#112 Re:「リンかけ」 投稿者:LD <2005/09/19 01:58>
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<<<親記事] |
> えーっ、「阿修羅編」って明らかな失敗作じゃないですかー? > (…と、今の今まで思い込んでましたが、全然違ってたらどうしよう。私もどきどき(笑)) えーっ、「阿修羅編」が明らかな失敗作なら「リンかけ」全編がしpうゅあああなmにをするndsjきへl;ふじこ …という話はチャットでルイさんに言われてしまったんですが(笑) しかし「リンかけ」のどこが失敗して(スベッてる)いるかという話はちょっと止めておくとして。ええ私、そんな馬鹿な「リンかけ」が大好きですから(笑)しかし、しかしもし「阿修羅編」を避ける理由があるならという事で、僕なりに検証してみました。 1.ストーリー全体を見渡した時にテンポを悪くする違和感がある。 愛憎版(←誤変換ですが気に入ったのでそのまま)から「阿修羅編」外されたのは、もし何らかの理由付けを想像するなら「リンかけ」全体を見渡した時のテンポや流れの悪さがあるような気がします。 つまり「リンかけ」としては「ギリシア十二神編」こそが一番のクライマックスだと思うのですよ。これは一般的に見て、という事と、もうこれ以上はプロの世界(?)に行くしかねーだろう!というタイミングの問題としてそうだと思うんです。 世界Jr.の協力を得てゼウスともカイザーナックルとも決着をつけた。そして神々との闘いの後に「絶対神」である世界チャンピオン=ジーザス・クライストとの闘いに入って行くという流れは非常にキレイなんだと思います。 確かにこの部分、間に「阿修羅編」が入ると阿修羅たちが非常にしょぼいだけに、間が延びてしまう感覚は否めません。だからといって外していいかというと、まあ僕はそこらへん含めて「リンかけ」だと思っているので…。 それと最終回のあたりだったと思うのですがアニメックだか、アウトだかで車田先生が「リンかけ」のインタブーを受けていたように思います。まあ、非常に当時の車田先生らしく“やさぐれた”受け答えをしていまして(笑) 「そりゃあよー?続けろっていうならいくらでも続けてやるぜー?次は七福神だ!とか言えばいくらでも続けてみせるぜー?でも、もーいいだろ?ここらが潮時だって。お前(インタビュアー)も、そう思わねー?」 …とまあ、大体こんな感じだったと思います。いや、記憶の霞がかかっているので正確ではないですが(七福神は絶対言った!)、イメージ的にはもう“ツッパリ丸出し”で(笑)「幽遊白書」で崩壊寸前になった、富樫先生とくらべて、まだ全然余裕の馬鹿っぷりが微笑ましいですが、いきがっていても車田先生的にも「阿修羅編」あたりが一杯一杯だったのではないかと思います。 2.車田先生らしくない入組んだストーリ 河井の裏切りに象徴されますが「阿修羅編」はただぶっとばせばそれでいいという、それまでの話に比して“車田先生にしては”ストーリーが入組んでいます。実は「ギリシア十二神編」でゼウスは存在しなかった!という大仕掛けの匂いを出すのですが、ここまで来てゼウスは居ませんでした!ってのは少年マンガ的にどーなの?という事なのか、この案はボツになったようなのです。しかし車田先生的にはこのアイデアが気に入っていたらしく、性懲りもなく。これを再度「阿修羅編」で持ち込みカタルシス足らずを炸裂さてしまった、という感は否めません。もし「阿修羅編」が失敗作というならば、ここでがそうなのではないかと思います。 しかし、ひたすら強敵に継ぐ強敵を出しつづけ「うぉおおおおおおおお!ぶーめらんてりおす!」「BAKOOOOOOM!ぎゃらくてかまぐなむ!」と血管浮き出しながら上げつづけたテンションが、ある日ふっと途切れて…………………………………………オレ一体なにやってんだろう?と疑問を持った若者が、ちょっと背伸びしてひねったストーリーを組んだからと言って誰かそれを責めれる人がいますでしょうか?いやいない(笑) そんなワケで(←どんなワケだ?)もしかすると「リンかけ」における「阿修羅編」と言うのは「あしたのジョー」における「ハリマオ編」と同じような違和感なのかもしれませんね。「リンかけ」ファンに勝るとも劣らぬ数を誇るであろう「あしたのジョー」ファンも“ハリマオ”の事は忘れたいに違いありません(笑)しかし連載作品を読んでいる以上、どの作品でも忘れたいエピソードの一つや二つはあるものです。記憶の彼方に封印したいその気持ちを、ぐっと堪えて「いや、むしろハリマオがよくね?」といえる位の根性を見せてこそ?とか適当な事を言って締めくくって見ます(笑) |
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