#169 「昴」と「capeta」 投稿者:LD <2007/01/13 12:54>
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柘榴さんや、いずみのさんの発言を読ませていただきますと、曽田作品にまつわるある程度の前提条件は端折って書いても(曽田作品が好きな人には)通じるかな?という気がしましたので結論等先出しにして書いて行こうと思います。 まずいきなりですが、僕は「昴」という作品について「これは曽田先生の描きたいものではなかった」という感想を持っています。もう少し正確に言うと「当初、イメージしていたものはあったのだろうけど、それとは微妙に違ったものになってしまった」というべきでしょうか? ただ、これは“史観”とも言うべき見立てで、たとえば「capeta」と比較したとき、昴の持っているエッセンスは、まず全て勝平太に移植されていると思います。故に「『昴』と『capeta』は同じ方向のものだ」という見立てが出ても、僕は不思議には思いません。あるいはその方が自然なんでしょう。 しかし、僕自身は「昴」の連載が始まり、その物語が何回か進んだ時点で「…あ、これは曽田先生の描きたいものじゃない」という直感を持ち、連載中周りにはその事をずっと言い続けそして「昴」が完結する事なく終わった時、その事を確信しました。そして空かさず「capeta」の連載が始まり、読み、その回を追うに当たってその確信はさらに強固なものとなっています。 ところで「昴」最後に出てくる、FBIのあいつw あれ、今にして思えば「デウス・エクス・マキナ(終りを告げる神)」ですねw そして終りの神に連れて行かれそうになる昴を「あんな奴じゃなくオレと付き合わないか?」と繋ぎとめようとするあの黒人のメガネいましたよね?あれ、間違いなく曽田先生ww イメージしていたこのとは違ったものになってしまったと僕は言いましたが、自分の生んだ娘を愛していないわけがありません。だから曽田先生(←もう決め付けてる)は昴に告白するんです。 しかし、告白した瞬間、曽田先生は即座に「げ、現実感ねええええ!!」と言ってしまうw そして自分の事は何とも思わず終りの神の元に走り去る昴を描いてしまう。 曽田先生は「天才」の中に「怪物」の面を見出し、それに魅了されました。しかし、レシピの違いとも言うべきなのかもしれませんが「怪物の中の天才性を描く」事と「天才の中の怪物性を描く」事は大きく違うものだったのでしょう。この2者は要素としては天才と怪物という二つの要素を持っています。だからそれは「同じもの」と言えるかもしれません。しかし僕は違うものを感じたし、上記のように昴は「デウス・エクス・マキナ」に召されて“突然死”を遂げた事からも「曽田先生も違うものを感じたのだろう」と思っています。 「昴」のどこかで観客が「生まれ変わったら昴みたいになりたい」というようなセリフを言っていますが、多分、勝平太のレースを見た観客が「俺も生まれ変わって勝平太みたいになりたい」というセリフを言う事はまず無いと思います。これも昴と勝平太の違いだと思います。 言ってしまうと曽田先生は昴の中にも共感するものを描きたいと思っているので、そういった観客のセリフが出てくるのですが、その事を「げ、現実感ねえええええ!!」と感じていたから「生まれ変わったら」というセリフになってくるのだと。 曽田先生は「天才(=怪物)」を追求した作家さんだし「大吾」や「昴」を見て僕も「天才(=怪物)が描きたいんだろうなあ〜」という受け止め方をしていましたが、多分、曽田先生が本当に描きたかったのは「英雄」だったかなと思います。「capeta」見ると本当にそう思う。「英雄は天賦のもの故に天才故に怪物(人間ではない)」…という三段論の中で「自分の魅了された部分が天才(=怪物)性だったのでそこに特化した描写になった」という捉え方にもなるかと思います。それは「昴」も「capeta」もそうです(しかしレシピがブレた)。 ここで僕が漫ろに思いついた「昴」属性(あるいは「昴」が目指すべき世界)の作品をあげて見ます。 ・「聖マッスル」(←ここで「聖マッスル」キタ――――!?) ・「ダビデの星」 ・「地獄の家」(←この例が一番しっくり?) ・「哭きの竜」 ………かな?首をかしげられそうですがw いや、その首傾げられる部分とかが、そのまま曽田先生のブレにもなっているという論旨なんで(汗) ついでですが「capeta」属性の作品も少し…。 ・「がんばれ元気」 ・「キャプテン」(イガラシ編) ・「ガラスの仮面」(元々はそうだったけどマヤに“あった面”が姫川にシフトした) ・「YAWARA!」 …というかですね「属性」的に言うと所謂、努力型熱血少年マンガに入ると思います。ただし多くの努力型マンガが「僕らと同じ人間が努力によって夢をかなえる」というメッセージを送るのに対して「そうじゃない!あそこまで行ってしまう人間は僕らとは違う人間なんだ!」と言ってしまう違いになりますよね。 その意味で「がんばれ元気」は「capeta」に凄く近い存在です(元ネタとさえ言ってもいいかも)。あれもデビューと同時に無敗全KOで世界チャンピオンまで勝ち上がる少年・堀口元気と、その少年を待って10年間無敗であり続けた帝王・関拳士の対決を焦点に「普通の人生」を歩む人たちが、元気に夢を見ながら容赦なく普通の日常の中で生きて行く姿を如実に描いた作品ですが、実は「capeta」と微妙にキャラの動きが符号したりしていて、何か意図するところがあるかも?? あと「哭きの竜」を「昴」の類似に上げましたが曽田先生と能條純一先生との対比は面白いかもしれません。能條先生は元々、哭きの竜のような“怪物(=天才)”を描きたい人で、それがスピリッツに連載するにあたって、自分でそう思ったのか編集部から「もう少し目線を下げてみては?」と言われたのか、ちょっと「capeta」方向に振れてる(振れてるか?)「月下の棋士」があります??ww 哭きの竜も凄い怪物(=天才)ですw なにしろどう打とうが絶対に勝てるヒキを神様に約束されていて、尚且つ自分が次に何をツモるか全部知っている男ですからね。だから竜に肉迫する雨宮にシビれるわけですが…。 しかし、竜に拳銃向けている構成員が竜のヒキを見て「おお!俺も生まれ変わったら竜みたいにひきてえええ!!」と思うわけがなくってね。生まれ変わったって無理w 同じように昴も無理w そして竜はある日突然殺され都市伝説となって幕を引くのですが、昴もやるとすれば同じような終わり方が相応しかったように思います。 で、今回の勝平太(ナオミ・クラッシュ!)ですが、僕は「天才(=怪物)が先に行ってしまう」話だと思っていますが、怪物(=天才)の顕し方によっては物語が変わる可能性もありますね。ちょっと目が離せそうにありませんね。 |
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#186 ちょっと閑話を入れてみる 投稿者:LD <2007/01/15 20:37>
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え〜っと、一連の議論で要らぬ衝突があったら、それはこの親記事が原因だと思うので、少し、目先を変えた話から始めます。 http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_rusiora.html この「ルシオラ事件」というのは僕がこのサイトを立ち上げたはじめの頃に書いたコラムです。「GS美神」に登場した悲劇のヒロイン・ルシオラの顛末が紹介されているのですが…。 これ、読み方を変えると作者の椎名高志先生は「失敗」「不手際」を繰り返しつづけた結果、30巻続けた作品を崩壊寸前まで追い込み、挙句の果ては強引なオチをつけて、それを読者に「これで認めろ」と懇願したという事が書かれています。でも、このコラム掲載当時はとても好評で、ちょっと前には井汲景太さんとこれをきっかけに「GS美神」について改めて話合ったりしています。まあここの原点の一つです。書いて良かったと思っています。 因みに最近は密かに「『絶対無敵チルドレン』は失敗すればいい…!主に三宮紫穂方面に…!」と呪いをかけてますけどね。…内緒ですよ?(マジ) 何が言いたいかというと、僕は作品を見ていて何か不手際や失敗を感じ取ると、すぐそれをあげつらいますが、それは即座にダメ出しという意味ではありません。…とは限りません。…多分、限りませないよ?(ダメ出しの定義による?) 親記事についても僕はだから曽田先生ダメとか言ってないつもりで、あくまで「昴」がブレ(暴走?)て作品が止まらざるを得なくなる流れを嬉々として語っているだけなのです!「ルシオラ事件」の時のように!(工工エエエエ(´д`)エエエエ工工!)…ただ、まあ改めて「昴」を読み直すと、それは最初に押えるポイントじゃないだろうと反省してますけどね。自分の予測が当たった事を自慢気に語る事に終始したのは「小っちぇえ」行為でした。 ただ、一応「イメージとずれて→休載せざるを得なかった→わ〜い」…で話を終えているつもりはありません。僕が観た「昴」と「カペタ」の属性の違いなんかを論じていますし…え〜、あ〜、う〜…………。まあハッキリ言います。ロビーのあの話は「昴」があそこで「終わった状態」として出てきた視点です。そう言わないと伝わらないですよね。あくまで休載である事、再開される可能性込みで僕は「あそこで昴が終わった状態で世界がまとまるような視点」を探しました。そんな明確に「探そう!構築しよう!」と思ったワケではないですけどね。反論は…まあ、してもLDさんはコンニャクみたいなレスを返すだけだじゃないかな?w そしてロビーが曽田先生の代わりと“見立てた”(←字義通り!)時に観えた物…。 世界が崩壊(休載)するその時、世界を創った者(曽田先生)が、世界を崩壊(休載)に導いた女(昴)に告白するんです!…しかも、振られるんです! それは“おもしろき”ことだなあとw …まあ、これは今、考えた文章ですけどね…。実際は「あはは!曽田先生、土壇場で昴に告白してるぅ〜!しかも、振られてる〜!」程度の事で。デウス・エクス・マキナもそうです。 「LDさん『昴』って何で途中で終わっちゃったんですかね?」→「FBIがデウス・エクス・マキナだったからじゃない?」→「デウ…って」→「え?なに?君、デウス・エクス・マキナ様に逆らう気?フィクションを嗜む者がそんな事でいいの?」 …こんな用法かどうかは知りませんが(???)こういう楽しい流れの話にならないかなあと。 ハズしてしまいましたが…orz まあ「昴」ついてコラムにまとめられる程、材料を揃えられてないので読み物性は皆無だった…そこらへんも外した原因かもしれません。しかし、基本的な考え方は「ルシオラ事件」なんかと一緒なんですよ。 |
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#188 Re:ちょっと閑話を入れてみる 投稿者:いずみの <2007/01/17 03:01>
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閑話ということで、「ルシオラ事件」という記事について書いてみたいと思います。 実はこれを読んだのは最近の方(絶チル連載後)だったのですが、実際、面白いと思います。モズグズ様フォーエバーと並ぶ名文ですね(笑)。 それで気付いたことなんですけど、「ルシオラ事件」と似たような形の批評は、ぼくもやったことがあったような……という。赤松健論の「AI止ま編」がそうです。 http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/akamatsu/aitoma01.htm 要約すると「少年漫画としては致命的な欠陥を抱えていた連載が、作者本人のパワーアップ(←ここらへんのニュアンスは妄想です)によってドラスティックに変貌していき、特にシンディというキャラを出すことで見事完結させることができた!」という視点で読むことの面白さを提示しています。 これはこれで結構な反響を頂きまして、赤松健論の橋頭堡となったものです。 これは「一度破綻を徹底的に指摘した上で、その超克を楽しむ」というスタンスでいうと、「ルシオラ事件」や「LDさんのアレックス編史観」と良く似ていると思います。 しかしぼくは「AI止ま編」これを結構慎重に書いていて、「最初から少年漫画として読まないのであれば関係ない」と強く前置きしてあります。 そのおかげが、発表後に「ダメだった頃も好きだなー」という感想こそあれ反発は特に無く、ぼくも「前半は前半で面白いよね」と同調したりしていました。 つまり「その視点で読むと、確かにダメだ」っていうのは大体共有できる感覚らしく、しかも「その視点で後半を読むと面白い」ことも共有できる読み方だったんだと思います。 この読み方は、「ラブひな→ネギま!編」の流れにも受け継がれています。こっちも前置きを何度も強調していたおかげか、「作品を悪く言われている」とファンに感じさせることは無かったようです。 ■ でもまぁ、一度その論じ方がうまくいったからといって、別の作品でも同じことをやろう……とは思わない(笑)、というのが違いと言いますか。 この後色々書く予定だったんですが、チャットの方で大体結論めいたものを語ってしまった気もするのでここで切っておきますね。 |
