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#324 「るくるく」の推理は可能か?不可能か?
投稿者:LD [2009/09/02 22:49]



ちょっと前に「るくるく」(作・あさりよしとお、2002年〜2009年)の最終巻を買って来たのですが…恐ろしく謎な終わり方で僕はとても混乱しました。「るくるく」は極貧の少年・鈴木六文の家に、謎の美少女悪魔・瑠玖羽(瑠玖羽)とお供のブブがやって来て六文の世話をし出す。それに合わせて神の御使いである天使たちも現われるようになる。自らの善を信じて疑わない天使たちは、悪魔である瑠玖羽達が何か悪巧みをしているに違いないと色々ちょっかいをかけてくる…というコメディですね。
もともと、瑠玖羽の目的は何か?とか六文と瑠玖羽の関係は何か?と言ったストーリーの中に謎が散りばめられていたのですが、それが締めに入る最終10巻に来て〜連載的にも多分、9巻末に大天使ミカエルが現われて10巻に入るタイミングを見計らっていたように思いますが〜謎をさらに謎をかけて行くような展開が続き、しかも、最終回はその謎をぱっと放り出すように終わり……少なくとも軽く読んだ程度では、理解できない形で終了していったんですね。

…で、しばらく僕もいろいろ「読み解いて」考えてみたんですが……ダメでした(汗)どうもこれという繋がり方をしません。内容を追う限り、あさり先生は連載当初からこの構想を持っていて、故に途中で設定や内容を変えたりせず、一本筋で繋がる形のはずなんですが…どうも誤誘導的な情報がある事と、根本的に情報不足で、自分で納得できる「読み」に昇華されないんだよなあ〜〜(汗)(……これで、もし途中で設定を変えられたりしていたら、分るはずがない…orz それは意地悪過ぎです。あさり先生…orz)
しかし、ちょっと断片的ながら、僕が整理した情報を書き出しておこうと思います。これを元にもう少し「読み」進めて真相に近づけると良いのですが……。


まず「るくるく」を読み終わった人(以下、読み終わっている事が前提です)なら、おそらく誰でも近い結論には達するであろう「読み」ですが…

1.鈴木六文には“神(GOD)”が降りていた?

…ですね。いくつかの場面で「借りた物」、「作った物」という言葉が出てくるところを観て、六文が“神自身”ではないと思われます。それまで大天使ヨフィエルが和尚や数に、大天使ミカエルが荘司や西念に憑依していたように、六文の身体を占有していると思われます。それ故、六文は、子供の頃の想い出を思い出せない。思い出してはならない状態となり、作中で何度か語られたように“綻び”や“終わりの時”が設置されたのだと思います。藤子F先生の“神様系”の話とか、(マイナーですが)「亜州黄龍伝奇」とか、まあ、今一番通りが良い作品は「涼宮ハルヒの憂鬱」だと思いますが、あれに近い状態なんでしょうね。
逆に当初からあった謎(?)の瑠玖羽たちが善行を積む目的は……言葉通り「地獄がいっぱいだから」で良いように思えます。これは“神が不在”となった事にも原因があるのかもしれないし、直接の関係はないかもしれません。いずれにせよ、瑠玖羽のこの“人助け”は謎のように振る舞うことによって、本当の謎である“何故、瑠玖羽は六文の所に来たのか?”の方の注意を外す働きをしています。

また当初、なんの迷いもなく悪魔の討滅を目指していたヨフィエルは、一度天界に戻ってから様子がおかしくなります。瑠玖羽と闘う…というより瑠玖羽の目的を探り、それを阻止する事に重点がおかれるようになる。問い詰めるルミエルにヨフィエルは「天界には何もなかった」「何も見なかった」を繰り返すだけ。…これ最後まで通してみると“神が不在”だった事を指しているようにしか見えないと思います。



