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電視の部屋

アニメ、特撮などのTV番組の感想掲示板です!
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#503 色々チェック:紅 第6話「あなたの頭上に光が輝くでしょう」 投稿者:ルイ [2008/05/12_04:49]

脚本・絵コンテ・演出・=松尾衡
作画監督=中村深雪
原画=さのえり・柴田勝紀・進藤優・中村真由美・中本尚・福山貴人・井本俊一・小曽根孝夫・菊地聡延・田中宏紀・谷川亮介・中村直人・甲田正行・河本ひろみ・小島崇史・道下康太・吉田里沙子



 四畳半ミュージカル始まっちゃった(笑)。2008年4月期最大のダークホースから始まってすっかり個人的エースとなった「紅」、第6話は全体からすると完全な息抜き回でした。が、だからこそと言うべきか、プレスコ監督松尾衡さんの持ち味が全開、物凄い回になってしまいました。元々プレスコ=声入れ先行方式はミュージカル映画などで使われる手法であっただけに、そのプレスコを志向する松尾監督にそちら(=ミュージカル)の趣味があるのは当然と言えますし、実際同監督が昨年手掛けたアニメ「RED GARDEN」でも、ミュージカルが唐突に始まる事がありました。ただ違いがあるとすれば、今回作画を手掛けるブレインズベースや各アニメーターの皆さんは、その「松尾印」に唯々諾々と従う方たちではなかったという点。こんな中でも「作画側からの演出」をかましてみせる、この高めあう関係によって、6話は屈指の1話になったのでしょう。
 先ほど言った通りこの1話は「完全な息抜き回」です。それは確かながら、息抜き回=情報が無いという訳でもないのがこの回の深い所。基本的には五月雨荘の怪しい悪女「闇絵さん」を上手に(道化としてw)使いながら、主人公真九郎にとって頭の上がらない姉のような存在である「夕乃」、五月雨荘前で監視を続ける仕事一筋、の割には妙に人間味たっぷりの「弥生さん」を描く事に成功し、ミュージカルというコミカルな表現を借りながら、現時点でのこの作品の構造を明らかにしています。その中から、夕乃の描写。

 これまでの話で描かれてきているように(こういうのが「積み上げ」です)嘘をつけないつきたくない、真っ直ぐな紫。ミュージカル練習を始めたところとっても音痴な闇絵さんに(1)「へたぁ!!」。(2)「なにィ!?」と言われ(3)真九郎に口をふさがれながらも、(4)隙をついて「へーたー!!」。「へた!」の数、真九郎に阻止された分含めて5回、紫のキャラが既に積みあがっているので、このやり取りは自然のものです。では、夕乃の場合はどうか?

 やっぱりとっても音痴な夕乃に対して、やっぱり素直な紫なので、当然こういうやり取りが生まれます。
紫「へた〜!」
夕乃「…!(キッ)」
ふむふむ。でも紫は、素直で嘘がつけない子だから…

紫「!!!」
あ れ え(笑)?
 上に書いたように、既に紫の描写はかなり積みあがっているので、こういう状況で紫が臆さず「へた!」を連呼するキャラだという事は、既にわかっている事です。なので、最初からこのシークエンスを描いても、視聴者はおそらく「違和」を感じる事ができるんですね。でも、そこで闇絵さんの例を親切に見せてくれている事で、この回の完成度が上がっています。夕乃はこのまま「下手」という事を認めないままミュージカルに雪崩れ込んでいく…見事に独走型で、しかも怖い女です(笑)。何か最近ネットスラングでは、すぐこういう娘を見ると「ビッチ」等と言う人がいるようなんですが、いやいや…こういう嫌らしさ、大好きです!!

 さて、ここからはミュージカル・作画チェックも加わります。(1)夕乃と2人でトレーニングを開始した真九郎、間違いをまるで認めず無駄にスキンシップだけ積極的な夕乃さんに手を焼くものの、(2)「一緒なら乗り越えられますよ!」何か告白まがいのセリフと共に、あわせて歌う事を思いつきます。(3・4)段々と夕乃の歌がマシになっていって…真九郎もそれに気を良くしたのか、何か手先が妙に芝居がかってくる。と!そこで!

バーン!業を煮やした紫が登場!って、髪の動きが凄い事に!っていうか(2)ドアがうねってる(笑)!この紫登場を機に、作画もスペシャルなスーパー・ミュージカルタイムに突入。

(1・2)夕乃「真九郎さん〜、敵が〜♪攻めて〜きた〜わよ〜♪」
名前そのまんまだし、もう現実か芝居かわからないですねw実際ここは意図的に混同を誘っているはずで、実際夕乃は紫を「敵視」しているという事になります。
(3)真九郎「あいつ〜は敵だ〜♪」
こらこらw真九郎の追従ぶりにズッコケてしまう所。ただ、夕乃に思い切り乗せられて従ってしまうのは、物語内のキャラ格としても正しいところ。

(1・2)紫「騙されちゃ駄目よ〜♪」
(3・4)環「ジェニファーは〜♪穢れた女だ〜♪」
名前と訳名が混ざっていよいよ混沌としてきましたが、キャラ間の構造そのものはバッチリ描いています。紫と気の合う環が援護射撃をして、真九郎がついつい従ってしまう夕乃を糾弾するというこの関係。

(1)闇絵「声が響く〜♪木霊するよ〜♪」
 弥生「邪悪な〜♪声〜♪」
(2)闇絵「返してくれ〜♪返してくれ〜♪」
(3・4)弥生「奪えよ〜♪マリア〜♪」
・・・何か変なのやってきちゃったー!五月雨荘はかなり壁も薄いようですし、紫もドア開けたしで、階下にまで完全筒抜けだったのですね。因みにこの「返してくれ」って、音痴すぎて奪われた役の事だったりするようで、やっぱり台本とリアル心情がゴッチャゴチャです(笑)。弥生の歌いっぷりはかなり素敵で、髪の毛が大暴れしています。ミュージカル作画に共通して、ここは髪や手先の作画が本当に凄いのですが…