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#174 Re:「昴」と「capeta」 投稿者:GiGi <2007/01/14 14:24>
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ということで、昴を改めて買ってきてひとまず最終巻(って言うな!w)読みましたよ? ホントに曽田先生ですねぇw>ロビー。 まず読んで思ったことは、漫研の基本的な評価軸である速度論から見て、まったく問題なく面白い!ということですねw。いや、本当にこれは強調しておかんといかんなと。 いずみのさんが展開した<イノセントワールド>が休載させるためのエピローグだったと言う論もちょっとしっくり来たところはあります。わずか8話、連載期間にして2ヶ月の出来事ですからね。まあ、始める前に休載決めてたと考えたほうが納得かも知れません。 さて、昴の属性という話ですがw。なんというかものの見事にしっくりこないですねw。 確かに「昴」は極致美をテーマにした作品だとは思うんですけれども、理解不能の化け物を描きたいと思っている一方で、それを理解したいという相矛盾した感情も持ってる気がするんですよね。作品で言うと自分の感覚では、かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」とか小山ゆう「あずみ」のほうが類型としてシックリ来るかも?キーワードは“鎖につながれた獣”とか“神の意思の忠実な僕”みたいな感じ?あ、「デビルマン」も近い属性か?wまーなんつーかしかしどれも破滅的ですね。作品の“流れ”は確かにそっちに向いてますねぇ。 しかし、その運命に抗ってこそ、曽田先生だとも思ってますので、3年後になるか4年後になるか、もっと先になるかは分かりませんが、「Capeta」を通して得るであろう更に1歩高い視点で、再び挑んで欲しいな、と切に願いますね。 |
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#176 Re:「昴」と「capeta」 投稿者:LD <2007/01/14 14:57>
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> 確かに「昴」は極致美をテーマにした作品だとは思うんですけれども、理解不能の化け物を描きたいと思っている一方で、それを理解したいという相矛盾した感情も持ってる気がするんですよね。 その矛盾は属性に上げたどの作品も少なからず持っているものではないかな?発表している以上。(一番薄そうな「聖マッスル」でもそれはあると思う)たとえば「この人は特別な人間」だという意識があるから「主人公」にするんだよ?ただし「悩み」は当然「昴」が一倍だったと思います。その悩みの大きさを持って分別するならそれは成立しない分類ではないと思いますが…う〜ん、僕は線引きの場所には思えなかったって事かな? まあ「極致美」「化け物」辺りのワードが伝わっていれば目的はある程度達成していて「しっくりこない」とは言われてしまったけど、この属性が成立するってところまではいいのかなw > 「沈黙の艦隊」 「あずみ」と「デビルマン」は、まあ分かるwというかちょっと置いておきましょう。 「沈黙の艦隊」だけど、海江田は確かに化け物だけど、かわぐち先生ならではのロジカルな積み上げで成立して行く化け物だと思う。 その意味において僕は「沈黙の艦隊」について…GiGiさんの言葉だと「極致美」でいいのかな?もっと「混沌とした」「パッション」に溢れたものが「昴」にはあると思う。その要素を抜かして「昴属性」を言われても、今度は僕がしっくり来ません。 …というかこの要素を重視している僕は「ああなって」、重視していないGiGiさんは「こうなった」って感じかな? |
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#170 Re:スバルトカペタ 投稿者:LD <2007/01/14 13:40>
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※ 本件ツリーの「昴」「capeta」に関するチャットをノー・エディットでアップします。多少、どの発言がどのレスに当たっているかなど判断しずらいかとも思いますが、まあとにかくそのままで…w いずみの >> あ、誤爆した(笑)。ここに書こうと思いましたが、漫研ノートにでも。 (※引用)[二種類の異常さ] ここでLDさんが示されている「異常感覚の天才」と「異常感情の天才」という分類なんですが、これ、読める読めない以前のレベルで、読者の好みがはっきり別れるなぁという経験則があります。ある知人は「ガラかめは主人公に感情移入できるからいいけど、昴は感情移入できないから、元気を出したい時はガラかめを読む」みたいな分け方をしていて(※昴を評価してないわけではない)、これは感情型と感覚型で分けてるからなんだろうなぁと思えば腑に落ちるんですよね。逆にぼく自身は、異常感覚型の方が圧倒的に好みなので。まぁ、マヤも昴も「感覚と感情」の両極を備えた天才ですから、どちらのタイプとして読むかは読者任せな所もあるでしょうけど(ハチワンのスガタなんかも「両極の異常さ」を持ってますよね)。で、「大吾」はその異常感覚に比して感情の描写が薄く、それが「曽田天才シリーズ」の中で大吾が格を落としている理由じゃないか……とか考えたりしていました。 いずみの >> 余談ですが、ここで無意識に用いている「史観」という言葉は潜在情報そのものですよね。実際の歴史における「史観」も然り、っていうのが言葉遊びとして面白くて、我々が「歴史」だと思ってるものは「歴史学者=レキシ読み」の深読み(妄想)に過ぎないのだ、という。 いずみの >> 投稿。あと、昴は「神に選ばれてしまった者」の究極を描いていて超好きなんですが、シャカリキ〜カペタの路線は「選ばれていく者」の世界だと思ってます。神に愛されてしまった「神の子」である昴は、自分の意志すら超えた存在に翻弄されるイメージがあるのに対して、「人の子」であるテルやカペタの主体は、あくまで「自分の意志」にあるんですよね。 いずみの >> あくまで自分の意志を貫いた結果として「神の座」に辿り着くだけなんだぜ、ということは、神の意志よりも自分の意志の方が上だ! というようなものであって。その方が、少年漫画的なヒロイズムがあると言えるでしょうね。 いずみの >> だからこそ、『昴』の主人公が「少女」であり、「青年漫画」であることにも必然性がある、と考えられるんです。悲劇的なヒロイズムなんだという。 いずみの >> なぜ、シャカリキとカペタが少年誌に載ってるのか? ってことですね。……で、『昴』は小学生の時点で運命的な死により「選ばれてしまった」わけですが、カペタは現時点で「選ばれた」とも言えて。「ここまでかけて『昴』の1巻の地点に到達」という発言はそこから来ています(……そんな遠大な根拠が?!)。 いずみの >> 自分の意志すら超えた存在〜<ちょっと自分で喩え方が気に入らなかったので補足。昴も「とにかく踊りたい」という並外れた感情の持ち主なんですが、その意志すらも「何かの力」によって宿命的に植え付けられたもののようにすら思える……っていう、そんな怖さがある、みたいなイメージです いずみの >> この「史観」でいくと、テルが「ついに選ばれた」のはやはり「山の写真」の時点かな? と。要するに、テル型の主人公が「選ばれた後」を曽田先生は描いたことがないっていう……げげーーー(笑)、みたいな史観も成立しそうだぞと。(臨時曽田正人論、終わり) ルイ >> 僕が曽田天才に抱く『怖さ』は、超常的なものに対してではなく、常識の延長上にある、と感じた瞬間ですね。明らかに「この道の先」にあるんだけど、我々には絶対に踏み込めない。一つの道として表現するなら、同じ道の先としては見えるんだけど、それは山をいくつも越えた先に路面が見えるってだけの事で「繋がっているけど繋がっていない」。 ルイ >> 意志を貫く事は我々にもできますが、根本的に「何をもってどこからを貫くと認識するか」の意識ハードルが「違う」。同種なんだけど、違う・・これもアルイミ、神に選ばれた特別な才能とも言えます(言葉遊びの領域ですが)。テルが事故った後の認識の違いなんかには、フツーに鳥肌立っちゃいますね。この際テルはこの感情を「勇気を、意志をもって選んだ」のか?否、テルは平然と、疑いなく事故ったあと「ああ」感じるんです。・・まあ僕の読み方だと「いつ選ばれるか」ってのはあまり意味を感じないんですけど、このゾッとする感覚を味わいたくて曽田マンガを読んでいると言ってヨイw ルイ >> ・・しかし明日13時ですたか。まあ居ないかもなので・・一応バキさんでも推しておくか(笑)。ハ、ハヤテ!?ネギま!?スマッシュ!?椿!?そ、そんなやつら知らないんだからねっ!※何故かツンデレってみた ルイ >> えーとえーと、途中からでも出たいですが、もし出られなかった時用に何か大事な感想を言っておこう。「24のひとみ」、オールカラーの有難味ねぇぇw・・・・・・こ、こんなコメントかorz小野千歳・・orz ルイ >> まあ僕は昴はそこまでピンとこなかったんですけど、寧ろ昴の方が「恵まれた」天才とは思います。「そこに山があったから」ではなく、序盤にドデカイ「運命」を与えられてますからね。納得度が高いといいますか、なるべくしてなった天才。それゆえにゾッとする事もテル・カペタほどなかったんだけどなぁ・・orzまあ、曽田先生も色々な「天才引き出し」を捜していたハズで、その一極としての価値は疑うべくもないですね。 ルイ >> で。ガラスの仮面はいいよね!w完結したら教えて下さいね!w ルイ >> 同じ花とゆめでも、僕は今頃「桜蘭高校ホスト部」の原作読んでます。LDさんが以前言ってた気がするけど、確かにビスコ先生自体がこの設定の持つ潜在力は十分認識してますね。双子の底力も、キョウヤ君も、ましてや殿の可愛さも、全部ビスコ正史にしっかり存在する。ただ、原作ではサラリと存在するセリフに重たい情報を込めたりしているのも確かで。いい原作に、いい脚本が食いついたってのが正確なんだろうなぁ・・。 ルイ >> ・・ほうほう、トヨタ、新車TF107を発表ですか・・(ニュース)アッアー!!シューミ様がいないシーズンが始まるんだー!?※今気付いたwそ、そうか、F1なんてあったんだ(オヒ ・・オヤスミナサイw いずみの >> > いずみの >> >まあ僕の読み方だと「いつ選ばれるか」ってのはあまり意味を感じない >それゆえにゾッとする事もテル・カペタほど//そう、読み方と好みの違いですね。読めてないとは言いませんが、「それは昴を読んだことにならない」とは言いますよ? GiGi >> ルイさんが来ないという事は、13時からLDさんが一人待ち惚けに!?(ぉ。という事で、ちょいと仮眠取りますわ〜。 GiGi >> ううむ。安ワイン一本空けたのにほとんど眠れんかった…。 GiGi >> 弱ったな、寝なおすと4時5時コースだぞw。 GiGi >> 早めに切り上げて仮眠取り直すのが正解か?… GiGi >> さて、昴ですけれども。まあいろいろ言われますし言いますがw、カペタが始まって以来なんかだんだん好きになってる自分がいますねw。 GiGi >> それは「昴」がなければ「Capeta」はありえなかったという部分に負うところが大きいんですけれども。 GiGi >> 一つだけ。いずみのさんは「昴」を悲劇的なヒロインと捉えていて、それは多分間違ってないんですけれども、曽田先生ってお人は昴ちゃんを不幸な目にあわせようなんて事は微塵も考えてないと思うんですよねw。 GiGi >> その現われが、あの、みんなが困った「アレックス」だったりするんですけれども(笑)。