最終回でミカエル(瑠玖羽とソックリ)は、「私がこの世界を創…」と言いかけた瑠玖羽に襲いかかり、それをヨフィエルに蹴たぐられて止められる…そういうシーンに見えるんですが、ここは多分違いますね。ヨフィエルが足を引っかける前のコマで六文の影のコマがはっきり描かれています。つまり、このシーンはおそらく、ミカエルは六文を襲おうとしたか、あるいは、瑠玖羽の元から奪い返そうとしています。ヨフィエルは、瑠玖羽との闘いを止める事はしませんが、六文に直接触れる……つまり“神”に手を出す事に対して「ミカエル様、それはいけません」と言っているのでしょう。
しかし、それにしては(事態を知っている)ミカエルやヨフィエルの六文の扱いはぞんざいじゃない?って疑問は出てくるんですけどね(汗)………まあ“神”が並以下の少年である事を望んでいるなら、並以下の少年として扱おうというという事かも知れません。いや、実際にはミカエルはそれに徹しきれず、上述のように六文に触れようとしたり、六文の記憶を甦らせようとして文化祭(10巻)で瑠玖羽の姿で「六文、あなたは私が造ったのよ」とカマかけ(?)に行く。



でも、多分これ誤誘導です。そもそもミカエルは瑠玖羽の企みがよく分っていない。また、その後の六文の問い詰めに本物の瑠玖羽が肯定するのですが、その時の六文のセリフはこうなっています。「うちの家はるくが作りだしたもので…俺も親父も本物じゃないって本当?」→「うん」つまり、家をるくが作りだしたものである事は肯定しても〜これについても、一度、六文の家は悪魔たちのリフォームがされているので、これを指しているのかもしれない〜六文が瑠玖羽によって造られた事は肯定されていません。逆にこういうひっかけが置かれているということは、それ故に、六文が本物ではなく(?)その状態が瑠玖羽以外の者によって造られた事を意味していると思います。

また、だからこそ瑠玖羽は「何故、(普通の少年と思われる)六文の元に現われたのか?」に答える事ができない。それを言ってしまうと、今あるこの世界が終わってしまうから(終わっても元の世界に戻るだけかもしれないけど、神がそれを望んでいない)、あるいは瑠玖羽は神の元に参じただけで、神が六文を選んだ理由は分らない…って事でもありますね。

2.六文の親父を殺したのは誰か?

しかし、六文が“神”という事になると「るくるく」の第1話は違った様相を呈してきます。この物語は、実は非常に生臭いのですが、六文の親父が何者かに惨殺される所から始まるんですよね(汗)何者か……と言いましたが、その犯人は下っ端天使(でもないんだけどw)ルミエルという事になっています。そして六文はフライパンでその仇を討ったこと、また、六文の親父はブブが黒猫として甦った事でその後、この件は不問という事になっています。しかし、その後のルミエルの行状を見て行くと、人間を姿形も分らなくなるまで惨殺できるようなキャラに思えないのではないでしょうか?



注意して読んでみると瑠玖羽もブブも、殺したのはルミエルだとはっきり言っているセリフはありません。ただ、ブブが六文の親父は「神罰を受けたのだ」と言っているだけです。……“神罰”なんですよねえwこの物語が“神の不在”を問題にしているものだとすれば、その第一話を説明するために使われた“神罰”なんて言葉を簡単に流していいようには思えませんw………もう、僕が何を言おうとしているか分るかと思いますが「六文の親父を殺したのは六文(神)自身」って事はないでしょうか?そう考える事によって、瑠玖羽がこのタイミングで六文の家に現われた理由が繋がりそうな……気がします?(←まだ繋がっていない)いや、六文には実は本当の両親がいて、劇中のこの親父(黒猫)は瑠玖羽が造った(あるいは使わした)親父という考え方もあるので、ちょっと複雑なんですが…少なくとも瑠玖羽は幼い頃の六文と出会っていて、その後、間をおいて六文の前に現われているんですよね。幼稚園から中学まで10年近い空白がある。…それは一体何故?というのがあります。
ありていに言うと、親父が死んだところで現われるというのは、六文(神)を独りにしないためと思われるのですが(作中、瑠玖羽は、ずっとその事を気にかけている)……しかし、ここらへんの経緯がいまひとつ繋がらないのですよね。六文の親父が本当の親ではないということは、あの黒猫は六文(神)に造られたもの〜瑠玖羽(あるいはブブ)が造った〜もともと悪魔の眷属〜というあたりまであって、ここらへんがはっきりしないと…っていうのがあります。そもそもの事の起こりである、この部分の経緯がはっきりすると全体像も見渡せるようになると思うんですが…ちょっと僕には有効そうな情報は拾えていないです(汗)

3.“借りたもの”は返されたのか?