紫「乱れた人〜♪壊さないで〜♪あいつは〜嫌〜♪」
 うわああああ!指先と髪の毛が、さらにとんでもないことに!!髪が!髪が生きておる!!…プレスコの欠点として、予め声によってタイミングなりが定められてしまう為、作画が従格に押し込められ、つまらないものになってしまうという点がよく挙げられるのですが、ここまで行ってしまうとそんな事言う気にもならないですね。


 ミュージカル作画は田中宏紀さんによるというのが今の所の有力説で、僕の数少ない&最近のアニメから田中宏紀チェックをかけてみても、なるほど有り得るなと思わせます(スクールデイズ1人原画回はじめ、プリキュア、ロザリオとバンパイア、ガンスリンガーガール等をチェック)。スクイズでさえ、キャラデザイン&1人原画である以上限度があるとは言え、ふとした所で「あ、細かく髪動かしたいんだな」と感じさせるコマがあったりします。最も端的な所で言うと、終盤言葉様が誠&世界を目撃する前、席から立ち上がろうとする時の机の上の髪の毛。萌えアニメ的には必要のない動きですね。屋上前で立ち止まった時の髪の毛も「っぽい」ですね!というわけで

髪の毛だけ言葉様に出演いただきつつ。動きもプリキュアはじめ素人目にちょっと面白いんですよね。グッときてバッ!みたいな?(ミスターかよw)こう、最短距離とは違う軌跡でゆら〜っといって、グァっとね、ってやっぱり説明できませんwまあ白帯なんで、こうやってアタリつけて今後も追いかけていくしかないですね。え?あの作画崩壊「キャベツ」の作監でもある?いやぁ、ああいうのは作監に渡った時にはもうどうにもならないっていう、スケジュールの問題でしょう(笑)。

紫「ジェニファー!許せない女!」
夕乃「マーガレット!卑しい女!」
環「朝日が眩しいな、マリア!」闇絵「嫌ですわ、お酒を飲みすぎたのよ!」弥生「昨夜の伯爵ときたら、見れたものではなかったな!」環「言うなよ!私もマーガレットの相手で疲れているのだ!」闇絵「ハーア、恋の悩みですわねえ?」環「まったく、若い者は恋だの愛だの!」弥生「政治には無関心!」環「ハハハ!ま、我々も似たような青春時代だったがな!」…

 ミュージカルが冒頭の四畳半画像に収束し、何かよくわからないまま大団円になった所で終わりかと思いきや、何故か台本にない普通の演劇を始める五月雨荘の皆様+弥生。このあたり、僕はもう笑いすぎておかしくなってしまっていたのですがw注目して欲しいのは、この芝居に至っては、混同以前に最初からミュージカルの脚本しかない為、おそらくほぼ全てのセリフは彼らのオリジナルと言う事。その上で、夕乃の台詞「卑しい女!」に注目してください。この「卑しい」は、3話で紫と夕乃が初めて出会った時、紫が「怪しい」と間違えて(ワザとか?w)電話で真九郎に「卑しい女だ!!」と言った事に端を発しています。つまりこの夕乃という女性は、7歳児が言ったセリフをずっと根に持って、意趣返しのチャンスを窺っていたという事になります!…いやあああ、嫌な女ですねえ!wとりあえず、閑話の中でも、真九郎を中心とした紫と夕乃の対立構造はしっかりと描く松尾監督の抜け目の無さなのでありました。



 冒頭で「息抜き回」と言ったものの、観ているこちらは笑いすぎて呼吸が苦しくなるほどでした。「trutears」が終わってすっかり寂しくなるなあと思われた所で、またこういう作品が生まれてくるアニメ界の不思議。紅、恐ろしい子(番組)・・・!

#502 作画・絵コンテ・演出チェック:しゅごキャラ! 2期OP 投稿者:ルイ [2008/05/06_02:57]


↑心をアン(1枚目)ロック(2枚目)♪

絵コンテ・演出・作画監督=鈴木信吾

原画=大久保宏・鈴木信吾・古田誠・山中正博・崔ふみひで



優れたオープニングとは、どんなものでしょう?表現の世界は何か1つのやり方しかない世界ではない以上、この問いに対するえも、当然1つではありません。思いつくものを挙げてみましょうか。「作品のテーマを示す」「情報を断片的に見せ、本編への意欲を繋ぐ」「情報を大量に詰め込む」「映像的なクオリティを上げる事で、全編への印象を底上げする」「独立して面白いストーリーにする」「歌詞に合わせる」…。色々あります。しかも例えば最後の「歌詞に合わせる」だって、文字通り「○○という歌詞→○○を直接描く」というタイプもあれば(その応用として、敢えて逆のものを描くというアプローチもあるでしょう)、映像自体は歌詞には寄っていかず、しかし、結局演出としては歌世界と同じ表現をするものがあったり・・・僕の感覚では、せいぜい共通して条件として挙げられるのは「何度でも観たいと思えるもの」。これくらいしかありませんし、結局の所この単純な答えに向かって、作り手は様々なアプローチをするのでしょう。そしてこの「しゅごキャラ!」の現OPは、ある方向性においてトップクラスの一本。何も難しい事はやってないんですけどね。が、それゆえに、実はそんなに多くないタイプではないかとも。




↑笑ったり(1)スマしたりで(2・3)

このOPで目指している事は、実に単純明快です。(1)綺麗に(2)歌詞に沿って(3)リズムに合わせる単純にこれだけ。ある意味では物凄くつまらないOPと言ってしまいたくなるOP。しかし、だからこそ凄いという視点もあるのではないでしょうか。このオープニングは本編のアニメーションディレクター(総作画監督みたいなもの?)でもある鈴木信吾さんが、絵コンテ・演出・作監をつとめていらっしゃいます。これが大きいのではないでしょうか?つまり、ここで演出のプロが手掛けたら、なかなかこんなコンテは切れないのではないかと思うのです。歌詞通りに、リズムに合わせるだけなんですよ?自主映画とった事があるような演出家がこんなコンテ、余程の職人気質の方以外はプライドが許してくれないんじゃないでしょうか(笑)。これは作画のプロが、作画という部分でもってクオリティを引き上げる自信があるからこそ切れるコンテであって、画を描かない演出家では、自分の存在価値が無くなりすぎて、このコンテは逆に難しいと思うんですよね。そういう意味で「極めて地味な(良く言えば堅実な)仕事を、ただ、画のプロが手掛けたらどうなるか」。この答えを見せ付けてくれたのが、このOPなのではないでしょうか。