いや、好きですけれどもねw。困ったけどw。 GiGi >> アレックスと言うキャラは大吾の落合先生という成功体験が原型になっていて。 いずみの >> あ、こんにちは GiGi >> まあその前段としてシャカリキについて触れないといけないわけなんですけれども。 GiGi >> こんにちわわー。若干ハイなGiGiですw。 いずみの >> ベタな意味での悲劇じゃないんですよね、宇宙人の会話になるから避けたんですが、「炎の階段」としか言いようの無い人生で(笑) GiGi >> シャカリキの「山の写真」というのは到達点ではなくて、曽田先生の「願望」なんですよね。 GiGi >> 昴が再開されたら使おうと思ってるネタがひとつあって。休載前の既刊分を「接触編」、再開後を「発動編」と呼ぼうかなとw。 GiGi >> そう、天才でいて欲しいから追い詰めるんだけど、そのまんまに描くとドンドン破滅的な方向に歩を進めるから曽田先生も何とか手を尽くして救いを差し伸べようとするんですよw。 GiGi >> その行き着いた最終段階が「プリシラロバーツ」と「アレックス」だったんですけれども、ここまで描いた時点で休載せざるを得なかったのもまた必然なんですよね。シャカリキの、ツールド沖縄以降が描けなかったのと同じ理由で。 GiGi >> これはLDさんと昔よく話していたんですが、「シャカリキ」がツールド沖縄後も連載が続いていたら、テルというキャラはいつかパンクしていただろうなと。 いずみの >> 輝かしい栄光の道ではあるんですよね。悲劇と栄光が、二重になってる。これは「昴が選んだのか、選ばされたのかわからない」二重性とも繋がりますが。戯曲っぽいです(笑) GiGi >> シャカリキのテンションのまま、覚醒したテルがその道を全うしたとしたら、その行き着く先には「山の写真」はない、という。 いずみの >> それがぼくの言う「漫画力の問題」ってやつですね>テルの世界編を描けなかった GiGi >> プリシラは昴ちゃんの目指すべき完成型のキャラであり、乗り越えるべき目標なんですよね。プリシラが登場したとき、私は小躍りしてプリシラすごい世すごいよと周りに吹聴してましたw。 いずみの >> ぼくは未だに「シャカリキとめ組は昴を始めるための練習」で、「カペタは昴を終わらせる為の練習」だと信じてますが(笑) GiGi >> で、気持ちを新たにして始めた「大吾」でも全く同じ現象が繰り返されてしまってw。 GiGi >> そうですね。それで正解ですよ>昴を終わらせるためにCapetaを始めた。 GiGi >> で、その大吾を救ったのが落合先生の存在なんですよね。 GiGi >> にもかかわらず「昴」という作品は落合先生を欠いたまま始めてしまって。それが苦難の始まりだったわけですけれどもw。 いずみの >> そうですね。>落合先生 ベクトルは違うけど、プラネテスの結論に似てます GiGi >> どっちに向かっても破滅しか待ってない袋小路状態で垂らされたクモの糸がプリシラだったんですよね。でもう、嬉しくって嬉しくって小躍りしたんですけれども、我らが昴ちゃんはなかなか一筋縄でいかなくてw。 いずみの >> 大抵、「恋人のために戦うやつは勝てない」という(笑)<曽田世界 GiGi >> シャカリキを描いて、大吾を描いて、曽田先生は漫画家として、俺はコレに向き合わなければならないという使命感をもって「昴」を始めたんですよね。気負いすぎて、主人公が丸裸過ぎという恐ろしい連載だったわけですけれどもw。あれが既刊11巻で曲がりなりにもあそこまで辿り着いた。その執念たるやですよ。 いずみの >> プリシラを落合先生の位置で読んだことは無かったかな? 昴が好きすぎる読者だったので、比較対象としか読んでなかった気が(笑) LD >> ちょっと、「ハイエナ」に「「昴」と「capeta」」を書きました。お二人のチャットは見ていませんので、既に答えとかあるかもしれませんが、ちょっと読んでみて下さい。 LD >> こんにちは。 GiGi >> で、プリシラを得て、アレックスを得て完成した「昴」の形なんですけれども、ここまで来て、ここから先を描くすべがないことに気がついてしまったんでしょうね。もう一度「メデタシメデタシ」の願望1枚で完結なんてのは、作家の意地として出来ないぞと。 GiGi >> プリシラは落合先生じゃないですよw。アレックスが落合先生ですw。 いずみの >> でもちょうどぼくがスクランについて書いた片想い論にも当てはまるんですが、昴ちゃんは基本的に超モテモテな上にホレっぽい(スレ違いは多いが)ので、丸裸、という印象は薄かったかもしれません GiGi >> プリシラは昴の映し鏡で、目指すべき具体像なんですよね。ちなみにCapetaではプリシラ相当のキャラはまだ出てませんね。ナオミは鳩村の位置のキャラクターです。 いずみの >> あ、こんにちは。>LDさん プリシラ→アレックスという流れならなんとなく>落合先生 GiGi >> 超モテモテなのは曽田先生が必死に救いの手を差し伸べようとしている証左なんですけれども、全部袖にしてくれるんですよこのこまった子はw。 LD >> ああ〜、プリシラのあたりはGiGiさんと衝突したっけかな?w いずみの >> >終りの神の元に走り去る昴を描いてしまう ええええええええええええええっ GiGi >> アレックスによって昴は終わることが出来るようになったのは確かだと思いますけれどもね。 GiGi >> メデタシメデタシで「山の写真」で昴は完結出来たんですよ。でも、それをあえてしなかった曽田先生の執念ですねコレは。 LD >> 天才をつきつめていった時に、宇宙人にもわかる踊りに辿り着くのは、ロジックとして分かるし、そこに行ってしまう曽田先生も楽しい。けど、天才とは何か?という理屈に走ってしまって曽田先生の目標点とはずれてしまってないか?…とは言ったっけ?>GiGiさん いずみの >> 終りの神から拒絶される話でしょう??? LD >> 「山の写真」ってラストカットの写真の事? GiGi >> Capetaというのはその門構えの立派さで「正統派少年漫画」として大抵受け止められてますが、多分に実験的な作品で、恐ろしいほど綿密なロードマップの上に成り立ってるんですよね。 LD >> ええっと、それは言い方が違っているだけのような気がします。>終りの神から拒絶される話 LD >> だって、僕、最初に「昴は未完」って書いてますよ?w>終りの神から拒絶される話 いずみの >> いや、ここは結論自体が異なるので過程のロジックも異なる、と直観で判断致したい所存(笑)>言い方が違っているだけ LD >> そもそも、アレックス(だったか)を書いている時点では曽田先生があれを終りの神と思っているわけがなくって、だから「昴」があそこで切れてしまった現在の視点で見ると……もう何かあいつ「デウス・エクス・マキナ」みたいな奴だなあとw GiGi >> アレックスを書いてる途中で「あれ、これって昴終われちゃうんじゃないの?」と思ったことには深く同意しますよ。でも、それをヨシとしなかった曽田先生のとった非常の策が「Capeta」の連載開始だったと言う。 いずみの >> 作者はアレックス編を何故描き始めたと思います?>LDさん GiGi >> ああ、それが「終わりの神を拒絶した」という言い方になるのか>いずみのさん LD >> まあ何かレスがあればツリーに書いていただけると…チャットは僕が編集するし気分次第な面もありますしw いずみの >> すみません、もうチャットの時間ですしね(ルイさんがまだですけど)。 LD >> 昴と同じ目線を共有できる人間を出して、昴にはブースト、観客にはブリッジ……と見ていましたが、途中で終わってしまったので実際のところ分かりませんw GiGi >> ま、そうですね。私はカペタ大好きで、特に今月のカペタの事は思い出すだけで多幸感が得られる便利体質な人ですけれどもw。3年後か4年後にカペタが完結したら、間違いなく曽田先生は即座にも昴に取り掛かると確信しつつありますよ。 LD >> >非常の策が「Capeta」の連載開始<って?>GiGiさん。 GiGi >> つまり、一度、天才が覚醒し、英雄に至るまでの物語を、完成させてみよう、というのがカペタなんですよ。 いずみの >> 作者の立場で普通に考えれば、アレックス編自体を「昴を休載させる為に」始めたのは明らかなので、「アレックスを書いている時点でああなっちゃった」的評価は根本から違うなぁと GiGi >> いずみのさんが言ったように習作としての側面が少なからずあると言うことですね。 LD >> それはあり得るかもね。しかし僕はもし「カペタ」をやり切ったのなら“次のテーマ”としての「昴」再開、あるいは自分の娘への愛情としての「昴」再開だと(現時点では)考えるだろうけどw いずみの >> ぼくの言い方の場合だと、ぶっちゃけ「昴より小さいスケールの英雄を最後までいっちょ描いてみるか!」と(笑)。言い忘れましたが、昴は掛け値無しに「英雄」ですよ!! GiGi >> ああ、そこは解釈違うなあ。んんどうなんだろう?もう一度チェックしてみよう。 LD >> ふむ。アレックスが出るとどうして休載になりますか?それはむしろ曽田先生がアレックスを「デウス・エクス・マキナ」と見ていたって話になります? GiGi >> カペタが昴よりスケールが小さいとは微塵も考えませんね。というか、曽田先生のキャラ愛を舐めちゃいけないw。 いずみの >> それこそ大吾は誰でもわかるチェンジアップで、カペタは「凄いチェンジアップ」なんですよね、通して読むなら LD >> 当たっていますw>「昴より小さいスケールの英雄を最後までいっちょ描いてみるか!」<というか、その視点でもかなり辻褄が合う話です。 ルイ >> まあ、昴を読んだ事にならない者とカペタ読んだ事にならないもの達って事でコンニチハw GiGi >> すみません、その例えはちょっと分からないかも>チェンジアップ。 いずみの >> ここでいうスケールは漫画力から見たスケールです。GiGiさんも習作であることは認められてるわけですし、習作である以上は「描きやすい」ものなんでしょうね LD >> いや、GiGiさん、キャラ愛とスケールは違いますよ。僕が言いたいのは「宇宙人に理解できる踊り」をカペタには求めていないだろう。その意味でスケールが小さいという話に同意していますw ルイ >> 小さいスケールというと語弊を感じるかな?ラクに使ってますねw GiGi >> テルは例えて言うなら「アイルトンセナ」なんですよね。昴は、例えて言うならば「ジルビルヌーブ」。そしてカペタは「ミハエルシューマッハ」なんですよ。シューミーをスケールが小さいなどとは消して言わせないぞとw。 LD >> いずみのさん、アレックスが出るとどうして休載になりますか? GiGi >> 大吾は、誰なんだろうなw。すんません、大吾はあまり分析かけてなくて(^^;。右京なのかなぁ。 いずみの >> はい、意図する所は同じですね。>漫画力のスケールと宇宙人云々 LD >> ラクなのも同意します。そしてそれは曽田先生が描きたかったものだからというのが、僕の論旨になります。 ルイ >> あ、ここはギギさんに同意。そうそう、シューマッハはセナより小さいとは言わない。曽田先生もそう感じているんですよね。逆にセナ的な天才性は漫画で数多く挑まれてきたけれど、シューミな総合天才を「地味」でなく描くのって、実はそんなに見覚えないですし。これもまた新たな挑戦だろうと。 GiGi >> カペタの凄みが、常人に理解し易い凄みを選んで描いている、というのはそうかもしれませんね。 LD >> はい、だからこの下の方で「ここまでかけて『昴』の1巻の地点に到達 <です。その通りにして第一声がこれなのは視点の違いを感じましたw」ってのは、いずみのさんの視点は成り立つという話になります。……なのでそうなると焦点はやはり何故、昴は休載したのか?あたりかなあと。 ルイ >> 寧ろそれこそが曽田先生の求めていたものなんじゃないかなと>常人に理解しやすい凄み テルも多少その面はあったが、何せレシピのない状態だったので、情動のままいったら「ああ」なったとw LD >> >僕の発言 その通りにして第一声がこれなのは視点の違いを感じましたw いずみの >> アレックスだから、という理由じゃなくて、曽田先生はボレロ編が終わった時点で休載を考えてたと思いますよ。うーん、描き手側のロジックだから説明しにくいなぁ。 ルイ >> 終わる事を考えるならともかく、休載を考えていたってのは強烈ですね。興味深いかも。 LD >> そう。