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#78 いちご最終回について
投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/10 02:52>
はじめまして。みなさん呆気にとられていた最終回ですが、終盤の展開について思ったことを少し書いてみようと思います。※ 行きがかり上かなり真剣に文句垂れてる(特に作者に)ような文章になっちゃいましたが、実の所それほど真剣になってるわけではありません。本人としてはかなり冗談めかした調子のつもりで書いていますので、字面から受ける真剣味は7割ほど割り引いてお読みください(笑)。

まずは、最終回の少し前辺りの状況のおさらいから。

みなさんが「西野が最愛の人である、という具体的な理由はめちゃくちゃ乏しいですしね。状況証拠ばかりだし(笑)」とか「『いちご』の西野エンドの最大の問題点は真中が西野を選ぶ理由じゃなくて、西野が真中を選ぶ理由がまったく思いつかんことだね」とおっしゃっている通り、西野ってのは真中との精神的なつながりに乏しいんですよね。西野はオウムのように「淳平君が好き」と繰り返すばかり(それじゃ北大路とおんなじだよ)で、かつて不安に耐えられず真中を振った頃から心境の変化があったようには見えない(それではまたすぐに不安に耐えられなくなって、同じことの繰り返しになるのでは?その辺り、何の成算もなく告白したのか?)ですし、真中の方はと言えば、再度つき合い始めてからも西野に対しては「お客さん状態」が抜けず、「西野は自分のどこがそんなに好きなんだろう」と自問しつつ、自分より1歩も2歩も先を行っている西野に自信なさげに引っ張られているだけ。これはもともと西野が東城の対抗馬として作られたキャラでしかないことが祟り続けていて、路線変更して西野とくっつけることにした後もなお、作者がその頃の関係性を修正し損なっているわけですね。

で、だとするとこのマンガは最終的な狙いを「真中と西野の精神的結び付き」に定めて、そこに持って行くような展開にしなくちゃいけなかったはずです。そのためにてっとり早いのは「東城をラスボス化する」ことで、「未だ東城にも真中にも未練は残っていたけど、『俺はこうこうこのように西野が好きで、だから東城ではなく西野を選んだ』『あたしは淳平君のことがこうこうこのように好きで、その部分が東城さんを凌駕した』という具体的なエピソードを経てラスボスを倒す」展開ならすっきりしたことでしょう。ルイさんのおっしゃる「でもイマイチ釈然としないというか、カタルシス・・勝利感覚に乏しいのは(何故我らが勝利するのかw)、演出で西野さんが勝利を『積んだ』わけではないから」とか GiGi さんのおっしゃる「『決戦前夜』でテンション上がったせいでその気持ちの置き場に困るというw」というのも、だいたい同じことを指摘されているんだと思います。

で、家庭教師の回辺りではその「東城ラスボス化」を狙っているのか、それとも「ここから東城が巻き返す展開」を狙っているのか判断がつきかねる状態が続いていたのですが、まさかそのどちらでもない展開になるとは思ってもいませんでした。東城が自分からあっさり勝負から降りてしまうなんて、あの学園祭後の10回分ぐらいのエピソードには何の意味があったんだー!(笑)。ラスボスを失ったこの世界では、勝利条件を達成するためにはもう、車田マンガ風に「俺たちの真の敵は東城なんかじゃない、『未だに相手のことを深く理解しようとしない、臆病な自分の心』だったんだー!」という方向にでも持って行くしかないんですが、結局それはうやむやになっちゃってるんですよね。作者としてはたぶん、「あのカラオケボックスの『その後』で2人はついに本音で喋り合えるようになりました。めでたしめでたし」ということにしてくれ、と思っているんでしょうが、でもその具体的な描写からは逃げちゃってるので、読む方の期待感はどうにもこうにも置き去りにされてしまっている。

(いやまあ、作者が東城をラスボスから降ろしたくなった気持ちはわかりますけどね。路線変更で西野によって最終ヒロインの座から蹴落とされた償いに、東城には最大限いい役を振ろうとしたんでしょう。実際、雪の日に真中と訣別し、卒業式・同窓会と真中に心揺らす気配のなかった東城は、ストーリーにはもう絡めないけど、ものすごく愛情込めて描写されていたように思えます。でもそれはさておき。)

結局、何がいけなかったかと言うと、作者が最後ストーリーマンガにしようと欲をかいたことだと思うんですよ。もともと「彼女に振られて家に帰ったら、ベッドに幼なじみが半裸で寝ていました」という気の狂った(笑)マンガなので、最後までもうずっとパンツパンツで押し通せばよかったのに、何を考えたのか最終場面ではパンツを封印してまでストーリーマンガにしようとあがいている。だけどそれまでもストーリーマンガとしては非常にお粗末な所を多々見せていたこの作者には無謀な試みで、見事に馬脚が現れちゃってるのが終盤のエピソードなんだと思います。(だいたい、当初の予定を全面変更して西野を真中の相手にしようなんていう無茶をするなら、編集がブレーンとしてしっかりストーリーをフォローしなくちゃいけないでしょうに、何をやっていたんでしょう?それとも、サポートしてなおあの水準なのか?)

というわけで、みなさんやけに「辻褄が合っている」と納得されてしまっているのですが、そこまで枯れなくてもいいんじゃないでしょーか(笑)。最終回「だけ」見るともう残ってる選択肢も乏しいので「枠内ではよくやった」と評さざるを得ない部分があるのは確かですが、終盤の展開全体についてはもっとぶうぶう文句を垂れてもいいマンガなんじゃないかと思います。

以下、個別のコメントに対する私見です。

┃LD >>…しかも「別れてくれ!」なら真っ直ぐ東┃
┃城に行けたかもしれないのに「白紙にしてくれ」なんて逃げ(もう┃
┃一度西野に戻れる可能性を残す)を打った時点で実はそれの自縄自┃
┃縛になってしまった(笑)

いやあ、あの時点ではたとえ「別れてくれ」と言ってももう東城に行く目はないでしょう。作者としちゃああの「雪の日の訣別」で描いた東城の辛い決意を作中で無にはすまい、と決めていたんじゃないかと思います。

┃ルイ >> 最終回にヒトヤマを期待すると肩透かし食うぞ、というこ┃
┃とで。 ┃

最終回にはもう期待できるような材料は残ってなかったんじゃないかなー。やっぱりあそこから東城を選んでしまうと、何のためにあの雪の日と卒業式の東城を描いたのかわからなくなってしまいますよね。

「東城を選ぶ」以外だと…私が最終回でひょっとしたらあるかも、と思っていたのは、こんな展開です。「雪の日の回で東城が真中から精神的自立を果たし、空港の回で西野が真中から精神的自立を果たした。そして、2人から距離を置いたことで真中も成長し、数年後3人はもうお互いを必要としなくなっていた。最終回、久しぶりに再会した3人。真中の側にいたのは『やっぱりじゅんぺーの側にいてあげられる女の子なんて、私ぐらいしかいないよ』と言って真中と結婚した唯だった」―――いや、これなら、ラスト数話音沙汰なかった唯にも出番が回って、きれいにまとまるかと思って(笑)。

何にせよこのマンガで何か手を打てるとしたらやはりあの「雪の日の回」より前で、後はもう決まった道を淡々と進んで行く手しか残ってなかったと思います。

ではでは。お目汚し、失礼致しました。

※ ところで、LDさんは、昔 Cna-BBS に投稿されていたあのLDさんですよね。投稿されていた期間は私が web から離れていた間に当たるので直接のやりとりはありませんでしたが、その前後の常連投稿者の1人として、懐かしく思います。お元気そうで何よりです。
  • 西野は何故勝利したか? 投稿者:LD <2005/08/14 21:16>
  • 東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:LD <2005/08/11 01:24>
  • その通りです。 投稿者:LD <2005/08/10 11:15>
  • #87 西野は何故勝利したか?
    投稿者:LD <2005/08/14 21:16>
    <<<親記事]
    さて次は西野さんがどうして今回勝利したか?という話を語ろうと思いますが…けっこう大体のところは「東城は何故勝てなかったか?」の部分で語られていますが(笑)まあ、ちょっとだけまとめてみたいと思います。
    西野さんの勝利ってのは、まず西野さんの読者人気がかなり高かったという事もあると思いますが、そのまま編まれた“物語”が西野さんに非常に有利だったという事がありと僕は思っています。
    ちょっと真中と西野の二人の流れを書き出すと…

    (1)真中の懸垂告白西野OK→(2)西野の受験校が別に→(3)西野はっきりしない真中を振る→(4)休眠期間→(5)再会→(6)再びつき合う二人→(7)白紙にしてれ!→(8)再々会END

    …となります。僕が「今週の一番」などで西野ENDをしきりに「辻褄が合っている」と言ったのは当にここで、つまり物語としてみた場合「告白し→別れ→再び出会い→そしてまた別れる」と物語に起伏があるのは明らかに西野さんなんですね(笑)
    返って東城さんを観た場合、ひたすら真中の傍らにいただけです。というより“ずっと居る”というのはこれ以上ないアドバンテージであるはずなのですが、これまで散々言われてきたようにほとんど動かなかった。(こーゆーパターンのラブコメの場合主人公の真中が「何があっても東城なんだ!」と心に決めていればいいのですが、そーではなかった)少なくとも西野さんに比べればアクションとは呼べないレベルのものだったという事になると思います。

    加えて「漫研」として「週刊連載のライブ感覚の面白さ」として強調しておきたいのは上記した(1)〜(8)の流れがけっして真中と西野をくっつけるために編まれた流ではないという事です(笑)

    ポイントは(2)「西野の受験校が別」と(5)「再会」になります。はっきり言うと連載開始当初、西野さんはラブコメヒロインとしてはドライな印象で面白味がなく、とうてい東城の相手になると思えなかったキャラでした。
    真中の懸垂に大笑いしてOKした彼女は、次に真中が悩みに悩み抜いて別れ話を持ち出しても「あ、そう?」で別れてしまうキャラに見えたのです。(当初は)それが問題だった。
    (※ その後、懸垂以前に真中を知っていたという話が入ったと思いますが、こーゆー後付けと言うのは読者にとって同じ誌面に描かれた事でも伝聞的で実目撃とは言い難く、話の積み上げにはならないんですね。勿論、懸垂でOKしてしまうという突拍子も無い面白さを採用した以上、宿命的構造なのですが…)
    …で担当編集とどのような打ち合わせをしたかは分かりませんが西野さんには退場いただき、別のキャラで真中を東城さんと取り合っていただくという判断が下されたのでしょう。その結果が(2)となって現れます。つまり別れた後も同じ高校、あまつさえ同じクラスにいたのでは居た堪れないので、別の高校に行ってもらおうという事だったのでしょうね。

    そしてそれは実行され、西野さんの後釜として北大路さんが登場するわけです。…しかし残念ながら北大路さんは東城のライバルとはなり得ませんでした。桃栗先生はメインと決めた女の子以外の娘を描くとあからさまに敗色濃厚になってしまうクセがあるのかもしれませんが(笑)元々、東城のように真中との共鳴点を持たず、西野のように実際に交際していたというアドバンテージも持たない北大路さんは、迫るは迫るんだけど絶対に真中に受け入れてもらえない憐れさが目立つキャラに追い込まれてしまいます。それで(5)でやはりここは西野さんに再登場していただこうという事になるワケです。

    ここに到る流れにも一つポイントがあります。先ほど僕は西野さんはヒロインキャラに乏しいと評しましたが、それは制作サイドも気がついており(2)の結論に到るまでは必死に西野さんの“キャラのテコ入れ”が行われていました(笑)連載からしばらくして西野さんは真中をズバーン!と思いっきりキックしたり、バチーン!と叩いたりする元気印を与えられ、他の細かな演出についても気合と注意が払われるようになります。僕の予想では結局(2)から(3)に到るまでには西野さんの人気ってのはかなり上がっていたはずなんですね(笑)ですから再起にたどりつけているワケです。

    そして(5)「再会」以降ですが、これは当に「ピンチの後にチャンス」ともいうべき状態で、真中と別れさせるために為された処置が、こんどは西野さんに大いに味方します。
    どういう事かというと一度、突き放した西野さんを再接近させる事を決定したら、今度は「同じ学校に通っているわけでもない西野さんを偶然(などあらゆる手を使って)引き合わせる必要性」が生じてくるんですね。つまり演出の面では「ご都合主義」と呼ばれるもの、物語の面では「運命的」と呼ばれるものが、西野さんの味方になるワケです。つまり“西野・リボーン・ラッキーマン・つかさ”になったのですよ!(笑)性格的には勝利マンの人だから、もうほとんど無敵(笑)気がつけば東城はほとんど何の加護も無く、というよりもう一度北大路をテコ入れできないか?とか他の新キャラでバランスとって見ようか?とかメインヒロインとしては、ほっとかれていたといってもいい状態でした。まあ西野つかさ役に“北島マヤ”が選ばれたような状態です。東城綾役の人は白目をむいていたに違い有りません(笑)
    …で(6)は色々迷いもあったでしょうが必然的な流れです。繰り返しになりますが西野は同じ学校に通っておらず、恒常的な登場を全て御都合で埋めるのは限界がありましたからね。

    そしてラストにかけての流れは今度は東城に流れを持って来れないかと試行錯誤が行われ、西野ENDから見れば「あれは一体なんだったんだ?」という出来事を散乱させて行ったワケです。そこらへんの流れは「東城は何故勝てなかったか?」で語られていますね。あのラストはつまるところは時間切れの要素が大きかったように思います。
    言ってしまうと西野さんがダメと判断したらかなりドライに西野さんを切り捨ててしまう編集サイドであるならば西野に人気があり尚且つ時間切れなら全く同じドライさで東城を切ってしまうのは必然だったかもしれません…な〜んて事を考えたりもするのですが、まあそこらへん含めて考えてみても、なかなか面白い物を見せてもらったと思っています。つまり…
    「いちご100%」は……辻褄が合っている!
    という事です(笑)

    (さて、残り「雨宮的展開」に関する総括を…)
  • 西野というキャラについて 投稿者:井汲 景太 <2005/08/27 04:52>
  • Re:西野は何故勝利したか? 投稿者:井汲 景太 <2005/08/17 01:37>
  • #100 西野というキャラについて
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/27 04:52>
    <<<親記事]
    ついでに、こちらについても、書きそびれていたことを2点ほど書いておきます。

    ■ 西野の性格描写

    西野というキャラの特徴として、モノローグなどの直接的な内面描写がほとんどない、ということが挙げられます。このマンガの女性キャラは、向井を除いてその傾向が強いことは、単行本の作者コメントから意識的に取られている作戦であることがわかりますが、西野はそれが一番極端に出ているキャラですね。東城も比較的少ないキャラではあるんですが、それでも西野に比べれば結構ある。西野の直接的内面描写は、連載を通しておそらく片手の指で足りるほどしかないはずです。

    これは西野を「何考えてるんだかよくわかんないキャラ」にしようという演出であることが、やはり単行本おまけマンガから推測がつきます。それは連載初期から一貫していて、思わせぶりなセリフ・行動が真中だけじゃなく読者も振り回してますね。

    そういう訳で、読者は真中と同じ視点で西野を見聞きし、「今の思わせぶりなセリフは、俺のことが好きってこと?それとも全然関係ないの!?」とドキドキさせられ続けることになります。確かにその辺り、西野のセリフ・行動の選択は絶妙ですね。

