#171 顕在情報と潜在情報 投稿者:GiGi <2007/01/14 13:55>
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チャットでの会話でなかなか実用性の高い面白い論が張れたので、ちょっと要点を書き出してみようかな、と。 まず最初に断っておきたいのは、これは漫画自体を読み解くための方法論ではなく、「漫画論」を分かり易く解体する為の方法論だと言うことですね。とりあえず、自分の論のセルフチェックに使うというのが一番有効だと思います。そうゆう意味ではLDさんのhttp://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_byoki.html">「オタクのかかる病気」の汎用理論版だとも言えますね。 さて、本論です。漫画読み同士の会話と言うのは、時として、ハタから見てとても分かりづらい、まるで意味の通らない会話をしているように見えると言われたりします。自分自身で振り返って「まるでスタンドバトルだな」とか「また宇宙人の会話だよ」とかひとりごち反省したりする経験は誰しもあったりするんじゃないかと思います。しかし、会話をしている当人達にとってはまったく意味の明瞭な(少なくとも分かったつもりの)会話なんですよね。 何故こんな芸当が出来るのか。それは、実は漫画を語りながらも、その漫画の原稿上に明示的に描かれた<<顕在情報>>だけではなく、経験則や二次資料によってもたらされた<<潜在情報>>をも共通認識として語らっているからなんですよね。 ここで言う<<潜在情報>>というのは、言って見れば読者サイドが勝手に規定した「作者が作品に対して持っているであろう見立て」のことだと思ってください。それがいかにもっともらしかろうが、その実なんの確証性もない(もちろん状況証拠を積み重ねて確からしさを上げることはできるわけですけれども)一種の”思い込み”なんですよね。 それに対して<<顕在情報>>というのは、漫画の原稿上に確かに明示され、資料を提示すれば誰であれ論理的に結論に達することのできる”間違いのない”情報の事です。 で、通常の漫画読み同士の語らい、論戦というのはこの2つの情報を特に分け隔てせずに虚実入り混じって(相手の意図を斟酌しながら)進められているわけで、これが宇宙人の会話と言われる所以なわけです。 しかしこの方法ってのにはどうも癖というか難点があって。(相手の意図を斟酌する)のに手間をかける必要があるのでどうしても会話が冗長化するんですよね。このすり合わせ作業もまた楽しかったりもするんですが、どうしても情報伝達の効率が悪かったりしますし、時に誤解が生じたままこじれてしまったりする原因になったりもします。 そこでですね。自論の論拠となる情報を<<顕在情報>>と<<潜在情報>>に予め峻別して、この論はこうゆう明示的資料(顕在情報)とこうゆう見立て(潜在情報)によって成立しているんだと言う事を相手に開陳してしまうことで、論の構造をダイレクトに相手に伝えることができるんじゃないかと言うのが、この項のアイデアな訳です。 この方法論が面白いのは、相手の<<潜在情報>>の読み(見立て)の確からしさというのがあまり問題にならない、という点ですね。正しいかどうかはともかく、とにかく乗っかって体感してみるという使い方が出来る。その上で矛盾や誤謬があれば指摘できるし、あるいは自分が持っていた見立てでは見えなかったリソースが拾えたりすれば、自論にフィードバックして修正をかけたりということも出来たりします。演繹的ではなく帰納的な方法論なんですよね。トライ&エラーで気軽に楽しめるので、「論」に自信がなくてもお試し感覚で展開出来たりするかも知れません。 漫画読みと一般読者の間には見えない<高い壁>があるのを感じたことがある人は多いとは思います。この方法論がその壁を突破する一助になったりすれば幸いなのですが。 |
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#172 Re:顕在情報と潜在情報 投稿者:GiGi <2007/01/14 13:56>
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う、死ぬほど読みにくい…。スマンす…。 |
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#173 Re:顕在情報と潜在情報 投稿者:LD <2007/01/14 14:24>
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> う、死ぬほど読みにくい…。スマンす…。 いや、分かりやすいと思います。論展開を経験した人には…ww 自分の手持ちの説の性質をチェックし、速攻に伝わる事と、時間がかかる事(顕在情報が揃った説の方が伝達効率は高い)を判断して、もともと伝達に時間のかかる説に即効性を求めないとか、自説を強固なものにする為にはどんな情報が必要か?あるいはどういう情報があると自説が崩れるか?(考古学的検証)…そんな感じかなあ?w |
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#175 Re:顕在情報と潜在情報 投稿者:GiGi <2007/01/14 14:35>
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> > う、死ぬほど読みにくい…。スマンす…。 > > いや、分かりやすいと思います。論展開を経験した人には…ww 実践的に使ってみるのが一番理解が早いですよね。例題をいくつかピックアップして併記するとわかりやすいかなぁとも思ったんですが力尽きました(^^;。とりあえず刃牙の話はとても分かり易い例ですよねw。まあ、折を見て。 |
