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私の愛した悪役たち VOL.4

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金目  ルードビッヒ  ドクター・キリコ  真人  死神
雨宮賢  ドメル将軍  鼻田香作  千面相  神納達也

(ちょっと「忍者マンガ」の話)
 ぼくは、横山光輝さんの「伊賀の影丸」というマンガが大好きである。白土三平さんのもそうだが(いずれ書くと思う)「忍者マンガ」はいい。『戦いの美学』がある。『努力や根性』で「うおぉぉぉ〜!」とか叫んで若さ爆発の戦いも嫌いではない(というより、かなり好き!ここらへん複雑)のだが、ある意味「見せびらかす程度の『努力や根性』なんて所詮ドロナワ、敵が現れてから特訓を始める。しかし忍者たちは『努力や根性』を十分に昇華させた上で『その先』の戦いをする」とは思ってしまう。たとえば「伊賀の影丸」に「左近丸」という盲目の忍者がいて、この人は忍者得意の幻術やまやかしが一切効かないものだから、やたら強かったのだが、技量的にははるかにかに格下の「五十鈴大作」という「音」の幻術使いと相討ちになってしまった。互いの100%の力を出し合って戦うので、その決着は最早ジャンケンと変わらない。というシンプルさが昔の「忍者マンガ」にはあり、それがぼくにとっては堪らない魅力なのだ。

第31回 金目 (伊賀の影丸)
 その「伊賀の影丸」で最も好きな忍者だったのが「土蜘蛛五人衆編」に登場する。主人公「影丸」がかつて壊滅させた「土蜘蛛党」の残党小頭五人の一人「金目」である。この金目「伊賀の影丸」に登場する数多の忍者たちの中でも屈指、いやぼく個人は影丸の宿敵「不死身の邪鬼」を抜いて最強だと思っている。もともと土蜘蛛五人衆、一人一人がたった五人で公儀隠密団に挑戦するような只ならぬ実力者ぞろいなのだが、その中でも金目の実力は群を抜いていた。しかし金目は他の四人の忍者と違って奇想天外な忍術を使ったりはしない。むしろ、あまりに「静かな」普通の忍者といえる。金目の能力を要約すると「手裏剣」「体術」「催眠術」の三つ。この当たり前ともいえる技を極限まで昇華させている。まず「手裏剣」だが、一度に数十本の手裏剣を一気に投げ下ろす。その数の多さに「ザー」という雨のような音がするくらいだ。ご丁寧に一本一本猛毒が塗ってある。地味だが「洒落」にならんいい技である。次に「体術」。影丸の切り札「木の葉隠れ」は実は風上に回ってしまうことで簡単に破れる。しかしこれが恐ろしく難しい、影丸は天性ともいえる身の軽さの持ち主で最後には必ず風下に敵を置いてしまうのである。その影丸に決して風上を譲らなかった金目は、とんでもなく強力な忍者といえる。そして「催眠術」。これが一番重要なのだが金目は相手に悟られることなく催眠術を使う。普通「忍者マンガ」の催眠術使いは一目で幻術とわかる幻惑の世界に敵を引き込みそして倒す。そのため主人公クラスのキャラには自ら傷を受けるなどの下らぬ対処法で術から抜け出されてしまう。しかし金目は密かに、敵にも、読者にさえも!催眠術と分からぬように術をかけていたのである!この「少年マンガ」的に反則、「洒落」にならなさが分かるだろうか!?つまり、あまりに当たり前の暗殺者であることが金目の最強たる所以であり、ぼくがまるで有名でもないこの金目の熱烈なファンである理由である。
 しかし、そんな金目にも弱点があった。それは彼が影丸を殺しにきた理由が「土蜘蛛党を滅ぼされた怨みを晴らす」ためであり、およそ忍者らしからぬこの行動は次第に金目の手の内を影丸に知られていき、遂には敗れ去ってしまうのである。(ここの最後の最後といえる決戦で影丸が、強すぎる金目とまともに戦わないところが、めちゃくちゃに好きだ!ある意味すごく影丸らしい)おそらく通常の任務の途中で金目と対決したなら影丸はひとたまりも無かったろう。そんなところも含めて金目はぼくの心に残る影丸最強の敵である。