    その結果、読者はまるで実在の人物を相手にしているような感覚がしてしまい、西野にかなり本気で恋しちゃった人が大勢出たんじゃないか?と踏んでいます。読者人気が高いのは、ひとつにはその要素が大きいんじゃないでしょうか。

    一方、直接的な内面描写の少なさは、「西野は真中のどこがそんなに好きで、他の男じゃ代わりにならないと思ってるのか」がさっぱりわからない、という問題にもつながっています。

    ■ 「ワクワク」について

    最終回で、最も「ぬううっ、作者にケツまくって逃げられたーっ!!」と感じたのは、「もう一度あたしをワクワクさせてくれる……?」というセリフでした。

    この「ワクワクさせる」というキーワードは以前から「西野が真中を気に入っている理由」として顔を見せてはいるのですが、実際の所ただの口先だけに終わっているんですよね。一番最初の懸垂はともかく、その後の真中の行動に西野をワクワクさせるような要素は乏しいです。中学の頃は真中の一杯一杯さを西野が勝手に好都合に解釈してつき合いが続いていただけで、真中は西野から受け取るものはあっても与えたものは事実上ない。

    で実際、西野が別の高校に進学することが解ったときに「自分のどこが気に入ったのか」を西野に尋ねたときも、答は「淳平君はいいとこ一杯持ってる(でも、それがどこかは具体的には挙げていない)」「人を好きになるのは理屈じゃない」で、事実上説得力のある理由づけを(作者が)放棄する格好になっています。

    その後別れてから再会した後は、代わりにこれといった理由が言語化されることもなく、相変わらず真中のどこが好きなのかは謎のままです。

    だから、最終回においてはこの「ワクワクさせる」というのは「ついに最後まで『西野が真中を(そんなにも)好きな理由』を具体化できなかったこと」を象徴するキーワードで、今更そんな言葉を持ち出すのは「証文の出し遅れ」もいい所なんですよね。そんな訳で、「うーむ、一番ちゃんと応えなくちゃいけない所でこの破産したセリフを持ってくるか、河下水希…」と感じずにはいられませんでした。

    (以下、私情(笑))その「具体化」が欠けていたせいで、私には終盤の展開が「西野がほとんど嫌がらせのためだけに(笑)東城と真中の間に割り込んでいって、全然好きでも何でもない真中を奪い去っていった」ようにしか見えません(笑)←西野ファンの方ごめんなさい。

    なので私は「ぬおお、こんな展開はイヤだーっ!やり直しを要求するーっ!!」と叫びたい気分で一杯です(笑)。(私情ここまで)

    #89 Re:西野は何故勝利したか?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/17 01:37>
    <<<親記事]
    >加えて「漫研」として「週刊連載のライブ感覚の面白さ」として強調しておきたいのは上記した(1)〜(8)の流れがけっして真中と西野をくっつけるために編まれた流ではないという事です(笑)

    うん、そう、そこは面白いですよね。この辺りの分析については、概ね同意できます。

    > (※ その後、懸垂以前に真中を知っていたという話が入ったと思いますが、こーゆー後付けと言うのは読者にとって同じ誌面に描かれた事でも伝聞的で実目撃とは言い難く、話の積み上げにはならないんですね。

    ですね。(とは言うものの、読み返すと、作中で初めて西野と真中が顔を合わせるシーンで、西野がじっと真中の顔を覗き込むカットが紛れてるんですよね。意味不明だから読み飛ばしちゃってたんですが、作者としては「西野は以前から真中を知ってた」という漠然としたアイディアは、最初から持っていたのかもしれません。それを具体化するのが遅すぎて意味ありませんでしたが)

    > …で担当編集とどのような打ち合わせをしたかは分かりませんが西野さんには退場いただき、別のキャラで真中を東城さんと取り合っていただくという判断が下されたのでしょう。その結果が(2)となって現れます。つまり別れた後も同じ高校、あまつさえ同じクラスにいたのでは居た堪れないので、別の高校に行ってもらおうという事だったのでしょうね。

    この辺りまではほぼ同じ読みです。ただ、「いたたまれない」というよりかは、単純に「このままフェードアウトしても問題ないし、3人で取り合う展開になってもどちらにも対応できるような無難な展開を選んだ」方が近い気はします。

    > そしてそれは実行され、西野さんの後釜として北大路さんが登場するわけです。…しかし残念ながら北大路さんは東城のライバルとはなり得ませんでした。桃栗先生はメインと決めた女の子以外の娘を描くとあからさまに敗色濃厚になってしまうクセがあるのかもしれませんが(笑)元々、東城のように真中との共鳴点を持たず、西野のように実際に交際していたというアドバンテージも持たない北大路さんは、迫るは迫るんだけど絶対に真中に受け入れてもらえない憐れさが目立つキャラに追い込まれてしまいます。それで(5)でやはりここは西野さんに再登場していただこうという事になるワケです。

    この部分もほぼ同じ読みです。北大路はかわいそうなキャラでしたね。汚れ役をみんな押しつけられた上、勝てないと解っている戦いを、孤独に戦い続けないといけない。

    (最終話も東城・真中の成長ぶりのダシに使われるだけだったのが気の毒でした。東城・真中の成長を外見・内面両方にかけて描くことが優先され、それを際立たせる必要から北大路を始めとする映研の他のメンバーには基本的に成長がまったくないわけですが、これまでも描写がてきとーだった端本はいいとしても、北大路はねえ…。東城がもう真中のことをすっかり「いい思い出」として割り切って「いい女」になってるのと対比させるため、まあだ真中に未練のあるようなそぶりをさせるってのは、ちょっとかわいそうだよ河下センセ…)

    > (2)の結論に到るまでは必死に西野さんの“キャラのテコ入れ”が行われていました(笑)連載からしばらくして西野さんは真中をズバーン!と思いっきりキックしたり、バチーン!と叩いたりする元気印を与えられ、他の細かな演出についても気合と注意が払われるようになります。

    おお、そういうことか。それには全然気づいてませんでした。なるほどあれはテコ入れですか!

    >まあ西野つかさ役に“北島マヤ”が選ばれたような状態です。東城綾役の人は白目をむいていたに違い有りません(笑)

    これ面白いですね(笑)。東城と同じ顔のキャラは作者の他作品にも出てるみたいなので、彼女は河下水希の持ちキャラなんでしょうね。手塚治虫のスターシステムほど本格的なものではないにしろ。そう考えると本当に「白目むいてた」所が想像できて笑えます。

    >…で(6)は色々迷いもあったでしょうが必然的な流れです。繰り返しになりますが西野は同じ学校に通っておらず、恒常的な登場を全て御都合で埋めるのは限界がありましたからね。

    うん、ただ、御都合に頼っていたのは最所の頃だけだったように思います。「真中とバイト先が近い」という設定があるので、一度出会うとその後顔を合わせるのは容易で、それでも足りないときは真中の家までバンバン来ちゃってましたから、あの人は(笑)。そういう点で、偶然・御都合に頼らず「自力で」勝利を手繰り寄せる努力を惜しまないキャラでした。

    (6)と(7)の間で気にかかるのは、やっぱり「西野がなぜそんなに真中に執着するのかの必然性が薄い」所なんですよね。最所の記事に戻っちゃうんですけど。ここは「(1)〜(8)の流れがけっして真中と西野をくっつけるために編まれた流れではない」ことが響いていて、そこの所は作者が先伸ばししていたため、(6)の時点で「西野がどうして真中(だけ)が好きなのか?」の理由付けが準備されていません。

    作中で取られた作戦はと言えば、西野に「あたしは東城さんには絶対敵わない、だからあたしだけを見て欲しい、そうでないと不安で仕方がない」という態度を取らせ、健気さ・一途さを武器にして共感を呼ぶことなんですが、これはあまり得策とは言えなかった。どうしても「そもそも真中のことがそんなに好きじゃない(ようにしか見えない)んだから、そこまで真中に執着しなくてもいいだけの話なのでは?」「真中に与えられたものが多少はあるのは解るけど、でも真中以上の男にたくさん言い寄られていて、その中には明らかにもっと多くのものを与えてくれる奴だっているでしょ?」「自分だけを見て欲しい、と願うなら、真中は一番避けなきゃいけない相手であるのは自明。あなたを本当に苦しめてるのは東城でも真中でもなく自分自身で、苦しいのは自業自得なだけ」と、理屈の方が感情に先行してつれない反応ばかり浮かんできてしまいます。もちろんそれは東城に肩入れして読んでるから、という部分が大きいわけですが、でもマンガとして構成をしくじっている部分もあると言わざるを得ない(これがほんとに北島マヤなら、健気さ・一途さだけを武器に、超絶的演技力で有無を言わさず理屈をねじ伏せてしまうことも可能でしょうが(笑)、さすがにそこまでの神通力はなかった。えー、すみません、北島マヤじゃなくて姫川亜弓・姫川歌子級ということにしておいていいですか?(笑))。

    もちろん、ラブコメのヒロインなんだから、「主人公を好きになる理由」は必ずしも必要ありません。ラムがあたるに「そんなにも」執着する理由なんか、これっぽっちも必要ないわけです。ただ、これまで東城には少なくとも「真中に執着する理由」「他の男じゃ代わりにならない理由」があることだけはしつこく描写してきたんだから、攻守所を変える展開になって東城を迎え撃つ形にするなら、読者に「東城に諦めさせたらこっぴどく泣いてもらうしかないけど、西野なら『自分から真中に愛想が尽きた』形にすれば大したダメージにはならないんだから、それで丸く収まるのでは?」と思わせてしまうような性格付けにするのはまずい。ほんとは(5)と(6)の間に西野にちょこっと性格改造を施して、ラムみたいに「へこたれない」性格にするか、あるいはどんなにベタでもいいから、西野側にも「真中がオンリーワンであって、とことん執着せずにいられない」理由を準備しなくちゃいけなかったんじゃないの?と思うのです(でもへこたれない性格だと北大路とかぶっちゃうのか…)。

    > あのラストはつまるところは時間切れの要素が大きかったように思います。

    いや、別にあれを時間をかけて東城逆転につなげて欲しかった、と思ってるわけじゃないんです。むしろその逆で、「東城は辛いけど真中のことを振っ切って前進する決意をしました」の方が最後まで執着し続けるよりきれいでずっといい。最終2話でいい描写ももらえてましたし。

    だけどそこに持って行くならもっといいやり方があるだろうと(笑)。あんなに往生際悪くギリギリまで東城に未練を募らさせてたから描写の断絶が超不自然になる訳で、やるんなら逆にだんだんと諦めがつくようにさせていって、最後屋上だろうが雪の日の公園だろうが、お好きなシチュエーションで「2人は別々の道を歩んでゆく」でまとめればいいじゃないですか。そうすれば話数は半分で済むし(笑)、唯にだって最後出番くらいはやれたかもしれない(笑)。

    そもそも、あれでもまだ最終盤パートは不必要に引き延ばしすぎだと思っています。「今週の一番」でも「これを評価するなら、遡及して西野さんの夜過ごしちゃった回を一番にしましょうよw」「あ、そうですね。実質あそこがクライマックスだった」と評されてる通り、あそこがきれいに終わる最大のチャンスだったんですよ。確かに真中の成長や留学問題なんかはケリがついてないんだけど、でも東城の本気告白を断った勢いで一夜も共にしちゃっているから、ある意味「ラスボスを倒した」状態になっていて、その辺りの問題点はすべて勢い任せでウヤムヤにできちゃう。(実際、あの辺りの号は「錬金」「Waq」と立て続けに終わっていて、私はてっきり「ああ、それじゃ来週『いちご』が終わって、3週連続連載終了で新連載陣の露払いをするわけね」とばかり思っていました(笑)。その後、2週経っても3週経ってもまだ誌面から去らない怪奇現象を目にして、もう自分の目が信じられませんでしたよ(笑))

    その「最大のチャンス」を見送ってまで連載を続行したにも関わらずあの不味い内容だったので、ブツクサ言いたくなるのです。

    > つまり…
    「いちご100%」は……辻褄が合っている!
    > という事です(笑)

    あー、ちょっと誤解されちゃったかもしれませんが、その「辻褄が合っている」こと自体はよく解っていて、これと言って異を挟む気はないんです。【合宿が終わってからはもう西野で締めくくること前提】(途中から無理矢理東城に持って行くのはもう手遅れで、傷口を広げるだけだからやめた方がいい)ですし、【それに至る十分な理由もそれ以前に存在していたことも前提】だと思っています。

    それよりも、その前提の下で、「骨格部分の辻褄が合っている」というだけで、内臓部の粗を見過ごしていいのか、というのが気になっている点………なのですが、考えてみればこのマンガにそんな腑分けしてまでがんばって読む価値があるかどうかは大いに疑問ですね(笑)。内臓部が粗だらけ、なんてのは世のマンガの8割くらいがそうなんだから、そんな所にこだわるより「にもかかわらず、骨格だけ見るとなぜか意外としっかりしていた」という部分だけを面白がって終わりにする、という割り切り方の方が利口で、「勝ち」なのかもしれません。私も見習った方がいいかな……………とりあえず、今は「錬金ファイナル」を楽しみにするのが勝利への近道ですか?(笑)(私が読むのは単行本になっちゃいますが………でもなあ。連載中盤以降は、「初期に私が期待した輝かしい姿」とは違う、あさっての方向に行っちゃったからなあ…)
  • Re:西野は何故勝利したか? 投稿者:匿名さん <2005/09/22 20:07>
  • Re:西野は何故勝利したか? 投稿者:LD <2005/08/19 05:47>
  • #92 Re:西野は何故勝利したか?
    投稿者:LD <2005/08/19 05:47>
    <<<親記事]
    (Re:雨宮という名の現象より)
    > > やっぱり時間切れだったのかなあという気はします。

    > 上述の通り作者は東城に「勝ちに行く」行動を取らせてないですし、
    > あの「雪の日の回」と卒業式・最終回で東城を救済しよう、という
    > のは予定通りだったと思います。

    > 学園祭前後から、それまで取っておいたカードを惜しげもなくバンバン
    > 切って(西野の懸垂告白(と言うか、これはこんなカードがあるとは思
    > わなかった隠し札(笑))、真中の選択、最後の学園祭・最後の映画、
    > 東城の本気告白)きて収束フェーズに入りましたが、そこから最終回まで
    > 半年弱もかかってますから、締めくくりに当たって時間が足りなかった
    > ということはないだろう、と見ているのですが…。

    う〜ん…いやあ結論が出ない状態であれば半年が一年与えられても好転はしないでしょうし、結局、桃栗先生の中で整理がつかぬまま“連載終了”だけが来てしまったとい意味での「時間切れ」かなあと。
    ただ僕は前のレスで「むしろやれる手を全部使えば物語は逆転していたと思うんですけどね…。」とは言ったんですが井汲 景太さんが書き出された“カード”を見ているとけっこう色々切っている事が分かるので、手札が無くなったところで、結末はその流れに任せた(逆転という流れはた寡なかった)かな?という気もしてきましたね。