ルイさん、僕もそれに近い話をしています。寧ろそれこそが曽田先生の求めていたものなんじゃないかなと>常人に理解しやすい凄み むしろそれを今僕は「英雄」を描きたかったという言い方に直しています。 GiGi >> そこは突き詰めたい気がしますね?>休載する気だった いずみの >> 「漫画力的にカペタは描きやすい」というのも描き手側の問題なので、読み手同士のロジックにしにくい所がありますね ルイ >> だからカペタを読んでいて感じるのは、カペタの「肖像画」じゃないんですよね。・・言葉にし辛いな?画を描くとして、昴は物凄い線の昴一人がドカンと描かれるが、絶対にカペタの場合ドラクロワの画のような構図にしたいw だから昴より上とか下とかスケール上下って話ではないんですが。 GiGi >> んーでもまあ、確かに符合するかな?>楽に描いている LD >> 僕は、要するにアレックスにはチャレンジの側面があったのでは?という見方をしていますが「あの時点で休載を考えていた」としても、それほど「ハイエナ」での論旨はずれません。「今にして思えば…」が「曽田先生は最初から意識していたかあ…」という話になるかな?とw GiGi >> 曽田先生はカペタを始めるに当たって相当精力的にシューマッハに分析をかけていて。 ルイ >> 潜在的か顕在化したかの違いに過ぎませんからね。結果、休載したしw GiGi >> その段においては「シューマッハだったら(セナやジルに比べて)楽に描ける、という算段があった可能性は否定できないですね。 LD >> というか「ハイエナ」に書いた「昴」の属性と「カペタ」の属性どう思います? あれにそれほど差異がなければ、大体皆同じものを見ていて、言い方が違っているだけのような気がするけど?ww ルイ >> シューマッハもやっぱり、ロンデニスとか、フラビオ・フリアトーレを描きたいw ルイ >> 楽に描けるというか・・コアに近いと言っておくべえかw GiGi >> 分析かけている途上でどんどんシューマッハのことが好きになっていったのは想像に難くないんですけれどもねw。結果として、少なくとも比肩しうるスケールを持ったキャラになってしまったという。 いずみの >> LDさんはとにかく「カペタを描くべき」という結論がまずあるので。ぼくは昴と両方描いて然るべきだと思います(ぼくがまだカペタが好きか嫌いか、について触れないのは、まだ通して読んでないため)。 GiGi >> 曽田先生の源流に小山ゆう先生があるのは論を待たないところでしょう。 LD >> 終わるつもりの時に出したのなら、アレックスは「終りを告げる神」ですか?>アレックスだから、という理由じゃなくて GiGi >> がんばれ元気よりもスプリンターの血が濃いようにも思うんですけどね。 ルイ >> LDさんのワケ方今見ましたが、カペタって、その下段の群の中にあって、上段の面々にもたまに顔出しますよねwまあ、そういう歪みというかブレが曽田天才(英雄ですか?)なわけだけども。 GiGi >> 曽田先生ってのはああ見えて人の生き死にの話ってのを凄く慎重に避けてるんですよね。それこそ物語に具体的に関与してるのは昴の弟の死くらいで。 いずみの >> いや、そもそも終わらせキャラにちっとも見えなかったので。>アレックス GiGi >> なんか混乱してきたな?アレックスの(当初の役割)に関しては私もLDさんの線で同意なんですけれども、あくまで昴をステップさせるためのキャラだったはずなのに動かしてみたら…?ということで、休載「せざるを得なくなった」と思うんですが。 LD >> まあ、正確に言うと、僕は「昴」が辿り着く場所は物凄く好きな人間です。あれは、たとえば「地獄の家」だと思っています。物凄く好きなジャンルであるが故に方法論の揺れに違和感を感じる。曽田先生が「昴」を再挑戦するためには(←ほら、この言葉は「昴」のスケールを上に見ていないと出てこない)別のスキルを身につける必要があるかな?というのが僕の見立てです。 いずみの >> YAWARA!は大吾や昴寄りじゃないかなと。しょっちゅう柔道から逃げ出しますし ルイ >> ・・スケールを上って言葉やっぱりイヤだよねえ、ギギさんw LD >> そう!それは昴が下段の群に顔を指すこともしかり!それがややこしくてアンビバレンツで「曽田だから」としかいいようがない部分ですw>下段の群の中にあって、上段の面々にもたまに顔出しますよね>ルイさん GiGi >> カペタを語る上で外せないのが「天才を舞台に引っ張り上げ、後ろから支える普通の人々」の存在なんですよね。そしてそれは昴に一番かけているものだなとw。 ルイ >> 両方描いて然るべきとは思わないかな?結局作家のテーマは一つに集約されるというのなら、昴も大切な「カペタを選ぶ為の道」として既に昇華している気もする。だから僕の場合は、昴再開ってのは・・カペタによって今の情念が成仏されきって、「もう一回挑戦するか」くらいの気持ちにならなきゃムリかなーとwこの場合昴をゴールにするかカペタ方向をゴールとするかが論拠の根本ズレだと思うので、寧ろこの2作を語るより、シャカリキ!を見た方が早いと思いますけど。 ルイ >> っていうか僕も「挑戦」って使いましたけど、これはスケールが上というより、曽田先生の核から遠いって風に見てるだけなんで!>昴 いずみの >> 最初から、昴を失恋させる話としてスジが通ってると思いますよ。作者に訊かないとわかりませんが、少なくとも「途中で心変わりした」という裏読みよりは「思い通りに描いた」と解釈するのがスマートでは?(と、ここで「潜在情報」概念を利用) GiGi >> ルイさんはとりあえず封印を破って今月号読むべきだと思うwww. ルイ >> だ、だ、だめだあ!まだ新番組も観ないでノエイン観てるから!(答えになってない LD >> そうです。GiGiさんの「後ろから支える普通の人々」支えなくても「力一杯の応援」だけでもいいんですが、それを今僕は「英雄の条件」として「英雄」という言葉を使っています。 いずみの >> >「せざるを得なくなった」と思うんですが。 GiGi >> 電話でちょこっとLDさんと話したんですけれども、LDさんはこれを「危険な兆候」かもしれないと見てるんですよね? LD >> いえ、YAWARAのラスト・ファイトは、カペタなら容易にあるいは延長上に到達できる場所ですが、昴はあそこに向かうかどうか?というが話まず出てくるかな?と。 GiGi >> 昴に関して言えば、作者の思い通りに描いた(キャラが動いた)という事はほとんど(それこそボレロ編くらいしか)ないと思っています。いや、もう一度読んでみますけど。そうゆう潜在情報を意識して読んでみますね。 LD >> GiGiさん、どれをです?>「危険な兆候」 GiGi >> いや、どれなんでしょう?wそんな言葉出ませんでしたっけ?カペタが孤立する可能性についての言及かな?と汲み取ったんですが、なにしろあわただしい電話でしたし。 ルイ >> カペタが「皆を突き放していく」事・・かな?やべえ、読んでないのに、大体見えてきたw GiGi >> 今月来月はライブで読んだほうが絶対楽しいですから!万難を排して是非!w ルイ >> しょ、しょうがないなぁ・・ふ、ふん、ギギさんに言われたからじゃないんだからねっ! ルイ >> (明らかにそれ以外に理由がないおw) いずみの >> 基本的に「作者が計算して描いたかどうか」はかなり読者の目を曇らせるレンズだと思っているので、ちょっと読み方の主軸にはなりえない気がするんですね。>作者の思い通りに描いたという事はほとんど〜 GiGi >> ここ数ヶ月の連載に関してはこの一点に向かうための伏線の仕込みがほとんどですので、まあ、とりあえず置いておいても大丈夫です。かのうならバックナンバーも読んで欲しいですが。 LD >> ええっと、先ほど言ったように「思い通りに描いた」としても、「今にして思えば…」が「曽田先生もそのつもりだった」に変わって、そんなに論旨は変わらないと思いますよ。むしろ「今にて思えば…」は僕単独の解釈という表現ですが、その話だと曽田先生と僕の読みは一致している事になるのでは?それから、なぜあの場面で失恋させたんですか? ルイ >> しかし読み方というのは休載の意識時点という話も含め「レンズ」を通さないとしょうがないわけで。 LD >> ふ〜む。「ハイエナ」に書いたように、あんまりカペタの怪物性を強調すると、話がずれてしまうかもしれない…って話かなあ?>危険な兆候 GiGi >> LDさんはCapetaが昴の方向に振れるのがマズイかも?と思ったのかな?と解釈したんですが、私はむしろウェルカムだという話ですw。 いずみの >> http://www.toranoana.jp/torabook/toradayo/ncomic27.html ルイ >> やっぱりそこか。ギギさんのウェルカムという発言ですが、とはいえ、残す所は残して欲しいんですよね?でないとピープルズヒーローにはなれない。 いずみの >> 「あそこで描きたかったのは、今後の「昴」にとってはすごく重要な所なんですが、一瞬心が通じたような気がする相手に「生き方が違う」って言われたら救いがないですよね、そうすることですばるに覚悟を決めてもらいたかったんです。」以降ですけど LD >> 一番に入れるかな?…ほら2時だw いずみの >> これ、別にインタビュー読まなくても伝わってくる潜在情報なんですよ ルイ >> そ、それを計算に入れてーw LD >> ああ、そうだね。>昴の方向に振れるの〜 ウェルカムってのは、どんな展開をウェルカムって言っていますか? GiGi >> いや、インタビューも潜在情報(二次資料)なんですけどね。うん、これ読んでたけど読んだときは昴の項はあまり意識してなかったです。なるほど。 GiGi >> これ読むと、プリシラはポールじゃないんですね。ちょっとそこは興味深い。 いずみの >> で、これも今読んでわかったんですが、カペタと昴の両方を描いてやっと続けられる、ってのもハッキリ言ってますね。これはなんとなく覚えてたなぁ ルイ >> プリシラは彼の中ではブライアン・エプスタインだったんでしょうw(調べてちょw) LD >> リンク読みました。〜ええっと?そうするとアレックスの後に「続き」があるけれども、そこで休載した…でいいですか? ルイ >> 久々に読んだけど、曽田先生自体「正反対」と言っている。そう、上下じゃないんですよ。・・で、個人的には先ほどのアレックス話、どちらにも乗れなかったな?僕はフツーに「昴の為のエピソード」として思っていたので、あれが影響したとはサラサラ思っていない。ただ、蓄積したムリが出たとは思ってますが。 いずみの >> 「プリシラはただの比較対象として見てました」って言いましたけど、プリシラを「乗り越えるべき鏡像」としていたGiGiさんとは違ってたなと。 LD >> > 作者の立場で普通に考えれば、アレックス編自体を「昴を休載させる為に」始めたのは明らかなので<といういずみのさんの発言がありますが、どうも僕の中で上手く一致しません。 GiGi >> 「続きが描けなかった」ということでしょう。インタビューを読むと「ライバルが完成していないから」となりますが、それはどこまで本当かは分からないですしね<このあたりが、インタビューは二次資料であるという意味ですね。 ルイ >> うん、その発言にも乗れなかった。これは必要エピソードですよ?普通に。>アレックス編 ルイ >> まー極端な話、作家オフィシャル自体完璧な正解とは言えないですからね。 LD >> 一応、曽田先生「カペタはすばると正反対で」と言っているねw ルイ >> この正反対っていう日本語はね、シンプルに「スケール」で考えちゃうと確かにスバルが上になっちゃうんだけど、でもシューミ様は下じゃないよ!という曽田先生がよく出てると思いますwこのあたり、多分ギギさんが一番曽田シンクロしてますねw LD >> はい。作家は「ウソ」を言いますし、作品が出来てしまった後は観客の一人に過ぎません。>それはどこまで本当かは分からないですしね GiGi >> んーということは昴で登場が待たれるライバルはカペタの相似形になる?www いずみの >> ひっぱられちゃってるんで再説明になっちゃいますが、ぼくが言ったのは「漫画力のスケール」です。>ルイさん 火の鳥と宝島のどっちが描きやすいか、レベルの話です ルイ >> 僕が言っているのは、スケールという言葉も漫画力という言葉も似ていて、結局数字の上下に収まるので、そうじゃないよと。