↑きみといっしょにホラ(1)ホップ(2)ステップ(3)ジャンプ(4)♪



↑きみがいるから(1)ドロゥ(2)ドルゥ(3)ドロゥン(4)♪

※一枚目、奥の方で一緒に空飛んでる「きみ」は、空海=スカイジャック

・・・トコトン「そのまんま」です。それを、画のプロが演出まで手掛ける事で、リズムとバッチリ合わせて極めて気持ちよく描いてくれている。真にそれだけのOP…でも、その「それだけ」が凄いという事です。このオープニングの気持ちよさは尋常ではない。少なくとも僕は、毎回ニコニコしながら観させて頂いております。





ここは単純に楽しい、ややがケーキを頬張るカット。

第一期のOPのように、参加アニメーターにサプライズは無いのですが(松本憲生さん等いましたからね…)本陣の超鉄壁少数精鋭による、自信に満ち溢れた、ヒネリのない逸品です。きっと得難いものだと思うなあ。

#501 神戸守チェック?〜エルフェンリートと、コメットさん両第1話〜 投稿者:ルイ [2008/05/03_04:49]


手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい。罪が犯される時。困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。その手を、痛み続ける胸に当てなさい  〜イグナティウス・デ・ロヨラ「心霊修養」〜



 自分がアニメから遠ざかっていた時期の作品の中から、エルフェンリート第1話を観始めています。まだ観ぬアニメが沢山ある中、何故エルフェンなのか?それは同作品の監督、神戸守さんが手掛けたアニメ「コメットさん☆」のファンだから。ただ、一応ウワサでこの作品がグロアニメという事は聞いた事があったので、観る前から大体自分の反応は用意してあって(しますよね?w)。それは「神戸監督何やってはるんですか…orzコメットさんはあんな優しい作品だったのに…同じ監督とは思えないよ…グロすぎっす…orz」。←この「コメオタがっくり」ポジションで楽しんでいこう(※歪な精神の持ち主でスイマセン)と。ところが、1話を観終わった後、そこには予想外の「真っ当な発見」があったのです。


 エルフェンリートは、まぎれもなくコメットさん☆監督の作品でした。少なくとも1話では、驚く程そのことが感じられた。それを紹介することで、アニメーション演出家、神戸守さんを語ってみたいと思います。まあエルフェンが5年前、コメットさんが7年くらい前ですからねえ。今更ってのはあるんですが、それを理由に掘り下げを放棄したくはないなと。僕の中では今まさに「旬」なので、しばし冷やかし気味にお付き合いください。あと、単純に、コメットさんとエルフェンの1話って、妙に共通点が多いんですよ…脚本家が違う事もあって、どこまで意識しているかはわからないんですけど。その辺も紹介してみたいなと。


 コメットさん☆とエルフェンリート、ともに第1話は絵コンテ・演出ともに神戸監督。絵コンテと演出が同じである事で、脚本を咀嚼した先のコントロールはほぼその人が一手に引き受け。しかもそれが監督本人であったら…言うまでもないですね。神戸監督のアニメ作りは、そんなに一般的なTVアニメーションの作り方ではないので、1話は先ず自分の「形」を見せ方向性を示す必要もあり、大体の作品で1話絵コンテ演出をされているのだと思います。その監督のコンテ演出は、どこが特徴的かと言うと



コメットさん。



エルフェンリート。

 このサイズの画では探すのも困難ですが、どの画にも、キャラクターがいます。コメットさんの頃から、ファンの間では神戸守=実写的と言われていたのですが、単純な話、ロングショット(というか、もう、超ロングショットですね)、更にモンタージュの多用。これら断片的なカットを繋ぎ合せる事で、まずキャラクターの生きる「場」、舞台そのものの存在感を際立たせます。周りが存在感を得てこそ、キャラクター達のドラマは息づく と、いう類の意識が貫かれているのが、神戸コンテの特徴の1つではないでしょうか。アニメーションというものがフィクションだからこそ、その舞台は地に足をつける事で、「日常の中の非日常」であったり、「現実の中の非現実」を強調できるのではないかと…それはこの両第1話にも顕著ですね。その「非〜」の対象が、星力か殺戮かというだけの問題でしょう?些事些事
!w…コホン。


 ですから、神戸演出にはロケハンが欠かせないと思うんですよね。ゼロからの創出で、監督の望む背景美術効果を生み出すのは相当難しい。コメットさんとエルフェン、ともに舞台が歴史があり、特徴的で、趣のある鎌倉であるのも、神戸監督の拘りが感じられます。まあ、エルフェンは原作時点で鎌倉が舞台だったわけですから、監督が決めたわけではないんですけど。少なくとも彼にとって、鎌倉という場所は、願ったりの舞台だったと言えるのではないでしょうか。ちなみに、画像は由比ガ浜。左がコメットさん、右がエルフェンリートです。

 ※余談ですが、コメットさんは東宝の方針で「鎌倉なのに、神社仏閣を前面に押し出せない」という枷があったようで。そのリベンジか、神戸監督エルフェン1話から地蔵を出してきます(笑)。


 さてこの両1話、何故か?ワザとか?構成的にもかなり近似のものがあります。優しさと温かみに満ち溢れたコメットさんと、陰惨さとあざとさに満ち溢れたエルフェン(どちらも、僕の勝手なイメージです)の作りが似ている?どういう事だろう?単純に「神戸監督の手癖なんです」という結論にしても、それはそれで面白そうなんですけど、ここで敢えて別の可能性…つまり「登山口はもう真逆も真逆なんだけど、表現したいものはそこまで違わないんです!」by俺の中の神戸監督 という、ちょっとムチャな読みをしてみたいと思います(笑)。題して「にゅうとコメットさんは、中指と薬指を閉じる」


