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電視の部屋

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#419 反逆のルルーシュ「王道と覇道」(スザクマジ惚れモードその2…の巻) 投稿者:LD [2007/03/22_00:16]
「王道」…帝王が仁徳をもととして国を治めるやり方。
「覇道」…覇王が武力や権謀によって天下を支配する政治のやり方。

[岩波国語辞典第六版との事]

(ふううん…そうなんだ?)え〜っと、こんにちは。「コードギアス反逆のルルーシュ」で、相変らずスザクマジ惚れのLDです。
ところが、このスザクくん、結構ネット上(とかアニメファンの間)では嫌われているみたいなんですよね?(泣)いや、何となく分かるような気はするんですけどね。スザクって観方によっては“矛盾の塊り”なので。しかし、僕はその矛盾が好きでして…スザクの矛盾とは正に「王道」を歩むが故のものがあると思うのです。これは「覇道」を行く主人公のルルーシュの対比のキャラとして観た場合、かなりクッキリ観えて来ると思うのですけどね。少なくとも僕自身はそれがあるから騎士スザクや皇女ユーフェミアが好きだという事があります。
…で愛しのスザクくんを理解してもらうために「王道」と「覇道」という考え方について、僕なりの解説を少ししてみようと思います。何と言うか「王道」というものの考え方を取り入れると、かなりスザクというキャラが見えてくるのではないかと思うのです。それで、少しはスザクというキャラに気を向けてもらえるかな〜?と。
ただ先に言っておくと、この話は適当なところで切り上げます。王覇論は孔孟思想に基づくものですが、それを長々語って王覇の全てを説き明かす事をここでは目的としません(んなもん、僕には解き明かせませんし)。そこはもう、スザクの行動が、あれ?ちょっと分かるかも?というところで目的を達成と考えていますので、そこは悪しからずお願いします。

さて、まずルルーシュというキャラを分析した時「目的の為に手段を選ばない」人間と言えると思います。対してスザクは「目的の為に手段を選ばない行為を否定する」人間……と言えばいいのかな?とりあえず、この対比でもスザクというキャラを理解し観て行く事はできると思います。
しかし、ちょっと踏み込んだ話をして見ます。結論を言えば僕はスザクという人間は「正しく生きる」事を決意したのだと僕は思っています。これがスザクの目的と言えば目的なのですが、この目的の面白い(?)ところは手段を選ばない行為をはたらいた時点で崩壊してしまうんですね。ゴールのないその人生を閉じたとき初めてその総括ができる種類のもので、故に「手段に拘る生き方」だと言い換えが可能に思います。つまり、スザクは「手段(正しく生きる)のために目的を選ばない」人間なのだと。……ちょっと強引ですか?(笑)
さらに言い換えてみます。「目的」といった部分を「結果」に、「手段」と言った部分を「経過」とすると分かりやすいかもしれませんね。ルルーシュは「結果を尊び経過を問わない」生き方を選びました。逆にスザクは「経過を尊び結果を問わない」生き方を選んだと。これでキレイな対比に…………う〜ん?やっぱ意味不明ですか?ま、いっや。話を続けます。

突然、少し話がずれますが、最近どうも中華人民共和国という国は日本のネット界隈、及び世界各国に少なからず嫌われていて、それにあわせて儒家思想が、その独裁体制維持の基盤となっているかのような扱いを受けていますよね。
中でもけっこう悪名高く扱われているのが論語子路編の以下の一編

葉公、孔子に語りて日く、吾が党に直躬なる者有り。
其の父、羊を攘(ぬす)みて、子之を証(証言)す。
孔子日わく、我が党の直き者は是に異なり。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。
直きこと其の中に在り。


まあ割と有名な話だと思うのですが、要約すると葉公(楚の県長)と孔子が「直(正直者?)」について語る話ですね。葉公は父親が盗みを働くのを見た子がその証言をした(これが直)と言い、孔子は父は子を庇い、子は父を庇う(これが直)と話しています。賢明な方は僕が「反逆のルルーシュ」のスザクの「どの行動」に照らそうとして、この話を挙げているか分かるかと思いますが(笑)
もう一つ言うと、主人公のルルーシュ自身の目的つまりナナリーを守るという行動も、ここから発されているものですよね。…逆にスザクは肉親に何をしましたっけ?(笑)DVDリリースのCMの文句「善を知りて悪を為し、悪を知りて善を為す」の善って何の事?悪って何の事?と思った人いませんか?…ま、しかしその話はちょっと置いておくとして。

この一編が、もう何と言うか「人治政治」を肯定している考え方だという事で、かなり評判が悪い(笑)まあ、実際そういう面もあるのだと思いますし、法治が根付いた現代社会においてなかなか受け入れられない考え方かとも思います。しかし、少しこの一編の誤解を解いておくと、この一編直接的には「どう行動することが正しいのか?」という是々非々の話はしていないんですね。最終的には是々非々の解釈がついてくるのですが、文章を読めば分かるようにあくまで議題となっているのは「何が直(すなお)な人間か?」という物です。
さて「父母であっても容赦なく法の裁きにさらす者」と「父母を犯罪者としたくない者」どちらが、心に直(すなお)な人間なのでしょうか?(笑)少なくとも孔子は後者を直(すなお)だと思っているようですし、それ自体は全然現代社会でも通用する心象じゃないかと思います。
そしてこれが重要なんですが、たとえ法を布くとしても、この直(すなお)な心を根本に置かないと、結局、法というのは社会を正しく導くものではなく「頭の良い者に抜け道を見つけられたり、利用されたり、都合よく制定されたりするゲーム」になってしまうんですね。←この頭のいい者が社会の仕組みを利用して成り上がるゲーム。これ「覇道の因子」です。まあ今の世の中の仕組みそのものと言ってもいいんではないでしょうか?(笑)