第32回 ルードビッヒ (未来警察ウラシマン)
 「悪の美学」を追い求める世界的犯罪組織「ネクライム」の最高幹部。1983年から2050年にタイムスリップしてきて、何故かネクライムに対抗する「機動メカ分署」の一員にされてしまった「リュウ」と熾烈な戦いを展開していくが、いつもどこかでリュウたちの一枚上を行く、はじめから主役を食ってる男。それが「ルードビッヒ」である。白いスーツを着込み、貴婦人のレリーフ入りの懐中時計(あの懐中時計には憧れたなあ!)青白い顔とつり上がった目、そしてワイン、ルードビッヒに決められたスタイルはあまりに落ち着いた雰囲気を持つ。ミレーヌもいい(子供には理解できないいい女)。スティンガーウルフもいい。ジタンダもいい(ジタンダはズッコケキャラには違いないのだが、実力は決してズッコケではない!そこがダテにルードビッヒの元にいないなという感じで良かった)。
 元々からしてルードビッヒの思惑をバックボーンとして物語が進んでいき、「反逆のメロディ」でネクライム総統のヒュ―ラ―を追放してからはもはや完全に主役だった。かく言うぼく自身この頃からルードビッヒの世界に強烈に引き込まれていった口である。湖畔をたった一騎で走るBGMに自分のテーマ曲「ザ・クリスタルナイツ・ネクライム」を丸々一曲流してもらえる『悪役』も珍しい。そして忘れ得ぬ最終回の復活シーン。超・超能力者として還ってきたヒューラーに追い詰められ、ミレーヌの裏切りによって炎の中に消え去ったはずのルードビッヒ。しかしそれはヒューラーと同等の潜在能力を持つリュウを互いに噛み合わせる計略で、「死にぞこなった」悲しみを胸にたった一人で3代目ネクライム総統となったジタンダの前に現れて、「さて、行こうか3代目総統・・・」と言うシーンはルードビッヒの洒落と優しさが最後の最後に現れる名セリフで、ジタンダとシンクロしたぼくの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった(笑)


第33回 ドクター・キリコ (ブラック・ジャック)
 多額の報酬をもらって人の命を救う無免許外科医「ブラック・ジャック」。そのブラック・ジャックの不倶戴天の敵と言えるのが、安楽死専門の医者「ドクター・キリコ」である。ブラック・ジャックは簡単に患者を死なせてしまうキリコが気に入らないし、キリコは無闇に天寿を引き伸ばそうとするブラック・ジャック(と世の中の全ての医者)が気に入らない。要するに互いが互いを「生命を弄んでる」と考えているわけだ。この全く違った道を行く二人は出会うたびに対立し、互いのギリギリの意志をぶつけ合う。
 その二人がはじめて対決する話「二人の黒い医者」では、キリコに安楽死の依頼をしていた全身不随の母親を、ブラック・ジャックが無理やり(笑)治してしまうのだが、その後、患者は付ききりで看病していた子供たちもろとも交通事故で死亡する、というキリコの完全勝利で幕を下ろす。高笑いして去って行くキリコにブラック・ジャックが「それでも私は人を治すんだっ。自分が生きるために!」と決然と言い放つラストシーンが印象的だった。人間と言うものは「必ず死ぬ」ものであるから、この二人の闘いは常にキリコの一方的な勝利で終るはずなのだが、それではブラック・ジャックにも読者にも寝覚めが悪かろうと、作者の手塚治虫は別の見方を用意した。「弁があった!」では、キリコの実の父親が原因不明の病気となる。あきらめて安楽死させようとするキリコをブラック・ジャックは押しとどめて原因を究明し、ようやく助けることができるぞ!と思ったときには、キリコがすでに父親を殺していたという話。「死への一時間」では、キリコの安楽死の薬を「病気を治す薬」と勘違いした少年が誤って母親に飲ませてしまい、ブラック・ジャックとキリコが協力して制限時間一時間でこの母親を助けるという話。二人が関わる話は他にもあるが、その関係をよく表わしているのはこの三つのエピソードではないかと思う。(たぶん、BJが来た時には患者はキリコに殺されていた、キリコが来たときには患者はBJに治されていた、ってな事が何度もあったんだろうなあ)
 ブラック・ジャックは「赤ひげ」などでは決してなく、金で命を弄ぶ、ある意味キリコ以上の『ダーク・ヒーロー』なのだが、ことキリコがからむとムキになってその患者を無償で治してしまう(笑)あのブラック・ジャックを単なる「いい人」「ボランティア」に変身させてしまうドクター・キリコがぼくは大好きである。