    (Re:西野は何故勝利したか?より)
    > そもそも、あれでもまだ最終盤パートは不必要に引き延ばしすぎだと思っています。
    >「今週の一番」でも「これを評価するなら、遡及して西野さんの夜過ごしちゃった回
    > を一番にしましょうよw」「あ、そうですね。実質あそこがクライマックスだった」
    > と評されてる通り、あそこがきれいに終わる最大のチャンスだったんですよ。
    > 確かに真中の成長や留学問題なんかはケリがついてないんだけど、でも東城の本気告白
    > を断った勢いで一夜も共にしちゃっているから、ある意味「ラスボスを倒した」状態に
    > なっていて、その辺りの問題点はすべて勢い任せでウヤムヤにできちゃう。
    (中略)
    > その「最大のチャンス」を見送ってまで連載を続行したにも関わらずあの不味い内容
    > だったので、ブツクサ言いたくなるのです。

    ふむ。ここらへんに前後して作者に「最後西野で締めるんだ!」という決意があればキレイに行けたのでしょうが、桃栗先生的には迷いがあった(…かジャンプ編集的に考えられる様々な都合があった)のかもしれませんね。
    そこから考えるとラスト僕は「辻褄が合っている!」とか言って喜んでいるんですが、そこらへんがグダグダになってしまった結果、最も辻褄があっている娘を淡白にチョイスしただけであれば、それは必然なだけとも言えるのかもしれません。
    …まあ、いいんですけどね。西野さんで辻褄が合ってしまっている事が既に愉快なんだし(笑)
  • Re:西野は何故勝利したか? 投稿者:匿名さん <2005/09/22 20:01>
  • Re:西野は何故勝利したか? 投稿者:井汲 景太 <2005/08/21 02:37>
  • #94 Re:西野は何故勝利したか?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/21 02:37>
    <<<親記事]
    >書き出された“カード”を見ているとけっこう色々切っている
    >事が分かるので、手札が無くなったところで、結末はその流れ
    >に任せた(逆転という流れはた寡なかった)かな?という気もし
    >てきましたね。

    これだけ重要なカードを切ってきたんだから、作者サイドとしてはやっぱり締めに入っていたんだろうと踏んでいます。で、「東城と西野のどちらを選ぶか」という重要ポイントの見通しもなしに、なし崩しに締めに入るとは思えないんですよね、私には。その時点で作者と編集の間では西野に決定していて、だからこそ天秤は西野側に大きく傾き、東城側のアドバンテージはついに根こそぎ洗い流されていったのでしょう。

    リアルタイムでは作者サイドの意図も読み切れない部分もあって断定は難しかったですが、こうやって終わってから振り返ってみると、締めに入ってから後の「東城の逆転」は最初から考えてなかったんでしょう、やっぱり。

    「最終的にどちらを選ぶかは決めずに締めに入った」という可能性は、以前も書いた通り「流れが変わってからは真中は一応西野一筋を貫いている」ということからないと思っています。「最後までどちらを選ぶのかわからないようにする」つもりなら、最後の最後まで(と言うか、最後だからこそ余計に)真中にフラフラさせたことでしょう。

    私見ですが、もし
    > 桃栗先生の中で整理がつかぬまま“連載終了”だけが来てしまった
    という可能性があるとすれば、編集と作者の意向に違いがあり、編集は(おそらく西野に)決めろ、と指示して終了を命じたのに対し、作者の胸中はまだ固まり切ってなかった、という場合くらいじゃないでしょうか。そもそもこのマンガ、ずっと現実世界の時間進行と合わせて作品内の時間も進んでいて、去年半ばまでは「2005年の3月〜4月頃に作中人物が高校卒業を迎えて連載終了」の流れはほぼ不可避で、作者も「もうこの時期には、迷っていられる時間はない」ことは以前から覚悟していたはずです。高3の夏の話が長引いた関係で終了時機がずれ込んだため、考えをまとめる時間も増えたはずですしね。

    それから、もう残っているカードでめぼしいものって、たぶん「ノートの小説」くらいしかないんですよ。これは話が西野寄りになったことが決定的になった後ではもはやあまり意味はないアイテムで(実際、そういう使われ方をしましたし)、仮に途中で気が変わって東城側に持って行こうとしても、他によっぽど強烈な隠し札を持っていない限りもう手遅れでしょう。以前LDさんがおっしゃった、『「どんなに前後の“辻褄”が合わない」話になったとしても一番好き合った者同士が結ばれる以上のハッピーエンドはない!』理論が、最後の非常手段として残っているだけです。

    >ここらへんに前後して作者に「最後西野で締めるんだ!」という決意が
    >あればキレイに行けたのでしょうが、桃栗先生的には迷いがあった
    >(…かジャンプ編集的に考えられる様々な都合があった)のかもしれま
    >せんね。

    「事実上のクライマックス」で終了せず、10回近く続けた理由を推測して「なさそうな順」に挙げてみると

    【1】メディアミックスの商品展開の都合上、連載がもうちょっとだけ続いてくれないと困る、という大人の事情。ああ、担当編集者の「水希ちゃ〜ん、悪いんだけどあと10回くらい引き延ばしてよー。内容なんてどうでもいいから、ヨロシク!」という無責任な声が聞こえるかのようだ(笑)。

    これはただのネタですが、「でもひょっとしたら万が一っ!」と気の迷いがよぎってしまうところが「パンツマンガ」であるが故の業の深さ。

    【2】ブラジャーの伏線を、何としても最後まで使い切りたかった、という作者の意地。

    ストーリーマンガとしては破綻しているパンツマンガなので、使い切れなかった伏線の死骸がそこらじゅうにゴロゴロしています。例のブラジャーは、このマンガにしては珍しく中期的なスパンに渡って生かすことのできた伏線なので、これだけはどうしても最後まで使い切りたかった………という理由も、やっぱりないだろうこれ。

    (「伏線の死骸」については、「編集からのテコ入れ要請があれば、伏線の回収など一も二もなく放り出して、最優先で要請に応えなければならない」ということが度々あっただろうことから、多少は大目に見なくちゃいけないんだろうと思いますが)

    【3】やっぱり、卒業式までは描き切りたかった。また、西野の留学問題に答を出しておきたかった。

    これらは多少はありそう。

    【4】「ノートの小説」の伏線の決着をつけたかった。

    これは比較的強い動機だったと思われます。

    【5】「真中の成長」を描きたかった。ハーレムタイプのラブコメ要素搭載のマンガの宿命として、真中には一貫して非常に不誠実な思考・行動を取らさざるを得なかったわけで、これではくっついた西野が幸せになれるか非常に不安。なので真中を一旦「リセット」する必要があった。

    多分、これと次の【6】が本命なのでしょう。

    【6】東城を救済したかった。

    真中への絶対的な信頼を描写しようとした結果、東城は真中へ極めて強い依存心を持っているキャラとして描かれることになりました。それは2人きりの更衣室で「真中が脱げといえば(濡れた服を乾かすためとは言え)脱いでいい」とまで言わせる程で(正直やり過ぎ)、その依存心は「隷属願望」とさえ言える水準に達しています。

    真中も他人への依存心は強いから、これだと、2人がくっつくいても、将来互いに相手をダメにしてしまって、幸せになれるとはちょっと思えない(笑)んですよね。ただ、もちろんラブコメとしてはエンディングで目の前の2人さえ幸せ一杯なら万事OKで、彼らの将来にまで思いを馳せる必要は全然ないわけです。だから、東城とくっつけるならそれは別に問題ではなかった。

    ところが、予定が変わって東城はラブコメのハッピーエンドからは弾き出されることになってしまいました。この時点で連載終了だと、失意のどん底の東城が将来幸せになれる目がまったく出てこない―――という訳で、以前書いたように「最終ヒロインの座から蹴落とされた償いに、東城には最大限いい役を振ろうとした」のはほぼ間違いないと思います。

    [1]雪の日の回:真中から精神的自立を果たさせる。真中には涙を見せず強く振る舞うが、別れ際には(読者には)涙を隠せない。
    [2]卒業式:東城は立ち直り、答辞も立派に務める。もう、真中と普通に会話もでき、読者にも涙は見せない。
    [3]最終回:真中のことをいい思い出として振っ切ることができ、小説家としても成功する。おどおどモジモジした所は微塵もなくなり、4年ぶりにあった真中にもまったく動じない。

    と描写を重ね、「真中との恋は実らなかったけど、でも決して東城は不幸になったわけじゃなくて、十分に幸せになれたんだよ」とアピールしていることがよくわかります。この優遇ぶりは、先日書いた「作者の持ちキャラ」への愛着も手伝ってのことではなのでしょう、たぶん。また、[1][2][3]通じて、パンツも見せなくなっています。

    そう考えると、やっぱりラスト「東城に(無理にでも)勝たせる」ことは、作者としては全然考えていなかったんじゃないか、という見解に、私は至るんですよね。

    ………で、[1][2][3]を見れば「ラストでやりたかったこと」はよく解るんですが、でもやっぱりそこに至るまでの展開をもうちょっと考えてよ河下センセイ!!とは強く言いたいです(笑)。
  • お知らせ&お礼 投稿者:井汲 景太 <2005/09/24 21:19>
  • #114 お知らせ&お礼
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/09/24 21:19>
    <<<親記事]
    何か変な書き込みもあったみたいですが、ついでにお知らせとお礼を。

    ここで色々と書かせていただいたことをまとめて、修正・加筆の上で拙サイト http://ikumi.revery.net/ichigo/ で公開を始めました。やりとりにつき合ってくださった皆さん、並びに好き放題書かせて下さった「漫研」という場に改めてお礼申し上げます。結局「骨格だけ見るとなぜか意外としっかりしていた、という部分だけを面白がって終わりにする」という心境にはならなかったようです(笑)。私の書いたことにいちゃもんのある方は、「漫研」さんには迷惑かけずにそっちの方へどーぞ。

    ※当然ですが、意見の盗用にならないよう、私の書いた部分だけが残るようにしてあります(何ヶ所か、他の方の意見をなぞったような箇所はありますが、それは私も同様に考えていた部分が加筆の際に補われたため、とお考えください)。なお、LDさんのコメントの一部を「引用」の形で残し、そこから話を広げて行ったりしていますが、不都合がありましたらご一報ください。

    (先日表紙に記載されている ldtsugane@yahoo.co.jp 宛にも同内容のお知らせをお送りしたのですが、迷惑メールの波に呑まれてしまったのか届いていない雰囲気でしたので、再度のお知らせとなりました。もしそうでなかったら恐縮です)

    ではでは。

    ※ 追記
    http://www.websphinx.net/manken/note/jump.html にて

    [いちご100%]
    2005-34:連載終了

    となっていますが、最終回が掲載されたのは 35 号です。こんな数字が頭に入っ
    てしまっている自分がイヤだ(笑)。
  • Re:お知らせ&お礼 投稿者:匿名さん <2005/11/03 10:45>
  • Re:お知らせ&お礼 投稿者:LD <2005/09/25 12:06>
  • #115 Re:お知らせ&お礼
    投稿者:LD <2005/09/25 12:06>
    <<<親記事]
    > 何か変な書き込みもあったみたいですが、ついでにお知らせとお礼を。
    >
    > ここで色々と書かせていただいたことをまとめて、修正・加筆の上で拙サイト http://ikumi.revery.net/ichigo/
    で公開を始めました。

    それはおめでとうございます。ちょっと覗かせてもらいましたがかなり書き込まれてますねえ(笑)
    引用の件は問題ありませんので、そのままどうぞ。それとメールいただいていたようですみませんでした。たしかに迷惑メールも沢山来ているのですが、その中で見落としてしまったのか…申し訳ありません m(_ _)m


    > [いちご100%]
    > 2005-34:連載終了
    >
    > となっていますが、最終回が掲載されたのは 35 号です。こんな数字が頭に入っ
    > てしまっている自分がイヤだ(笑)。

    すみません(汗)ちょっと直しておきます。

    #80 東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:LD <2005/08/11 01:24>
    <<<親記事]
    東城は何故勝てなかったのか?

    さて「いちご100%」についてですが…。

    > いやまあ、作者が東城をラスボスから降ろしたくなった気持ちはわかりますけどね。
    > 路線変更で西野によって最終ヒロインの座から蹴落とされた償いに、東城には最大限
    > いい役を振ろうとしたんでしょう。実際、雪の日に真中と訣別し、卒業式・同窓会と
    > 真中に心揺らす気配のなかった東城は、ストーリーにはもう絡めないけど、ものすごく
    > 愛情込めて描写されていたように思えます。

    僕もこれに同感でして、つまりは桃栗先生も東城をラストに向けてどう動かすかでそうとう迷いがあったと思います。
    というか…学園際でベストカップルか何かの番号合わせで真中と番号が合っていたのは東城さんの方だったワケで、通常あれは「内定通知」でしょ?(笑)ここまで“演出付け”されたヒロインが本命から転落なんてまあ聞いた事ない(笑)
    そこから見ても僕はあのラストについて「東城あきらめた説」を展開しますね。西野を選んだし、西野も好きだけど、決して東城よりも好きなわけではないと言うね(笑)思い返してみても真中が東城さんを好きな部分や、エピソードなどは容易に引き出せるんだけど、西野さんはそれが低い。
    …そのヒロインがラストに向けてゴールを切るように動けない。なんというか西野さんの発する“オーラ”に既に萎縮してしまってシュート自体に行けない感じなんですね。西野さんは「負けるもんか!」っていう気迫のオーラを出しているワケではなくって「あなた(東城)がシュートを打ったらそれで終ってしまう…」というネガティブなオーラで(笑)
    …しかし学園祭後夜でシュート打つんですけどね。今度はそれを真中に拒否られれてしまう。これも真中が東城さんの事を何とも思っていないワケではなくって、西野さんが(好きだからではなく)完全に“棘”になっている。…なので自分がその思いを振り払うような土下座の拒否!(笑)ここが勝負の綾だなあ。東城さんにとって西野さんは本当にラスボスそのもので。東城については桃栗先生が(←しつこい)ラスボスになれる程、動かしたなら多分、もうそのまま西野さんは為す術なくゴールを決められていたと思います。

    というより西野さんってラスボスという観点から言ってしまえば、つまり「スチュワーデス物語」で風間杜夫教官に「こんな両手になってしまったのは誰のせいなの!?」って詰め寄るあの義手女(名前忘れた)ですから!!(笑)←ビシッ!言い過ぎ!

