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源平の戦い「源頼朝」(田中正雄の世界2)
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源頼朝・・・源氏の統領。平治の乱で平清盛に敗れて伊豆に流された後、再起して平氏を滅ぼし、鎌倉に幕府を開き武家政治を確立した。

 日本史で悲運の名将として民衆より絶大な支持を受けている人間といったら、まず源義経、楠木正成、真田幸村の3名が挙がることであろう。ただこの3名、一番最初に刊行されたときの学研まんが人物日本史にはエントリーされていない。歴史的人物を厳選しなければならない過程でのこの選択はよくわかる。何故かと言ってしまうと、源義経がいなくても源頼朝は鎌倉幕府を開いたであろうし、楠木正成がいなくても足利尊氏は室町幕府を開いたであろうし、真田幸村がいなくても徳川家康は江戸幕府を開いたであろうから(笑)でも、しかしやっぱりこの時代、この源平の最終決戦の中では、源義経に一番の華がある。それは否定しようのない事実で、この「源頼朝」と題された物語も、義経の悲運の物語が全体の半分以上を占めている。むしろ、主人公にしてしまった源頼朝の(心ならずも義経を追討しなければならない、いい人としての)心情もクローズアップせざるを得ない状況が、物語の悲劇性を否応なく高めていると言ってもいい。

 この物語の中で田中正雄先生はもう一人別の主人公を設ける。頼朝の旗揚げから義経が奥州藤原の地で滅ぶまでの9年間、まったく歳をとらずに時代を駆け抜けた少年・ごんべえ(笑)この少年はかっこいいさむらいになりたくて頼朝の追っかけをしていたが、手柄を求めて義経の後を追うようになり、最後は義経に顔を覚えられるまでになる。最初はほんとうに無邪気にさむらいにあこがれ、いくさで手柄を上げることばかりを考えている少年なのだが、この少年の冒険の中で田中正雄先生は様々なメッセージを込めてくる。たとえば、押し掛けで雇ってもらった下っ端のさむらいに荷物運びの役を任された時、ごんべえは戦場の華やかさと自分の立場のギャップにがっかりして、「せっかくやとってもらったけど…つまんないの」と言う。するとこの下っ端さむらいは厳しい顔で「もし、食糧を運ばないでみろ。どんな英雄だってごうけつだって立派なはたらきはできないんだぞ」と叱る。そして物語の最後まで可愛く、健気についてきた、このごんべえは最後にある重要な決断をするのだが、これは後の話にとっておこう。
 物語は先に上洛した義仲(関係ないが筆者はこの人けっこう好き。「源頼朝」ではあまり重く扱われていない)追討の宣旨を足がかりに、宇治川の戦い、一の谷の戦い、壇ノ浦の戦いと伝説の合戦を次々に展開させて行く。やっぱりここの下りの義経はカッコいい!「にげるのはうまくなってるんだ」とちょっと照れ気味に退却してゆく平氏の武将はかわいい!(笑)こーゆーのが田中正雄先生のセンスですね。頼朝はこの時期一体何をしていたのかというと、鎌倉から動かないのが仕事みたいな人で(笑)平清盛という巨星の墜ちた後、後白河法皇のいる平安京と離れ、いつでも鎌倉に武家の国を造れるぞ、というプレッシャーをかけて木曽義仲、そして源義経を操り武家政治の確立を目指していた。実働隊の総司令である頼朝と、実際に命令を決定する権限を持つ法皇との間で互いに動けぬ水面下での戦いがあった。でも、そんな政治、子供には全然わかんな〜い!ワケで(笑)やがて英雄として法皇に利用されて行く義経を、頼朝は警戒するようになる。
 「源頼朝」の中で悪役といったら後白河法皇であろう。頼朝と義経の仲違いを演出し、頼朝追討の宣旨を出しておきながら北条時政が大軍で京に上ってくると「いや、あれは義経におどされて出したもの。義経はまったくおそろしいカラスてんぐでござる。さっそく義経追討の宣旨を出そう」といけしゃあしゃあと言ってのける(笑)ただ、子供には分かり辛いとはいえ、物語の中で頼朝と法皇のパワーゲームがしっかり描かれている様子には本当に感心する。
 悪役はもう一人いる。梶原景時である。自分の作戦をきかない義経がおもしろくない景時は様々な讒言を頼朝に持ち込む。主人公である源頼朝をいい人として描く事は当然の処置として、また平氏追討の英雄である義経(当然いい人)との狭間で、本来揺ぎ無かったはずの兄弟の確執が生まれる要因として梶原景時が立ち回っている。ただ、この梶原景時、たしかに好漢とは言い難い人物だけど、石橋山の合戦で絶対不利な頼朝を見込んで助ける賭けに出たり、合戦でのはたらきも充分であり、ただの告げ口屋では量りきれない人物でもある。「源頼朝」の中ではこの事に大きく触れてはいないが、田中正雄先生の描くキャラクターというのは何ともいえない愛嬌があるので、僕にはやっぱりこの人も憎みきれない(笑)そうすると、本当になんでもないすれ違いで、仲のよい兄弟が追討する者と逃亡する者の立場になてしまう悲劇が強調されるのである。うぉぉぉおおん!(泣)

 頼朝の追っ手を逃れて奥州までたどり着いた義経だが、藤原秀衡の死とともに状況は変り、泰衡の裏切りにあって自決してしまう。そして奥州までついてきていたごんべえは、義経の死をしらないまま、使いに出た帰り道で、さむらいを止めることを決意してしまう。転がってる地蔵の頭を生首と勘違いして震えあがってしまう自分。そして義経がいくら申し開きをしようとしても、結局とりあってくれなかった頼朝。「おいらには武士はむいてないみたいだ…。どうして武士は親子や兄弟で裏切りあうんだろう」そうして橋の上で大事に持ていた刀を投げ捨て「武士なんかになるの、やーめた」そう言って「母ちゃんや、弟のところへ帰ろうっと。母ちゃーん」そう叫んで、自分の生家に帰って行く。やがて頼朝は義経の死を聞き、それを機に奥州を征伐し鎌倉幕府を開く。それが「源頼朝」のエンディング!ともすればこの物語の主人公を否定して去って行くもう一人の主人公ごんべえ。何気ない少年の言葉だが、それだけに田中正雄先生のメッセージが込められていると思うのです。

2000/10/15 LDつがね

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