漫画という大四畳半の中曽田先生がたまたまどこのあたりに布団を敷いているかってハナシだよって事ですw LD >> 「続きが描けなかった」ということでしょう< では後から思うとあれはデウス・エクス・マキナだった、という僕の見立て(←見立てに過ぎませんから)は成立しますねw ルイ >> え、昴とカペタ闘うの!?wそれが出来たら完璧なゴールですが、神を超えるぞ?w GiGi >> まあ難しいところです。火の鳥を書いた頃の手塚先生が宝島クラスの作品なら片手間出かけるほどのマンガ力が漲っていたのは確かですが、それで実際に宝島が描けるのかというと別の話で。というか、そこまでスケール差ないでしょうよw。 いずみの >> この「ポールじゃなきゃだめ」っていうのは、カペタの余熱でリップサービスになってるだけの気もしますね(笑)。順当に考えてライバルになるであろう「イワン・ゴーリキーのお嬢様」はポールタイプに見えないし GiGi >> 例えば火の鳥と来るべき世界を比べてどっちが漫画として優れているなんて、漫画に対する冒涜でしょうw LD >> そして、こっちに笑って欲しかったんだけど、あの昴に告白する黒人って曽田先生だよねえ?w GiGi >> メガネがですか?w>黒人 ルイ >> というか、昴の世界ではどーやってもノブは存在しえないっていうw>黒人 いずみの >> うーん、一致しないなぁ。事実、手塚治虫は死ぬ直前まで火の鳥の終わらせ方を悩んでたという話でもあって、精神的なコストとか、色々説明できるんですが…… ルイ >> いや、ビートルズのホワイトアルバムって別にハードデイズナイトより上じゃないよ?ってだけですねwかけた時間も精神コストも、明らかにホワイトが上ですが。 いずみの >> 「漫画力」という言葉はそんなに通じませんか? 週刊連載に耐えられる漫画家は、同じ内容のものを描くのに一ヶ月かかる作家よりも確実に漫画力が高いといえますが LD >> スケールってその話だったの?いや、僕はてっきり単純に行き着く場所の問題のスケールで、技量の話ではないと思っていた。 ルイ >> 同じ内容、というのがイマイチわからないかな?漫画体力なら通じるかもしれないw GiGi >> 通じているけど、それと作品の価値をイコールで結ぶのはどうなんでしょう?ということですね>マンガ力 LD >> うん。メガネが。……違うかなあ?>GiGiさん ルイ >> ちなみにその点富樫先生の漫画力ときたら(以下略 いずみの >> そう、ぼくは作品の上下は語ってません。最初に言った「スケールの小さい英雄」は「その英雄を描くために必要な漫画力」を言っていて、作品の質や主人公の質とは無関係です(だからLDさんの言う宇宙人云々も、漫画力という意味でのみ通じます)。 GiGi >> 手塚先生の晩年は梵我一如の境地に入っていて、火の鳥と言う作品は終わるべからざりて終わらなかったんで、「終わり方に悩んでいる」はリップサービスであった可能性すらあります。 LD >> え〜っと、ところで「ハイエナ」の「昴」属性と「カペタ」属性、あんまりしっくりこない?ルイさんが少し同意してくれただけ?ここで意識が合うと、言い方が違うだけかな?って気がしているんだけど?w ルイ >> 黒人曽田ってのは面白いとは思うけどw読み方は僕とは違ってますね。合ってる違ってるっていう言葉も妙ですが。LDさんの読み方だと、それこそ昴ってのは制御不能のモンスターに「なっちゃった」んだってのはよくわかりますw GiGi >> 正直言うとあまりしっくりこなかったですね。特に昴方面が。 ルイ >> 元々分類が美味く成立するタイプでもないからなあ>ゾクセイ ルイ >> ・・・またカタカナキターorzorz GiGi >> いや、いい読みだと思いますよw>曽田=黒人。まあ、何にせよ、昴はもう一度精読してみます。 LD >> …しまった!ジャンプが見つからない!? ルイ >> じゃあ大吾精読担当はLDさんって事でw いずみの >> それこそ腐女子読みと同じレイヤーで論じた方がいいかなぁと(笑)。否定するわけじゃないですよ?>ボブとか LD >> あ、じゃあ言い方の違いなんてレベルじゃなくって、見ているものが違うみたいだねw>しっくりこない ルイ >> そういえば腐女子読みって非常に素晴らしいですよね、イキナリ話とびましたが。作家の意図を正解とする小ささから抜け出て、己のフィールドを開拓してるんだから(超好意的w)! いずみの >> そろそろ切りましょうか、明らかにぼくが原因ですしね LD >> 大吾論も打てない事はないですが…全17巻でしたっけ?w ルイ >> どうかなぁ、この場合LDさんの属性が原フガフガw GiGi >> うん、昴に関しては以前からそんな感触ありましたけどね>見てるものが違う。ちょっと、自分でも分析かけてみます。ま、近日中に。 GiGi >> 昴を地獄の家といってしまうのがLDさんらしいなあととても思いましたよw。 LD >> それこそ、昴にしか見えないものがあるという話とか、「地獄の家」なんかに近い気がすると思うんだけど?北晴男って「宇宙人に理解できる演技」を当たり前のようにこなすと思わない?>GiGiさん ルイ >> 僕も読み直そうかな?どちらかに近いかと言えば、ギギさんだとは思うんだけども>昴にみてるもの いずみの >> 個人的には、北斗神拳と南斗聖拳並の違いを感じました。こりゃ衝突するわと(笑)<しっくりこない ルイ >> あれは違うというかw>北斗と南斗 GiGi >> や、どうでしょうw。なんか面白かったですけどね。昴アゲのいずみのさんと、カペタアゲのLDさんで、両方アゲアゲの私と言う感じでw。あ、ルイさんはどこに付きますか?w LD >> い、いや、しかし!ジャンプが…!もももも、もうちょっと「カペタ」の話とか続けて、みみみ、みない? ルイ >> カペタアゲのルイさんなんだけど、昴はそのために必要な題材だったのでアゲアゲするっていう立場でw・・くそう、ナウイ言葉使いやがってorz GiGi >> ナチュラルボーンだという話ですよね?>地獄の家。昴は、ナチュラルボーンの話だとは思ってないです。 いずみの >> ちなみに、昴を上げる為にシャカリキやカペタを落とす気はありません! 大吾は別として(笑) LD >> 両方アゲアゲの人が全部説明しなさい!w ルイ >> 七難八苦が訪れるのって後天的なのか運命なのかってハナシになっちゃうので、難しいですねえ>ナチュラルボーンかどうか GiGi >> やーまー大吾は落合先生を発見できたのが収獲だったと言うことでw。 ルイ >> そ、落とすワケじゃないんですよね。好きか嫌いかという単純な価値観なら優劣は各々ハッキリしているというだけだし。>大吾は別として(え、そこ引用!?w) GiGi >> ともかくも、来月以降のカペタは、曽田先生にとって未踏域です。ここからのカペタは地獄の家に符合するかも?w LD >> ふむ。昴は天賦ではないと? あ、でもそれなら「昴」は連載開始時の「北晴男」の位置に辿り着くまでに1巻かかったとか言えるし、「地獄の家」は「昴」よりスケールが上(天賦じゃないなら…だよ?)と言えるけど、でもそれは「地獄の家」が「昴」より上って話ではないよね?今しているスケールの話ってそういうものだと思っていたけど?w ルイ >> だからいい日本語を探した方が良かったんだいw LD >> うんうん、まあこんだけ話こむと行くなら行くで楽しみだと。…つまりウェルカムな心象になりましたよ?>「カペタ」 GiGi >> 恐怖の帝王「ベルナールミサイル」がどれくらい北晴夫してるか楽しみにしようw。 LD >> 両方アゲアゲの人が全部説明しなさい!w つか、書くって言ってたジャン!チャットで済まそうとしない!w>GiGiクロン いずみの >> もっと簡単に、デビュー直後の赤松健にネギまは描けない(時代性とかそんな話でもなく)みたいな話のつもりだったんですけどね GiGi >> ははははははは(^^;。まあ、昴精読してからって事で(逃げ口上だなぁw ルイ >> まあそんなアゲアゲウェルカムな心象に昴再開ウェルカムな姿勢でも付け加えて、ジャンバルジャンにでも。 LD >> それは全然あり!>ベルナールミサイル=北晴男ww GiGi >> ん。それはそうですね。昴以前の曽田先生ではカペタは描けない。そして昴の続きを書くためにはカペタを書き尽くさなければならない。それだけの話です。 ルイ >> あーそれは間違いないですね。もちろん今曽田先生にシャカリキが描けるかと言ったら難しいし。まあ、時代性というより、人間は一方通行ですから。 GiGi >> 昴で言えばだからプリシラは北晴夫ですよね?w LD >> ジャンプお願いします。m(_ _)m 何か思出だしたら話合わせます。 ルイ >> プリシラについての曽田発言は面白いですねえ。 いずみの >> 伝わるか微妙なんですが、りんかけ(シャカリキ)の後にいきなり男坂(昴)を描いちゃったのが車田先生なんですよ GiGi >> 曽田先生のテーゼを、「人間が、北晴夫になる話」と捕らえると、あ、地獄の家と全然違うぞと言う話にはなりませんか?w GiGi >> ということで。今週の一番は「範馬刃牙」ということで!(ぉ いずみの >> 本当は星矢を描くべきだったという。で、順番的に男坂が大吾(練習作)になってしまった結果、星矢は大ヒットしたわけですよ LD >> まあ、そういう話だと「AIが止まらない」を描いている時の「ネームのここが悪い」とか「演出効果が得られない」とか言ってる状態だと思って下さいw GiGi >> 今週のジャンプの表紙は先週と似すぎてて紛らわしいw。 ルイ >> おお、僕が割り込んでからの一番最短記録だ!・・いや待てよ、LDさんがアイシー即決とかもあったな?w いずみの >> 「範馬刃牙」は先週取ってれば……(笑) ルイ >> バキさんとネギまさんが同タイミングで2週1組の大作を発表しちゃったもんでw LD >> そうなんだけど「宇宙人に分かる」なんてロジックに言ってしまって、結局、天才を言葉で説明するような形になってしまっている。曽田先生は言葉(少なくと主武器)じゃないでしょ。>プリシラ=北晴男 いずみの >> それをいうとスクラン、ネギま、刃牙はそろって二話セットでしたね。妙に足並みが揃うのは年始だからか? GiGi >> なんというか、板垣先生は本気で年またぎの縁起担ぎやってるきはしますね! ルイ >> そんなこんなでジャンリュックゴダールですが!!!(涙目 LD >> ええっとね。「ユンボル」うろ覚えの話になっちゃうけど。 GiGi >> で、ジャンプですかw。「ネウロ」松井先生読者を油断させにかかってるなぁ、とニヤニヤしたりw。 いずみの >> あ、LDさんはプリシラが示した地平にこだわってるみたいですけど、昴からすると宇宙人だとかどうたら言ってるプリシラは「低い」と思うんですよ。「筋肉への愛が足りない」みたいな話ですが LD >> ユンボルが10人出てきたという話だけど、ちょっと待って欲しい。あの場面のヒキはユンボル+ゲンバー大王ではなかったろうか? ルイ >> あなたはもう、松井箸が転がるだけで嬉しい心境でしょうw でもまあ、実際そうですね>ネウロ 押し引きが自在なのはもう証明済みだから。 GiGi >> ふむ、ちょっと待ってみましょう。もうちょっとお願いします>+ゲンバー大王 いずみの >> 「ゴッホは理解されなかったのよ」みたいに、天才を自称してる時点で「浮気してる」なぁっと。主人公はそっちにいかないぞ、みたいな存在なんですよね(※潜在情報) LD >> はい。それでいいし、続けばそうなってくるんじゃないでしょうか?でも、明らかに昴がその上を行ったとなる前に休載したんですよね。>プリシラ いずみの >> ユンボル話にも混ざりたいですが、これも大変そう(笑) GiGi >> ああ、そのあたりがさっきのインタビューのライバル発言に繋がってくるかもしれませんね>プリシラ軽いじゃん ルイ >> ただそれはインタビュー発言であって、それを顕在化させちゃうのが漫画なんですけど、ま、休載してるんで。 GiGi >> LDさんはちょっとストイックすぎるところがありますから。それは曽田先生が小山ゆう直系という認識ゆえのところもあるとは思うんですが。 まず最初に親記事に書いてあるこの発言ですが(↓) ■> 僕は「昴」という作品について「これは曽田先生の描きたいものではなかった」という感想を持っています。もう少し正確に言うと「当初、イメージしていたものはあったのだろうけど、それとは微妙に違ったものになってしまった」というべきでしょうか? これ訂正しますね。というか発言の中の「当初、イメージしていたものはあったのだろうけど、それとは微妙に違ったものになってしまった」の方に主眼を置いて欲しいという話です。