そして最終回、別れの抱擁をした瑠玖羽は「借りたものはもとの場所に返さなきゃな」とつぶやき、そしてお供の悪魔共々、六文の元から去って行きます。そして六文は……いつの間にか神社で数に突き落とされた事になって、そこから目を覚ました。六文には両親と別の家(多分、一般家庭と同じように家電がある)があり、かつて瑠玖羽や、ブブ、親父(黒猫)たちと過ごした家を見つける事はできなくなっていた…というラスト。
瑠玖羽と悪魔たちは本編中ずっと六文が昔の記憶を取り戻すのを恐れており(逆にタンちゃんは「そんな状態をずっとつづけるのは無理だ」と嘲る)…その崩壊が時間の問題となったとき、六文から離れる事を決めた…ようです。でも、どうなんでしょうね?六文から離れる事によって回避される崩壊というのはちょっと想像しずらい。瑠玖羽たちと別れようが別れなかろうが、記憶が戻りそうなら戻る事は回避できないでしょう。だから、むしろ最終回は六文が記憶を取り戻してもよくなった……つまり、六文から“神”が離れて、瑠玖羽たちは次を追った……と考えると意味が通りそうに思えます。



そこらへんから詰めて行くと、最終回の「借りたものはもとの場所に返さなきゃな」は非常に重要なシーンである事が分ってきます。上記の解釈を当てると……瑠玖羽が“神”に六文を元の場所に戻すように諭している場面に思えるのですが……う〜む?(考)そもそも、このセリフ、“誰が”、“何を”借りて、“何処へ”返すのか明示されていないんですよね。…瑠玖羽が六文を“元の状態”に返しているようにも見えます。(単純に考えるとそれが一番妥当)、あるいは瑠玖羽が、“神”から何かを借りていて、それを返そうとしているようにも見えます。……この場合、その何かっていうのは“世界を創造するような能力”だと思われるんですけどね。この場合は、ヨフィエルやミカエルたちが、瑠玖羽の存在を恐れていた意味が分ります。…とは言え、瑠玖羽たちはもともと“神に近い者”なので、完全とは言わないまでも、それに近い能力を持っている事は想像できるんですけどね。

しかし、その当の、返された後の六文はど〜も?……返されているように見えないんですよね。本当に返すなら六文が幼稚園の頃に戻らないといけない。…多分、六文は幼稚園の頃に数に推されて階段から転げ落ち…それが今の発端の部分になっている。その時系列が丸ごとシフトして、六文が階段から転げ落ちたのが中学の時の事になってしまっている。…もう、こうなると六文は元の状態に戻ったのではなく、また新たに創られた世界に置かれているだけかもしれないとさえ思ってしまうのですが……まあ、こればっかりは「返す」と出された言葉を信じるしかないように思います。しかし、かっちり完全に返されているとは言えないだけに、ここの情報もまた「読み」としては不安定なものになっています。

……こんなところでしょうか。ほんとうは、六文が幼稚園の時、何が起こったのか?とか、瑠玖羽がペロが六文の元に現われる事に危惧を感じたのは何故か?とか細々したものは山ほどあるんですが、おおきくは、この三項目の謎が大きなところかと思います。…や、結局、現状僕は、こういう事かなあ?と思える一本線の真相を結ぶ事はできなかったんですが(汗)しかし、これは繋がる感じがあるので、とりあえず断片的ながら書き留めておきます。…さて、もうちょっと考えてみるか。


誰か、この謎を解いて下さい。
  • Re:「るくるく」の推理は可能か?不可能か? 投稿者:西念 <2009/09/18 23:20>
  • #325 Re:「るくるく」の推理は可能か?不可能か?
    投稿者:西念 [2009/09/18 23:20]
    <<<親記事]
    実は今の段階ではまだ最終巻は読んでいないのですが。
    敢えてLDさんから与えられた情報のみで推論してみます。