    上は冗談は冗談なんですが全面戦争になれば、それこそそこまで行った可能性もあるワケです。そこで変にドロドロした話を読者に見せるよりは、それぞれがそれぞれに傷を抱えつつも、納得もしているという「三方一両損」のような終わり方になったのかなあという気がします。

    …しかし、そこまで東城さんが弱かったのはなんでなんだろう?……友達がいなかったからかなあ、マジで。普通、東城さんのようなキャラだと活発な親友とかをつけたりしてフォローする。この場合すぐに“あきらめモード”に入る東城さんを鼓舞する…といった動きをとるのですが、そこらへんの駒の足りなさが将(真中)を詰め切れない事になってしまったかなあ。

    > いやあ、あの時点ではたとえ「別れてくれ」と言ってももう東城に行く目はないでしょう。
    > 作者としちゃああの「雪の日の訣別」で描いた東城の辛い決意を作中で無にはすまい、
    > と決めていたんじゃないかと思います。

    いえ、作者の選択というより、主人公キャラ・真中の選択として「白紙にしてくれ」なんていうヘタれたお願いでは自縛になってしまったかなあと(笑)それとラブコメならどの位置からでも東城へ走る事はできると思いますよ。それこそ「どんなに前後の“辻褄”が合わない」話になったとしても一番好き合った者同士が結ばれる以上のハッピーエンドはない!というのが王道ですがら(笑)

    東城さんの話はそんな感じでしょうか。決してヒロインの座を転落せざるを得ないキャラだとも思えないのですが……不運という事かな。後、西野さんについてもちょっと書いておこうかな。
  • Re:東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:井汲 景太 <2005/08/13 02:31>
  • Re:東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:井汲 景太 <2005/08/12 02:36>
  • #86 Re:東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/13 02:31>
    <<<親記事]
    > …しかし、そこまで東城さんが弱かったのはなんでなんだろう?……友達がいなかったからかなあ、マジで。普通、東城さんのようなキャラだと活発な親友とかをつけたりしてフォローする。この場合すぐに“あきらめモード”に入る東城さんを鼓舞する…といった動きをとるのですが、そこらへんの駒の足りなさが将(真中)を詰め切れない事になってしまったかなあ。

    考えてみると、東城みたいな引っ込み思案な性格というのは、「ラブコメマンガ」の「メインヒロイン」というカテゴリではかなり珍しくないでしょうか(ちゃんと統計取ったわけじゃなくて印象だけで言ってますが、最近の4大誌だと、他には「エイケン」ぐらいしか今思い当たりません。普通は、「おとなしめ」という性格づけのキャラでも、言うべきときはポンポンものを言うものだし、手も出るときは出る。それができないキャラは「メイン」ヒロインにはならず3番手、4番手くらいのポジションにつく)。この性格はこのカテゴリの中じゃマンガを展開して行く上で明らかに大きな(致命的とさえ言える)足枷で、GiGiさんがおっしゃる「ヒロインとしての魅力に欠ける」というのもその辺りと強く関連しているんじゃないかと思います。今さらながら、この性格でよくも19巻も話を持たせたもんです。
    このマンガには普通のラブコメの枠からはかなり逸脱しているところが他にもあって、女の子同士が「いがみ合わない」んですよね。普通ラブコメマンガだったらヒロインたちが主人公を取り合って直接的にいがみ合う(軽くにしろ、重くにしろ)描写を用いて、主人公に自己投影している読者を喜ばせる、という手を使うんですが、「いちご」はそういう展開に入ることは注意深く避けてる(入りそうになると、作者権限によるハプニングが発生して回避される)。これは、そうやっていがみ合う醜い姿を見せるのがしのびない、という作者の女としての思いやりが現れているのかなあ。「いつもパンツばかり丸出しにさせてしまってスマン。せめてあんたたちには『きれいな姿』だけを見せてやるようにしてやっから」みたいな。
    そういう意味ではやっぱりこれは「ラブコメマンガ」じゃなくて第一義的には「パンツマンガ」なんですよ(笑)。「ラブコメ」っぽい要素は入ってるけど、あくまでそれはメインじゃない、という。
    東城の性格設計、ということに関して言えば、彼女は初期は嫉妬する描写が時折見られたのですが、途中からほとんど見られなくなっています。嫉妬していた頃の話を読み返すと、東城は一度ヘソを曲げると(作者の中で)なかなか機嫌を直してくれないキャラなのかな、という印象を受けます。とにかく機嫌を損ねると真中とは話もしてくれなくなる困った人だったのですが(これも「魅力に欠ける」一因かもしれません)、話に復帰するときは、これと言った理由もなく、「なぜか」普通に真中と接するようになったという感が強く、作者が無理矢理そうさせているように見えます。で、手を焼いた作者は「もう、東城に嫉妬させるのはこりごりだ」と思って「東城は嫉妬しない『ことに決めた』」んじゃないですかね。だいぶ後になってから向井を登場させたときに「東城の嫉妬描写」のリベンジに挑戦しており、一応軽く成功してはいるものの、結局その後に全然つながってないんですよね…。

    > いえ、作者の選択というより、主人公キャラ・真中の選択として「白紙にしてくれ」なんていうヘタれたお願いでは自縛になってしまったかなあと(笑)

    ああ、それは確かにそうですね。ただ、昨日書いたように再度つき合い出してからの真中は一応「西野一筋」を貫いて来た(「東城の方がよかった」という後悔をしたことは一度もない)ので、その流れからするなら「出るべくして出たセリフ」なのかなあ…。

    > それとラブコメならどの位置からでも東城へ走る事はできると思いますよ。それこそ「どんなに前後の“辻褄”が合わない」話になったとしても一番好き合った者同士が結ばれる以上のハッピーエンドはない!というのが王道ですがら(笑)

    御意。「作者が自主的にそうすることはなかったろう」という予想は変わりませんが、でも編集部からの指示があったら躊躇せずそちらを選んだでしょうね。

    > 東城さんの話はそんな感じでしょうか。決してヒロインの座を転落せざるを得ないキャラだとも思えないのですが……不運という事かな。

    やっぱり、一番大きな原因は「西野ファンからの要望がすごかった」ことなんじゃないでしょうか。どうやらキャラ人気では西野は東城よりだいぶ上のようなので、「西野とくっつけてくれ〜」という要望が強くて、それが最終ヒロイン交代を編集サイドと作者サイドに決意させたんでしょう、きっと。
    「所詮パンツマンガ」である以上、「読者のニーズに一番応える形にする」のは当然で、そこに文句付ける筋合はないのですが、だとしたらやっぱりあの終盤の展開は中途半端ですよねえ…。

    学園祭以降の展開について、西野と真中の描写が中途半端だった、ということに加えて、東城の描写にもいろいろと疑問は残ります。先日も「あの学園祭後の10回分ぐらいのエピソードには何の意味があったんだー!(笑)」とコメントしましたが、「東城が真中のことを振っ切って前を向く決心をする」という描写は、「雪の日の回」の少し前の「屋上で出会ったとき」にも軽くあるんですよね。だから東城としては同じようなことを2回も決意させられたような形になっていて、どうもチグハグです。
    その後の「雪の日の回」に至る展開もメチャクチャで、まず

    真中の為でないと小説が書けない

    思わず、自分が真中の彼女だったら…という考えが頭をよぎってしまう

    天地から逃れた後のモノローグは「私はやっぱりあなたのこと『しか』…」

    居眠りする真中に、衝動的にキスしてしまう

    という塩梅で、きっぱり振られたにも関わらず、時間が経つにつれむしろ真中への想いは募る一方、という描写になっています。家庭教師にやって来たときの服装も超ミニスカにボディライン丸見えのピッチリセーターと「殺る気マンマン」で、あわよくば真中を色仕掛けで攻略しようと企んでいるように見えてしまう(「自分が転びやすい」ことは当然認識しているはずだから、あの格好は「真中にパンツ見せること前提」としか考えられない(笑)。そりゃあ今まで何度も見られててもう慣れっこなのかもしれないけどさ…)。こんな状態で「決戦前夜」なんてサブタイトルを付けられた日にゃあ、誰だって考えることは一つですよね(笑)。
    ところが東城はあっさり勝負から降りてしまいます。えーっ、ちょっと待って、いやが上にも募りつつあった真中への想いを昇華する時間なんて、一体いつあったの!?作中の描写からは、唯からの電話を受けてからのごく短い時間のうちに、気が変わって決意したようにしか見えないのですが、上記の通り、それまでの描写からはそんな簡単に真中への想いを諦められるとは到底思えません。
    だけど、作者はそんなことを微塵も意識していないようなんですよね。東城が真中に訣別の意志を告げ、去って行くところでは、もうものすごく立派に真中への想いを諦めている。そこから逆算して考えると、どうやら、作者としては「あの真中への最後のキスで、東城は真中への想いにけじめをつける決心をして、それからずっと時間をかけてあの境地に達したんです。だってほら、私は東城のモノローグで『他にはもう何も望まないから』と言わせているでしょ」と思ってるとしか考えられません。
    いやあ、それは無茶ですよ、河下先生!そんなモノローグ、「いけないと思いつつも誘惑に負けちゃう人の典型的なモノローグ」に過ぎないじゃないですか!あれじゃあ誰が見たって「真中への想いがさらに加速しつつある」ようにしか見えませんよ!

    ………多分ですね。河下水希は「よしこれだ!」という「いい展開」を思いつくと、そのことしか見えなくなっちゃって、「そこに至るまでの数話分の整合性や辻褄」なんかそっちのけになっちゃうタイプのマンガ家なんですよ。下の方でLDさんが「…って超カッコいいフレーズを思いついた時点で前後の見境なく行きます!(笑)」とゆでたまごを評してましたが、たぶん河下水希も精神的に通じる部分があるんだと思います。
    今度も、「雪の日の東城の別れ」の回だけ単独で見ると非常によくできた回で、それは文句なく認めていいんだけど、そこまでの数回が非常に杜撰です。上で指摘したことの他にも

    [1] 唯はなぜ東城に家庭教師を頼もうと思ったのか?「真中が西野を選んだ」ことは知ってるはずだから、それだと「真中が振った相手に家庭教師を頼む」ことになってえらく気まずいわけだけど、そのことにまったく注意が回っている様子がないのは何で?
    [2] それに、東城に頼むなら、当然そのことは真中に言うはずでは?当日まで秘密ってそんなバカな。
    [3] 真中も、「タダで家庭教師をやってくれそうな、唯の知合いの学生」と言ったら当然東城が候補として思い当たるはずなのに、唯に確認しようとしないのはどうして?
    [4] 東城も東城で、そこはあまりの気まずさに断るところなのでは?「自分が振られたことは、唯は知らないはず」と思っていて断る口実をうまく思いつかなかった?それとも、「気まずい思いをしてでも、真中に会いたい」という想いの方が上回った?(それに、編集者に次回作を催促されていたけど、そっちはいいの?)
    [5] 真中を抱きしめているところを見付かった後、唯と顔を合わせたときに、「見られたのでは?」という疑問を東城が全然抱いていなさそうなのはなぜ?大きな音がしたから慌てて真中を振りほどいたわけで、その直後に唯が顔を見せたら「唯に見られた」可能性は非常に高いはずでしょ?そのときの唯の態度が何かおかしいことも容易に気づいたはずだし。
    [6] 東城を「監視」するため「受験まで毎日真中の所に来る」宣言する唯。ちょっと待て、オマエ桜海学園の友達いないのかよ!(笑)今どきの女子高生なんだから、ヒマだったら友達とのつき合いくらいあるだろう!?それに、部活とかはないのか?(入学直後の頃、部活見学に行ってたりしてたはずだけど…)真中たちが合宿から帰ってきた回で、「夏休みの思い出何にもなかったんだ」とか言ってたから、ホントに部活もやってないし友達もいない高校生活なのかもしれないけど、それはあまりに寂しすぎる…。オマエの世界は真中以外にないのか(笑)。高2の段階でセンター試験の英語ができるくらいじゃ大した取り柄にはなんないぞ(笑)。
    [7] その後「複数の女の子にフラフラしていたこと」に唯は怒りをぶつけていたけど、そんなことはとっくの昔に解っていたはずだろー!(笑)お前は一体今まで真中のどこを見ていたんだー!(笑)

    と数々の疑問点が浮かびあがってきます。

    (いや、これが「お色気アクシデント」に持ち込むための展開なら、いくら強引で疑問点だらけでも文句言いませんよ?実際、「余りに無茶なシチュエーションを、あっという間にパパっと構築する手際のよさ」がこのマンガの見所の一つだったわけですし(笑))

    また、詳しく見ると、「雪の日の回」にすらツッコミ所はあって、東城は「真中が本命大学の受験に失敗した責任は自分にもある」ことを認識しているのに、そのことを謝ってはいないんですよね。謝罪の言葉は「勝手なことして、怒ってたらごめんなさい」だけで、受験の失敗に対し直接謝っているわけじゃなくて、「行動の勝手さ」を、「もし怒ってたら」という「条件付き」で謝っているにすぎない。いや、やっぱりちゃんと謝ろうよ、東城(笑)。もっと肝心なことを、条件なんて付けずにさ(それにここでは、「西野に対して」すまない、ということも言うべきなのに、それがないのは残念)。
    おかげで、去り際の「唯をしからないでやって」というセリフも、何だか微妙に唯に責任転嫁しているように見えなくもありません(笑)。
    まああれだけつらい決意を告げた、18歳になったばかりの女の子にそこまで完璧を求めるのは酷ですから、そのことを本気で責めるつもりはないですが、でも河下先生はたぶん天然でやっていて、「そういう風にも見えてしまう」という点は、全然気づいてないんですよ、きっと。この「いい話」が描けた、ということで満足してしまっていて。

    とにかくこんな調子で「後先考えずに思いつきだけで行き当たりばったりにネーム切ってる」兆候は以前から見られる(その白眉が合宿中の無人島の回や、合宿から帰った直後の東西南北鉢合せ公園デートの回で、無内容を絵に描いたよう)人なので、どうも次回作以降が期待できません(笑)。「いちご」が長続きしたのは偶然に助けられた部分が大きいのでしょう。それだけに、最後をまとめ損なったのはもったいないなあ、と思わされます。
  • 雨宮という名の現象 投稿者:LD <2005/08/15 00:17>
  • #88 雨宮という名の現象
    投稿者:LD <2005/08/15 00:17>
    <<<親記事]
    井汲 景太さんの書き込みで自分の「ルシオラ編」についての論評を久しぶりに読み返してみました。ちょっと感懐深かったです(笑)
    しかし、気が付くのはこの論評を書いた当時(1998年)の僕は主役ライン(美神×横島)が崩れてしまう事に随分ナーバスになっているのが分かります。これは多分、制作サイドも同じだったと思います。「ここまま行ってしまうと物語のメイン構造が壊れてしまうんだけど、いいのか?行くのか?行って済んだら無責任に見捨てないか?」というある種の心配が作者と読者の間にありました(?)

    んで、当時の僕は確かに「主役の構造破壊は物語破壊に同じ」という緊張感を持って「ルシオラ編」を見ていたのですが、今は大分感覚が違いますねえ〜。…汚れちまって(笑)

    「すれば〜?“雨宮”すれば〜?つーか、さっさとすれ(…くちゃくちゃ!)」

    …という感じですからね(汗)また、あっさり西野さんに行ってしまったジャンプ編集の方も緊張感がないっちゃ〜ないという気もします(笑)
    しかし今回のハイエナで何故か「GS美神(ルシオラ編)」と「ななか6/17」を読み返すという行動に出てしまったんですが…。

    …つえぇええええ!?改めて、ルシオラつええええ!!特に「ワン・フロム・ザ・ハート!!」の回!おかしいもん!この回?ヤッたら消滅と知っていて横島の元に行くルシオラと、消滅させたくないから半殺しにしてでもルシオラを止めようとするベスパ!!フルパワー激突の中でぽんっと消滅の設定が投げ出されそれを知る横島!!…強過ぎ!!
    雨宮もつえええええ!!七華じゃ全然相手にならんよ?!というか気がついたらほとんど雨宮さんの視点形式で物語が進んでるんですけど????!