第34回 真人 (人魚の傷)
 人魚の肉は不老不死の“猛毒”である。それを食したものは身体の造りすべてを変えられてしまう作用に耐えきれず「なりそこない」と言われる理性を失った怪物に変化する。しかし、何千人か何万人に一人、その猛毒に耐えて人の心を持ったまま不老不死の肉体を手に入れる。それが「人魚伝説」である。しかし不老不死となった者も人としての幸せを奪われて、たった一人で彷徨う苦しみを永遠に味わい続ける宿命を背負わされる。(つまり人魚伝説はあらゆる人に不幸しか与えないのだな)遠い昔、人魚の肉を食して不死身となった「湧太」は長い放浪の末、五百年の時を経てようやく「真魚」という仲間と出会う。二人は人間に戻る方法を探して人魚伝説を追い続ける。これが高橋留美子の「人魚シリーズ」の大まかな設定で、旅する彼らの出会う様々な「人魚に憑かれた」人々たちの中で特に強烈なインパクトを放ったのが、八百年という時間を生きつづける幼児「真人」くんである。(八百年前の貧しい漁村の子供が真人なんていう名前であるとは考えられないので、たぶん最近つけた名前なのだろう)人間に戻る方法を探してさまよった湧太に対し、彼はふんだんに(なぜか)所持している人魚の肉を、自分の母親になってくれそうな人に与え、同じ仲間を作り出そうとした。その悲劇は「気に入った人」「好きになった人」でなければ人魚の肉を与える価値がないということである。次から次へと化け物に変わってしまう「母親たち」に真人の心はすっかり壊れてしまったのだろうか?邪魔になる人間は容赦なく排除し「仲間」であっても用が無くなれば殺す、そういった生命の感覚を持たぬ人間になっていた。そうして、ようやく手に入れた母親であり仲間でもある女も、もはや「子供の姿をした妖怪」と化した真人を恐れ、離れて行き、そして効き目が切れて死んでしまうのだ。(今、気がついたのだが八百年も持ち歩いたら、さすがの人魚の肉も効き目が薄れてしまったのではなかろうか?すると彼は永久に本当の仲間は手に入れれないことになる)でも、その女が死んで、もう生き返らないと分かって、ベソかいて涙をぬぐい「あ〜あ」と嘆息するシーンは、どうみても強がってる子供なんだよなあ。泣ける。湧太の首を斬り落とそうと斧を持ち出しても一発で斬り落とせない、だから躊躇なく眼を指で突いたり、戦争の時に拳銃をくすねて大事に持っていたり、あるいは「ネコ」をかぶったり・・・そういう子供であることを十分に理解した老獪さが、かっこいい『悪役』でした。