    六文は神というよりは、アダムのような位置だったのではないでしょうか。

    神という概念も、悪魔という概念も、人間の存在無しには存続することができない。しかし現代人はというと作中に出てきた怪しい宗教を自己満足や金儲けの手段として残すばかりで、実際のところは心の中には「神も悪魔も無い」状態。
    このままでは自らの存在も危うい−そう考えた地獄の王(作中登場せず)と神は「再び人間が以前のような神・悪魔を純粋に信じる世界を復活させることは可能か」というシミュレートの場として「るくるく」の仮想世界を用意し、そこに現実世界で最も「アダム」の意識に近い人間−六文−を記憶を消した状態で置き、瑠玖羽を遣わし、色々な極限状態を用意して(数や南足のような周囲の「現代人」も含めて)彼らの心の変化を観察していたのではないでしょうか。ヨフィエルやルミエルがその辺りの事情をほとんど知らない(ヨフィエルはミカエルに会ったことで何らかの作為を感じ取ったようですが)のは、悪魔と違い、天使は「騙す」ことを得意としない存在であるため、敢えて真実を知らされなかったのではないかと思います。
    瑠玖羽が以前ヨフィエルに言った「本当は何も無いことに気づいてしまった」というのはこの仮想世界のことと、現代人の心にもはや神も悪魔も存在していないということに気づいただろう、ということを言いたかったのではないでしょうか。

    となると「六文」を借りたのは「神と悪魔双方」であり、返すのは「六文自身の世界」ということになりますね。六文が幼稚園時代に戻らずに中学生のままで現実世界に帰るというパラドックスが生じたのは、瑠玖羽の情によるものもあると思いますが、もしかしたら神と悪魔が「瑠玖羽の記憶を残した中学生の六文を世界に返すことで、自分たちが確かに存在しているという証を得たかったのかもしれない」と解釈をすることも可能かと思います。

    いかんせん未読の状態の推論なので、ずいぶん的外れの部分もあるかもしれませんが、LDさんの文章から自分なりに感じたことを書き連ねてみました。
    いきなりの長文、申し訳ありません。
  • 10巻、ようやく読みました 投稿者:西念 <2009/10/03 06:34>
  • #326 10巻、ようやく読みました
    投稿者:西念 [2009/10/03 06:34]
    <<<親記事]
    10巻、ようやく読みました。
    るくだけ、最後に自身が「傲慢の罪を負うもの」=「ルシフェル」であることを明かしていますね。
    一説によれば、ルシフェルを天国から追放したものであるミカエルは、ルシフェルと双子であるという説もあるとか…(となると、るくとミカエルがそっくりだったことは説明がつきますね)
    るくが作中で六文に対し、今の世界と六文はるくが作り出したものであると認めたのは…るくは六文を使って新たなる「人間のためだけの楽園」を作ってみようとしていたのかもしれませんね。
    るくの言葉から六文を「新しき楽園のために(裏切り者に)選ばれた人間」と受け止めたミカエルは六文に「不遜(な存在)だ」と襲い掛かりますが、この際にヨフィエルが止めに入ったのは「自らを正当化するために一方的に罰を与えたり破壊したりすることは、例え神の名の元においても最早してはいけない。地上は彼ら人間のものであり、ルシフェルの言ったこと・試みていたことは我々天使には思いもつかなかった、ただ罪人を罰し続けてきた自分たちの行いよりもある程度(天使という立場上看過も容認もおおっぴらには出来ないが)正しい行為なのかもしれません」と伝えたかったのかも…
    (この辺りを明記していないのは、現代のキリスト教だけがストーリーのベースになっていないことによる混乱を避けることと、あさり氏自身、読み手に解釈をゆだねたかったのではないかと考えています)。

    余談ですが最初の頃に言っていた「地獄はもう一杯だから」の人員の中には、神が絶対ではないことを悟り、疑念を抱いて楽園から追放された他の住人や、天使たちも含まれていたのかもしれませんね(ここのところはもはや想像の域ですが)。
    思うに、天界でヨフィエルが「見た」のは、すでに神が絶対的な善ではない世界、彼が信じてきた崇高で常に正しいものであるはずの天界が「無かった(人間界並みに身勝手な世界に荒廃しきっていた)」光景だったのではないでしょうか。
    個人的には、そこのところが一番知りたい「真実」ですね。知ることで後戻りできなくなっても…
  • Re:西念さん 投稿者:LD <2009/10/07 04:18>
  • #327 Re:西念さん
    投稿者:LD [2009/10/07 04:18]
    <<<親記事]
    こんにちは、西念さん。お返事遅れまして本当すみません。