    …げふんっ。まあ、やっぱり話を積んでキャラを最強レベルまで育てる事を怖れず。しかし主役が潰れてしまう事には危機意識をもって当り。最高点での凌駕を目指す。バトルマンガに置き換えれば簡単な話なんですが「主人公が勝てるかどうか分からない」という理由で最強の敵を生み出す発想を躊躇するべきではないんですね(笑)結果が上手くいくかどうかは分からないけど、最高点を目指して描かれれば、それは読者にも伝わるし…燃えます!

    そこから考えると東城はまだまだ全然ピンチじゃないし全然逆転の目はあった。彼女は美神さんほど強力無比な敵に会ってはいませんし、七華ほど追い詰められてもいません(笑)むしろやれる手を全部使えば物語は逆転していたと思うんですけどね…。やっぱり時間切れだったのかなあという気はします。
  • Re:雨宮という名の現象 投稿者:井汲 景太 <2005/08/17 03:09>
  • #90 Re:雨宮という名の現象
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/17 03:09>
    <<<親記事]
    えー、すみません。チャンピオンは普段全然読んでなくて、結局「ななか」で雨宮さんがどうなったのか知らない(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…)ので、以下おかしなことを書いてたら叱ってやってくださいね。

    > …つえぇええええ!?改めて、ルシオラつええええ!!特に「ワン・フロム・ザ・ハート!!」の回!おかしいもん!この回?ヤッたら消滅と知っていて横島の元に行くルシオラと、消滅させたくないから半殺しにしてでもルシオラを止めようとするベスパ!!フルパワー激突の中でぽんっと消滅の設定が投げ出されそれを知る横島!!…強過ぎ!!

    あー、私はこの辺の感慨は全然違います。もともと当時は単行本派で、先の展開をある程度洩れ聞いてから本編に接した、という事情も大きいのだろうとは思うのですが、もう思いっきり冷静に読んでました。「タイムリミット設定がある以上(※ 外せるなんて思ってなかったよ…)、どんな行動を取ろうともシリーズ終了と共に退場する宿命からは逃れられない。『夕日の回』の健気さは認めるから、せめて今のうちがんばって、このシリーズ内だけでも横島とは精一杯幸せになってね」とは思うのですが、それが物語構造を「本当に」壊す危険性は、全然感じませんでした。

    確かに終盤椎名先生はルシオラをかなり持て余していたのはよくわかるんですが、それでも「どうやったって結局元の鞘には戻すよなー」という点は醒めて読んじゃってましたね(それよりも当時思ってたのは「もっとおキヌちゃんを出せ、おキヌちゃんを」でした(笑)。いや、超重度のおキヌ者なので…。すみません)。

    > そこから考えると東城はまだまだ全然ピンチじゃないし全然逆転の目はあった。彼女は美神さんほど強力無比な敵に会ってはいませんし、七華ほど追い詰められてもいません(笑)むしろやれる手を全部使えば物語は逆転していたと思うんですけどね…。

    そうですね、商業的要請や話の流れなどの要素を全部棚に上げて、「あの最終段階からどうすれば東城が勝てたか」だけに絞って考えるなら、東城のやってることは甘すぎです。あんな「キスしたい→我慢できない→キスしちゃう」なんていうケダモノみたいな場当たり的な行動じゃ、西野に勝てる訳がありません(人間だったら「キスしたい→それはまずい→やめとこう」という思考回路が働かなくちゃ。私はあれ読んだとき「げげ、東城が発情期に入ってる(笑)。サカっちゃって止まらなくなっちゃってる〜」と思ってしまいました(笑)。あんなポンコツキャラじゃなくて、東城はもっと高性能なキャラに描いてほしかったですよ、河下センセイ)。
    もし本当にどうしても真中が諦め切れないんだったら、もっと冷静に勝つための算段を立てないと。自他ともに認める優等生には辛いだろうけど、自分の中の醜い思いを認め、ちゃんと見つめるぐらいできなくてどーすんの。「西野さんが憎い、なんて思っちゃダメ。だって西野さんは悪くないし、いい人なんだから」なんていい子ぶってるようじゃ負け戦まっしぐらです。心の封印なんか全部解いて、西野への対抗心で自分を精一杯焚き付けなさい。で、はっきりと「なりふり構わず真中を奪いに行く」と西野に啖呵切って、それこそもう色仕掛けでも何でも使う覚悟を決めましょう。そこまでやれば勝つ公算も見えてくるというもの(………いや、天地と同じく天然ドジ設定に呪われてるから、作戦を立てれば立てるほどどツボに嵌まっちゃうかもしれないけどさ(笑))。

    で、先日書いた通り、この作品では作者が「女の子同士のいがみ合いは絶対描かない」というポリシーを最後まで固く守り通していたことを考えると、やっぱり実際には絶対ありえない展開だったろうなあ………。

    > やっぱり時間切れだったのかなあという気はします。

    上述の通り作者は東城に「勝ちに行く」行動を取らせてないですし、あの「雪の日の回」と卒業式・最終回で東城を救済しよう、というのは予定通りだったと思います。

    学園祭前後から、それまで取っておいたカードを惜しげもなくバンバン切って(西野の懸垂告白(と言うか、これはこんなカードがあるとは思わなかった隠し札(笑))、真中の選択、最後の学園祭・最後の映画、東城の本気告白)きて収束フェーズに入りましたが、そこから最終回まで半年弱もかかってますから、締めくくりに当たって時間が足りなかったということはないだろう、と見ているのですが…。
  • ルシオラという「くの一裏切り」 投稿者:LD <2005/08/19 05:40>
  • #91 ルシオラという「くの一裏切り」
    投稿者:LD <2005/08/19 05:40>
    <<<親記事]
    ルシオラという「くの一裏切り」

    > せめて今のうちがんばって、このシリーズ内だけでも横島とは
    > 精一杯幸せになってね」とは思うのですが、それが物語構造を
    > 「本当に」壊す危険性は、全然感じませんでした。

    そこらへんはボルテージの違いでしょうね(笑)僕はこの娘、どーにも好きですし(笑)
    ただ僕も正直なところでは29巻続けた物語の主人公破壊をするとは到底思えなかったわけですが、ではどうやってこの話を収め切るのか?収めきれない場合はあるいは…?という半ば妄想が暴走的な期待感は持って連載を受け止めていました(笑)
    それは椎名先生の作家性…あるいは「GS美神」の物語構造で、いい人(娘)の“人死に”を出していないという事が大きかったと思います。これがたとえば「ベルセルク」のような作品だったら、ルシオラのような娘が出たとしても「…まあ、死ぬべきときに死ぬんだろうねえ」という感じだったと思います。(というより「モズグス様〜!!!大好きだ〜!!見事に散ってくれ〜〜!!」と、全く違う応援の仕方をしていました)作品として“人死に”がある事が前提ならば、退場すべき時に退場しないで醜態を晒した名キャラクターってのも決して少なくはないですしね。

    ただ多分「GS美神」の中で“完全退場”しているのはルシオラだけなんですよ。

    椎名先生はこの作品で以前に出したキャラクターはその後の話の中にも頻繁に出していて、サブレギュラーレベルになったり、そうではなくても思い出したように背景の中に描いたり、そういう再登場の機会を与えられていたと思います。(かつての読み切り時代のキャラクターたちも頻繁に出していましたっけ)もともとギャグマンガという世界設定でもあり、いい人(娘)は殺さない。機会があればまた出す。…そういう意味では悪役として描き、退場させた者たちも決して“完全退場”というワケではなく、機会を得れば回想などでまた楽しそうに再登場させるという作品世界なんですね。

    しかし、ルシオラだけは再登場させれないワケです。出せば横島くんの立ち位置が不安定になり「GS美神」の世界が壊れるから。

    ルシオラ編は形式上は「ルシオラは死んでいない」という結末が与えられました。あそこに滑り込んだのは、当に椎名先生と「GS美神」という作品の信条があったからだと思います。そうでなければルシオラはさっさと退場しています。淡白に「キャラは死ぬべきときに死ね!」という作家さんなら「んんんんん?みんな(読者)盛り上がってるか〜い?それじゃそろそろ、この抹殺ボタンを押しちゃおうかな〜?押しちゃうよ〜?あっそれポチッとな?」ってな感じに抹殺されていたでしょう(笑)しかし、そうであれば逆に回想シーンなどで出せていたかもしれません。
    そういう意味において「死んでいない」という事にはなっていても、ルシオラは「GS美神」の世界において禁忌というか回想シーンに出す事も憚られる“完全退場者”となったワケです。これがファイナルエピソードなら完全退場者もありだったでしょう。しかし「GS美神」はその後も続けたワケで、あるいは先の展開でもうちょっと詰めてもよいハズだった美神VSおキヌという構図にすっかりブレーキがかかってしまったかもしれません。

    余談ですが、これが当初の予定通りパピリオを「くの一裏切り」に添えていれば三姉妹は一人の退場者も出なかったんじゃないかと思います。…勝手にパピリオ予定だったと決め付けていますが(笑)三姉妹初登場時に“悪役じゃないペンタッチ”で描かれているのはパピリオだけですし(笑)作品構造的にも納まりがいいんですよね。勿論、その展開でこれだけ盛り上がったかどうかはわかりませんが…。
    (※ さらに余談。ちょっと書き損なっていた事なんですが、ルシオラ編で横島くんがペットにされ洗濯をしている最中に「ふろーむらっしゃー、ういずらーぶ♪」と歌っていますが、あれは「007ロシアより愛を込めて」のテーマ曲ですね。件の映画は「くの一裏切り」の代表的プロットの作品です。つまり椎名先生はここで「これから“くの一裏切り”をやります!」と宣言している事になります。は〜、やっと書けた)

    そんなワケでルシオラは最後は納まるところに納まっており、今回よく引き合いに出している“雨宮”のように「自分の運命(キャラ配置)を自分の力で変えてしまった?!」というキャラにはなり得なかったわけですが、では「GS美神」の予定調和に完全に与し、その世界構造を何ら傷つけるものではなかったかというと……一矢報いてるかな?と(笑)個人的にはそう思いますね。

    (※ さて「いちご」のレスは「西野は何故勝利したか?」に移送しますね)

    #82 Re:東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/12 02:36>
    <<<親記事]
    > というか…学園際でベストカップルか何かの番号合わせで真中と番号が合っていたのは東城さんの方だったワケで、通常あれは「内定通知」でしょ?(笑)ここまで“演出付け”されたヒロインが本命から転落なんてまあ聞いた事ない(笑)

    結果論ですが、その前の「真中が西野の目の前で番号札を破り捨てた」シーンと合わせると、「真中が『宿命』や『運命』に左右されず、自らの意志で自分の進む道を選び取った」という(ここだけ見ると少年マンガの典型的な文法に則った)描写だったんでしょうね。また、東城側から見ると、「運命の恋」が「残酷な運命のいたずらによって儚く散った」というドラマチックなシーンが演出された、ということになるんだと思います。

    私は当時「内定通知」のつもりなのかそれとも「儚く散った夢」のつもりなのかどっちかわからなくて、「はっきりせんかい!(笑)」と思いながら読んでた記憶があります。

    > そこから見ても僕はあのラストについて「東城あきらめた説」を展開しますね。西野を選んだし、西野も好きだけど、決して東城よりも好きなわけではないと言うね(笑)

    一応、どちらにも取れるようにはしているっぽいですけどね。西野と再度つき合い始めてからの真中は、「正式な彼女」である西野に対する態度は、辛うじて人並程度の誠実さ(笑)を見せるようになっていて、学園祭の前も後も一貫して、「東城が好きだ」という直接的な描写は(一応)ない、ように見えます。例の「東城、今君にすごく会いたい…」にしても、「惚れた腫れたの相手」じゃなくて「夢を共有した仲間」として会いたい、という解釈は可能ですし(まあそうは言っても、真中の側はたとえ割り切ってそう思っていたとしても、実際会ったら、東城にとっては「夢の共有」と「恋心」は一体不可分で想いを募らさずにはいられない、ということくらいは真中にだって当然解っていたはずで、そういう意味じゃシロとは言いきれませんが)。

    (その「誠実度メーター」が一番ぶれかかっていたのは多分東城に送られたノートの小説を読んだ回で、あの時は「だって俺は東城が嫌いなわけじゃない」とか「この小説を読んでも、俺は西野が好きでいられるんだろうか」とかいうふざけたモノローグが飛び出して来ていて「この期に及んでまだそれかー!」と激しく突っ込みたくなったものです(笑)。一応次の回で、ギリギリセーフとなりましたが)

    だから、「やっぱり本当は東城のことが好きなんだ」と思いたい人はそう思ってていいし、「ちゃんと西野一本に絞ったんだ」と思いたい人もそう思っていい、どちらとも取れるラストにしている(少なくとも桃栗先生のつもりでは)んでしょう、きっと。

    > 思い返してみても真中が東城さんを好きな部分や、エピソードなどは容易に引き出せるんだけど、西野さんはそれが低い。

    すごい偏りがありますよね(笑)。ただ、これも再度つき合い始めてから後に限ると、上記のように「東城が好きだ」という直接的な描写は影を潜め、逆に西野スキスキ状態を割とオープンにしている感はあります。なのでやっぱり、最終的にフェーズ移行が行われたのは東城ノーブラ騒動時のいきさつで、あれ以前のどこかで作者側で「本命ヒロイン交替」が決定されたのでしょう。

    (あと、ファンサイトをざっと回ってみた感じだと、西野ファン側の言い分としては「ずっと一貫して『西野サイド』のエピソードの方が、『東城サイド』より濃度が高かった(だから、以前から本命は西野に傾いていた)」ということになるようです。確かに、修学旅行では東城とはキスしかかっただけでその後はスルーだったのに対し、西野とは深夜の密会→縁結び神社での密着デートのコンボだった、など、見栄えのするイベントは西野側に多かった、という指摘は一理あります―――ただ、やっぱり「一理」に過ぎなくて、「マンガ読み」としちゃあ「それは君たち、見掛けの派手さに気を取られて大事な所に目が行ってないよ(笑)」と言いたくはなりますが)

    > …しかし学園祭後夜でシュート打つんですけどね。今度はそれを真中に拒否られてしまう。これも真中が東城さんの事を何とも思っていないワケではなくって、西野さんが(好きだからではなく)完全に“棘”になっている。…なので自分がその思いを振り払うような土下座の拒否!(笑)ここが勝負の綾だなあ。

    ほんとにねえ。ここで当時の本命の予想は「これ絶対北大路や黒川先生が乱入してきて、返事はうやむやになってまたループ突入だろ(笑)」だったんですが、きっぱり土下座して断りましたからねえ(実際、北大路は立ち聞きしていたわけですが)。私が初めて「ああ、西野が本命キャラになる目が『本当に』出てきたんだ」と認識したのはこの回でした。

    それ以前に真中は「これが、俺の本気」というキザなセリフで西野にチューをぶちかましてますし(しかも、その際東城の姿が脳裏をよぎったりはしていない)、「東城に彼氏ができたから、という理由で西野を選んだわけじゃない」と外村に断言してはいるので、少年マンガ的にはここで東城にOK出しちゃうのはかなりNGなわけで、邪魔が入らずにちゃんと返事させるなら東城を振らざるをえないだろうなー、とは思っていました。ただ、実際このマンガじゃやっぱ逃げを打つだろ、と見くびっていたので、この回はかなり驚かされましたね。まあ私の中で真中の株は上がったと言えば上がったのですが、個人的にはずっと東城に肩入れして読んでたマンガなので、逆風の中トドメを刺されて非常に残念だった回でもあります。