 この記事の一番最初に貼った二枚の画を見てください。特に右、エルフェンリートのOPでにゅうが取っている・・乳首!とかじゃ!なくて!(笑)手。エルフェンリートはその歌曲からとられたタイトル、OPが全般クリムトの絵画をアレンジしたものである事から、例えばエヴァのように「引用」に思いが及ぶ事が多く、すっかり有名です。そも、左と比べてポーズも極めて正確です。最初に書いた通り、これは初代イエズス会初代総長でもあるロヨラによる、書物に書かれたれっきとした動作であり、その書物をこよなく愛した画家、エル・グレコがよくこの手の形を描いた事で知られています。はっきり言って、生粋のエルフェンリートファンがこの画を観たら「左の方、こじつけてんじゃねーぞ!!」とお怒りになる方もいるのではないかと思います…すいません(笑)。でも、コメットさんは前述の通り、視聴者層や、加えて海外輸出も意識して神社仏閣すら出さない方針だったわけで、描くにも限度がある作品ではあったんですよね。控えめにですが、間違いなくコメットさんは中指と薬指をくっつけ、中指と人差し指(薬指と小指)の間は開いています。やってみればわかりますけど、これはそんな自然な形ではないのです。更に何よりの証拠として(証拠あるなら最初から言えよ!)このカットではありませんが、初めてコメットさんが星の子たちに「祈る」シーンで、神戸監督はコンテに「エル・グレコのイエスの手」と思いっきり明確に書いているのです。(だから、じゃあ遠回りするなよw)


 コメットさんは「魔法少女モノ」として語られる事の多い作品ですが、一方で、魔法を行使する立場ではありません。だから彼女はエル・グレコの手の形を取り、こう呟きます。「幾千億の星の子たち 綺羅星の輝き そして数多の力を どうか私の星力に変えて エトワール」つまり、ほしぢからを「お願いして」「使わせてもらう」立場なんですね。困った時、助け合う気持ちの連鎖・循環。それを「輝き(星力)」として描いていたのがコメットさんなわけですが、それは冒頭のロヨラの文言にあわせるなら「困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。」に相当します。コメットさんには残りの部分「罪が犯される時」は似合いませんが、これを追加すれば、エルフェンリートの殺戮生物、ルーシィことにゅうにも当てはまるのではないでしょうか。そう、彼女も許されざる命でありながら、エルグレコの手を…つまり、祈っているのです。1話のコンテ的に近似の部分が多いのも、僕にはそんな「コメットもにゅうも、同じような視点で観てあげて」という主張にすら思えてくるのです。では、そんな2人の、春、鎌倉に訪れた、あどけない年頃の、ピンクの髪をした少女を追ってみましょう。


 2人とも、Aパート丸ごとあるいは半分強を使い、まず鎌倉にたどり着きます。片や王子様探しと地球旅行気分でワクテカ、片や人殺しまくった挙句頭に対戦車用徹甲弾食らって海に投げ出され流れ着いたワケですが〜。…。些事です!些事なんだ(笑)!鎌倉についた2人は、そこに存在する「現実」あるいは「日常」「常識」などのギャップから、傷つきます。左=コメットさんは無邪気にハンバーガーを注文するものの、お金がなくてスマイルしかもらえず(1枚目)、悪意なく試食で腹いっぱいにしようとしたらおばちゃんに叱られ(2枚目)、落ち込みます(3枚目)。右=にゅうは妹の形見?である貝を手に落ち込んでいるコウタを見て、悪意なく彼の悲しみの
元を断とうとしてニコニコと貝を割り(1枚目)「出てけ!」とムチャクチャどなられて(2枚目)、落ち込みます(3枚目)。


 朝は晴れ渡り桜も綺麗だったのに、夜の帳も降り、彼女達が途方に暮れ1人外で佇む頃、その心を映したかのように天候が悪化します。(両方時計のカット、しかも時間同じくらい…何このシンクロ)。ここで初めて違いが出ます。コメットさんは「困難に出会った時」祈るべき星の子たちが雨雲の中見えず、涙している中藤吉家に出会います(3枚目)。1話で彼女達が何か会話をする事はないのですが、このショットを観ているだけで、ああ、藤吉家は地球における「星の子」なんだ、コメットさんはもう大丈夫なんだ、と視聴者に伝わってくる。全くもって、コメットさん1話は神がかりなデキです…ってコメオタ脱線w…一方にゅうはと言うと、彼女は雨の中、嗚咽するカットのまま1話が終了します。彼女には容易に「藤吉家(=コウタ?)」は現れなかったんですね。これは、彼女の(物語の)この先の苦難の道を物語っているように、僕には思えます…。

 どうでしょう。当初グロさに意識をもっていかれると予想していた僕が、グロ画像を一枚も貼っていません(笑)。神戸守、あるいはコメットさんという視点を偶然持っていただけで、一つのアニメが全く別の顔を見せるのです。アニメって、本当〜に、面白いですね…サイナラ、サイナラ、サイ(ry
って!w一応出だしは「神戸監督」繋がりだったので、最後に神戸監督に話を戻しますね。コメットさん1話のラスト数分、或いはエルフェンの1話冒頭でそうだったように、彼の映像作りの真価の1つは、モンタージュを多用しつつも、1つの長い楽曲をほぼフルでそのまま流す事で、音楽との付かず離れずの不思議な調和を見せ、結果、断片繋ぎなのに何故か長回し感が出る、という特徴があるように感じています。でもこれって、楽曲の充実が不可欠なんですよ。典型的な劇半=喜怒哀楽に即したBGMなんかではまるで足りないわけで、心の奥を俯瞰してみせるような、音楽からのアプローチが必要なんです。コメットさんでは、幸運にも小西香葉さん、近藤由紀夫さんとの出会いがあり、2人の素晴らしい楽曲が、神戸監督の演出方針と幸福な合致を見る事ができました。だからこそ、エルフェンの音楽もこの2人が手掛ける事になったのでしょう(更に言えば、次の「アイズピュア」もこの2人じゃん・・・)もう、怖くてなかなか他の人に音楽頼めないと思うんですよね(笑)。つまり神戸演出というものは、脚本だけでなく、ロケハンと、更には音楽も十全に応えてくれる環境じゃないと発動しない、条件の難しい演出なのではないかと。他の演出さんへの伝達も難しいですしね。コメットさん☆でも、辛うじて神戸テイストを汲めていた演出さんは佐土原武之さんという方だけだったように感じていますし、その方がエルフェンにも参加している事からするに、神戸テイストって、TVシリーズ通しての徹底は難しいと思うんですよ。