「曽田先生の描きたいものではなかった」の方は文章で端的に結論を挙げるテクニックとして書きましたが、これが要らぬ反発を生んだかもしれないと反省しています。 「描きたいもの」というのは“(完成を)イメージしたもの”といった範囲に限定される話で、曽田先生が「描きたくないものを、嫌々描いていた」などとは露ほども思っていません。 それと「昴」の属性の中に挙げた「ダビデの星」は一旦取り下げます(←当然か?)。僕自身は天才が善悪を超越して事を為す恍惚の世界を見せてくれた大好きな作品なんですが、ともすると「昴は犯罪者と同じ」と言っていると受け取られるかもしれませんし変に「ダビデ」論に流れるのも本意ではないので。代わりに松本大洋先生の「ZERO」を上げますw 暗い話で、曽田先生が愛娘をあんな場所に連れて行くとは考えずらいですが「ああいう“影”があるから、この娘は可愛いんだ!」くらいは考えているんじゃないかとw それと「地獄の家」で北晴男とか晴夫とか言っていますが、北晴郎でした!m(_ _)m …で後、各人様のコメントで興味を引かれた部分にコメントを…。 ■ルイ >> 両方描いて然るべきとは思わないかな?結局作家のテーマは一つに集約されるというのなら、昴も大切な「カペタを選ぶ為の道」として既に昇華している気もする。だから僕の場合は、昴再開ってのは・・カペタによって今の情念が成仏されきって、「もう一回挑戦するか」くらいの気持ちにならなきゃムリかなーとwこの場合昴をゴールにするかカペタ方向をゴールとするかが論拠の根本ズレだと思うので、寧ろこの2作を語るより、シャカリキ!を見た方が早いと思いますけど。 ここの見解、丸っきり一致していますw つか逆に言葉の用法が違っている事を願ってしまうくらい、言葉の上では一緒。特に「カペタを選ぶ為の道」という言い回しはすごく僕の感覚にも合っています。「昴」は「カペタ」を描くために描かれたわけではないでしょう。でも曽田先生は「昴」を描く中で揺らぎや迷いを感じたはずで、それは間違いなく「カペタ」の中で生かされていると。だからのこのチャットで様々に発言されている「カペタが終わった時に昴を再開する」という話は充分あり得る話だと思います。 ■いずみの >> ぼくは未だに「シャカリキとめ組は昴を始めるための練習」で、「カペタは昴を終わらせる為の練習」だと信じてますが(笑) ■いずみの >> ぼくの言い方の場合だと、ぶっちゃけ「昴より小さいスケールの英雄を最後までいっちょ描いてみるか!」と(笑)。言い忘れましたが、昴は掛け値無しに「英雄」ですよ!! ここらへんが、いずみのさんの「昴」観、「カペタ」観の要点かな?と思いました。「練習」の話は特に反論というか「いや、それはない」という感覚は無いんですね。その観方もできる……というか「昴」が正しく完結したとき、その“予言”は成立するなあという。 「スケール」の話は僕は「北斗の拳」は地球上の人間と戦う「DB」は宇宙人と戦う、その意味で「DB」の方が「北斗の拳」より(空間の)スケールがでかい……という観点を「感覚領域」スケールに捉えた話だと受取り同意をしていたのですが、「漫画力」などの話をチェックするとやはり、ちょっと違うかもしれないかな?という気がしました。 これはルイさんが言われるように曽田先生パーソナルの核(座標)から遠いか近いかという話になると思います。もし「漫画力」が絶対座標的なスケールを指す意味なら違うかなと。これは、作家は遠くに行く事だけが道ではなく、自分の足元(コア)を深く掘り進むのもまた道であるという観点も含めてw ■GiGi >> そう、天才でいて欲しいから追い詰めるんだけど、そのまんまに描くとドンドン破滅的な方向に歩を進めるから曽田先生も何とか手を尽くして救いを差し伸べようとするんですよw。 ■GiGi >> その行き着いた最終段階が「プリシラロバーツ」と「アレックス」だったんですけれども、ここまで描いた時点で休載せざるを得なかったのもまた必然なんですよね。シャカリキの、ツールド沖縄以降が描けなかったのと同じ理由で。 ■GiGi >> 昴に関して言えば、作者の思い通りに描いた(キャラが動いた)という事はほとんど(それこそボレロ編くらいしか)ないと思っています。いや、もう一度読んでみますけど。そうゆう潜在情報を意識して読んでみますね。 ■GiGi >> LDさんはCapetaが昴の方向に振れるのがマズイかも?と思ったのかな?と解釈したんですが、私はむしろウェルカムだという話ですw。 ここらへんを読んでいると、僕とGiGiさんの視点にそんなに違いはないのに、出している見解が違ってくるのは面白いなと。特に昴に対して「破滅的な方向」に向かう事にネガティブな感想があり(だよね?)、にも関わらず「capeta」が「破滅的な方向」に向かう事を(僕は昴の方向というのをそう受け止めた)ウェルカムと言っている事です。まあ、僕もこんだけ話すと、もうどっちに振り切れても楽しいとは言っていますが…w 僕は昴が破滅的な方向に向かって欲しいとは、ま・っ・た・く・思っていませんが、彼女が「行くところまで行く地平」の半歩横に“それは”「大きく口を開けている」と思っています。そして僕は、そうである事を知りつつ「彼方まで行っちゃえばいいのに…」と言い放っている状態です。 そして彼方に向かって走りつつ曽田先生が見事に彼女のタイトロープを達成させたなら、それはもう手放しに拍手喝采せざるを得ません。しかし、愛娘の可愛さのあまり「もう、お前は彼方まで行かなくていいんだ!」と言ってしまったり、(こっちの気が高いんですが)無意識に彼女の裾を掴んでいるような事になってはダメだろうと。(まあ、休載はむしろ単純にロープの先がイメージできなかったって事でしょうけど) …で「カペタ」については僕は「彼が怪物であろうと何だろう、戻ってこなきゃダメだろう」というワケですw …何だろうねえ?この違い…実はさっき電話でも話したんですが、どうもF1ヒーローを知っているかどうかが下地の違いに大分関係してくるような気も…。 |
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#178 漫画力と曽田正人 投稿者:いずみの <2007/01/14 17:56>
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ちなみに「漫画力」というターム自体は、島本和彦が自分の同人誌で言い出したモノで、「BSマンガ夜話」でも良く使われています。 「スケール」もマンガ夜話で頻出する言葉なので、これらが「通じなかった」のは意外といえば意外でした(笑)。 どちらも柔軟に意味が変わる言葉ではありますが、大体において「漫画力のスケールがデカい」と言えば「難しいことを描ききる力がある」くらいのニュアンスで構わないと思います。 例えば、竹熊健太郎は『ガラスの仮面』をちょっと読んだ瞬間に、「この作者はなんて難しいことをやろうとしてるんだ、と思って鳥肌が立った」「人間業ではない」と思ったそうですが、これが要するに「漫画力」のハナシだと思います。 「画力」と同じことで、難しい絵が描ける絵描きがいい絵描きか? というと全く別問題なのですが、どう見ても画力が高いとしか言いようがない絵ってのはあります。「ラクガキみたいなのに感動できる絵」を描く力だって「画力」の内でしょう。 (そういえば仲間内では「漫画力の無駄使い」という言い方を時々しますね。漫画力が高いからといって面白くなるわけでもないわけです。) ■ 曽田作品に話を戻しますね。 『昴』は「パーソナルの核から遠い」から描くのが難しい、というのはあると思いますが、一側面であってそれだけではないと思います。 それを言うなら、昴はまず「異性」ですし、曽田先生にとって「他者」として描いている様子も色濃いですから、男の主人公達と違って、手探りが難しいのは当然だと思います。 (「自分は天才じゃない」と公言する曽田先生ですから、男の主人公でも「他者」に近いのでしょうが、男同士ということで昴に比べれば格段に共感しやすい「自分の分身」なのは確かでしょう。) でもそれは、女形の役者や宝塚のスターを演じてる人に向かって「その演技はあなたの核から遠いよ」と言うようなものであって、筋違いなんじゃないかなと。彼らはそれこそ、何から何まで承知の上で「自分に合った仕事」「自分にしかできない仕事」をしているわけですから。 で、「女形は演技力のスケールが大きい」なんて言い方はしませんから、「核からの遠さ」はあまり問題にならない、という見方をします。 問題なのは、感覚的なことなので言葉にしにくいですが(そもそも「言葉にしにくい漫画家の技量の凄さ」を表す言葉が「漫画力」なので)、やはり「未到達の世界」「手掴みできない世界」を描こうとしている、という点が挙げられると思います。 (このベクトルの「難しさ」を、「核が遠い」という理由の「難しさ」のベクトルと混同されると議論が進まない、と思います。) だからLDさんの言う「当初、イメージしていたものはあったのだろうけど、それとは微妙に違ったものになってしまった」という見方(=潜在情報)とは、食い違うんですね。 「最初からすんなり描けるつもりで描いていた」とは、とても感じられないわけです(これには同意してもらえると思います)。「(完成を)イメージしたもの」はあったとしても、そこに至るまでに様々な障害が待ち受けていることは(読者の目にも)明確であって、決して「途中から描けなくなった」わけではないと思います。そういう逃げ腰には見えないんですね。 (あと、ロビーが読者の代弁者であるというなら解るのですが、作者という潜在情報は全く感じ取れませんでした。顕在情報だと「昴を見切りを付けられたシステロン」の象徴であって、潜在情報では「我らが昴ちゃんと一緒に居たくて仕方ない読者」の代弁者って所です。作者はどう見ても「システロンを捨てて先に進ませたがって」いると思います。ロビーの誘いに現実味が無いのは、「システロンに居たまま昴が成長する」ことに現実感が無い、というだけのことでしょう。) 未到達の世界を描こうとしている以上、その手の困難、先が明確にイメージできなくなったり、場合によっては休載、といった「立ち止まり」は重々承知の上で連載を始めていたと思います(そのくらいの気迫が、連載時の『昴』にはあります)。 (余談ですが、休載が告知され、カペタが始まった時のぼくの感想は「曽田先生、完璧主義だなぁ」でした。個人的には、『昴』は「今の漫画力のままでも描こうと思えば描ける」と感じていたので、「わざわざ練習する」必要を感じなかったのです。結果論としては「やっぱりカペタを挟んで良かった」という結論になるのだと思いますが。) 更に、週刊だった昴と違ってカペタは月刊連載なので、そういう諸々を合わせて「漫画力的にスケールが小さい」と表現しています。また、これは「手を抜く」とイコールじゃないのがミソです。 失敗率の低い料理(卵焼きとか)であろうが、完成させること自体が難しい料理だろうが、全力で作ることはできるわけですしね。 ■ 最後に実例を挙げると、『うしおととら』クライマックス時の藤田和日郎に勝る漫画力の持ち主はそうは居ないでしょう。 でもぼくは、うしとらよりもスケールの小さい『あやかし堂のホウライ』の方が好きだったりするわけです。漫画力ではなく、作者のセンスが好き、ということですね。 だから結論を言えば、『昴』も「スケールがデカイから好き」なのではなく、その作風とセンスが好きなのだと言えます。 ただ、「描ききれるかどうか」という話をするならスケールの問題は切り離せませんし、そのスケールの問題を、「作者のパーソナルやイメージの問題」などにすり替えて語られてしまうと、それはメインではなくサブの問題だから、と思います。 そういう所に、潜在思考の違いを感じました。 |
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#181 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:LD <2007/01/14 22:58>