第35回 死神 (プロゴルファー猿)
 ゴルフの野生児「猿谷猿丸」を自分の専属の影プロとして手に入れたい「ミスターX」は数々の個性的な影プロゴルファーたちを差し向け(小学生にとっては)法外な賭け金を要求してくる。しかしそれらの勝負を見事に勝ち抜き、またミスターXは律義に賞金を渡すので猿の人生ウハウハ。よもや最強の男「竜」さえも打ち破るとは思わなかったミスターXは、とうとう切り札とも言えるゴルファーを猿に差し向けた。それが「死神」である。狙った相手のゴルフ生命を完全に奪い去る恐怖の敵「死神」!その挑戦を受けた猿だが、アマチュアゴルフ選手権の出場を理由に勝負の延期を求める。その申し出に死神は不敵に答えた「ん〜まあ、いいだろ。わたしも急いではいない」いい人や!いい人過ぎるぜ!死神!そのアマチュア選手権に猿の狙撃指令を受けて「日影」選手として密かに出場した死神だったが、猿たちの繰り広げる熱い戦いに感化されて自分も指令を忘れてゴルフに打込んでしまう。いい人や!何ていい人なんだ!死神!そしてアマチュア選手権後、再び死神として猿の前に立ち、元の狙撃指令をスキを見て実行するがその瞬間、毒蛇にかまれた拍子にショットを失敗、自分の打球を額に受けてしまう。もう助からないと知った死神は、全てを告白して、猿が一流プロになること願い、最期のティショットを打ち力尽きた。泣ける!泣けるぜ!死神!ここで良いのは死神が最期にティショットを打とうとするところだ。日影って人は堅実で飛距離の勝負をしようとしないゴルファーなのに死の瞬間には目いっぱい飛ばすことを求めた。そこが泣ける!やたらいい人でちっとも死神じゃないぞ!顔や雰囲気は陰気だけど立ち振る舞いはやたら爽やか!アマチュア選手権のはなしを読むと日影こと死神の、あまりの紳士的行為、フェアプレイに感動する。また死神はやたらツイてない人だ。足場が崩れ落ちるというわけの分からんアクシデントで優勝を逃すし、猿への狙撃も毒蛇にかまれるというわけの分からんアクシデントでしかも自分の打球に当たってしまうというツかなさ。反って猿はこれでもかという程のツキで連続バーディをものにして行く。それを死神は決してやっかむことなく素直に誉める。この対比がすばらしい。いい人でツイてないなんて勝負師にはなれんよなあ・・・死神が影プロ止まりなのはこのためか。有り余る技術を持ちながら惜しい人です。


第36回 雨宮賢 (哭きの竜)
 とにかくバカヅキの男「哭きの竜」!「チーッ」「ポンッ」「カンッ」と哭けば泣くほど手が高くなる!麻雀をやらせて常勝無敗!その哭きの竜に戦いを挑んだ男、裏雀士「雨宮賢」。「哭きの竜」という話しは、全国制覇を目指すヤクザの親分さんたちが野望達成に必要不可欠なもの、“ツキ”が、竜のバカヅキが、欲しくて竜に群がってくる、という物語だ。(竜と卓を囲むと何故か自分も勝負手がくる。その“ツキ”だけで十分抗争を勝ちぬけてしまうという凄まじさ!)だが同時に「一雀士」に過ぎぬ竜を誰もが軽く見ていたことも事実だ「なあに、ちょっと脅せばすぐに下に付くさ」というヤクザ特有の短絡さが竜との勝負を濁らせていた。しかし雨宮だけは何の目算もなく純粋に竜との勝負を求めた唯一にして最大の敵なのだ。雨宮は、相手から哭いて和了る竜に対して、相手に哭かせてそれを絡め奪る、という本来なら竜の天敵のような男。その必殺技は名づけて「ほたる返し」。手のひらが薄ぼんやりと光って和了るという基本的には何の意味も無い技である(笑)しかし、さすがに竜と真っ向勝負しようとするだけあって、そのツキも尋常ではない。捨て牌が(ピンズの)3・4・5・白・白・白と切ってリーチ。それで和了がり形が(ピンズの)混一色・チャンタ・発・イーペーコウ・ドラ7(しかも雀頭は中!)なんじゃそらあぁぁぁ!!!竜のとんでもないバカヅキさ加減は割愛するとして、この二人の人知を超えたスーパーバトルは今でもハッキリと覚えている。はじめ清一色トイトイの手を強引に「緑一色」に持って行く竜に対して、雨宮は気が狂ったように笑いながらジュンチャン三色を止めて「国士十三面」に一牌のムダなくたどり着く。そしてとうとう竜にイーソウをつかませて降ろさせることに成功するが・・・ここからイーソウの同順フリテンの間隙を突いて竜が再び「緑一色」を構築しなおすシーンは圧巻である。敗北を悟った雨宮は大きく息をついて、静かに己の手を開く。ぼくらはここで「素直に清一色トイトイにしとけや」とか「上家から国士和了ってトップ奪っとけや」とか下世話なツッコミをしてはならない。そんなチンケな了見でこの二人のスーパーバトルは語れないのだ。