 そう考えていくと…何か、神戸監督はOVAや映画の方が向いてる気がするなあ…守繋がりで、「時をかける少女」の細田じゃない神戸守版が観たいのは、きっと僕だけじゃないと思うよ?…世界に3人くらいはいると思います(笑)。



最後の最後にオマケ。2人の両手はむぅショット。グロが苦手なコメオタ同胞よ!今更でも、一緒にエルフェンを観よう!うん!俺はここから残り10数話、頑張る!TVの前、裸で正座、勿論手は「エル・グレコのイエスの手」で!

#500 絶対可憐チルドレン第4話における作画オタク的思考 投稿者:ルイ [2008/04/30_15:50]
画像は貼りません。萌え視点的にもエロエロなのでそこら中でUPされている気もしますしね。今回僕が語りたいのは、あくまで「作画オタク的思考」なのです。

さて第四話、『柳暗花明! いけいけ♥ プリティ女子高生』。女子高生エスパーナオミの登場回は、透視ありブルマーあり風呂あり擬似裸エプロンあり服破れありと「日曜朝でいいの!?」と観ている方が心配になってしまうほどのエロエロ回になっておりました。いやぁ〜・・・エロかったですねえ・・・(しばし沈黙)

が!

ここでエロに喜んで画像貼り付けているだけでは、作画オタクにはなれません(ならなくていいですが)!作画厨入門志望白帯である私のようなオタクは、こういう所でも必死にアンテナを張りめぐらせるのです。パート判別だけが作画視点じゃないんだ!以下、その思考を簡単にご紹介。

今回は脚本も初めて構成の人から離れて、制作協力アクタス・・・完全なグロス回(アクタス総請け)だな。
→作画監督は西尾公白さん・・・む。アクタスと西尾さんの組み合わせと言えば、昨年のエロエロ・・・というか、バカエロ作品『もえたん』の制作会社&総作監タッグだな?
→そういえばチルドレンの監督川口監督はもえたんの監督でもあるわけで、その繋がりか・・・だから、川口〜もえたんラインの矜持をアピールする意味でも、気合を入れエロエロに踏み込んでみせたんだな。
→なるほど、『しゅごキャラ!』にも通じるフキダシ演出は確かにこれまでのチルドレンにないやり口。
→ところでもえたんはU局ゆえにエロ規制も甘いという事で、逆手にとってコンテにも指示されてないのにパンチラを西尾さんが大量追加したという事だけれども、テレ東はその辺遥かに規制が厳しい・・
→今回確かに下着はまるで出てないんだよな。もえたんとは真逆だ。しかし、エロさを抑えているような印象はまるでない・・・ナオミの服が破れているカットも、逆に下乳の露出がエロかったような・・・
→そうか!本来漫画やアニメ表現における下着は、その中を描けない中でのエロチシズムの表現という意味合いも持っていたろうが(セガサターンの年齢制限ゲームが、実質下着解禁の意味でしかなかったように)、その下着そのものへの単純な規制が強くなった場合、下着を着ない、というやり口で、柔軟性のない規制に物申す、裏をかく事ができるんだな!
→川口監督はもえたんの前に『月面兎兵器ミーナ』の監督をしているわけだけれども、フジテレビのエロ規制も強烈だろうから、ミーナはokamaなオタク絵のくせに、何か妙に清涼な、炭酸抜きサイダーみたいになってたんだよな・・・(個人的にはそんな嫌いな作風じゃないんですが)そこから学んだアイデアなのかもしれない。
→むう・・・見事なり。この挑戦的なエロ(?)・・・アクタス!西尾さん!ついでに川口監督!つまりもえたん組!アナタ達は・・・本当に変態だ!(褒め言葉)萌えエロアニメ界のニール・ヤングと称えたい(エー!?)!http://www.youtube.com/watch?v=HzfDSD0p2fk←そう、この曲で彼が歌っているように!まさに貴方達は

『ボクは黄金のエロを求める炭鉱夫であり続ける』
(勝手に心→エロに変換)エロ・オブ・ゴールドな炭鉱夫たちなんですね!下着と言う名のルートの壁が掘り抜けないと知るや、下着を着ないルートを掘り進む・・!嗚呼・・!涙が止まらないぜ・・!

と、いうわけです。って後半すっかり萌えオタ視点というか、変にアニメ業界の中でのエロのあり方を探るような視点と更に音楽オタ視点が混ざってカオスになっちゃいましたがw作画・・・とももう言い切れないかwとにかくオタクというものは、こういう思考をする罪な人種だという事ですね(笑)。何にせよアクタスグロス回、ある意味本体以上の仕事をやってのけました。今回、多分静止画も美麗なので、萌え視点の評価も高い・・ゆえに見えにくい気もすると思いますが、実は「萌え」な回ではないんですよね。もう、シンプルに「エロ」い回なんです。それは原作のナオミエピソードも「おっさん視点でエロい」という話だったから正しい解釈なんですけども、そこにアクタス〜西尾〜もえたんのラインを見出す事で、全編もえたんの登場人物、エロダチョウのあーくんが涎を垂らして画面ハジにいるような「ノリ」も、スムーズに理解できると思います。

上記のフキダシ含め、エフェクトや爆発も良かったですしね。エロだけというわけでもなかった。このグロスがローテなのかは現時点ではわかりませんが、本数が増えて以降のアニメって、結局グロスの質次第なんですよね。グロスがアレだと、某コードギアスみたいに、総作監、作監あたりが血反吐はいて?修正するハメになるのでしょうwがんばれ!チルドレン!負けるな!チルドレン!今度もナオミ回かダブルフェイス回、末摘ちゃん回を担当してね、アクタス!