で、もう一つ、ここで語られている「法」というものについても言及しておきます。人間関係の成り立ちとしてAさんにとってBさんはCさんよりも大切な人間、という状態があるとします。しかし一方DさんにとってはCさんはBさんよりも大切な人間となります。価値観逆ですね。こういう状況は人間関係で常に起こっている出来事ですが「法」というのはここで「故に両方大切、平等」という裁定を下します。BさんCさんに限った事ではなく、AさんもDさんも含めた人間関係全てをひっくるめて、所謂「法の下に平等」と謳うわけなんですが………これって実は誤魔化しがありますよね?AにとってB>C、DにとってC>Bという現実は、それ以外に表現しようがなく、どうこねくり回してもB=Cとは成りません。というよりその状況は現実には存在していないものです。にも関わらずそんな当て嵌めをして「法」はこの世に存在しない(架空の)価値を元に人間を裁量しているとも言えるわけです。
何故、そんな真似をするかと言うと、社会を丸く治めるためだからなんですけどね。無秩序な人間関係をそのまま整理せずに済むほど世の中は楽園にできていないからなんですが、いずれにせよ「法」は世の中を丸く治めるためならば、裁く対象である人間を正しく捉えることは二の次としています。これも「覇道の因子」ですね。まあそれを用いる事自体の正当化はできても、そのままでは正しく人間を捉える事ができない実態は変わらず、結局のところ「法」は「王」=今で言えば裁判官を必要として来たのが現実なわけです。(ここで法家の話には脱線せず先に行きます)

何が言いたいかというと王道(孔孟)思想的に言えば「法」やそれを成り立たせる「理屈」は人間に使われる道具であって人間の上にはない。(人間があたかも上にあるかのように振舞う事はできるが)故に「法」や「理屈」に照らして矛盾する事が、必ずしもその人間の行動原理の矛盾を指摘するものではない。……要するに人類は恐らくとっくに諦めてしまっているのだけど「法」や「理屈」に拠らず正しい答え(逆にこの正しい答えに則さない法は成立してはいけない)が出せる英雄(スーパーヒーロー)の事をね、「王」と言うのですよ。というかそういう連中ってフィクションの世界では散々見てきていますよね?この世は(それこそ孔子の生前から)すっかり「覇道」で覆われてしまったと言えると思いますが、同時にフィクションの中に「王道」が息づいているのは、まだ人間の心に「王道」が生きているからだと言えるかもしれません。

というところでいよいよスザクくんに登場願おうかと思います。

まあカレンを(テロリストと知ってて)見逃す話(21話)なんですが、ここでカレンは「あんたなんか変わった?」とつぶやくんですけど、スザクにベタ惚れの僕は、スザクが変わったとは思っていなくって。13話で「ゼロは卑怯だ!」と演説ぶっこくスザクを見てカレンは心の中でグサリとくる反面「うっさいっ、進んでブリタニアの犬になった奴に何が分かる!」と反発もしていたはずで。しかし、実際にはあの時もこの時も変わらずスザクは「ブリタニアの犬」などではないわけで(笑)
そこで最初に言った言葉が出てくるのですが彼は「手段の(正しく生きる)為には目的は問わない」男なんですよ。つまり彼の行動は多くの場合、ブリタニアの法に従う事を選択する分けですが、ここでカレンを無慮無情にブリタニアに引き渡すのが自分にとっての正しい選択ではないと判断すれば、実にあっさり法を袖にする。それが「王」というものなんです。
ちょっと言っておきますとルルーシュがゼロと分かったら何処でも容赦なくブリタニアに引き渡すかも(あくまで“かも”)しれませんよ?スザクは?……いや!だから辻褄が合う合わないの視点が過ぎるとスザクの「王」は見えてこないのですよ!顔を知り名前を知り共に過ごした時間があるカレンやルルーシュだからスザクは救えるかもしれないと考える(救い方にも違いはある)。しかし、顔も名前も知らない者に何かできるわけがない。できるとは思わない。だから、ここに一律の答えはないんです。(「法」にはこういう判断はできません。先程の話で「法」が人間を捉えていないという話に違和感を感じた人もいたかもしれませんが、つまりそういう話です)
…え?それが人治?うるさい!うるさい!(笑)スザクのそれまでの行動を見れば堅物・融通が利かないと評していい程“法遵守の男”だった事を思い起こして欲しいです。スザクは何も欲望のまま傍若無人に犯罪を働いているわけではありません。そのスザクがカレンの事には、ほぼノータイムでルール違反を選択している……これが「そこにシビれる!憧れるぅ!」じゃないなら百言費やしたって、スザクの事が分かる日は来ないさ!ふん!(←数言程度しか費やしてない男が、何か途中で怒り出してる)

(…はあっ、はあっ)え〜っと、ここらへんで切り上げたいと思います。結局、かなり長々と書いてしまったような気もしますが orz
カレンを野放しにしておいて犠牲者(撃墜数)を増やしたらどうするんだとか、まだまだ色々つっこまれそうな余地はあるんですけどね。一応、基礎的な話はしましたし。……というかこの「王道」ってのはスザクに限らず、古今のヒーローたちが体現して来た事なんですけどねえ。スザクについては「覇道」を選んだルルーシュとの対比で、嫌な見え方が浮き彫りになってしまうのかな……ま、いっか。こんな事を考えながら「コードギアス」を観てみると楽しさも倍増するかもしれません(←工工エエエエエエ(´д`)エエエエエエ工工)それではスザク万歳!!

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