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■[閑話喫茶][さよなら、RD-X6…orz] LD >> いやぁ…何か「月面兎兵器ミーナ」のデータとかがごっそり、消えていたりして、あれぇ?何かの操作間違いで…  <2007/04/23 03:55> [返] [削]

[電視の部屋][地球へ…] LD >> Coming home to Terra Coming home to Terra 美しいその名は地球(テラ)地球(テラ)… …って今、手…  <2007/04/23 03:29> [返] [削]

[今週の一番][4月第2週:テニスの王子様 Genius340「テニスの王子達へ」] LD >>   <2007/04/22 21:53> [返] [削]

■[映画諸評][ポーラー・エクスプレス] ルイ >> ☆☆☆☆:もうちょっとコンパクトに出来た気もするシンプル脚本ですが、面白かったです。サンタを信じるというのは「いつまでも子供でいる事」でも、ましてや「宗教を盲信する事」でもなく、かつて何も疑わず「ある!」と言えたものに、ある時「あるハズがない(かもしれない)」と気づき、知り、それでもなお「でも、ある!」と根拠なく自分の内で言える事を意味します。その途中の「知る、気づく」事こそが成長であって、その後再び信じるか、信じないかは成長云々とは無関係の精神の話です。ラヴィン・スプーンフルの「Do you believe in magic?」を人生の一曲としている自分としては、この作品とのシンクロ率はメチャクチャ高かったですね。一周した上で、なお「信じる」事。その対象が魔法かサンタというだけで、かの名曲とこの映画、伝えたい事には大差がありません。主要スタッフも何人かも「Do you believe in magic〜♪」とか口ずさむタイプなんじゃないでしょうか(笑)。主要人物のほとんどに名前がなく、また少年少女たちが友情を得ながらも「互いの名前を聞こうともしない」あたりとても共感度の高い映画でした。唯一、最後まで手元に残る”信じる事の象徴”サンタの鈴に関しては、1度ポケットから落ちた時点で「無くなってもいいんじゃね?だって、目に見えなくたって鈴の音も聞こえるし、サンタも信じられるでしょ?」と思ったのですが、それは僕が骨の髄まで「Believein界の住人」だからかもしれません。まあ、いい映画でしたね。信じる事を失いかける、そして、信じるものを絞ってしまいがちな思春期頃の子供に見て欲しい・・道徳の授業とかどうでしょうか(笑)。あ、僕の「人生の一曲」も音楽の授業でやって欲しいなーw If you believe in magic  <2007/04/22 16:56> [返] [削]

■[チャンピオン][かるた] GiGi >> さすがダーツ、次の手がまったく読めねーぜっ…  <2007/04/20 09:47> [返] [削]

[娯楽のハイエナ][なるほど。巫女ですか。] LD >> みやもさん、はじめまして。レスありがとうございます。 > 個人的には八雲が「巫女として選ばれた」存在…  <2007/04/19 11:42> [返] [削]

[娯楽のハイエナ][Re:スクールランブル考:八雲座敷童子(ざしきわらし)説] みやも >> はじめまして。独特の八雲考察、とても面白く拝読いたしました。 >これだけ超常現象に囲まれて自身も超潤c  <2007/04/19 02:02> [返] [削]

[娯楽のハイエナ][スクールランブル考:八雲座敷童子(ざしきわらし)説] LD >> ……え〜っと?いきなり突拍子もない表題を書いてしまいましたが……本人わりとマジなんで物を投げないで下…  <2007/04/18 02:18> [返] [削]

[電視の部屋][「まなびストレート!」多佳子エクステンド!] LD >> (ストレート!に対抗しようとしてエクステンド!とか言ってしまう辺りに筆者のセンスの悪さが顕れてい…  <2007/04/16 03:34> [返] [削]

■[アニメ諸評][大江戸ロケット] ルイ >> ☆☆☆☆☆:(第一話・大江戸に咲く紅い花火)なんちゃって♪全部ウソ♪テイクミーファラーウェー♪(歌・PUFFY)・・・・まだ暫定ですが、今期一番ワクワクして観ている作品です。みなもと太郎、内藤泰弘、椎名高志先生といったアクの強い漫画家たちを「客演絵師」としているのですが、各先生の個性を溶け合わそう・・・なんて気はサラサラなく(笑)みなもとキャラはみなもとキャラ、内藤キャラは内藤キャラのまま共存させているのが非常に面白い。各々の個性を、江戸時代(天保の改革時)の”長屋モノ”の形に落とし込んでいるので、違和感をあまり感じないんですよね。長屋モノってのは、たまたま長屋に集っているだけで、それぞれがそれぞれの生活を持ち、個性を持っているものですから。だから絵柄くらいね、ヒョロリとした内藤キャラと二頭身のみなもとキャラが並んでいようがね、違和感なんてね・・・・・・・・・いや、チィとはありますけど(笑)。そこがいいのです。特にみなもと太郎先生。彼の2頭身キャラが登場するだけで、場の空気が和み、頬も緩んでしまいます。一話から情報も細かく振り分け、そこに囚われず主人公の芯・全体の目的はキッチリ描ききるという問答無用の素晴らしい一話だったのですが、個人的に感心したのは舞台の長所を生かした脚本・コンテ。格好つけとして長回しを多用するという類ではなく・・つまりアニメや漫画(ゲームも)と舞台の一番の違いは何かと言ったら、舞台は基本場面(背景)ありきじゃないですか。漫画やアニメは簡単に背景を描き変える事で舞台転換できる(それは長短というより、ただの特徴なのですが)。でも舞台はそうはいかないから、場所をまず用意したとして、そこの中でのキャラクターの組み合わせを増やしたり減らしたりする事で、一つの場面を大事に使い、一つの場面の中でいくつもの味を出すんですよね。こっちの方がイイという話ではありませんが、アニメは特に「○○というシーンではAとBを登場させ、××の演出ノルマをこなす」みたいな決めうちの切り貼りが多いので、この作品の舞台テイストが刺激的なのです。一話で言うと、長屋の朝のシーンですね。最初、同心と、同心にしょっぴかれたみなもと吉田松陰顔の(笑)からくり師新佐がいて。そこに手妻(手品)士2人とみなもと大工wが駆け寄って。問答しているうちに、帰ってきた主人公清吉が同心に食ってかかって。すると今度は清吉が同心に、昨晩の花火打ち上げを疑われるハメになって。困っている所に錠前屋の銀次郎が颯爽と登場し、機転をきかせて清吉を助けてくれる。で、新佐が笑いを取りつつ同心にしょっぴかれていって、そこに寝坊の六兵衛が五月蝿いと怒って現れ、皆六兵衛に追いかけられたと思ったら、最後は六兵衛の妻がダンナをしかって、皆がいい時間だとお開きにする。・・・とまあ簡単に纏めましたが、この「六兵衛登場」までがね、場面はずっと長屋の裏で、とにかくキャラの足し引きと会話の妙だけで進行させているんですよね。しかもそれがダレない。この舞台コンテをちゃんと活かすと、各登場人物の個性をしっかり掴み、人と人との科学反応を(しかも相手がダレかによって変わる反応を)しっかり捉えた、いいい作品になるんだよなと。そのニオイを感じられたのが、一話から「大好きだ!」とか叫んじゃった理由でもあります。これは、隠れエースですよ。チェケナッチョ。※これは全部嘘ではありません  <2007/04/13 01:47> [返] [削]

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