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#177 Re:顕在情報と潜在情報 投稿者:いずみの <2007/01/14 15:44>
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とりあえず、チャット中でぼくが整理してみた部分をまとめてみますね。 ■これは作り手側の技法論ではなく、読み手側の読み方を客観視して検証可能なものにする為の実用概念である ■顕在情報=絵による説明や明文化された情報(出典によって確定する) ■潜在情報=行間または既出分の情報との組合せで浮かび上がってくる情報(出典だけでは確定しない) ・読み手が持っている「漫画観」や「人生観」「作者観」「雑誌観」なども潜在情報である。 ・作者のコメントや編集者のアオリ文なども潜在情報に含まれるが、公式なコメントの場合は顕在情報にもなりうる。 ・潜在情報は、「史観」と呼ぶこともできる。 ・作品語りは歴史検証と相似関係にある。顕在情報は「一次資料」で、潜在情報は「二次資料」。 ・「顕在情報=正史」というわけではない。歴史とは、一次資料とそれに基づく仮説の集合体であり、「正史に近い史観」があるのみである。物語もまた、顕在/潜在の混交によってその姿が見えてくるものである。 ・一次資料や二次資料によって論者が独自に構築した認識構造は、歴史でいう「仮説」である(一次資料を無視した場合は「捏造」になり、トンデモにもなりやすい) ・そのような認識構造を「潜在思考のレイヤー」と呼んで、「潜在情報のレイヤー」と区別することもできる。 ・「潜在」した情報や思考(認識構造)は、作中で「顕在」することで確定し、潜在ではなくなる(情報の消化と昇華)。 ・自らが持つ「潜在情報」がなかなか作中で顕在しない場合、それは「単純に顕在化が後に控えている」(正史に近い)場合と、「顕在化する当ての無い潜在情報を読んでしまった」(捏造に近い)場合に分かれる機会がある。 ・あえて「捏造」の潜在情報であることを積極的に自覚(覚悟)しながら読むこと自体は構わない。その情報のレイヤーは、例えば「腐女子的な妄想」に近いと言える。 ・また、「捏造」は「ミスリードが生むサプライズの楽しみ」に繋がる結果にもなりうるので、必ずしも「誤った読み方」というわけではない。 ■議論上のマナーとして ・「つまらない」「面白くない」などの評価は、実質の所、発言者が持つ「潜在情報」に基づくことが多い。「顕在情報」のレイヤーでは、問題が無い場合も珍しくない(上記の「捏造」を引きずって読んでいる場合など)。 ・覚悟しないで期待し続けるだけの「捏造」は、読み手のフラストレーションとなり、作品/作者への低評価へと変異しやすい。 ・しかし「自分の史観では楽しめない」という読み方を、客観的評価と安易に結びつけることはできない。 ・その逆に、潜在情報によって「顕在情報の描かれ方とは無関係に」作品を楽しめることもある。 ・そういった作品の感想は、その心理的背景を説明しなければ他者に通じない。 |
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#179 【補足】Re:顕在情報と潜在情報 投稿者:いずみの <2007/01/14 19:36>
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これもチャットで挙げた要素のひとつですが……。 顕在/潜在を、理屈/感情に分ける考え方もあって。 うしおととらの「いつかお前を食ってやる」やネウロの「このウジムシめ」という台詞は、何度も繰り返し説明される「顕在情報」であるんですが、「その言葉の裏にどういう言葉が込められているか?」「言い直すごとに、感情にどんな変化があるか?」といった繊細な部分を感じ取れるかどうかは、読者の潜在情報に左右されることが多いわけですね。 これは、スクランのように説明が少ないタイプの、少女漫画的なラブコメを読むのが難しいのは何故か? という話題から来ていたと思います。 最初GiGiさんは「顕在情報=早い情報」「潜在情報=遅い情報」と仮定義されていたのですが、「いや、女性の場合、理屈っぽい説明(明文化された顕在情報)を読むことの方を難儀がる人が多いし、むしろ頭の中に一度インプットした人間関係(感覚的にしか把握できない潜在情報)ならすぐに反応できたりするから、逆のことも言えると思いますよ」と考えたわけです。 ・顕在情報=理屈的=左脳理解=男性的な読み方 ・潜在情報=感情的=右脳理解=女性的な読み方 大雑把にこういう分け方をして、「男性が読みやすい漫画」と「女性が読みやすい漫画」が別れることも説明できるのでは、と(この場合の男女区別は、あくまで象徴的なものですが)。 漫画読み同士で「読み方が違う」時というのは、おそらく大抵は「キャラクターが感じているであろう感情」の想定が違っている場合なんですよね(「作者の意図云々」の衝突は、捏造に近いレベルなので別ですが)。 例えば、感情移入がオーバーフローしてしまって根拠のない妄想を作り上げてしまったり、逆に全くキャラクターの思考や行動原理、関係性などが読めずについていけなくなったり。 特に群像劇の場合は、「そのエピソードでは誰が主役で、誰の視点で読めばいいのか?」を見失うことで「読み所をハズす」ケースが多いんじゃないかと思います。 そういうのは結構、「この話は○○の視点で読めば解るよ」と言われれば解決する問題だったりはするんですよね。 それでも、特に男性は「複数の視点で読む」のが不得意な人が多いので、一度「読みを外す」と、最初から巻き戻して読み直さないと、一度固定しちゃった視点をなかなか切り替えられない……、みたいな事態に陥りがちな気がします。 そういう「潜在情報の固定化」をなるべく避けよう、というのが、この「顕在/潜在」概念の役割の最たるものではないかな、という所でまとめてみます。 |
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