第37回 ドメル将軍 (宇宙戦艦ヤマト)
 滅亡の危機に瀕した母星を捨て地球移住計画を遂行する「ガミラス星人」に破壊され尽くされた地球を再生させるため、人類最後の希望「宇宙戦艦ヤマト」は放射能除去装置(コスモクリーナー)を手に入れるため14万8千光年彼方の「イスカンダル星」を目指す。そのヤマトの航行を阻止するため地球侵略軍最高指令長官に選ばれたのが、宇宙の狼「ドメル将軍」である。割れたアゴと短く刈り上げた髪がいかにも軍人っぽい男っぷりで、他のガミラス将軍たちとは一味違った精悍さを醸し出す。その後の「ヤマト」で「デスラー戦法」と呼ばれる恐怖の奇襲戦法は実はドメル将軍の立案した作戦である。三段空母三隻と戦闘空母一隻、そして指揮艦という壮々たる艦隊を率い、互いの星の命運を賭けて挑戦状をヤマトに送りつけた一戦「七色星団の攻防」は、そのドメル将軍の指揮能力が遺憾なく発揮され、ヤマトを徹底的に叩きのめした。まずレーダーの利かない七色星団の宙域にヤマトを誘い込み戦闘機を発進して艦載機コスモタイガーをヤマトから引き離す。その上で物質移送機で雷撃隊をヤマトの直上に出現させて急襲、コスモタイガーが引き返してきたらまたそれを囮に二次攻撃を仕掛け、頃合を見て波動砲発射口に重爆撃機でドリルミサイルを打ち込みヤマトを撃沈するというもの。その全ての作戦が図に当たり、全ての攻撃をまともに受けつづけたのに何故ヤマトは沈まない!?最期の覚悟をしたドメル将軍がヤマトの船底で自爆攻撃をやらかしても、それでもヤマトは沈まない!!めちゃくちゃ頑丈というか何というか、根性入ってるんだろうな、いや『愛』か(笑)強大なガミラスという戦力にたった一艦で立ち向かおうというのだから、これくらいは強くなくてはダメだとは思うものの、ドメル将軍の作戦があまりに見事、あまりに正攻法なので何だかとても可哀想になってくる。精鋭のドメル艦隊をドリルミサイル逆走などというわけの分からない逆襲で全滅させられても、グチひとつこぼさず「沖田艦長」を称えて自爆したその姿には涙を誘う。「デスラー総統」をはじめガミラス人はよく沖田艦長をやたら誉めるのだが、ぼく個人としてはあの人はほとんど何も考えていないように思えるのだがどうだろう?その点、「バラン星」の地球侵略の重要基地を一つ犠牲にしても、人口太陽ごとヤマトを押しつぶそうとしたドメル将軍はヤマトの本当の戦力を十分理解していた優秀な将軍だと思う。惜しむらくは彼の旗艦「ドメラーズV」(この戦艦、かっこいいんだけどプラモで出なかったんだよね。あとシュルツ艦も)がヤマトが砲を交えることなく消えていったことか。