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■> でもそれは、女形の役者や宝塚のスターを演じてる人に向かって「その演技はあなたの核から遠いよ」と言うようなものであって、筋違いなんじゃないかなと。彼らはそれこそ、何から何まで承知の上で「自分に合った仕事」「自分にしかできない仕事」をしているわけですから。 > で、「女形は演技力のスケールが大きい」なんて言い方はしませんから、「核からの遠さ」はあまり問題にならない、という見方をします。 え〜っと……………演技力を漫画力に符合させたたとえなら、ちょっと話ずれているような…w 「昴」を異性役、「カペタ」を同性役に見立てて、違うフィールドに存在するたとえをされていますが、それは元々ルイさんやGiGiさんの指摘だったと思います。 スケールあるいは漫画力という同一線上のフィールドに乗せ「昴の方がスケールが大きい」「昴の方が漫画力が必要」という主張をしたのはいずみのさんの方です。 従って女形の話などに喩えるなら、やはり「昴」と「カペタ」を同一線上に入れて「カペタは普通の女役だが、昴は絶世の美女の役だ。従って昴の方が演技力が必要(ホントにそうかはこの際置いておく)で、役所のスケールも大きい」という話をしなければ意味を成しません。 そもそもいずみのさんのスケールの話に反発している人は「そうではなく昴は女形、カペタは男役くらいの違いがあって一概に『女形(昴)の方が難易度が高い』とかそんな話はできないという」事を言っているはずです。核から遠いとは正に「カペタ」とベクトルが違うという意味で、故に同一線上(スケールor漫画力)の話はできないという事のはずです。 つまり「『昴』と『カペタ』は違うフィールドの話だ」という指摘に対して「そのフィールドは確かに違いますが、それを違うというのは筋違いでしょう」まででは答えになっていません。では、いずみのさんが「同一線上に捉えている線」は何なのかについて、たとえなどを駆使して説明して欲しいわけです。 単純な「難しさ」だと言うならそれは「女役を曽田先生はやるのは難しいけど、女性が女役をやるのは簡単って違いだけじゃないの?」ってな感じの指摘をされているワケです。(ああああ…ループの予感…) ※と書いていたらなんか追加で書かれていますね?でもこの論旨は生きている?かな?カナ?…ように思うのでそのまま行きます。 ■>このベクトルの「難しさ」を、「核が遠い」という理由の「難しさ」のベクトルと混同されると議論が進まない、と思います。 う〜んと?やはり絶対座標で話をされていますか?「昴」は曽田先生にとって相対的に難しい、「カペタ」は曽田先生にとって相対的には「昴」より楽。ここまでの話を否定している人はいないと思います。これは曽田先生を座標(グリット)にした相対観点での話です。だから他の人には「カペタ」の方が遠く「昴」の方が近い場合があります。 そうではなく絶対的に「昴」は「カペタ」より難しいんだという話なら、話は下記に移ります。相対座標観(いや、ただ単に曽田先生にとって「昴」は難しい挑戦だよと言っているだけだよ?)なら次の引用まで読み飛ばしてください。 「曽田先生が女性を演じる事が遠いのは当然」という話をされましたが「女性作家が女性を演じるのは曽田先生より近い」のも当然ですよね?「昴」は途中で中断してしまったので、昴を目指す場所というのは正確には分かりません。しかし、軌跡から大体のベクトルを測る事はできます。それを僕は「地獄の家」とか「ZERO」とか言ったのですが、あまり好評ではなかったので…(汗)仮に、その昴の到達点に限りなく近い位置にいる架空作家Aを登場させましょう。 何も「天才を描く」のは曽田先生の専売特許ではありません。曽田先生が悩み苦しんでも表現できなかかった世界を息するようにと描いてしまう作家さんがいるでしょう。そういう人間の存在を他でもない曽田先生が認められています。その作家さんは曽田先生よりも漫画力が高いのでしょうか?あるいは「高い!」という論点なのかもしれませんが、僕はそうは思いません。その架空作家Aさんは「カペタ」を描くのは曽田先生よりも四苦八苦すると思われます。そういうものではないでしょうか? ある程度の技術論に上手い下手は存在するでしょう。しかし曽田先生はそのレベルは最早クリアしているといって差し支えないように思います。いずみのさんの話を聞いていると僕はテーマに優劣をつけようとしているように思えてしまいます。 物理的(精神世界?)なスケールなら「昴」は「カペタ」よりも遠くに行く話だと思います。そこは散々同意しました。しかし「昴」が「カペタ」よりも難しいかというと、曽田先生には難しいでしょう。しかし他の人には違うかもしれない。それ以上でも、それ以下でもないとしか言いようがありません。 そうではなく曽田先生が昴を目指して描く事に価値があるんだという話になると思います。仮に曽田先生より昴に近い“線”が引ける人がいて、昴と曽田先生の間に引かれた“線”の価値は何ら変わりません。同じようにカペタと曽田先生の間に引かれた“線”の価値も変わらないと思います。たとえ「昴」よりも短かったとしても。 ■> 未到達の世界を描こうとしている以上、その手の困難、先が明確にイメージできなくなったり、場合によっては休載、といった「立ち止まり」は重々承知の上で連載を始めていたと思います(そのくらいの気迫が、連載時の『昴』にはあります)。 チャットの方でも話していますがこれによって、僕の主張がそんなに変わる分けではありません。あそこに書いてるのは連載中僕は「いずれ先が描けなくなるのでは?」という予想をしていたら、その通りになったという事です。 「いずれ先が描けなくなるだろうけど、曽田先生もそれは重々承知の上なんだろうなあ。で、描けなくなったら休載するんだろうなあ…」とか正直予想しようがないですw むしろ「曽田先生も承知している」まで読んだのなら、考える事は「何か回避策を考えてくれるのでは…」では? 確かに僕は特に策を施さないのを見て「気付いてないのかなあ…」と思っていましたよ?w これに対して何か確定情報が与えられれば、そこは覆りますね。でもまあそれって僕の見立てと、曽田先生の見立てが一致していたって話で「ああ、曽田先生も分かっていたのかあ…」ってなるだけのような…。 しかし、場合によっては休載も重々承知と力強く言われていますが、曽田先生にそんな前科があるならともかく、普通はそうは思わないのでは?むしろ「大吾」などもかなり悩んでいたと思いますが、その悩みのままに突っ走り最後までやり切っていますよ。 ■> あと、ロビーが読者の代弁者であるというなら解るのですが、作者という潜在情報は全く感じ取れませんでした。 いや、この話の根拠は「昴」がそこで途切れた(休載)したという事が大前提で「その時(土壇場)に登場してくるなら、そいつはデウス・エクス・マキナだろうw」「その時(土壇場)に告白してくるなら、そいつは曽田先生だろうw」という観点に他なりませんw だからこれは時限的なものです。物語が再開しアレックスが出てくれば、彼がデウス・エクス・マキナなんて説は霧散しますよねww それはロビーも同じですwwでも、最後の瞬間に告白するなら曽田先生だとw いずみのさんは無意識か意識が分かりませんが、この「中断した」という事実をかなり無効化して見ていると思います。なのでアレックスがデウス・エクス・マキナにまったく見えない、ロビーはロビーにしか見えないと言われても、それほど驚きはしません。でも、今「完全確定」している事実は「昴」が中断した所までなんですよ?とは言っておきますw まあ「土壇場に告白するにしても曽田先生だとは思いません」とは言われてしまうかもしれませんが…(汗) LD >> そして、こっちに笑って欲しかったんだけど、あの昴に告白する黒人って曽田先生だよねえ?w とチャットでも言っているように半分は冗談なので「面白い観点だ」と行ってもらえれば嬉しくって「そうは思わない」と言われれば残念だなあとw それはそうと「昴」読み直しましたw いや、GiGiさんの言うとおり「速度バッチし!」ですね。面白いです。面白いです。 これを踏まえずに「わ〜い、おいらの予想が当たった!当たった!わ〜い!」という発言に終始してしまったのは、ちょっと「小っちぇえ」行為でしたね。いかんな〜(苦笑) |
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#182 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:いずみの <2007/01/15 07:23>
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※一度チャットに書いてみたレスポンスを、改めてこちらにも残しておきます。 いずみの >> 消去法での主張をしますと、LDさんやルイさんは「向き不向きの類」の難しさ、に意味を帰着させようとしているのだと思います。が、そうではないと考えます(=それとは混同できない)。また、「優劣の類」の難しさでもないと考えます。(「向き不向き/優劣」の二元論ではなく)それ以外の難しさです、とだけ説明しておきます。この、消去法による「それ以外」が立体的に頭の中に思い浮かばない場合は、「漫画を描くことの難しさ」に対する認識構造そのものが異なる可能性があるので、今はつっこまずに退いておこうかと。 いずみの >> ただ、ぼくからすると「作者置き換え」は重度のタブーです。作品論としては冗談で済んでも、LDさんの作者置き換えは「作者論」に踏み込んでるからですね。少なくともぼくは、「この視点から作者を語ろう」という意図を感じたので、それは冗談で片付けられませんよ、と思ったわけです。「半分冗談」どころか「120%冗談」くらいでないと、議論を呼ぶのは仕方ないと思うのですよ。 いずみの >> あと、これは単純にぼくの不理解なんですが、「中断した」という事実があると、なぜアレックスやロビーにそういう役割が振り分けられるのかが、ホントに読めなかったりします(笑)。 いずみの >> インタビュー通り、連載中に「そろそろ練習したい」と思ったから一旦筆を止めた。その為に、区切りのある話(伴侶の喪失とアメリカ脱出)を考えた。それだけの話で。妄想回路があるか無いかの違いなのかもしれませんが、「それ以上、なぜ作者の心を読む必要が……?」なんですね。 いずみの >> だからどっちかというと、「何を練習しようと思ったのか?」ということを語った(妄想する)方が建設的ですし、ぼくも参加したくなりますね。まぁ、だいたい本人が語りきってたりしますけど……。 「向き不向き」を完全否定しているわけではなくて、それはメインではなくサブだと思う、というのは先述してあったことです。最後に、細かいことですが一つだけ……、 >「女性作家が女性を演じるのは曽田先生より近い」のも当然ですよね? これは「女優が女形を演じるのは男優より近い」というような、変なロジックになっているような気がしました。 そういう意味で、「曽田正人より“曽田正人・作『昴』”に近い漫画家」というと、コミックマスターJくらいしか思いつきません(笑)。 かといって「“昴と似た属性の漫画”との距離が近い漫画家」……と言われても、机上論のようで「???」となります。“昴と似た属性の漫画”を描ける漫画家は“曽田正人と似た属性の漫画家”(と、“J”)以外にありえないと思うからです(その前提条件がある以上、「昴と似た属性の漫画を楽に描ける架空作家A」は「曽田正人と似た属性の漫画家の上位互換」としか思い浮かばないわけで、LDさんの論旨の方がむしろ、絶対座標の優劣に帰結してしまう観があります)。 「向き不向き」で論ずることがピンと来ないのは、そういう所かもしれません。……が、ともかく「スケール」についての発言はとりあえず取り下げておきます。「漫画を描くことの難しさ」に対する前提条件がそもそも違っていた、ということは開陳できたと思いますし。 あと、「休載覚悟」に関して「そういう前科がないから普通はそう思わない筈」とありますが、これは「昴が描けるようになるまで昴を描かなかった」「それまでの仕事は昴の練習」という(本人の発言も含む)情報に依っています。 「描けるようになるまで練習して、描かない」のが作者にとっての『昴』だとしたら、「練習の必要性を感じたら、描かない」ことは自然に結びつくことだと思います。問題となるのは「いつ練習したくなるのか」だけでしょう(最後の瞬間まで「練習しなくていい」と思うことができたら休載もせずに済んだだろう、という捉え方です)。 |
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#184 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:LD <2007/01/15 12:48>