・・・結局なんだかんで理屈こねても、行き着く所は萌えオタか!orz

#499 RD 潜脳調査室が描く群青色の未来 投稿者:GiGi [2008/04/28_13:49]
GyaOにてネット配信されているRD電脳調査室を見てみました。これは、なかなか好みのアニメですねー。原作士郎正宗とありますが、原作漫画があるわけではなく、この作品のためにProdactionIGと共同で世界観を構築したみたいですね。

舞台は2061年。どうやら攻殻機動隊の世界とは地続きではなく、現代から分岐して、ゆっくりと電脳化や義体化、拡張現実世界が浸透していった全く新しい士郎正宗ワールドのようです。

退廃的で、身体性を否定した鈍色の未来を描いていた攻殻に比して、この作品では、太陽の光が輝き、海は青く、緑が眩しい清潔なリゾート地のような、人工島が舞台になっています。そして出てくる登場人物が大変に健康的かつ肉感的でw。生命力というものを全面的に押し出したような絵作りになってるんですよねー。そこが、まず興味深い。

これはつまり、人類が破滅的な道を回避することに成功した未来なんですよね−。とはいえ人工島以外の世界がどうなっているのかの描写はありませんから、予断は許しませんが。そのあたりも含めて世界観に関してはまだ手探りだったりしますが、それを推理しながら読み解くのもまた楽しかったりします。 50年の眠りから覚めて、現代人の視点で未来世界をのぞき見ることになる主人公、波留(81歳の老人!)と、この世界においては少数派の、電脳化をしていない少女みなもちゃんの交流がストーリーの軸になっていて、このあたりはジブリ的というか名作劇場的な匂いもあったりして、なかなか味わい深いですね。

惜しむらくは、GyaOの配信は1週間限定でバックナンバーが見れないんですよね−。有料でいいから見れるようにすべき!そうゆうところで敷居を上げるのは損ですよ本当に。

#498 紫チェック(笑) 紅 第2話「溝と流れと」 投稿者:ルイ [2008/04/23_08:09]

2008年4月期最大のダークホース?「紅」、とりわけ7歳児ヒロインこと「紫」の紹介です。僕はこの作品、冗談まじりで「『紅』には、紫専用作画監督がいる!」などと言ってしまうわけですけどw実際の所、この作品の優れた「動き」の描写は、紫に限ったものではない。この2話においても、主人公・真九郎が制服を着る時の背中の皺から始まり、男子高校生の小便終了時の、無駄にリアルな「ブルッ」などなど枚挙に暇がありません。つまりは作品全体、その辺しっかり意識して作画が行われているという事なのですが、やはり紫を捉えておけば、その辺伝わりやすいかなと。・・・そういう打算もあり、あと、ロリ疑惑などという自虐的な方向も堪能したくてw敢えて紫紫と言っているワケですね。そんな紫姫の、2話における1日の動きを追います。さて、まずは朝。





寝間着から普段着に着替えようとする紫。なるたけ動かず着替えを済まそうとしています。三枚目の「ブリッジ穿き」に覚えのある人も多いのではないでしょうか。



午前中。





TVを観ていると猫を発見。窓ガラスに顔をくっつけ、窓を開けてにゃーんにゃーんと鳴きマネ。ここ、当初の予定より貼る枚数を削ってしまったのですが、クッキーを猫に差し出す→シカトされて、寂しげに自分で咥え、ベランダに背中を向けて上を見上げる・・といった味わいのある動きがあります。



お昼。




お嬢様である紫、缶詰というものに縁がなく、なんとか開けようと全力でトライ。ツナをぶちまけてしまい、真九郎に携帯電話をかけながら髪についたツナを拭いています。この缶詰開け、最初にこちらから見て左側にんっと踏ん張っているのが良くて、それによって紫の全身全霊のエネルギーが缶詰に向かっている事が、伝わってくるんですよね。


夜。







真九郎と2人で銭湯に出かける。この銭湯シーンは脚本含めとても素晴らしいのですが、まず脱衣所です。
昨日入る事が出来なかったお風呂に入れる事が嬉しくて、ニコニコと脱ぎだす紫。小さくて&これでも枚数抜いたので解り辛いと想いますが、1枚目は腕が全部通っているのが、2枚目で右腕が抜けます。中で右腕を使い、左腕を抜くのが3・4枚目。そこから両腕を胸の所から押し上げて、一息に脱ぎ去ります。服がのびるとか皺だとか、色々気になっていつしかやらなくなる、でも多くの人に覚えのある、子供脱ぎですね。


今回は動作等メインなので、素っ裸の浴場は貼りませんwサーセンw

銭湯からあがった後、電話で依頼主と話をしていた真九郎が戻ると、牛乳を飲んでいた紫。
番台のお婆ちゃんが奢ってくれたとの事で、真九郎は自ら礼をしつつ、紫にも礼を要求します。
が、やっぱり紫はお嬢様なので、風呂上りに飲み物がつくのは当然、と「彼女にとっての常識」で強弁します。そこでゲンコツ教育。ここ、セリフ含めごっついいいシーンです。





ここで注目してほしいのは、3枚目。まずおばあちゃんの事を使用人呼ばわりした所で、ゲンコツ炸裂。2枚目でムキになって「だってそれが当然だろう!」とまくしたてた所で、2発目炸裂が4枚目。・・・なんですが。3枚目、当たる前に目を閉じてますね?w1発ゲンコツを喰った事と、悪い事と思っていないので堂々と目を見て主張している以上、真九郎のやる事は読めるんですよね。だから目を咄嗟に閉じると。・・・この辺、原画動画のコンビネーション最高、しかもプレスコ(声入れ先行方式)だから演技も当然バッチリというか演技にバッチリあわせてる、と、何かもう素晴らしい事になっています。


今回は紫チェックという事で、3話までで最もそれが見えやすい2話をピックアップしました。これが「プレスコチェック」なら3話から色々抜き出したと思います。「かみちゅ!」で有名なブレインズベース制作という事ですが、なるほどこれは目に出来る事が幸福なクオリティだなあ。

#497 Re:作画チェック:流されて藍蘭島 第14話 (#441) 投稿者:わんだ [2008/04/17_20:42]
はじめまして^^

友達の名前(鵜池)が出ていたので、ついw
良い仕事してるのかな?

