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[娯楽のハイエナ][Re:Re:2009年2Q 今期選考 候補板] ルイ >> 続!盛るぜー超盛るぜー。何気に超短評なんかも加えちゃうぜ。 ■作品選考 ・「初恋限定。」  構成の軸をしっかり据えた着眼点、演出の妙 ・「戦国BASARA」  作画の本気度によってトンデモをガチンコに押し上げた気概 ・「イナズマイレブン」  行き届いた脚本、仲間→特訓→試合の黄金回転 ・「Phantom 〜Requiem for the Phantom〜」  2クールものとして必要十分な起承転結構成 ・「リストランテ・パラディーゾ」  美しい1クール ■サブタイトル選考 ・「ライブオン CARDLIVER 翔」  …  <2009/07/25 19:02> [返] [削]

[今週の一番][7月第3週:ぬらりひょんの孫 第六十六幕 今へと繋ぐ] LD >> ■2009年07月18日LD >> |ω・`)kichi >>             (´・ω|LD >> |ω・`) 。o(………)LD >> | ´_ゝ`)kichi >>      (…………)o。(´・ω|LD >> | ´_ゝ`)ノ <やあ!kichi >>          Σ(`・ω|kichi >>       こんばんわっ ヘ(`・ω|LD >> 「うみものがたり」をまだ観ていないんですよね。どうでした?w 予告は、ちょっとおかしんじゃない?ってくらいクオリティ高かった印象なんです…  <2009/07/24 02:55> [返] [削]

■[アニメ諸評][すみません。] LD >> 「前巻までのあらすじ」について、僕は沢城さんのナレーションだと思い込んでいたのですが、カルマさんからそれは「斉藤千和」さんとの指摘がありました。すみません。その通りでした。お詫びと訂正を致します。…なので斉藤千和ファンは必聴という事でよろしくお願いします。  <2009/07/23 20:59> [返] [削]

■[アニメ諸評][うみねこのなく頃に] LD >> ★★★:(3話まで)…ちょっと、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」という作品を思い出したり。あるいは「湯殿山麓呪い村」もそうだっけかな?…何でか?って話はしませんがw「ひぐらし」の次作という事でかなり期待しているのですが、今のところいい感じ…とはいえこういった推理系、スリラー系はオチのあたりで作品が決まるので、まだ何とも言えないというのが本当の所。雰囲気は良いです。3話で既にかなりの人々が死んでしまっているなあ…w  <2009/07/23 11:09> [返] [削]

■[アニメ諸評][懺 絶望先生] LD >> ★★★:(3話まで)内容は、前作と大体同じ調子で安心して観られます。…でも、それはわざわざ観なくても…って話でもある。しかし、アバンタイトル「前巻のあらすじ」の沢城さんのナレーションがとても楽しい…というか、沢城ファンは必聴!という感じなのでそこは聞き入ってしまいますね。総じて良です。  <2009/07/23 11:07> [返] [削]

[娯楽のハイエナ][Re:2009年2Q 今期選考 候補板] kichi >> せっかく誘われましたので、サブタイ選考やキャラ選考にも何か出せないか考えたのですが……、明確な理由付きで挙げられるようなのはちょっと思いつかなかったもので、とりあえずED2曲だけエントリーさせていただきます。短評とはとても言えない感じになりましたが、まぁ、参考にしていただけたら……orz■OPED選考・「初恋限定。」  ED:初恋 limited曲自体とか映像の良さとかではなく、特性持った曲を物語の絞めとして上手に使っている、その使い方が巧いと思ってのエントリーです。この曲の入り方って物語が終わ…  <2009/07/22 01:54> [返] [削]

■[アニメ諸評][クイーンズブレイド 流浪の戦士] 匿名さん >> ★★★:  <2009/07/21 04:17> [返] [削]

[今週の一番][7月第2週:明王神話 第140話 貫く忠義] LD >> ■2009年07月11日LD >> |・ω・`)LD >> |ω・`)LD >> |・`)LD >> |`)LD >> |`) <こんばんは!井汲 >> (本格的に始まる前に、どさくさに紛れて一言だけ…→井汲 >> →西尾維新も、椎名先生と同じで「定理を解く」って言っちゃってたなあ。「問題」と違って「定理」は「解く」もんじゃなくて「証明する」もんなんだけど…些細な違いといえばそうなので、椎名先生は仕方ないにしろ、職業柄「言葉」の用法に人一倍注意を払うべき立場の人はたとえ些細であac  <2009/07/20 21:32> [返] [削]