    「るくるく」の謎は、謎と言ってもかなり隙間が多くってそこに対して様々な解釈を加えて行ける状態ではあるんですよね(汗)それで僕としては、もう少し詰めた所…というか確かな所を掴んだ話をしたかったのですが、しばらく考えてみたのですが、なかなか僕も最初に述べた以上は詰まってこないんですよね(汗)

    >そう考えた地獄の王(作中登場せず)と神は「再び人間が以前のような神・悪魔を純粋に信じる世界を復活させることは可能か」というシミュレートの場として「るくるく」の仮想世界

    ただ、ちょっと僕としては神がまだ存在している上で、(悪魔と結託して?)世界の再生を試みた…という読み方はしっくりこない所があります。どんな形にせよ神の意志において世界が再生を目指すなら(たとえ騙されたと分っても)天使たちの信念に揺らぎは無いと思うし、またヨフィエルの言う「聞いたら後戻りできない事実」という感じもしないからです。僕の思考が硬化しているのかもしれませんが、ミカエルにまで動揺があるという状態は「神が不在」となった時ぐらい、という考え方が一番しっくり来るんですよね。

    逆に神が六文…かどうかは後回しにするとしてもミカエル、ヨフィエルの“あせり”は自分たちの上に神が居ないからこそ…と考えると僕は腑に落ちてくるんです。彼らは神に利用される事、騙される事はなんとも思わないしむしろ使ってくれるなら、至上の喜びとさえ感じる。しかし、神に“捨てられる事”はこの上なく恐れている…という感じでしょうか?…騙されると捨てられるの違いって微妙な話ではあるんですが、でも、そんな感じかなあと。
    #87のるくとミカエルの会話で「何をあせっている、いや恐れていると言った方が正しいか」と言うるくに対してミカエルは…

    「何を言う!神を頂く我らに何を恐れる事が…」

    …で言葉を詰らせて沈黙するんですよね。これ多分「神を頂けてない」からだと思うんですよ。神さえいれば恐れるものはない彼らは、神がいなくなれば全てが恐ろしい。騙されたり、仲間はずれにされている程度なら「神の御心のままに…」とミカエルは動じなく思えます。いや、動じるよ…って言う事もできるんですが(汗)しかし、どうも騙されてる程度では天使たちの“絶望”が中途半端なものに思えてしまう。…彼らが文句なくフルゲージでどん底の底に叩き落とされる事は何か?…これはより劇的なる事は何か?という問いではあるんですが、そういう考えを突き詰めれば「神の不在」に行き着くような気がします。

    >ヨフィエルが止めに入ったのは「自らを正当化するために一方的に罰を与えたり破壊したりすることは、例え神の名の元においても最早してはいけない。

    う〜ん。僕はヨフィエルは最後まで、神の御名があれば嬉々として天罰を下したように思えます。その神がいないから中立っぽく振る舞わざるを得なかったと思うんですよね。
    #89でヨフィエルの言う「(天界には)何も無かったんだよ」はそのままひねりなく「読め」ば神の不在を指しているように思えますし、ここはそんなに、ひねった別の解釈を持たなくてもいいかな?と思っています。ただ、それじゃ神=六文か?というと、こっちの「読み」には穴があって、なかなか合わせ込んで行くのが難しいという感じです。
    神が不在ならその神は何処に居る?→六文の中にいるんだ!だから天使たちは焦っているんだ!→ほら!最終話でミカエルは六文(神)を取り戻そうとしている!→という「読み」ではあるんですけどね。穴(自分でしっくり来ていない部分)も相当あります。

    >今の世界と六文はるくが作り出したものであると認めた

    実は、世界と六文はるくは作ったものかどうかはまだはっきりしていないと思っています。るくが#86で認めたのは「六文の家を作った(まあ、周りの空間まで含めていいようには思います)事」と「六文と六文の親父が本物じゃない」事までです。それ以外はあくまで(るくの真意を掴みかねている)ミカエルの戯れ言だったり「私がこの世界を創…」で止められていたりします。「創った」とは限らないw「創ろうとした」かもしれないw

    >傲慢の罪を負うもの」=「ルシフェル」

    一応、登場悪魔と7つの大罪を符合させてみました。

    ルシファー(傲慢) … るくは
    レヴィアタン(嫉妬) … レヴィ
    サタン(憤怒) … タン
    ベルフェゴール(怠惰) … ベル
    マモン(強欲)
    ベルゼブブ(暴食) … ブブ
    アスモデウス(色欲)