第38回 鼻田香作 (包丁人味平)
 様々な料理勝負を繰り返し、その戦いに虚しさを感じた「塩見味平」だったが、彼は再び駅前に建った二大デパート店の客よせ、「カレー戦争」に巻き込まれてしまう。アメリカ帰りの辣腕の経営者「マイク赤木」が経営し、カレー将軍といわれる当代随一のカレー調理師「鼻田香作」が料理長を務める「インド屋」が、その相手だ。何のノウハウもないまま戦いをはじめる味平だったが生来の料理人の才能がジワジワとインド屋に肉迫していく・・・。このカレー将軍・鼻田香作と味平の熾烈な戦いは「包丁人味平」の中でも特に印象に残る大好きなエピソードだ。味平は「カレー戦争」そのものには負けてしまい(大した準備も無くカレー屋はじめるから・・・)店を構えていた大徳デパートから追い出され、そこには同じマイク赤木が経営する「ボンベイ」が入ることになる。しかし味平はまるで平気な顔「カレー戦争?ああ、そんなことしてたっけ。今の俺は一人でも多くの人に味平カレーを味わって欲しいんだ!」これはけっこうカッコよかった。ちょっとした挑発にものって勝負々々を挑んできた味平とは思えぬこの姿勢が今も新鮮だ。その真っ直ぐな心が幸いしてか、はじめあった鼻田香作との圧倒的な差が次第に縮まり、日本人むきに醤油を融合させた「味平カレー」の完成で対等の位置にまで並び、駅前に屋台を開いて逆襲することになる。三千種類のスパイスを嗅ぎ分ける鼻田香作に、その味の秘密が分からなかった時点で「味平カレー」の勝ちなのだが、味平はここからさらに「つけあわせ」「水」などで味平カレーをパワーアップさせて行く。それに対し追い詰められた鼻田香作は究極のカレー「ブラック・カレー」を完成させて対抗してくる!そして味平の仲間たちでさえその味に捕り憑かれ、味平の完全敗北に思われたその瞬間、突然鼻田香作は発狂して倒れてしまうのだ!実は「ブラック・カレー」とは麻薬入りのカレーで完成させる間に鼻田香作は麻薬中毒にかかっていたという衝撃の事実!味平がその場しのぎに「ミルクカレー」を作ってきたとき、同じものを作れたのにオリジナルの「スパ・カレー」を作って対抗してきた鼻田香作。味平が大徳デパートを出たとき「たしかに『インド屋』はカレー戦争に勝った。だがカレー将軍と呼ばれたこの俺のカレーが『味平カレー』に勝ったわけではない。それが許せない」とはっきり言った鼻田香作。マイク赤木が破格の値下げという手段で味平カレーを潰そうとしたとき、それを誇りをもってやめさせた鼻田香作。鼻田香作よ、何故「ブラック・カレー」などを作ったのだ?しかし確かに、それほどまでに味平の猛追には鬼気迫るものがあったのだ。その後も色々な料理マンガを読み、料理勝負も見てきたが、麻薬中毒で発狂した鼻田香作が救急車で運ばれて行くという衝撃のラストに勝るインパクトには今にいたるも出会ったことがない。


