■[アニメ諸評][かんなぎ] ルイ >> ★★★☆:(全13話)中盤が(は)面白い。おそらくこの作品の狙いとも関係ある部分で、構成も序盤中盤後半と三つに分けているハズです。その2つ目の「日常コメディパート(5話〜10話あたり)」に視聴者を乗せておいたあとで「神様があんなにすんなり日常コメディに溶け込めるわけないじゃないか」→「本当に神様?」という後半の纏めに意識が繋げるように仕掛けている。そういう意味では、何度か仕込まれていたナギのメタギャグも同じ効果を見込んでいるはずなんですね。「自覚的な作劇」だから、当然中盤のあまりの俗っぽさも「自覚」してますよ、だから最後はこういう展開なんですよ、という作りなんでしょう。…そこまでは好意的に受け取ってるんですが、余り上手くいっているように思えない。落差というよりは、乖離してるんですよね。中盤のキャラクター性だけで場を回す段階では、その前にも後にも何も繋がらない、「単品で面白いエピソード」が転がっています。折角の1人脚本なのに、このあたりの繋がりの無さが痛いですね。また「知らぬはナギ様ばかりなり」という感じでもなくて、ざんげちゃんのお父さん等も急にキャラが展開の為変貌したように見えるのも痛いなあ・・・あと、やはりその「メタギャグ」をはじめとした内輪なギャグの数々が、ナギの「何が引っかかって、何が引っかからないか」をサッパリ見えなくしている。隠して意味のある部分ではないだけに、これはミスだと思います。つまり狙いでは「ナギは神様の割に、俗っぽい事にも対応早いね」というのを中盤の面白さ&後半のマジ展開の積み上げにしたいはずなんですが、その横でAパートでどうだこうだと言及したり、TVを観る前からバラバラ殺神事件などと言い出す事で(TV以外で取得しようがない言葉)ナギというキャラクターが、全く輪郭を持たなくなってしまっている。こうなってしまったら、あとは作劇の奴隷で・・・。「疑わせたかったら誰かが疑うし、疑わせたくなかったら誰も疑わない」という、キャラ性に全く寄りかからないご都合的なものになってしまうんですよね。緩い設定格の物語なら、そうやってキャラクターを遊ばせても成立するんでしょうが、この作品、神性の部分はマジメに語りたいようなので、どうやってもそれでは取りこぼしがでる。その辺、本当に勿体無くて、小ネタを得意とする倉田英之脚本と、この作品の構造の相性が最悪に近いくらいだと思います。・・・ただ、それはあくまで「構成」「作品性」を意識した場合の話で、かんなぎキャラクターを使って単話をまわしますよ、という「エンターテイメント」視点の分には、逆に倉田脚本とかんなぎの相性は抜群なんです。・・・これが「中盤は面白い」だと思いますね。まあ、中盤は堪能させてもらいました。でも、中盤にあそこまで話数と、小ネタ演出に時間を割いちゃう時点で、全体の評価がこうなるのも自明というか・・・結構複雑な問題かもしれません。倉田先生は飛び道具気味に、中盤のコメディだけ任せておいて、構成は別の人がつけばよかったのかもなあ・・・。 <2009/01/18 07:24> [返] [削] |
漫研ノート
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