    …となります。マモンとアスモデウスが空席となりますが……ちょっと直感で言うと「色欲」のアスモデウスはペロ(るくははペルと言い間違えた)じゃないかと思うんですよね………なんでかって言うと彼女、エロいからです!(`・ω・´)ゞ
    では、マモンは…登場頻度から考えるとイナゴのドンちゃん(アバドンの事)でもいいのかもしれませんが、まあ、アバドンとマモンは別の悪魔ですし………実は、ちょっと僕は六文の父親を演じている黒猫がマモンではないか?と思ったりもしています。突拍子もない話ですが、少なくとも六文の本当の父親(家族)は全く別の所に在る事は分っていますよね。…そうするとあの黒猫は単にるくはが作ったものなの?……とか考えると段々悪魔の一人じゃないかという考えが生まれて来ました。

    まあ、正直「るくるく」の謎は隙間が大きすぎて、どうとでも埋め方があるようなものに思えます。kichiさんのように単に六文が好きだから、六文と一緒にいられる世界にしたという話もありますしね。しかし、何かもう少し散りばめられた謎が一本線で通るような解釈があるんじゃないかと言う気もするんですよね。少なくともあさり先生の頭の中には一本筋でありそうとwそこらへんを色々考えてしまいますね。
  • お返事ありがとうございます。しつこく考え続けてます(汗) 投稿者:西念 <2009/10/12 04:30>
  • #329 お返事ありがとうございます。しつこく考え続けてます(汗)
    投稿者:西念 [2009/10/12 04:30]
    <<<親記事]
    LDさん、お返事ありがとうございました。
    神と悪魔が結託して…の件は、まだ10巻を読んでいなかった状態での推測によるものなので、全くのミスリードということで気にしないで下さい(汗)

    さて、10巻を再読しますと…P159でヨフィエルが「何も見てないって、何も無かったんだよ」と言い切っていますので、私も天界は無に近い、つまりは神も少なくとも実体は無かったと(信仰上での各自の心の中での存在の有無は別として)考えるのが自然だと思います。そうなると、ミカエルの焦りも、ヨフィエルの一連の言動にも一応の納得がいきます。今のところ、個人的には古道具屋のおじさんの台詞の「実は誰もが寄る辺無い事に(以下略)」が一番核心に近いところに触れているシーンではないかと思いました。ミカエルが躍起になってるくを「神の御名において」倒そうとしたのは、恐らく自身が目を逸らしている事柄(神の不在)を認めたくなくて成そうとしたのでしょう。神を頂点にして自らの行いや存在を絶対視・正当化していた天使たちにとってはまさしく死活問題でしょうから、より地位が上のミカエルが焦るのも無理からぬことかと思います。

    この件については、まだまだ検討材料がありそうなので、暫く文献を追いつつ考えて改めてまとめてみようと思ってます。上手くまとまったら、また投稿させていただきますね。よろしくお願いします。

    ちなみにペロの件ですが、アスモデウスからずっと辿って根性で(笑)調べてみたところ「ペル=ペオル」という名のアッシリアの神にたどり着きました。なんでも、淫らな行為で崇拝されていた神だそうで…(汗)。この神は旧約聖書では「ペオル」という省略形で登場しています。ペル=ペオルは最終的にベルフェゴールと被るようです。となると作中に「ベル」が2人いることになりますが、ベルは既に登場済みだった上に七つの大罪では「怠惰」をすでに担ってしまっているし、アスモデウスを捻った名前ではすぐに正体がばれてしまう…ということで、あさりさんが意図的にここまで遡って名づけたのかもしれませんね。「ペル=ペオル」がペロの名前のもとなら、かつてるくが「ペル…」と呼び間違えたことにも一応説明がつくと思います。
    マモンは…強欲というには今ひとつ善良な存在だった気がしますが、やはり黒猫だった六文の父でしょうね。去る前の1コマで、反転した影の中のひとつにいますから、悪魔の1人であったことは間違いないでしょう。もしかしたら最初の「マ」の字を分解して「三」、「マモン→三モン」みたいな駄洒落っぽい命名の仕方だったりして…(笑)