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■> また、「優劣の類」の難しさでもないと考えます。(「向き不向き/優劣」の二元論ではなく)それ以外の難しさです、とだけ説明しておきます。この、消去法による「それ以外」が立体的に頭の中に思い浮かばない場合は、「漫画を描くことの難しさ」に対する認識構造そのものが異なる可能性があるので、今はつっこまずに退いておこうかと。 いや〜、正にその消去法に皆(少なくとも僕は)困っていると思うのですが…(汗)こちらが「核から遠いって事?」とか「そういう比較はできないんじゃない?」といった基準点を指し示しても、いずみのさんは「「その基準点は使っていない」という所まではいっていただけるのですが「では、自分が使っている基準は何か?」という説明をなかなかしていただけた印象がありませんw 単純な難しさではこれまで返した通りですし、マンガ夜話で使っていた言葉とかでは曖昧過ぎますw 因みに形而上的に言わせて貰えばその消去法で取り去って残ったものが唯一絶対にそのいずみのさんの判定基準であるって自信……あるんですか?ww さて…。漫画力というのが(広い意味の)テクニカルな話で、たとえば「脳噛ネウロ」のある回をサンプルにして「この回は漫画力がある。誰にでもできるものではない」という評価をする事は可能です。 しかし「ネウロ」とたとえば「オーバータイム」のテーマを取り出し「『オーバータイム』よりも『ネウロ』の方がスケールもでかく漫画力も必要」などという話はできません(原子力空母とか物理的なスケールが上とは言えますが)。僕はできないと思っています。 それで、「昴」と「カペタ」ですが、両者はまだ完結しておらず先の展開は誰もまだ見ていません。これは従ってテクニカルな話はできない状態です。この状態で「カペタ」よりも「昴」の方が漫画力必要でスケールも上と言っているのは……。 テーマに優劣をつけているように思います。 僕はそれはできないと思うし、これまで散々言ってますように「曽田先生にとっては『昴』の方が挑戦」と言えるだけだと思います。 ■>LDさんの論旨の方がむしろ、絶対座標の優劣に帰結してしまう観があります 成る程w……じゃなくって解説します。あの「絶対座標」の話はいずみのさんの話に合わせたものです。いずみのさんが何か僕の知らない「絶対座標(基準)」を元に話をしているように思えたので、自分(LD)に理解できるレベルで絶対座標のフィールドを落とし込み「ああいうフィールドがあっても個々の作品の価値を測るものではない」という話をさせてもらいました。文章を読みとおしてもらえればそれは理解できると思います。あれ自体は物理的なジャンル分けや形而的な落とし込みをすれば普通に存在可能と思いますが…今はそこが論点ではありません。 問題はいずみのさんが「そんな比較はできない(自分のフィールドではそのたとえは成立しない)」と言っている事です。 前のレスでも ■>つまり「『昴』と『カペタ』は違うフィールドの話だ」という指摘に対して「そのフィールドは確かに違いますが、それを違うというのは筋違いでしょう」まででは答えになっていません。では、いずみのさんが「同一線上に捉えている線」は何なのかについて、たとえなどを駆使して説明して欲しいわけです。 と言わせてもらいましたが… この絶対座標の存在を証明しないといけないのは「いずみのさん」のはずです。 「曽田先生が目指す『昴の世界』が他作家に近い(この場合“楽”なんでしょう)かどうかなど判定できない」…そうでしょうね。では、いずみのさんは何を以って「昴は曽田先生にとって難しいがカペタは曽田先生にとって昴より楽」という評価方法以外で「昴」や「カペタ」の評価をしているのでしょうか?そんな事できないって言っているように見えるのに。 要するにいずみのさんの論は、どこかに必ず「絶対座標」が必要なはずなんです。それを説明してもらえない事にはルイさんや僕には「オレ様基準」で勝手にランク分けをしているという以外に理解のしようがありません。 あるいは何かそういうスケールや漫画力を測るフィールドがあたっとしてそれで「昴」や「カペタ」の価値は変わらないよね?っと言う話ならそれでいいです。それは最初に僕がいずみのさんに同意した「『北斗の拳』は地球人としか戦わないけど『DB』は宇宙人と戦う。『DB』のスケールの方が大きいね!」という話に帰結する事になります。 ※ ちょっと意地の悪い事を書いている事は認識していますが、何か自分らの知らない勝手な基準で「カペタ」が下と言われている気持ち悪さを拭うにはこういう言い回しをせざるを得ません。 ■> 作品論としては冗談で済んでも、LDさんの作者置き換えは「作者論」に踏み込んでるからですね。〜略〜議論を呼ぶのは仕方ないと思うのですよ。 …ふ、ふ、踏み込んでますよ?(オドオド)議論もいいんですよ?(オドオド)ただ「自分はそうは思わない」と言われたら終わる議論というだけですw(オドオド) 確かに笑いとして成立させるために、省略しちゃった部分を改めて述べると、曽田先生は昴というヒロインを「この俺(作者)さえも置いて彼方に行くようじゃなきゃ、昴じゃないやい!」という捉え方をしていたんじゃないかという感想を持っていて……いずみのさんは、そういう感想持っていませんか?もし、それが「分かる」のであれば、そこは「合致点」という事になりますね。 それで何処かに作者を置いてゆく描写を象徴するようなものが出てくるんじゃないかと「裏読み(勝手な予感)」していたワケです。そして休載の瞬間にキター!とw……分かりませんか?いや、いいんです。絶対そう思えとかそういう話じゃないです。 ■>「それ以上、なぜ作者の心を読む必要が……?」なんですね。 いや………あの、僕は外側から見た話をしているのですが、しきりに「しかし、作者はこういう事を考えていたと思います」という話をされているのは、いずみのさんという印象なんですが(汗) いや、そこは分かりました。「それで僕の主張がそんなに変わるわけではありません」と言いましたが「そろそろ練習したい」等のソースを提示していただければ、それによって印象や考え方が変わるかもしれません。勿論、反論が生まれればそれに沿いますし…そんな感じですかねw |
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#185 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:LD <2007/01/15 14:40>
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ちょっと補足します。 > ちょっと意地の悪い事を書いている事は認識していますが、何か自分らの知らない勝手な基準で「カペタ」が下と言われている気持ち悪さを拭うにはこういう言い回しをせざるを得ません。 これ「カペタ」を馬鹿にされたので挑発的に言わ猿を得ないという意味ではありません。 「北斗の拳」と「DB」のスケールの比較で論じるのは、これまでの経過から想像するに論点を卑小化されたように感じるかもしれないが、基準の説明が行われないので、これくらい落とし込んで咀嚼せざるを得ないという話です。悪しからず。 |
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#183 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:GiGi <2007/01/15 10:02>
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ええと、私の名前がないですが、私も含めてと言う解釈でレスポンスさせていただきますw。 スケール、漫画力といった用語の用法についてはとりあえず棚に上げます(上げさせてください)。要するにいずみのさんは <<「CAPETA」と「昴」は漫画としての総合力に差がある>> と主張されているんですよね?ここがかみ合ってなければ以下の分は無視していただいて構いません。 それに対して私は <<「CAPETA」と「昴」の間に明確な総合力の差は感じられないし、仮にあったとしても検証が可能だとは思えない(第一どちらもまだ完結していない)>> と主張してるんですよね。それはおそらくLDさんもルイさんも同じ思いなのではないかと思うんですが。であればこそLDさんは「(総合力の差はわからないけど)必要とされるエネルギー量(いずみのさんの言葉を借りれば精神コスト)には差があるよね。それは向き不向きとも言い換えれるよね。」と言ってるわけですよね(LDさん、勝手に意訳して申し訳ない)。 向き不向きという言葉が気に入らないというのであれば「作家としての挑戦性の高さ」と言い換えればいいのかな?それは「CAPETA」より「昴」のほうが高い。ああ、これなら意味は通ります。同意するかどうかはまた別なんですが(笑)。 そうゆう事でなく<<総合力>>(スケールでも漫画力でも言葉はなんでもいいですが)に検証可能な差異がある、という意味で仰っているんでしたらそれは全力で否定します。まあ、<<優劣の類>>ではないとおっしゃっているので違うと判断したいところですが。 ところで >> だからどっちかというと、「何を練習しようと思ったのか?」ということを語った(妄想する)方が建設的ですし、ぼくも参加したくなりますね。まぁ、だいたい本人が語りきってたりしますけど……。 これについても結構コメントしていたつもりだったんですけれどもどうも通じてなかったた?(^^;私はそれは「昴を殺さずに昇華する方法を確立するため」だと繰り返し述べてますし、LDさんは「単なる燃料切れ(LDさん、違ってたらスンマセンw)」と言ってたんじゃないですかね。いずみのさんは「表現により一層磨きをかけるため」だと解釈しているんだと思いますが、正直なところその解釈は「作家論として」無理を感じます。 そしてロビーとアレックスの言葉に重点を置くのは、これが単なる箸休めのエピソードではなく、再開後に大きく飛翔するための大いなる助走なんじゃないかと考えたほうが、<<より面白そうだ>>と考えたからなんですよね。もちろん、的外れである可能性も否定はしません。それはしかしどちらの解釈にもいえることで。どちらにしろ明らかに<<潜在情報>>でしかないですから。 作家論云々の話は昴の解釈の話とはまた別の問題を孕んでいるようですので項を分けます。 |
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#187 GiGiさんにもレス 投稿者:LD <2007/01/15 21:07>
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> LDさんは「単なる燃料切れ(LDさん、違ってたらスンマセンw) 僕の主張は予定イメージからの外れが大きく続けられなくなったで、言い直すと何だろう?航路誤まり? プリシラとかに関わってくるのでGiGiさんとは物凄く合わない予感があります(汗)…と言う事は長くなるので、ちょっと状態を選びたいところです。 しかし今回の中で上手く伝える方法を考えて頭の中で整理してみたんだけど、今まとめ直すと物凄く他愛ない話でした。…何だろ?GiGiさんの「ノイズ」の話ってこれの事かな?とかそんな話です。 |
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#180 Re:漫画力と曽田正人 投稿者:いずみの <2007/01/14 20:09>
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> 『昴』は「パーソナルの核から遠い」から描くのが難しい、というのはあると思いますが、一側面であってそれだけではないと思います。 > > それを言うなら、昴はまず「異性」ですし、曽田先生にとって「他者」として描いている様子も色濃いですから、男の主人公達と違って、手探りが難しいのは当然だと思います。 > で、「女形は演技力のスケールが大きい」なんて言い方はしませんから、「核からの遠さ」はあまり問題にならない、という見方をします。 ここらへん、「核との距離」を単純に「性差」にすり替えてしまったような、ズルい印象を与えてしまったかもしれませんが、結局「核からの遠さは問題ではない」という部分は変わりません。 「自分と異なる存在を演じる」役者と「自分に似たものを演じる」役者に、役者としての違いは無い、という話なので。 「昴は女の子だから」、というのは確かに重要なポイントなんですが、「他者を描きたかったから女の子にしたのか?」「女の子だから他者になったのか?」という鶏卵議論になりそうなんですよね。 |
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