    ちょっと話はずれますが、真中はほとんどいつも女の側から告白されてばかりなんですよね。最初の懸垂を除けば、北大路からも、西野からも、向井からも「好き」と言われており、東城からもついに疑似告白を受けている。自分ではほとんど何もしないのに、相手の方が何でもかんでも都合よく振る舞ってくれる、というのはこの手のマンガではお決まりと言えばそうなのですが、「せめて本命中の大本命である東城にくらいは真中の方から『好き』って言ってやれよなあー」と以前から思っていたので、東城最大の見せ場である「本気告白」も、私にとっては(真中の返事がどうであろうと)やや残念なシーンでした。

    > 「スチュワーデス物語」で風間杜夫教官に「こんな両手になってしまったのは誰のせいなの!?」って詰め寄るあの義手女(名前忘れた)

    あー、「ステュワーデス物語」は見てなかったからわかんないです(笑)。すみません。でも雰囲気は十分わかります。(この掲示板ってタグ使えるのかな?ちょっとテスト)

    > そこで変にドロドロした話を読者に見せるよりは、それぞれがそれぞれに傷を抱えつつも、納得もしているという「三方一両損」のような終わり方になったのかなあという気がします。

    ですね。ただ、このマンガって所詮は「ただのパンツマンガ」なんですよ!(笑)なのでそんな「深み」のある終わり方でどーする、と私は言いたい。もっと安易で、安直極まりないベッタベタのオチをこそ期待してたのに、何だって桃栗先生(私もしつこい)はそんなあさっての方向を目指しちゃったんでしょーか(笑)。

    別に「パンツマンガ」の枠に拘らなくても、「ジャンプマンガ」としてもこれだけ「予定調和」から外れるのはかなり異例ですよね。これが例えば「サンデー」だったら、北崎拓や(みなさんのおっしゃるところの)マエストロ辺りがうっかりやりかねないことは確か(笑)なんですが。

    (とりあえず、今日はここまでにしておきます。残りに対するコメントはまた明日以降…)
  • Re:東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:匿名さん <2005/08/12 04:42>
  • #83 Re:東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:匿名さん <2005/08/12 04:42>
    <<<親記事]
    面白く拝見させていただきました。
    なるほど井汲さんは東城贔屓(というか王道志向ということかな?)の見方だったわけですね。
    臆面もなく西野贔屓の立場から言わせてもらうと、東城の敗因はもう決定的に

    『ヒロインとしての、人間としての魅力に乏しかった』

    という事に尽きるんでないかと思ってしまったりもしますw。

    LDさんがしきりに辻褄が合ってるという言い方をしてましたが、そりゃあ、普通に考えれば西野を選びますよ。男として、西野のような理想の彼女を手に入れて、それを振り切って他の女に走るなんて法は普通ありえませんw。

    それでもやっぱり西野エンドは正直見たくなかったですね〜。それじゃあ普通すぎるじゃんというのがまずあって、井汲さんも仰るとおり、もともとこのマンガ、ドタバタとお色気が売りだったわけで、最後までその線で押し通して欲しかったというのもあります。例えばハーレム化エンドみたいなw。あるいは逆に真中が今まで言い寄られた女の子全員にこっぴどく振られて雄叫びを上げるようなオチでもカタルシスがあっていいですねw。

    こうして考えてみると西野エンドが、東城エンドが、というのは実は瑣末な問題で、なんの起伏もない平坦なオチになってしまったことが最大の不満ですね、やっぱり。西野エンドなら西野エンドで、お姫様抱っこ程度のワクワクじゃあ全然足りない!んですヨ。もう一生この二人は大丈夫だ、くらいのラブラブパワーを見せ付けてくれたらそれはそれでアリだったなーと、つらつらと思いつくままに書いてしまって読み難い文章になってしまいましたが、こんなところで。
  • Re:東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:井汲 景太 <2005/08/12 22:20>
  • Re:東城は何故勝てなかったのか? 投稿者:GiGi <2005/08/12 04:43>
  • #85 Re:東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/12 22:20>
    <<<親記事]
    どうも、コメントありがとうございます。

    > 『ヒロインとしての、人間としての魅力に乏しかった』

    > という事に尽きるんでないかと思ってしまったりもしますw。

    えー、そんなー(笑)。

    > あるいは逆に真中が今まで言い寄られた女の子全員にこっぴどく振られて雄叫びを上げるようなオチでもカタルシスがあっていいですねw。

    それもアリですね。その線で行くと、一時期「もー真中は全員に愛想を尽かされて、『黒川先生とくっついて終わり』でいいよ(笑)」とも思っていたことがあったのですが、実は旧映研のヒロインとわかって「いかん、真中にはもったいなさすぎる!」と考えを改めました(笑)。

    > もう一生この二人は大丈夫だ、くらいのラブラブパワーを見せ付けてくれたらそれはそれでアリだったなー

    そーなんですよね。で、「大丈夫だ」と思えない不安な描写だったので

    > 男として、西野のような理想の彼女を手に入れて、それを振り切って他の女に走るなんて法は普通ありえませんw。

    っていう風には、読んでて感じられないんです。「こいつら、つき合ってても全然幸せそうじゃないし、幸せになれそうもないじゃん?」って感じで(笑)。別に西野とくっつけることにしたんならそれはそれでいいから、遠慮せずにベタベタでラブラブな描写にすればよかった(というかしなきゃいけなかった)のに、それを躊躇っているもんだからどーにも読んでてすっきりしない、という部分が多分にあります(という訳で、話は私の最初のコメントに戻っていきます)。

    #84 Re:東城は何故勝てなかったのか?
    投稿者:GiGi <2005/08/12 04:43>
    <<<親記事]
    う、記名忘れ(^^;

    > 面白く拝見させていただきました。
    > なるほど井汲さんは東城贔屓(というか王道志向ということかな?)の見方だったわけですね。
    > 臆面もなく西野贔屓の立場から言わせてもらうと、東城の敗因はもう決定的に
    >
    > 『ヒロインとしての、人間としての魅力に乏しかった』
    >
    > という事に尽きるんでないかと思ってしまったりもしますw。
    >
    > LDさんがしきりに辻褄が合ってるという言い方をしてましたが、そりゃあ、普通に考えれば西野を選びますよ。男として、西野のような理想の彼女を手に入れて、それを振り切って他の女に走るなんて法は普通ありえませんw。
    >
    > それでもやっぱり西野エンドは正直見たくなかったですね〜。それじゃあ普通すぎるじゃんというのがまずあって、井汲さんも仰るとおり、もともとこのマンガ、ドタバタとお色気が売りだったわけで、最後までその線で押し通して欲しかったというのもあります。例えばハーレム化エンドみたいなw。あるいは逆に真中が今まで言い寄られた女の子全員にこっぴどく振られて雄叫びを上げるようなオチでもカタルシスがあっていいですねw。
    >
    > こうして考えてみると西野エンドが、東城エンドが、というのは実は瑣末な問題で、なんの起伏もない平坦なオチになってしまったことが最大の不満ですね、やっぱり。西野エンドなら西野エンドで、お姫様抱っこ程度のワクワクじゃあ全然足りない!んですヨ。もう一生この二人は大丈夫だ、くらいのラブラブパワーを見せ付けてくれたらそれはそれでアリだったなーと、つらつらと思いつくままに書いてしまって読み難い文章になってしまいましたが、こんなところで。
  • 「天元突破!雨宮ゆり子!」その5に寄せて 投稿者:井汲 景太 <2008/06/20 06:52>
  • #234 「天元突破!雨宮ゆり子!」その5に寄せて
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2008/06/20 06:52>
    <<<親記事]
    3年も昔のエントリですが、「天元突破!雨宮ゆり子!」その5 http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya5.html に触発されて、再び取り上げて参ります。

    [1] 西野は本当に北島マヤか?

    LD さんは上掲記事にて「彼女(西野)は序列一位と渡り合う力をもって彼女に挑み」という表現を用いられていますが、果たして、これは本当だろうか?という所から論を起こすことにします。

    ………再登場以後の西野さんって、「ただのロボット」じゃないですかね?第3者のことをほとんど目に入れず、真中のことだけを一途に想うようなプログラムをインプットされただけの、視野の狭いロボット。

    西野というキャラの一番わからない所は、「何でそんなに真中のことが好きなのか?」という所なんですね。真中から告白を受け、それにOKを出して付き合い始めた正式の彼女のはずなのに、実は真中の心は別の子に向かっている…ということを思い知らされた上、それを真中がはっきり口にも出さずなあなあの付き合いを続けている、という《余りにもひどい扱い》に失望・嫌気が差して、忍耐の限度を超えたため《自分から》関係を解消した…というのが最初の別れでした。

    にもかかわらず、再登場した西野は、それほど深い事情もないまま、「たとえ東城がいようとも、それでも真中にぞっこん中のぞっこん、尽くして尽くして尽くし抜く」というよくわからないキャラになってしまってるんですよね。え?キミ東城がいるから嫌になって《自分から》真中を振ったんだよね?その事情が変わったわけでもないのに、何でそんなに真中が好きなん?そんなに好きになるほどの男を、何だって《自分から》振ったりしたわけ?しかもキミ、真中以外に言い寄ってくる男がいくらでもいて、その中から自分の好みに合う相手がよりどりみどりだったよね?何で「そんなにも」真中がいいの?何で真中「だけ」しかダメなの?そんな理由、どこにもないじゃない。

    ………いや、世の中「好きになるのに理由なんかいらない」という話は掃いて捨てるほどありますよ。「理屈抜きで、とにかく心の底から好きだー!」という話そのものにはケチをつけようなんてこれっぽっちも思っていやしませんが、でも西野さん、あなたの場合って違うよね?あんな《余りにもひどい扱い》を受けたあとにそういう「好きさ」が芽生えるなんてありえないし、初めからそういう「好きさ」を持っていたんなら、《自分から》振るなんてことをするはずもなく。

    再登場以降の西野って「手に入らないおもちゃを欲しがる子供」みたいなもんで、「なぜ、『あんなにも』ひどい目にあった相手を、『わざわざ好き好んで』追っかけるのか?」が全然わかりません。

    で、これって「北大路がなぜそんなにも真中が好きな状態がいつまでも続いているのか」にまったく理由がないのとおんなじ事情で、単に「理由は全然ないけど、とにかく話を引き延ばす都合上、『好き』ということでいてくれないと困る」というだけの話でしかないんですよね。なので、いっくら西野エピソードが繰り返されようと、読者としては白けるばかりで、全然演出として「積み」になっていない。

    以下に「今週の一番」2005年11月第4週分 http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10224.html#377 から、「DEATH NOTE」第2部の高田についての評を引用しますが、これって最初の別れの「後」の西野にもそのまま当てはまる評になっています(特に終盤の西野に)。

    | 展開のために必要な機能以外は持っていないポンコツアンドロイドというか…。

    | キャラクターが備わる以前というか、展開のために必要な機能しか与えていな
    | い状態で舞台に上げてしまった感じがするんです。操り糸や、球体間接[ママ]
    | が見えそうっていうか…。

    | 極端に言っちゃうと、この高田さんは人間じゃないですねwゲームの中のキャ
    | ラみたいな。

    | ラスト頬染めてるんですよね高田さん。先週もそうだったかな?『頬染めて欲
    | しい展開に頬染めさせてるだけ』です。高田さんの意思なんてないし見えない。

    | いや、だからライトがなんか艶っぽい事しゃべると、ボタン押したかのように
    | 頬染めるって状態だから、キャラクターが備わる以前って言ってるの。

    西野さんの意思なんてないし見えない。真中の前に出ると、ボタン押したかのように頬を染め、お色気大サービスでばっちり接待。端的に言って再登場以降の西野は「展開の奴隷」であって、キャラとしては「死んでおる」のです。ただの一度もキャラとして「生きた」ことがない。そんなキャラが、LDさんの言うように、「渡り合う力」を持っていたと評するに足りるか?足りないと思いますね、私は。まったく足りない。

    「漫研」内からの引用を続けます。http://www.websphinx.net/manken/note/post.cgi?hdl=1&wher=../note/anim.html&lbgn=260 より、ルイさんの「ゼロの使い魔」に対する評です。

    | とにかく、「甘え」がありすぎる。甘えというのはキャラ造形に関してで、行
    | 動を演出として積み、感情に昇華させる・・といったプロセスが全然見えない
    | 作品でした。キャラ設定での「性格」数行文章に全て頼ったようなもの。特に
    | 壊滅的なのが「○○が、××という行動をとる」という基本部分で、キャラ描
    | 写が全然為されていないので大体の行動に「・・?なんで?」などと疑問符が
    | 浮かんでしまう。「このキャラならこうする」という定型すら足りていないの
    | で、それに沿わない行動を敢えてとる、という時の演出力も生まれようがない
    | んですね。全てが脚本に沿うまま動くだけ。行為でキャラを立たせられていな
    | いから、感情もついてこれないのに、何故か勝手に恋愛度だけ上がっていく〜
    | みたいな

    西野に当てはまらないのは“「このキャラならこうする」という定型すら足りていない”の部分くらいで、残りはこれまた再登場後の西野にピッタリの評になってしまっている所が面白いです(笑)。特に「全てが脚本に沿うまま動くだけ」という部分は、再登場以降の西野のキャラとしての貧しさの急所を一言で言い当てている表現ですね。

    では、雨宮はどうか?

    http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya3.html より:

    | 雨宮が稔二の事を好きになったのは子供の頃苛められていたのを助け
    | てもらったからだ。彼女はず〜っとその想いを忘れず抱き続けていた。
    | …よっぽど嬉しかったのだろう。

    | そして戦乙女のように攻撃的な鎧を身にまとってはいるが、心の中身
    | は昔の頃と変わらない、内気に、ずっと稔二の事を想い続け、時々乙
    | 女チックな空想を楽しみ、そしてやっぱりすぐに泣いてしまったりす
    | る女の子である事が稔二の前では、次第に明らかになって行く。ここ
    | らへんの内面描写が稔二と同量か、ともすればその上を行き、ライバ
    | ルであるななかや七華を凌駕してしまっているのが、そのまま雨宮ゆ
    | り子のキャラクターの「強さ」に直結している。

    という具合ですね。

    そういう「強さ」が西野にあるか?否!

    雨宮と違って、西野にとっての真中は「ずっとずっと想い続けていた、どんなにしてでも手に入れたいオンリーワン」ではないんですね。もともと、《そんなにも》好きになる理由なんて持ってなかったし、想いは一度途切れた。だからこそ《自分から》振る、という行為につながったのです。

    雨宮さんは、第1部の終わりで留学によって一旦退場するのですが、その際も稔二に未練たらたら、それでも辛い胸の裡を隠して無理やり笑顔を作って去って行きます。

    西野はそうだったか?否!