    >少なくともあさり先生の頭の中には一本筋でありそう

    これは絶対あると思います。単なる夢オチ話に路線変更したわけじゃないのはほぼ確実だと考えてもいいんじゃないかと思うんですよ、あさりさんの場合は…。ただ、エヴァの影響なのか元々興味がおありだったのかはわかりませんが、あさりさんは宗教にも相当造詣が深いようなので、とにかく元ネタを探すのが大変ですね〜(笑)
    謎にたどり着く前に、自身が宗教オタクになってしまいそうな気がしてコワイです(笑)
  • 古新聞 投稿者:Yam <2011/10/06 20:36>
  • #364 古新聞
    投稿者:Yam [2011/10/06 20:36]
    <<<親記事]
    某あさりよしとおファンです。
    先日この作品読みました。
    主観ですが、あさりさんは神の存在を否定していませんか?
    それゆえ、宗教戦争や各宗教の主祖を馬鹿にしている点が多々見受けられます。
    作品自体は”るくは”が初期に宣言したように、”人間を救うこと””地獄がいっぱい”に尽きるような気がします。
    ここから謎の推測:
    ”るくは”は死にかけて天に召す寸前の”六文”(三途の川の渡し賃)の意識内に仮想世界を作り出します。”六文”の父親として惨殺されていたのは彼自信が犯した罪ですが、天に召される前に神?の力で浄化されています。それゆえ、作中の”六文”は大きな欲もなく、目立たないキャラクターとして生きていきます。浄化された人の存在が”るくは”の実験には必要な存在でした。
    ”るくは”は作り出した世界の中で、使役の悪魔と共に人間の世界を少しでも罪のない世界にするよう活動しますが、”悪魔の行いはしょせんエントロピーが増大する方向にしか働かない”の言葉にあるように、人の社会を変える事ができない事がわかり活動を中止します。
    一方、浄化された”六文”と禁欲?の生活を送る”るくは”ですが、人は成長と共に色欲や物欲、満たされた生活への慣れが人の性ともいうべき罪を背負う事を避ける事ができません。これが、”タン”のいう人を変える事はできない。”るくは”が思い出となる写真にこだわる意味。”潮時”というセリフや”綻び”と共に同級生達が悩みを抱えていく過程に通じます。
    作品を通じて出る宗教に関しては、”宗教はいい加減な物、各宗教の掲げる神も教えもいいかげんな物””宗教が原因(自己の信じる神の押しつけ)で過去幾度となく無為な戦争が起きている”というのは魔耶峰雄_アスタロトでも主張されていた内容で同じ理屈ではないでしょうか。
    天使達の不可解な行動は、自己の神を信じるあまり何をしても許されるという理屈は人が宗教を信じるのと何も変わらない。
    ”ヨフィエル”は天界に行って神の不在を確認した。これは、自己の存在理由/行動理由がなくなるのと同義。或いは、現在自分の存在するこの世界が”るくは”の作りだした仮想世界に過ぎない事に気づいてしまった。
    ”ミカエル”の最後の行動は、自分自身で世界を作り出す禁忌(神以外が神になる事)を許せない、信じなくないが故に、世界の存在の要である”六文”を殺害しようとしたこと。しかし、”ヨフィエル”は是としなかった。
    ”るくは”は実験の潮時を迎え、意識を本来の”六文”の世界に返します。
    ”借りたもの”は”六文”の意識もしくは魂
    ”作られたもの”この世界と”六文”自身(キャラクター)それゆえ、本来の世界の”六文”は作中と性格が違ってドライ。
    作中で出てくる”六文”の思い出は、おそらく前世の記憶ではないでしょうか。
    ”生きて、死んで、また生きて”デジャブ?と言っているのが意味深。
    ”るくは”は”六文”の意識から離れて、理想とする罪深くない人間社会を作る為に新たな世界を生み出す為に旅立ちます。→地獄の受け入れを少なくする為。
    最後に、”天使も悪魔も人の意識の作りだした存在でそもそも神はいない”のか”実在の世界に神は存在するが、るくは自身が新しい世界を作りだそうとしているのか”(個人的には前者だと思います)詳細な想いはあさりよしとお先生の意識の中、もしくは読者が個人で考えろというメッセージがあるような気がします。
    非常に感慨深い作品でした。