#181 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:LD <2007/01/14 22:58>
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■> でもそれは、女形の役者や宝塚のスターを演じてる人に向かって「その演技はあなたの核から遠いよ」と言うようなものであって、筋違いなんじゃないかなと。彼らはそれこそ、何から何まで承知の上で「自分に合った仕事」「自分にしかできない仕事」をしているわけですから。 > で、「女形は演技力のスケールが大きい」なんて言い方はしませんから、「核からの遠さ」はあまり問題にならない、という見方をします。 え〜っと……………演技力を漫画力に符合させたたとえなら、ちょっと話ずれているような…w 「昴」を異性役、「カペタ」を同性役に見立てて、違うフィールドに存在するたとえをされていますが、それは元々ルイさんやGiGiさんの指摘だったと思います。 スケールあるいは漫画力という同一線上のフィールドに乗せ「昴の方がスケールが大きい」「昴の方が漫画力が必要」という主張をしたのはいずみのさんの方です。 従って女形の話などに喩えるなら、やはり「昴」と「カペタ」を同一線上に入れて「カペタは普通の女役だが、昴は絶世の美女の役だ。従って昴の方が演技力が必要(ホントにそうかはこの際置いておく)で、役所のスケールも大きい」という話をしなければ意味を成しません。 そもそもいずみのさんのスケールの話に反発している人は「そうではなく昴は女形、カペタは男役くらいの違いがあって一概に『女形(昴)の方が難易度が高い』とかそんな話はできないという」事を言っているはずです。核から遠いとは正に「カペタ」とベクトルが違うという意味で、故に同一線上(スケールor漫画力)の話はできないという事のはずです。 つまり「『昴』と『カペタ』は違うフィールドの話だ」という指摘に対して「そのフィールドは確かに違いますが、それを違うというのは筋違いでしょう」まででは答えになっていません。では、いずみのさんが「同一線上に捉えている線」は何なのかについて、たとえなどを駆使して説明して欲しいわけです。 単純な「難しさ」だと言うならそれは「女役を曽田先生はやるのは難しいけど、女性が女役をやるのは簡単って違いだけじゃないの?」ってな感じの指摘をされているワケです。(ああああ…ループの予感…) ※と書いていたらなんか追加で書かれていますね?でもこの論旨は生きている?かな?カナ?…ように思うのでそのまま行きます。 ■>このベクトルの「難しさ」を、「核が遠い」という理由の「難しさ」のベクトルと混同されると議論が進まない、と思います。 う〜んと?やはり絶対座標で話をされていますか?「昴」は曽田先生にとって相対的に難しい、「カペタ」は曽田先生にとって相対的には「昴」より楽。ここまでの話を否定している人はいないと思います。これは曽田先生を座標(グリット)にした相対観点での話です。だから他の人には「カペタ」の方が遠く「昴」の方が近い場合があります。 そうではなく絶対的に「昴」は「カペタ」より難しいんだという話なら、話は下記に移ります。相対座標観(いや、ただ単に曽田先生にとって「昴」は難しい挑戦だよと言っているだけだよ?)なら次の引用まで読み飛ばしてください。 「曽田先生が女性を演じる事が遠いのは当然」という話をされましたが「女性作家が女性を演じるのは曽田先生より近い」のも当然ですよね?「昴」は途中で中断してしまったので、昴を目指す場所というのは正確には分かりません。しかし、軌跡から大体のベクトルを測る事はできます。それを僕は「地獄の家」とか「ZERO」とか言ったのですが、あまり好評ではなかったので…(汗)仮に、その昴の到達点に限りなく近い位置にいる架空作家Aを登場させましょう。 何も「天才を描く」のは曽田先生の専売特許ではありません。曽田先生が悩み苦しんでも表現できなかかった世界を息するようにと描いてしまう作家さんがいるでしょう。そういう人間の存在を他でもない曽田先生が認められています。その作家さんは曽田先生よりも漫画力が高いのでしょうか?あるいは「高い!」という論点なのかもしれませんが、僕はそうは思いません。その架空作家Aさんは「カペタ」を描くのは曽田先生よりも四苦八苦すると思われます。