    最初の別れの時の西野は、「最後まで追い縋ったんだけど、無理やり手を振り払われて終わり」にはなっていません。「待ってるだけの恋してるなんてもったいなくない?」「今度こそサヨナラ」と西野は真中に吹っ切れて、晴れやかにサッパリと真中を振るという非常に綺麗な別れになっていますね。もうクヨクヨしないで前向きに生きていく、という決意がはっきりとしています。バレンタインデーの後真中と再会したときも、ホワイトデーのお返しのリクエストを尋ねる真中に「あたしがあげたってことも気付かなかったら気付かないままでいいやって思ってた」と、真中との経験を糧にして、一回り大きくなった姿として描かれており、もう真中のことは吹っ切れている、別に真中への想いが再燃したわけではない、という態度でした。ここでもう、恋愛感情は、(仮にかつてあったとしても)一旦途切れているのですね。もちろん、理屈から言えばそれが当然の話で、当時は西野を真中争奪戦に復帰させるべきか否か、作者が反響を慎重にテストしていた様子が伺えます。西野の再参戦は、作者の本意ではなかったものと思われます。

    そういう、「真中のことを好きになる理由が空っぽ」という西野さんの内実が如実に顕れている所として、終盤「真中に対する興味が異様に薄い」という部分があります。

    真中に対する西野の一連の態度は、

    ・ 留学が近づく不安な気持ちひとつ伝えない
    ・ 留学の予定が変わっていないことも伝えない
    ・ 家族旅行の予定すら伝えない
    ・ 留学の日取りすら伝えない
    ・ 受験終了後の待ち合わせすら誘わない
    ・ 留学までの間・留学後、2人の関係をどうしたいのか、話し合おうともしない

    となっています。これ、ちっとも真中との仲を深めようという意志が感じられませんね?一体、真中とくっついてどうしたかったのでしょう?

    そのくせ、学園祭のときは真中のほんのちょっとした仕草に敏感に反応するのですから、「真中が欲しかった」というのは、「真中の心に東城がちょっとでもいることは許せない」というだけのことでしかないんでしょうかね?終盤の西野は、まるで「東城さえいなければ、自分の方を向いているかどうかはどうでもいい」とでも思っているかのような、独占欲が強いんだか希薄なんだかよくわからない不可解極まりない態度です。何がしたくて付き合ったのか(付き合いを申し込んだのか)首を捻らされます。

    そして東城との関係には敏感なはずなのに、なぜか「真中が映画の件で壁にぶつかって東城に協力を仰いでいたことも知らない」って所は一転してやけに踏み込みが浅いです。やっぱり「真中についての興味が異様に薄い」んですよね、この人は。

    そもそも、あと半年でパリに発つというこのタイミングで、なぜもう一度真中に付き合ってくれと頼んだのか?というのもよくわからんのですね。「留学するから恋人でいられるのは後半年でその後はどうなるか分からないけど、それくらい真中と一緒にいたい」ということなのか、「強い意志を持ってその後も遠距離恋愛をなしとげたい」なのか。しかし蓋を開けると上述の通り西野は無定見そのもので、君らどーするつもりだったの?と思わざるを得ません(ひょっとしたら、連載終了後に出たドラマCDで補足されているのかもしれませんが、それはここでは考えないことにします)。

    こういう所、結局、作者の中で、最後まで西野が「東城の対抗馬」以上の存在にならなかった、ということなんだと思うんですね。どうしても血の通った人間として「真中のことが好きな西野」をうまく描けなかったんでしょう。西野は、「真中が好きで好きでたまらない」などいう、嘘で塗り固められた偽りの感情を無理やり持たされていた気の毒なキャラと言えます。

    また、第[2]項で詳しく述べますが、学園祭のときに真中が東城に意思表示したのも、真中と東城の縁がきっちり切れたのも、西野の留学のタイムリミット前にお互いの意思が確認できて自然消滅を免れたのも、すべて東城の行動・自滅によって漁夫の利を得ただけで、西野の行動はまるっきり寄与してません。ですから、結局このマンガは「西野と結ばれた」という物語ではなく、「東城と、ではなかった」という物語で終わってしまったのですね。終盤(特に学園祭以降)は、東城が実質的な主人公になっており、西野は最後まで東城におんぶにだっこで、結果として、真中と西野の関係だけでは余りにもお粗末すぎる物語性を穴埋めする尻拭いをしてもらっています。

    頭書記事中で参考文献として挙がっている http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0087.html 中で、LD さんが西野を北島マヤになぞらえている所がありますが、もし本当に北島マヤが西野役を担当していたなら、こんなことにはならなかったはずなんですよね。「なぜ真中をそんなにも好きなのか」という理由も見せてくれただろうし、終盤も主体的な行動でストーリーをリードしてくれたでしょう。いや、真に「北島マヤ」であったなら、たとえ「真中をそんなにも好きな理由」などまるで欠けていようと、それでも読者を圧倒する超絶的説得力で、有無を言わさず物語をも自らの下僕としてねじ伏せて勝利を掴んでいたはずです。

    が、西野さんはそこまでのキャラではありませんでした。

    上述の通り、あちこちボロが出てるんですね。私の返答記事 http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0089.html で言及したように、西野さんはせいぜい姫川亜弓・歌子クラス、場合によってはもっと落ちるキャラでしかないのです。

    [2] 西野は本当に螺旋戦士か?

    頭書記事にて、LD さんは「いちご」の項を「(西野は)あのラストシーンを手に入れたのだ」で締めくくられています。が、これは本当に「(自分で)手に入れた」のでしょうか………?

    適切な表現は「手に入れた」ではなく「恵んでもらった」なのではないでしょうか。

    「雨宮」その4 http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya4.html より

    | だからこのステージは雨宮が自らの力で掴み取ったものなんだ!!

    その通り。雨宮は、自らの力で掴み取りました。

    西野は果たしてそうだったか?否!

    前述の通り、

    ・ 真中が東城に意思表示できたのは、たまたま東城が告白してきたという機会があったから
    ・ 真中と東城の縁が切れたのは、たまたま東城が「唇盗人」という卑劣な行いに及んでしまい、尻拭いのために身を引いてくれたから

    という事情で、西野は一貫して真中に慈悲を乞うだけ(=人任せ)であり、現実から目を逸らし、耳を塞ぎ、手をこまねいていたら、タナボタで指一本動かすことなく問題の方が勝手に都合よく解決してくれただけです。

    雨宮は、稔二を手に入れるため、七華と対峙し、糾弾します。
    雨宮“…心中なんて/あなたはそれでいいかもしれないけど/凪原君を巻き込まないでよ!!(中略)あなたは/自分の理想を/凪原君に/押しつけてるだけなのよ!!”(「ななか6/17」第11巻)

    西野がそれだけの勇気を奮い起こしたか?否!

    あの雪の日、真中宅前で現れた東城に、西野は尻尾を巻いて逃げることしかできませんでした。

    雨宮は、七華のもとに行こうとする稔二を、決死の覚悟で引き止めます。
    雨宮“今…行ったら私……死んでやるから”(「ななか6/17」第10巻)

    西野がそれだけの覚悟を見せたか?否!

    その後のカラオケボックスでも、詳しい話を聞きもしないうちから「覚悟はできてたんだ」と、あっさりと真中を手放そうとする始末でした。

    学園祭前に編集途中の映画で東城の擬似告白場面を目にしてしまってからこっち、西野は一貫して自分を被害者の立場に置き、「(真中の中の)東城には勝てない」で自己憐憫に浸り、思考停止に陥っていただけ。そんな悲劇のヒロインぶった、被害者意識丸出しの振る舞いなど「自己肯定能力が足りない」だけで、自分に突きつけられた命題から逃げ回って、全部他人に尻拭いしてもらっているだけです。

    果たして、こんな西野に、雨宮と同列に並べて「螺旋戦士」の一員として賞賛されるだけの資格があるでしょうか?私はないと思いますね(もっとも、そこは「雨宮後に、序列下位のヒロインが勝利した実例」が載っていることに意味があるので、ここで細かい内実抜きで西野をリストすることそのものには反対しませんが。ここでは私は、「だがいちごの内実はこうであったことは忘れるべきではない」という話を書いています)。

    ※なお、そういう観点から言うと、「霧里七華はあなたになんか/負けはしない…!!」とまで言った七華が、終盤で自発的に勝負から降りてしまっているため、雨宮さんがラクをしている、という面もあり、この点雨宮さんも「完全無欠の螺旋戦士」ではなかった、という見方もできますね。この件に限っては、西野一人を責めるのは公平さを欠くかもしれません。

    | 父親の再婚を複雑な思いで見送ったななかと稔二はななかのお母さんの
    | 思い出の場所への二人きりの旅行を知って雨宮は強引にこの旅行について行く。

    | ■このシーンはかなり居たたまれない程、雨宮がみっともないシーンである。
    | 「めぞん一刻」で一人旅に出かけた響子さんを追った五代くんが偶然のいた
    | ずら的に同じ宿に居合わせる、とういった場面などがあるが、雨宮にはそう
    | いった状況のキツさを緩和させるような手引きは基本的に受けられない。
    | 何故なら七華よりも序列が下だから!
    | 恥ずかしかろうが、みっともなかろうが、全部自分でやるしかないのだ。

    そう。雨宮は恥ずかしかろうが、みっともなかろうが、全部自分でやりました。

    西野は果たしてそうだったか?否!断じて否!!

    西野は全部他人に奉仕してもらっただけ。―――恥ずかしく、みっともないことを行い、「全部自分でやっ」て物語に殉じたのは東城です。身勝手この上ない理屈を唱え、彼女は居眠りする真中に口付けします。ありとあらゆるご都合主義の産物に導かれて(たまたま真中家に居合わせた唯が家庭教師のアイディアを出し、東城に依頼する・たまたま直前に東城は天地に強引にキスされそうになり、その時の記憶が脳裏をよぎる・たまたまその日は家に真中一人・たまたま真中は居眠りに陥る・東城が抱きつき、キスしてまでも目が覚めないくらい深い居眠りに、なぜかちょっとお手洗いに席をはずしただけの間に陥る・たまたまそのタイミングで唯がやってくる・たまたま唯に東城は気がつかない)。そして汚れ役を引っ被って西野にとっての「安全圏」に引っ込みました。

    こうやって見てくると、LDさん言うところの“力場”が、「いちご」終盤ではまったく逆向きに働いていることがわかります。つまり、「いちご」は「ななか」とは違って、「勝利したヒロインに対しては“力場”による強力な加護が与えられる」という点にかけてはそれ以前の作品と何ら変わりないのですね。
    それは、「ついに、“力場”が、『序列下位』のヒロインに対して追い風として働く時代も来たのだ」という歴史的側面もあるので、一概に否定すべきことばかりとは言えないでしょう。が、一方、このときの西野は事実上「序列下位」ではないという見方もできます。そして何より、この事態を肯定することは、かつて“力場”による理不尽な差別を受け空しく散って行った螺旋戦士へ冒涜になり、「雨宮論」の趣旨に反する恐れがないでしょうか。

    | この事件はここに至っても、まだ雨宮が「序列二位」のヒロインである事を表わしている。
    | はっきり言って「序列一位」のヒロインがこういう場面で主人公の輸血ができないという事はまずあり得ない。
    | 第二部に入っても雨宮に対する「序列」の圧力がなくなったわけではないのだ。

    雨宮と違って、西野にとって「序列」の圧力の働き方が従来と変わっていたことは、上述の通り特に終盤に顕著ですが、実はもう少し早い段階にもその兆候は見られます。高2の学園祭前、カラオケボックスでガス爆発が起きるハプニングがありますが、そのとき「真中の大切なカメラを取りに、危険を省みずに戻るヒロイン」は西野なのですね。こういうとき、そういう行動に出るのはほとんどの場合「序列一位」のヒロインですし、東城は性格的にもそういう献身的な行動にふさわしいキャラなのですが、なぜかこのときは西野が向かいます。そしてそればかりか、彼らの初デートでは、停止したエレベータに閉じ込められたとき、真中がうろたえるばかりだった一方、西野は落ち着いててきぱきと係員に連絡を取ってたにもかかわらず、今度はなぜか真中の方が的確に行動でき、西野はほとんどそれを見てるだけ、というように、役どころがまったく逆になっています。少しでも西野の目に真中がよく映るように、という意図が透けて見えますが、西野に対しては設定を都合よく改竄してでも有利にしようという妙な効果がもともと働いているのですね。

    このように、西野は元々、序列の“力場”を比較的免れている下位ヒロインでした。それは、一方では「西野勝利」の正当性を、早い段階から示唆している項のひとつに数えるべき要素ではあるでしょう。が、上述のような事情と併せて考えると、西野はかつて多くの螺旋戦士を葬ってきた魔手に逆にのうのうと守られるだけのポジションを選択した、螺旋戦士の風上にも置けない変節者ととらえるべきなのではないでしょうか。

    [3] まあ、西野を逆恨みすることにかけては日本で一、二を争う(笑)であろう私が好き放題書いてしまいましたので、バランスをとるため、こうやって「西野贔屓」を以て任じられる GiGi さんの記事にぶら下げておくことにします。GiGi さんは「東城に魅力が乏しい」と仰るわけですが、「魅力」ということにかけては、私にとっては西野こそがまったく謎のキャラなので…。容姿以外の魅力というのがこれっぽっちも感じられなかった(特に再登場以降には)キャラなので、GiGi さんの方から「西野のどんな所が魅力的なキャラなのか」を説明して頂ければ多少はバランスがとれるかな、と(笑)………と言っても、コードギアスに全力投球中の GiGi さんにはご迷惑な話かもしれませんけど。
  • 西野は本当に螺旋戦士か? 投稿者:LD <2008/06/24 01:45>
  • #236 西野は本当に螺旋戦士か?
    投稿者:LD <2008/06/24 01:45>
    <<<親記事]
    お待たせしました。レスを返させてもらいます。

    【西野は何故勝利したか?】http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0087.html

    まず、僕の基本的なスタンスは(↑)上のレスの通りです。だいぶ、時間も経っているのですが、そう大きくは感想は変わっていませんね。(まあ、西野にしても、東城にしても、細かいアクションの見落としはあるなあ…とは思いすが)
    文章を読ませてもらうと井汲さんと「いちご」の展開について「評価」はそれほど違わないと想います。ただ「感想」が違うんでしょうね。

    > [1] 西野は本当に北島マヤか?

    元々のプロットは変わっていないはずなのに、見る角度によってヒロインが変わってしまう……というような荒技を北島マヤはよくやっていたので、それに擬えて見ましたw…「っきぃいいいい!!あたしが主役のはずなのにぃぃいい!!!」by東城役の女優って描写を重ねようとしたので、あまり西野さんの中の人の演技力に言及したものではないんですね。
    …言及したものではないんですが、ワンシーン、ワンシーンの西野さんの「演技(?)」はそんなに悪いものではなかったと思います。ただ、シーンとシーンの繋がりが悪いから、チグハクになってしまう。それはやはりシナリオの問題なんだと思います。
    今、シナリオの問題と書きましたが……ここからが本題なんですが、つまりこの話って「西野は(「天元突破!雨宮ゆり子」にある)螺旋戦士に足るヒロインか?」って事ですよね。

    ■西野つかさは螺旋戦士か?