#496 キャラチェック:超兵ちゃんと荒熊さん 投稿者:LD [2008/04/16_06:12]

「ガンダム00」の第一期が終了しました。僕はこの作品のテーマというか思想的なアプローチにはあまり惹かれるものがなかったんだけど(フェイクである可能性含めて)登場するキャラクターたちには妙に気になる人たちが何人かいました。スメラギ・李・ノリアガさんは一体何を考えているのだろう…?とか、ティエリアは絶対女だよね…とか。その中でも人類革新連盟の軍人、セルゲイ中佐とソーマ少尉はかなり気になっていました…というかこの二人、なんか好きでwちょっと構造的なアプローチから解説すると、この作品の敵役で“真打ち”的な位置にいるアリー・アル・サージェスや、グラハム・エーカーが出てくるまでのいわゆる“場保たせ”的位置におり、さりとてパトリック・コーラサワーのような明確な“やられ役”でもないという…そういう美味しい場面ももらえるわけでも無く、それでいて微妙に失敗続きの得も言われぬ“気まずさ”がこの二人にはあります。さらにソーマ少尉は対宇宙空間強化人間である「超兵」という鳴り物入りの設定を持っているのだが、第一期25話で「さすが強化人間!」と思わせる描写は、まあほとんど無かったと言っていい。僕の世代だと遺伝子操作の超人戦士は「装甲騎兵ボトムズ」のフィアナとか思い出すんですが、あのレッドショルダー出身の主人公・キリコをしてまるで歯が立たないという、フィアナにはあったあの強烈な恐さをソーマ少尉に感じる事はない…というかむしろ「この人、本当に強化人間なんだろうか?」という疑念さえ起こってくる。そんな感じの、立場の弱い微妙な気まずさがあって何か応援したくなってしまう(汗)そんな二人ですね。

セルゲイ・スミルノフ…人類革新連盟に所属するMS部隊の指揮官で、階級は中佐。(通称:荒熊)
ソーマ・ピーリス…人類革新連盟に所属するMSパイロットで、階級は少尉。完全なる兵士を作り出すことを目的にした『超人機関技術研究所』の出身で、宇宙空間に適応した肉体改造と、神経系統の強化が施された『超兵1号』。脳改造の影響からか、感情の起伏が乏しい。(通称:超兵)


とか、公式HPでは書かれているんですが…超兵ちゃん、感情の起伏が乏しいというのは全くのデマです(´・ω・`)そんなのは観れば分かる。普段は→荒熊さん「ピーリス少尉としてはモノ足りぬ初陣となったな」→超兵ちゃん「私にそのような気持ちなどありません。作戦を完遂させる事が私の全てです」→(第10話)とか取り澄ました事を言っているんですが、いざ戦闘になると「やらせるかぁ!!はああああああ!!」とか、被弾したら「〜〜!!わたしのタオ・ツーを!!」とか、わりと興奮気味なご様子ですよ?ってか「…そのような気持ちなどありません」とか言ったその口で思いっきし自機に対する愛着を吐露しているんですが?(´・ω・`)
普段はおとなしくても、戦闘時には気分を昂ぶらせる……それ普通の人ちゃうん?女の子ちゃうん?そこらへんどーなんよ?超人機関?…とか考えていたら目が離せなくなりまして(汗)

というか超人機関としてもこの娘にはちょっと困っていたんじゃないかと思うんですよね。そもそも、この超兵ちゃん。最初かなり強引にねじ込まれる形で登場する。荒熊さんが、対CB部隊を編成するに当って「人選は任せるが一人だけ面倒を見て貰いたい兵がいる」と言うわれて登場するのが超兵ちゃんで。当然ながら、これは超人機関(またはそれを支持する指導部)が強引にねじ込んだわけで。非公式の研究機関である超人機関が「この研究は無駄ではないですよ。だから予算よろしくね」と送り出したデモンストレーション・キャラクターなワケでですよね。そうやって超人機関の期待を一身に背負って受けた最初の仕事、新型機の試験運転中で、いきなり少尉は錯乱して軌道ステーションに銃撃してしまう。(同じ機関出身のアレルヤの脳波干渉が起こったんだけど)…もうこの時のね。超人機関のガックシ感は想像に難くないんだけど…
(´Д`)ェェェエエエ?万を持して送り出した1号が「ドジッ子」って〜??
ミッション・ワンでいきなりドジッ子って〜?なにそれ?(泣)上にどう説明するんだと。お前のワンポカで、こっちの来期の予算は一体何本飛ぶんだと。お前はしょせん「先行者」(ググれカス)なのかと。
普通なら、ここで「超兵一号試験」は理由が何であれ凍結で、超兵ちゃんは機関にお戻りいただくと思うんですが、どういう力が働いたのか超兵ちゃんは引き続き現場に留まる事になります。しかし、この時点で超兵ちゃんの肩身は相当狭かっただろうし、汚名を返上しようと益々気持ちが前のめりになって行ったと思うんですよね。………何?そうは見えない?…感じるんだ!そこは!あの取り澄ました顔から感じるんだ!!…少なくとも超兵計画の裏の力を背景に、ふんぞり返っているような娘ではないだろうと(`・ω・´)
…で、基本ドジッ子というか、もの覚えが悪いので、荒熊さんがいくら窘めても、どうしても先攻をしてしまう。これはもう観ていれば分かると思うんですが出撃の度に荒熊さんの制止を受けているw汚名を返上したい…早く「超兵は凄い」と認められたいという、前のめりな気持ちが空回りしているw……どう観ても普通の女の子だな?wそんな娘が「超兵の実力を〜!」みたいに誇り胸にあるとけっこうホロリと来てしまうな。いや、超人機関これ狙ってやっているなら凄いかも。確かにそうなんだ。
オーガニックで最強の戦士を造ろうと思ったらドジッ子設定は必要なんだ!(←情報圧縮してます)

