椎名「ええ。実をいうと、連載が軌道に乗って、長く続けられそうだってなったときに、最終回はどういう風に終わったらいいのか漠然と考えはじめて、おキヌちゃんを生き返らせて人間にしてあげて終わろうと思ったんです。だけど、これはあとでやるから今はやらない、っていうのは、お客さんにとって失礼じゃないかと。今思いついたことがあって、目の前に仕事があったら、その仕事のためにつぎ込む引き出しの中にしまってある、一番いいものをやるべきじゃないですか。後で困るということは考えないで、今とにかく一番面白そうなことを描いてやろうと思って、つっこんじゃったんですよ。だから今はやっぱり最終回が決まったらどうやって終わろうかって(笑)」
「ゴーストスイパー美神極楽大作戦!!」は少年サンデーに連載され、最近7周年目を迎えた('98年8月現在)人気マンガである。作者の「椎名高志」さんは新世代のサンデー作家を代表する(今でも高橋留美子、あだち充、石渡治さんらが連載してたりするのでどうにも新世代サイド)安定した作風の作家さんで、この「GS美神」もギャグやシリアスやラブコメをちょっとづつ織り交ぜた多くの読者が安心して読める、そんなマンガだった。
うん“安心”だよな、やっぱり。「GS美神」の魅力は読者がそれを読んだとき「きっとこうなるんだろうな〜」と思ってページをめくると果たしてそのままにオチをつけている楽しさである。しばしばそこには椎名高志さんならではの+αの展開が加わり、読者も「なるほど」と手を叩いたりもするが、それも読者の予想と大幅に食い違うものではない。よくフィクション作品には“良い意味で観客を裏切る”という誉め言葉が使われることがあるが、こと「GS美神」は良い意味だろうと悪い意味だろうと、読者の期待を裏切ることは絶対にしない!それが、ある意味作者の信条なのだろうし、サブタイトルを含めて随所に見られるパロディの数々と、マンガの世界では一種定形となってるエピソードなどを混じえて、読者に「おっ、その“手”で来たか(ニヤリ)」と思わせるような、そんな作品が「GS美神」だとぼくは思っていた。
それが突然“あるキャラ”の登場によって「GS美神」がほとんど先の見えない作品に変わってしまった時期がある。いや、少し表現が足らないかもしれない。ちょっとマンガを読みなれた読者たちを「おいおい本当にこの展開でいいのかい?」と不安にさせた(その不安にはある種の期待も込められてはいるのだが)と言った方が正確か。早い話が『暴走』したのだ。
もともとサンデーの作家さんは芸術家肌というよりエンターテイナーの人が多い。椎名高志さんはその典型的なサンデー作家だっただけに『暴走』することなどまず絶対にありえない!とぼくは思っていた。その椎名さんから「なんか筆が滑って止まらん」という感覚が紙面から出てくるので、ぼくは思わず「ん?」っと向き直ってしまったんです。それまで流して読む程度だった「GS美神」(悪気はないです、それがこのマンガの良さだと思います)
が一気に目の離せぬマンガになり、この物語の結末に思いを馳せながらページをめくった。つまり、すごく楽しませてもらったのです!
さて、その“あるキャラ”というのは、主人公「美神令子」の最大の敵「悪魔アシュタロス」が決戦を前に送り込んだ先兵三姉妹の一人「ルシオラ」という娘である。「GS美神」の細かい設定は省くが、(単行本で読んでね)もう一人の主人公「横島忠夫」と急速に接近して三角関係など成立する前に一気にとおりこして、いきなり恋人状態になり、作者が手出しできぬ程の不動の人気を得て、今まで積み上げた世界を粉砕しかねなかった少女なのだ!
あまり上手いたとえが思いつかないが「諸星あたるがラム以外の女の子とうまくいってしまう『うる星やつら』」といえば理解してもらえるだろうか?それもしのぶとか竜之介じゃない、ぽっと出のキャラとくっついてそのまま話が進んでしまえば「そんなの『うる星やつら』じゃない!」と叫んでしまうでしょ?あっと言う間にファンがついてその存在が容認されてしまったこと、椎名さんのマンガの描き方の巧さで事態が霧にかすんでしまったが、本質的にはルシオラはそれほど危険なキャラだった。
ここでは「ルシオラが生まれた理由」を考えてみたい。マンガの基本に忠実で本題をキッチリ打ち立てる椎名さんが、どうしてルシオラを描いてしまったのか?ぼくの独断と偏見による勘ぐりで考察してみた。要するに一連の話の『裏読み』の記録をここに残します。興味のある人は読んでってください。逆に興味のない人には「こんなことしてて楽しい?」といわれてしまいそうですが(笑)どうも、こーゆーことを考えてしまう性分なんで、悪しからず。