第39回 千面相 (パーマン)
 特に説明もいらぬと思うが「パーマン」は、正直だがいま一つパッとしない少年「須羽みつ夫」のもとに宇宙人「バードマン」が現れ、超人的なアイテムを渡されて「地球の平和を守るパーマンになれ」と言われる。その日からみつ夫くんの平和を守る悪戦苦闘がはじまった、というもの。最終回はバード星へ留学しに地球を去るという感動的なラストだった。藤子・F・不二雄の作品の中でも「パーマン」は固定された『悪役』が出てくる、けっこう特殊な作品である。全(悪)連、魔土災炎博士、どちらも魅力あふれるキャラたちであるが、なんと言ってもよかったのは「千面相」だろう。普通の大人はもちろん、老人だろうと子供だろうと、何にでも化けられる。ふっと気を許したところで正体を明かし関わった人々を大混乱に落とし入れる、その愉快な悪党っぷりは見ていて気持ちがいい。パーマンにつかまった後も刑務所で脱獄予告を出して、二重三重の監視網のなか悠々と脱出を果たしてしまう。偶然にも捕まえなおすことができたパーマンが「牢にカギもかけず、一切の監視をなくして、放っておくのはどうでしょう?」と刑務所長に持ちかけると「やめてくれ!張り合いがなくて脱走できない!」と悲鳴を上げるという話は傑作だった(笑)他の悪党と組むわけでもない一匹狼で、パーマンの宿敵というわけでもない。というよりお互いなんか距離があって、パーマンも悪党退治をしてたら千面相に会ってしまった、千面相も悪事を続けてたらパーマンに会ってしまった、といった関係がなかなかいい雰囲気だな。だからパーマンと組んでヒッタクリ泥棒を捕まえたこともあった。その時は懲役の間に昔馴染みのラーメンを食いに来たという(笑)もちろん食ったら牢屋に逆戻りするつもりだったのだろう。人を食ったかんじがいい味の『悪役』でした。


第40回 神納達也 (堕靡泥の星)
 このコラムを書き始めたときに「『悪役』の話をはじめてしまった以上、やっぱり“こいつ”を避けて通るのはまずいんだろうな」と思っていた人物が二人ほどいる。一人は「女犯坊」の「竜水和尚」。そしてもう一人はこの「堕靡泥の星」の「神納達也」である。とにかくこの人、眼が恐い!狂気を帯びた絶妙の目つきだ!
 ある日、徳川幕府より続く「神納家」に「蛭川源平」という脱獄囚が押し入り、その美しい妻を夫の目の前で強姦して去って行く。その後、生まれたのが「達也」であり、父親に子種の無いことからも、それが“あの時の”子供であることは明らかであった。それが凶悪犯・蛭川の“血”によるものかどうかは分からないが、達也にはやがて悪魔的な心が宿り、母が自殺を遂げて、父と子二人だけになったところで、計画的に父を殺し、大学教授で名家であった神納家の財産をそっくり相続する。そして、一生遊んで暮らせる境遇を手に入れた達也が求めたものは、退屈を埋めるもの・己の悪魔的な欲望を満足させるもの、であった。そうして達也は目をつけた女性を暗い地下室に監禁し、これでもかという程の残虐な行為を延々繰り返す、という理由無き犯罪行為に没頭して行く・・・これが大体のあらましである。神納達也の持論は「人間は誰でも一皮むけばみんな残虐で狂暴な獣だ。それを何故、理性という仮面で覆い隠すのだ?少なくとも俺はそうはしない!」というもの。その理論はともかくとして、ぼくはこの神納達也という怪物の放つ“狂気”に非常に興味があって・・・・・・えーい!正直に言ってしまえ!これが面白いのだ!魅きつけられる!どうにも嫌悪感だけが先走る人、このマンガと正面から向き合えない人は、PTAや自称“良識者”の中年どもが薦める物だけ読んでろって感じです!ぼくも『悪役』好きという以上、そういった人間の持つ『暗黒面』のようなものにはかなり興味がある。たとえば上記した達也の言葉「人間は何故理性を必要とするのか?本当に理性は必要なのか?」といったことは、ぼくたち一人一人がキチンと考えてみるべき問題だと思います。
 しかし、ぼくは「悪書追放」みたいな運動には当然大反対な人間なのですが、「『堕靡泥の星』を発禁にしろ!」と言い出した人は、なかなか“いい”ところに目をつけるなあ、とか思っちゃいます。追放しろとは思わないけど、これは本当に『悪書』です(笑)「続・堕靡泥の星」でちょっと骨抜きになった神納達也を見たときには、悲しいやら笑っちゃうやらだったなあ(笑)

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