それこそ「ひぐらし」の雛見沢であるとか、「ギアス」のルルーシュやCCの願望であるとか(まだ上位世界説、世界繰り返し説を取るべきかはわかりませんがwとりあえずCCだけに限定すれば、彼女はそういう世界で生きているといっていいと思う)と同様に、1つの「イジメ」という現象に対し、どういうルートを取ればいいのだろう・・?という、そのもの問題提起になってるんですよね。黙って受身で電話がかかってくるのを待った一人目は失敗。一人目を半端に助けつつ助けなかった二人目は、一人目からのシゴフミがスイッチとなり、イメージカットの子犬同様に牙を剥く。社会的な死(とも限らないと思うけどなあ・・?まあ、エピソード的にはそうw)、動物としての生。(彼におけるシゴフミの価値を論じるには、2話あたりを照らし合わせた方がいいと思う)シゴフミは彼をハッピーには導いてないけど、物語の記号としては、シゴフミ届いてなかったら彼、一人目と同じになった公算大ですからね。・・・そして3人目の彼女は、シゴフミが届くでなく、匿名掲示板に書き込むでなく、「電話」をかけました。誰に?何を?そしてその結果は?・・・さあ(笑)。ここが嫌われてる理由かなとも思いますけど、大河内脚本であるCCの言説に則るなら、いつだって希望は絶望の中から立ち上り、そして、純粋な願いこそがそのスイッチなんですよね(意訳)。・・さあ、彼女はどうなるでしょうねと。そういう、ド直球提起アニメとなっていた6話なのでした。最近進行させ続けていた「主人公・フミカの謎」関連をあんまり進めなかった理由を思えば、最後のブツ切りなんて気にならないですよね〜?優先順位を間違えてそうなったわけじゃないんだから。・・あれ?何千文字?wとまあ、シゴフミは噛めば噛むほど味が出ます。じっくり観よう!露悪趣味的な視点からはなれて!・・それは、地獄少(略 <2008/02/19 06:24> [返] [削] |
漫研ノート
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