■[アニメ諸評][タユタマ −Kiss on my Deity−] ルイ >> ★★☆:(全12話)傑作「スクールデイズ」、主要キャラに絞れば意外に愉しい「あかね色に染まる坂」に続く監督構成コンビという事でワクワクして観ていましたし、中盤あたりはかなりその期待に応えてくれて・・・エロゲのような他愛もない原作から「物語の芽」を見つけ出して、一本道の物語用に再構築して提示する事に長けているんじゃないかって思いがあったんで・・・でも、今回はイマイチでしたorz誰がどう見ても主人公とユウリとヒロインのマシロの関係が圧倒的に強いんですが、その中でどの物語を見出して一本の必然の物語にするか?という時、本作でのそれは明らかに幼馴染の「アメリ」がキーだったんですよね。実際中盤はアメリの心情を追う事が中心で話を組み立てているし、構成はアメリの為の構成になっていた。・・・ところがラスト、アメリが物凄くアッサリと「退く」。ここの感情に積み上げが足りていない為、それこそ格によって規定路線通り退きました、という物語になってしまっているのが「じゃあ中盤アメリで構成すんなよ!」という想いに繋がるわけです。つまり選ぶ結末に最適な構成を組んでYO!って話で、この結末ならば中盤に必要なのは、マシロと比べて相手への想いにいまいち内実が伴わない(気がする)ユウリの、ユウリからみたマシロを強める為のエピソード。逆に言えばこの構成で組むなら、アメリの葛藤や諦観から生まれるものを吐露し、そこでそれこそ「あかね色」の釘宮キャラが見せたその先、次の結末を見せてくれるような物語にして欲しかった。結果それがどっちから見ても不足している為、「ユウリとマシロのためだけの物語なのに、そこの積み上げが弱い(アメリに尺とりすぎて)」という、誰から見てもあんまり嬉しくない物語になっちゃってるんですよね。でも、積み上げが弱い割に選ぶ結末は「人生わずか50年だからあっと言う間ですー、とりあえず死んでからまた逢おうね」っていう最上級すぎる純愛の結末になっている(これが本当に純愛の形なのか?ってのはさておき。50年くらいアメリちゃんにあげちゃうわ、この50年でマロマロなんて忘れさせてあげる、ってな方向が好きだなあw)。この演出不足からくるギャップ。…また原作からでしょうけど、各ヒロインに『三強』をそれぞれ絡めてあり、おそらく原作は誰ルートで遊んでもある程度一本の物語なんだろうな、という印象はありますが(これ、アニメ版は鵺を突出させた為、彼女が自分にとっての”作品世界に介入する扉”だった生徒会長が1人で存在消えそうになってるんですねw)その割にラストバトルで生徒会長も鳳凰もちの妹も置いてけぼりを食らうという、折角の設定も一本の物語構成に落とし込めてもいない拙さが・・・実際そんな事はないんでしょうけど、視聴者の身勝手な印象としては「上江洲さんが手を抜いた作品」として記憶に残しておきます(笑)。  <2009/07/20 19:36> [返] [削]

■[アニメ諸評][夏のあらし!] ルイ >> ★★★:(前13話)戦争中に何故か時をかける能力を得てしまった幽霊が、しかしそのタイムスリップによって個人的感情から行う歴史改変行為も大きな「歴史」に組み込まれていることから、どんな不幸から始まった出来事にも意味があり必然があるという・・・存在を肯定してもらう物語(世界を作ってきた戦争や悲劇全てに通じる価値観とも)。でもって、文字通り少年にとってのひと夏の、「青春の幻影」になるんだねって物語ですかね。主人公のはじめ以前に小夜子と「通じ」た少年が毎年のようにいたのなら、それこそメーテルですが・・・もうちょっとはじめちゃんの特別さを強調しているのが違いかな?とはいえ、そういった意図を持ってOPアバンを「夏が来れば思い出す」にしているのは明白で。・・・でも、なんかこの作品、「今」「未来」「過去」の扱いがザックリしすぎてませんか?僕はずーっと「作品世界は1980年前後で、大人になってからその時代を振り返るナレーションが今(21世紀)で、小夜子たちの時代が1940年台」だと思ってました。勿論小夜子たちの時代はそれで正解なんですが、『60年前』という単語が出たことから作品の「今」が2000年代である事は確定。・・・・じゃあ喫茶「方舟」に流れている80年前後の歌謡曲シバリは何なんだ、と思いませんか?あの歌謡曲のほとんどのオリジナル音源を持っている音オタだから思う事なのかもしれないですけど・・・「懐かしさのガジェット」として使うのは安易安直すぎません?だって、小夜子たちの懐かしさは「昭和20年代の懐かしさ」であって、歌謡曲がかもし出すムードはどこまでいっても「昭和50年の懐かしさ」でしかない。しかしこれをざっくりと「昭和」として括ってしまい、「昭和の懐かしさ」の喚起ツールにしてしまう事に、個人的には暴力的なものを感じます。その間30年だよ?大正なら終わってるよ?っていうね・・・。それは単に制作陣の主要世代にとっての「懐かしさ」でしかないんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょう。最初に書いた通り、作品世界の現在が昭和50年前後っていうなら、演出としても通りが良かったと思うんですけどね。数年前に音楽界で小さく起こった「昭和歌謡」ブームで、メディアの一部がその真意をまるで理解せず、今懐古がカコイイ的な「トレンド」としてそれらを扱い、消費していった事を思い出しました(昭和歌謡ブームを忘れていた人がいるなら、その事自体が証拠です)。シャフトの鋭角的な演出は、そういった極端なガジェットによって支えられているんでしょうけど・・・「青春」「時間」を扱うのにそれはちょっと、作品の器を狭めた選択だと僕は思いましたね。レコードのジャケットあさって引用してる時は楽しかったでしょうけど。コンテも含め全体そういったいつもの小細工に支配されて、ナレーションが示すような「夏」そのもの・・・例えば入道雲やセミを利用した、日本人に訴えかける青春の演出ですね・・・それ自体への意識が甘くなってしまったのは残念です。こんな作品こそ、愚直に「日本の夏」を描く事に集中すればよかったんじゃないかと思います。・・・・・その点で、シャフト畑ではない中沢勇一さんが何故かコンテを切っている回があって、それはシャフト好きからすればおとなしくて物足りない回なのだろうけど、僕はその回が一番好きです(笑)。  <2009/07/20 18:50> [返] [削]

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