    その上で井汲さんは、西野さんが螺旋戦士に足りない理由を次々に列挙されていて(…というか基本、上位ヒロインに戦いを挑めば全て螺旋戦士だよな?強い螺旋戦士かどうかはともかくとして…)僕も細かなところはともかく事象自体には概ね反論はありません。
    …ただ、そころ踏まえた上で言うと、正直あまり真っ当に西野さんの拙い部分を指摘して行くのはキツイものがあります。それは最初のプロット(序列)に逆らうのが螺旋戦士の本義だからで、これを覆せば物語がある程度ガタガタになるのはある種、必然なんですよね。

    故にそれを壊さないために「序列のルール」が存在するんです。本当は。「雨宮」の論評では僕はそれを目の敵にいたわけですけどw…で、その力学を僕は覆せるという話をしているんだけど、初期プロットを崩して、しかも初期プロットのために積まれた演出を内包しつつ、途中から生まれた別のプロットを瑕疵無く再構成しないと「雨宮」ではないのなら、雨宮ゆり子でさえ「雨宮」ではなくなってしまうでしょう。
    まあ、要するに「大目に見たいなあ…」って事ですが(汗)大目に見れば大体において「辻褄は合っている」と言えると思うんですよね(汗)かつて制作側は、井汲さんが指摘するような真っ当な批判が見えるから、強固な「序列のルール」が存在したワケで「雨宮」や「西野」の物語というのはそのロジックの逆説として存在しているもので、真っ当な説にのみ拠ると、その物語は見えなくなってしまうんですよね。

    …それににしたってこれは酷いんじゃないか?って指摘があるとすれば、けっこう河下先生の構成力やネーム力に関わってくる問題じゃないかと思います(汗)それについては僕自身も「西野は何故勝利したか?」において、西野さんのヒロインキャラとしての拙さは指摘しています。

    > はっきり言うと連載開始当初、西野さんはラブコメヒロインとしてはドライな印象で面白味がなく、とうてい東城の相手になると思えなかったキャラでした。
    > 真中の懸垂に大笑いしてOKした彼女は、次に真中が悩みに悩み抜いて別れ話を持ち出しても「あ、そう?」で別れてしまうキャラに見えたのです。(当初は)それが問題だった。

    そして戻ってきた西野さんは、僕は西野さん自身が力をつけたようには僕は書いていません。あくまで、もう一度彼女を参戦させるための「ご都合主義(運命)」の加護を受けて、彼女は捲土重来を果たすんですね。後から見れば、それがこの物語の趨勢を決めたという事になります。僕が書いた西野さんの得た「渡り合う力」ってのは正にこの「ご都合主義(運命)」の事です。
    これは井汲さんの「西野は何かをしたワケではない!ただタナボタの勝ちを拾っただけだ!」という主張とそのまま一致すると思います。

    僕の見解としてはそんな感じです。細かな差違はあるでしょうけど事実認識や評価は概ね近いと思います。ただ「感想」が違う。拙いところは拙いと認識するとしても、あんまりそこばかり締め上げちゃうと「西野の物語」が見えなくなってしまうなあ、それはちょっと楽しくないなあ、というその「感想」が違うんでしょうね。
    螺旋戦士なんて儚いものなんですよ…w二百三高地か?ハンバーガーヒルか?っていう死屍累々の戦史の中で、ようやく手に入れた「逆転」の物語も「不格好」の誹りは免れない。それ故、完璧とは言えないまでもかなり美しい物語を描いた「雨宮」が、あの時期に在るという事には、何か感じ入ってしまうものがあるんですけどねw

    ただ、今回、気づいたのは西野さんは「天元突破!雨宮」で挙げた他の螺旋戦士「杉村」や「ルシオラ」、「雨宮」と違い、「退場」というイベントを一旦踏んで入るんだけど、彼女の退場はキャラが強過ぎたから退場したのではなく、逆にキャラが弱いから退場したという、そこから再登場し肉迫する、展開としてはかなり稀有なヒロインだという事。
    それから読み直してみて「西野さんの退場は思いの外、短く、かつ段階を経ている」事。これは西野さんと真中が付き合っているままの状態で高校進学し、入学式からしばらくの間、別の学校に行った西野さんは出てこないんですよね。(その間にさつきが登場するワケですが)そして、しばらくしてから西野さんと真中は再会して、その後程なく別れている。……で、そこから大して離れていない10週後くらいには、また再登場するんですねw関わりは低いんですがw
    …ここらへん、ちょっと時間を見て再検証したいなとも思っています。それで何か思うところがあれば、また何か書くかもしれませんw
  • Re:西野は本当に螺旋戦士か? 投稿者:井汲 景太 <2008/06/26 02:52>
  • #237 Re:西野は本当に螺旋戦士か?
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2008/06/26 02:52>
    <<<親記事]
    ※ 推敲が不十分なせいで、同じような内容が何度も繰り返されるくどい文章になってます。すみませんがお読みになる方はそれをお含みおきください。

    > 展開について「評価」はそれほど違わないと想います。ただ「感想」が
    > 違うんでしょうね。

    そのお言葉に対する返答になっているかどうかわかりませんが、初めに概括を述べておくと、私は別に「西野をリストから外すべきだ」という主張をしているわけではないんですね。そうではなく、やっぱり「雨宮その5」での表現が「ふさわしくない」、と感じたことが先の記事を書いた理由です。

    西野を例示した後で
    > 然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与えてあげる。

    > そこに「物語の崩壊」はない。

    > それはやはり「雨宮ゆり子」が証明したのだ…。
    と美しくまとめてしまうと、何だか「いちご」も「ななか」に並び立つほどの綺麗な内実を備えていたかのようなイメージが感じられますが、「それは違うだろう!」と。「然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与え」たという内実は、いちごにはこれっぽっちもなかった、少なくともそれが甚だしく不足していたことは間違いないと思います。その欺瞞をまるっきり放置したまま、こうやって綺麗に締めくくってしまっていいのか?という疑問が出発点です。(ちなみに、しばらく前にチャットで話題になった「いちごの終盤は崩壊していたか否か」について言えば、ここでの「然るべき話を積上げられた然るべきキャラに、然るべき結末を与えてあげる」ことを「物語の崩壊はない」ことの定義とする用法に従えば、私はやはり「崩壊していた」という表現こそがふさわしい、と断言する立場です。あの理不尽きわまりない終盤を「崩壊」と言わずして、他にいったい何を「崩壊」と呼べばいいとゆーのでしょーか(笑))

    私は「メモル」は見てないんで、「グレース事件」がどれくらい強烈な疑問を覚えるものだったかについての判断材料は持っていないのですが、LD さんはだいぶ逡巡しながらもグレースを「下位ヒロインの突破例」のひとつに数える立場を取っておられますから、西野も「リストの一員」として挙げることは言わば当然であって、それに反対しているわけじゃあないんですね。ただ、LD さんは、「その4」までで、グレースを除けば「螺旋戦士」を基本的に「祝福すべき者」として大いに顕彰されてますよね?その上で「グレースだけが例外扱いで、例外であることは疑問点を多々連ねることで読者に明示される」という流れを踏まえて「その5」の西野の記述を見ると、何のひっかっかりもない書き方なので、「西野もまた、雨宮や杉村、ルシオラと並び立つ、祝福すべき螺旋戦士の一員なのだ」と言っているかのような印象を受けてしまいます。これは私の感じ方が特殊なせいだ、ということはないと思います。

    んで、それについての
    > そして戻ってきた西野さんは、僕は西野さん自身が力をつけたようには
    > 僕は書いていません。あくまで、もう一度彼女を参戦させるための
    > 「ご都合主義(運命)」の加護を受けて、彼女は捲土重来を果たすんですね。
    > 後から見れば、それがこの物語の趨勢を決めたという事になります。僕が書
    > いた西野さんの得た「渡り合う力」ってのは正にこの「ご都合主義(運命)」
    > の事です。
    という LD さんの見解は、実はわかっていて書きました。と言うのは、実際「雨宮その5」で LD さんがどう書かれていたかというと、
    > しかし、その不遇をはね除けて再び登場した時、
    > 彼女は序列一位(東城綾)と渡り合う力をもって彼女に挑み、
    > そしてあのラストシーンを手に入れたのだ。
    で、これは普通に読んだら「西野が自前の力で渡り合い、手に入れた」というイメージを自然に抱きませんか?これは私の被害妄想気味の僻み(笑)が働いていることを考慮に入れてもなお、
    > これは井汲さんの「西野は何かをしたワケではない!ただタナボタの
    > 勝ちを拾っただけだ!」という主張とそのまま一致すると思います。
    という LD さんの本意は覆い隠されてしまっている表現だと思うのです。

    もちろん、「そういう誤読を回避するためにも参考文献へのリンクもつけてあるのだ」という LD さんのお考えもよくわかっています。つまりここで私が言ってることは、チャットでも述べた通り、非常にみみっちいことなわけですよ(笑)。

    ………いや、実を言うと、LD さんが雨宮論を書き始めた当初から、「最後はこういうことになるのではないか」という危惧はあったので、その時は「西野を無造作に祝福する見方への対抗見解」としてああいう記事を公にせねばなるまい、と密かに覚悟を決めてはいたのですが(笑)。

    「雨宮その5」をそのまま放置しておくと、結果的にそういうありもしない空気が漂ってしまうと感じたわけです。実際、チャットで取り上げたいずみのさんの記事のように、あたかも「いちご」に「ななか」と同等の祝福を受ける資格があると言ってるかのような記事が出てきているわけですし(※ 本論とはあまり関係ないポイントで何度もケチを付けるような形になってしまって、いずみのさんは不愉快に感じられてるかもしれません。その点はお詫びいたします。別にいずみのさんを責めているわけではなくて、「いちごに別に思い入れはない」(とチャットでご自身が仰っていましたが)ような人が、「雨宮その5」を受けた記事を自然に書くと、特に「雨宮と同等のレベルで西野を祝福する立場を積極的に取っているわけじゃない」にもかかわらず、あたかもそうであるかのような内容になってしまいがちだ、という話です。それは「思い入れなく不用意なことを書くのが悪い」というように責める気持ちがあるわけでは全然なくて、「誰のせいでもないけど、自然にそうなっちゃうよね」という話です)。

    で、そういう雰囲気に一石を投じておきたかったので、対抗見解として先日の記事を投稿したわけです。いや、あの程度では「一石を投じる」ことにすら足りていないかもしれませんが、とにかく私の気持ちとして、言わずにはいられなかったんですね(笑)。みみっちい限りで、誠に申し訳ありません(笑)。

    > それ故、完璧とは言えないまでもかなり美しい物語を描いた「雨宮」が、
    > あの時期に在るという事には、何か感じ入ってしまうものがあるんですけどねw

    それはもちろん。で、私の見るところ、西野はその「美しい」という評はまるっきり当てはまりません。

    ………もともと、雨宮論というのは、下位ヒロインが「物語の掟」に無残に葬られる「理不尽さ」に対する憤り、というのが萌芽になっていて、その「理不尽さ」を呪う気持ちが LD さんの動機になっているわけですよね。それが雨宮、杉村、ルシオラを祝福する語り口に繋がっている。だとしたら、西野は本来雨宮論に登場する資格のないキャラです………中盤の西野までは私も、余りうるさいことを言わずに目をつぶってもいいか、と思わないでもないんですよ?でも、少なくとも「いちご」の終盤は、西野はその「理不尽さ」に対する「祝福すべき要素」はまったく持っていないばかりか、完全にその逆、「理不尽さ」を呪われ、責められるべき立場のキャラでしかありません。
    で、そこは「論」として整理する過程で「本来は」LD さんの動機の直接の対象ではなかったグレースも「実例」として例示する形になったわけなので、西野も例示することそれ自体に文句をつけるわけではありません。が、いちごの結末に対しては、グレースと同程度のためらいはあって然るべきだ、と思うわけです。少なくとも、「何の疑問もない、雨宮並の美しい結末があった」と読む側に感じさせてしまうような表現はふさわしくない、と。

    でまあ、こんな具合に書いてきましたけど、LD さんがどう感じられるかはまた別の問題なので、「雨宮その5」の表現を修正するかどうかには別にこだわっていません。あの流れで西野に対する疑問や逡巡を書いたりしたら、流れが濁りますからね。その事情はよくわかっているつもりです。ただ、それへの対抗見解は「漫研」内で表明しておきたかったのでした。

    で、後は余談に類する話を2つばかり。

    > 「っきぃいいいい!!あたしが主役のはずなのにぃぃいい!!!」by東城役の女優
    > って描写を重ねようとしたので、あまり西野さんの中の人の演技力に
    > 言及したものではないんですね。

    ああ、そうだったんですか(笑)。それは今まで解ってなかったです。すんません。

    > ワンシーン、ワンシーンの西野さんの「演技(?)」はそんなに悪いものでは
    > なかったと思います。ただ、シーンとシーンの繋がりが悪いから、チグハクに
    > なってしまう。それはやはりシナリオの問題なんだと思います。

    前半は異論ないです。中期〜長期の構成力に難がある河下先生ですが(「初恋限定。」もねえ…(笑))、ワンシーン毎の単発的な演出については、時折ヒヤリとさせられるほどの鋭さを見せることもあり、その腕前は東西北三者にそんなに遜色なく発揮されていたと言えるでしょう。

    後半については、「シナリオの問題」というのは、「シーンとシーンの繋がり」というよりも、やはり私が書いたように「その感情に至る動機・説得力の欠如」が決定的に大きいように思います。

    #79 その通りです。
    投稿者:LD <2005/08/10 11:15>
    <<<親記事]
    Re:井汲 景太さん
    こんにちは!投稿ありがとうございます。井汲 景太さんの「いちご」に関する書き込みのレスはまた後程打たせていただくとして、とり急ぎ(別に急がなくてもいいかも知れませんが)こちらの方の回答を…(笑)

    > ※ ところで、LDさんは、昔 Cna-BBS に投稿されていたあのLDさんですよね。投稿されていた期間は私が web から離れていた間に当たるので直接のやりとりはありませんでしたが、その前後の常連投稿者の1人として、懐かしく思います。お元気そうで何よりです。

    その通りです!…というかよく覚えてらっしゃいましたね?(笑)
    確かにCna-BBSに投稿させて頂いておりましたが、期間はけっこう短かい…つまり「GS美神」のルシオラ編の頃、ルシオラにメロメロになってお邪魔させて頂いておりましたが、そんなに投稿件数が多かったわけでもないと思うのですが…いや、ホントによく覚えておいでで…懐かしいというか、嬉しいです。
    あの頃は何かあると他のサイトにも出かけて、言いたい放題の事を書いていたのですが、さすがに年月と共に時間的体力的な厳しさが出てきまして、現在は元々のホームでつらつらと書き留めております(汗)

    では「いちご」についてはしばらくお待ち下さい(笑)
  • 「漫研」を知ったきっかけ 投稿者:井汲 景太 <2005/08/12 00:25>
  • #81 「漫研」を知ったきっかけ
    投稿者:井汲 景太 Ml Hp <2005/08/12 00:25>
    <<<親記事]
    > その通りです!…というかよく覚えてらっしゃいましたね?(笑)

    実は、LDさんのルシオラ論考が1年ほど前に C-WWW で話題に上ったことがあり、その流れで知っていた、という次第です。詳しくは、

    http://cwww.pos.to/bbs/blosxom.cgi/bbs/20040225_004521.htm

    をご覧ください(そこではLDさんにかなり不躾なことも申し上げております。私も「極楽」についてはひとかたならない思い入れを抱いておりますので、どうしても譲れない点があることを思し召し、ひとつご容赦くださいますようお願いいたします)。

    では、「いちご」談義に戻ります。まだ言い足りないことがいろいろと(笑)。