そういうものではないでしょうか? ある程度の技術論に上手い下手は存在するでしょう。しかし曽田先生はそのレベルは最早クリアしているといって差し支えないように思います。いずみのさんの話を聞いていると僕はテーマに優劣をつけようとしているように思えてしまいます。 物理的(精神世界?)なスケールなら「昴」は「カペタ」よりも遠くに行く話だと思います。そこは散々同意しました。しかし「昴」が「カペタ」よりも難しいかというと、曽田先生には難しいでしょう。しかし他の人には違うかもしれない。それ以上でも、それ以下でもないとしか言いようがありません。 そうではなく曽田先生が昴を目指して描く事に価値があるんだという話になると思います。仮に曽田先生より昴に近い“線”が引ける人がいて、昴と曽田先生の間に引かれた“線”の価値は何ら変わりません。同じようにカペタと曽田先生の間に引かれた“線”の価値も変わらないと思います。たとえ「昴」よりも短かったとしても。 ■> 未到達の世界を描こうとしている以上、その手の困難、先が明確にイメージできなくなったり、場合によっては休載、といった「立ち止まり」は重々承知の上で連載を始めていたと思います(そのくらいの気迫が、連載時の『昴』にはあります)。 チャットの方でも話していますがこれによって、僕の主張がそんなに変わる分けではありません。あそこに書いてるのは連載中僕は「いずれ先が描けなくなるのでは?」という予想をしていたら、その通りになったという事です。 「いずれ先が描けなくなるだろうけど、曽田先生もそれは重々承知の上なんだろうなあ。で、描けなくなったら休載するんだろうなあ…」とか正直予想しようがないですw むしろ「曽田先生も承知している」まで読んだのなら、考える事は「何か回避策を考えてくれるのでは…」では? 確かに僕は特に策を施さないのを見て「気付いてないのかなあ…」と思っていましたよ?w これに対して何か確定情報が与えられれば、そこは覆りますね。でもまあそれって僕の見立てと、曽田先生の見立てが一致していたって話で「ああ、曽田先生も分かっていたのかあ…」ってなるだけのような…。 しかし、場合によっては休載も重々承知と力強く言われていますが、曽田先生にそんな前科があるならともかく、普通はそうは思わないのでは?むしろ「大吾」などもかなり悩んでいたと思いますが、その悩みのままに突っ走り最後までやり切っていますよ。 ■> あと、ロビーが読者の代弁者であるというなら解るのですが、作者という潜在情報は全く感じ取れませんでした。 いや、この話の根拠は「昴」がそこで途切れた(休載)したという事が大前提で「その時(土壇場)に登場してくるなら、そいつはデウス・エクス・マキナだろうw」「その時(土壇場)に告白してくるなら、そいつは曽田先生だろうw」という観点に他なりませんw だからこれは時限的なものです。物語が再開しアレックスが出てくれば、彼がデウス・エクス・マキナなんて説は霧散しますよねww それはロビーも同じですwwでも、最後の瞬間に告白するなら曽田先生だとw いずみのさんは無意識か意識が分かりませんが、この「中断した」という事実をかなり無効化して見ていると思います。なのでアレックスがデウス・エクス・マキナにまったく見えない、ロビーはロビーにしか見えないと言われても、それほど驚きはしません。でも、今「完全確定」している事実は「昴」が中断した所までなんですよ?とは言っておきますw まあ「土壇場に告白するにしても曽田先生だとは思いません」とは言われてしまうかもしれませんが…(汗) LD >> そして、こっちに笑って欲しかったんだけど、あの昴に告白する黒人って曽田先生だよねえ?w とチャットでも言っているように半分は冗談なので「面白い観点だ」と行ってもらえれば嬉しくって「そうは思わない」と言われれば残念だなあとw それはそうと「昴」読み直しましたw いや、GiGiさんの言うとおり「速度バッチし!」ですね。面白いです。面白いです。 これを踏まえずに「わ〜い、おいらの予想が当たった!当たった!わ〜い!」という発言に終始してしまったのは、ちょっと「小っちぇえ」行為でしたね。いかんな〜(苦笑) |
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