DNAデザインとナノマシンで才能を天賦したら、あとはもう普通の…って脱線は避けますが。この前のめり超兵ちゃんに対して、ロシアの荒熊さんは、いい感じにアナクロさと鈍感さを発揮していて…この人もいろいろ微妙な人なんだけどwとにかく「…難しい事は分からんが新兵がポカするのは当然だろ?」くらいの感覚の人で。この荒熊さんのアナクロさには超兵ちゃんは、相当救われたと思います。
それからCBの作戦によって超人機関が壊滅され、その存在が表に晒されるにあたって、超兵計画は完全凍結となるんですが、この時、超兵ちゃんの後ろ盾って完全になくなるんですね。むしろ、世論の非難を浴びたその被験者が未だに軍によって使役されているという状況は非常にリスクがあるわけで。でも超兵ちゃんは部隊に残った。これ対CB戦である程度効果を認められたって事もあるんでしょうけど、要するに多分、荒熊さんが彼女を拾ったんですよね。多分「(どん!)ソーマ・ピーリス少尉は一般の兵士となんら変わりありません!」とか超兵ちゃんが聞いたら卒倒するような事を力説してw
だから第一期最終25話で、超兵ちゃんが言う「中佐がいなくなったら…私は一人になってしまう…」ってセリフはけっこう重い言葉のはずです。(恋愛感情というより師弟愛に近いんでしょうね)

そして4年後の第二期ですが…もうMS戦の技量的には超兵ちゃんは荒熊さんの遥か上を行っているじゃないかと思います。(まあ、荒熊さんが意地を見せるかもしれませんが)問題はそこからwたとえば荒熊さんが「もう、お前にはすっかり先を行かれてしまったなあ…」といった言葉を漏らしたりしたら、多分、超兵ちゃん、もうめちゃめちゃ可愛いセリフを返してくれるんじゃないかと期待しているワケですwイメージは敢えて書きませんがw……妄走するんだ!そこは各々で妄走するんだよ!!
…あるいはね。荒熊さんは度重なる宇宙戦闘で宇宙放射線病に冒されて余命いくばくもなくなっているんだけど、超兵ちゃんはそれを知らずに出撃する。…その荒熊さんの病室での最期のセリフ「…ソーマ、エース(撃墜王)を狙え…」。これだ。(←どれだよ!)
よし!これで迎撃準備は整った!バッチこい!第二期!!(`・ω・´)

#495 Re:『true tears』1話地元民感想 (#494) 投稿者:LD [2008/04/09_21:44]
こんにちは。 A-kiyamaさん

「true tears」はまず背景の風光明媚さに目がいっちゃいますよねwあまりキャラがダイナミックに動く作品ではないので、なおの事背景の重要さは増すんですよね。
キャラクターたちの「そこにいる感」と「繊細な心象」をそのまま表わしているような感があります。

登場人物たちの細かな心象を追って行くと、相当にのめり込めた作品でした。とりあえず比呂美や乃絵が何考えてるのか?って想像するだけでも面白かったです。是非。

#494 『true tears』1話地元民感想 投稿者:A-kiyama [2008/04/09_00:25]
初めまして。ペトロニウスさんのブログでこのサイトを知って最近読ませていただいてます。
『truetears』が富山県でロケハンを行なった事をここに来て知って、DVD1巻を富山県出身者(城端町出身ではないですが、同じJR城端線沿線の町出身)2人で鑑賞会。気づいたら1時間半経っているぐらい楽しみました。まず、地元の景色がとても美しく切り取られていることにびっくり。実写映画でも、知っている風景が出てくると記憶よりも綺麗に撮られていて驚くことがありますが、アニメは描くものを選べる分だけさらに美しくなっているように感じました。

一緒に見ていた友人とは、主人公の家が富山県の一般的な家屋なので、「このガラス張りの廊下は無茶苦茶寒い」、「玄関に入ると必ずこんな衝立が置いてある」、「玄関の横には必ず洋扉の部屋がある」、「合併浄化槽を入れたときに改装してるから家全体に対して水周りがちょっと新しい」、「家が広すぎるので劇中で開かれない襖の向こうは締め切って大晦日にしか掃除しない」等あるあるネタでもりあがりました。

背景を見ているだけでもすごく楽しかったのですが、登場人物も魅力的で今後どうなっていくか楽しみなのでDVDの発売を待って続きも視聴していこうと思います。



#493 劇場版ドラえもん「のび太と緑の巨人伝」 投稿者:おかそん [2008/03/24_00:24]
 上映からしばらく経ちましたので、そろそろネタばれ良いんじゃないかと思います(笑)。
今年の劇場版ドラえもん「のび太と緑の巨人伝」を見てまいりました。

結論から言いますと、失敗作です(笑)。…が、ある意味傑作です。
ひょっとして「ドラの映画は、大作でなくてはならない」とか、
「環境問題をテーマに取り上げるべきだ」とかいう呪縛に囚われた可能性がありましたね。
迷走した結果が、かなり混乱を帰したストーリーとなってしまった模様です。

後半の展開はとにかく面白ビックリ。
ネットとかの感想で「キー坊がかわいい」とか書かれた方々は、気づかなかったんでしょうか?
伝説の巨人がただの“巨木”だったのは百歩譲っていいにしても、
枝からイカヅチがほとばしり、東京は大爆破!
タンマウォッチで時間が止まってははずの東京が、
枝からタンマウォッチが落ちて時間が進む!
東京を含めて地球の修復シーンがないまま
のび太は自宅へ帰り、元の日常へ戻ってエンディング…。
ご都合主義も通り越して、カットとカットの間が繋がってない(笑)。

大学生時代にクソビデオを見て爆笑していた頃のことを、思い出しました。
まさかドラえもんの映画でこんな感動?を得られるとは。
脚本段階で気づかなかったんでしょうかね。
子供向け映画を作ることって本当に難しいんだなあということを実感しました。

最後に、植物星人の中でお姫様の親衛隊隊長であるナス太郎(仮名)さんは
本当にラブリーなキャラクターでした! これだけは最高に良かった!

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